めくるめく乾物の世界と、駄目な大人たち 中編
テーブルの上には、焼き立てほかほかのホッケ。飴色の表面が、脂でじゅくじゅくと沸き立って、辺りには魚の焼けたいい匂いが漂っている。勿論、ホッケには大根おろしを添えてある。それと、ゆず大根! 使ったのはティトという果実。柚子とは違って、皮が桃色なのだけれど、その皮を刻んで大根と一緒に漬けた。ティトは風味や味は柚子そのものなので、冬の大根が美味しくなるこの時期にぴったりの一品。ティトの爽やかな香りと、大根のパリパリした食感が、日本酒にとても合う。
「あっあっあっ! 卵焼き! 卵焼きだ!」
ユエは私が手にした皿を見た瞬間、顔を輝かせた。
そこに乗っていたのは、黄金色の卵焼き……ではなくて、だし巻き卵。濃い目の出汁をたっぷりと引いた、鰹節の風味が効いた一品。理由はわからないけれど、昔からうちは、ホッケを食べる時は毎回だし巻き卵を添えるのだ。卵焼きが大好きなユエは、よだれを垂らしそうな表情で、金色のそれを見つめている。
「いただきますしてからですよ」
「うん。うん……!」
ダージルさんの膝の上で、ニコニコ顔でだし巻き卵を見つめているユエはまるで子犬のようだ。
そして、最後に用意したのは、祖父が大好きだった乾物。これは一番最後に食べる予定だ。
ずらりとテーブルに並んだ料理を見たヴァンテさんは、きらりと眼を光らせて、好奇心の赴くままじろじろと観察している。
……両手におにぎりを持って、口いっぱいに頬張りつつだけれど。
「ああ、全部美味しそうだねえ。ん、これは? 干した魚? 極東の国では、干した魚をスープに入れて食べるそうだよ。これもそうするのかい?」
ヴァンテさんは、私が食料庫から持ってきた、見慣れない魚を指でつついて、不思議そうにしている。
「……ヴァンテさん、ほっぺに米粒がいっぱいついてますよ。これは、このまま食べるんです」
「へええ〜」
「と言ってもですね、ちょっとした工夫をして食べるんですけどね。楽しみにしていてください」
「ふうん。異界の乾物かあ。楽しみだね!」
にっこりと眩いばかりの顔で笑ったヴァンテさんは、ルヴァンさんに顔中に米粒をつけているのを見つかって、グチグチと怒られていた。
――後は、お酒の準備。乾物に干物、それに合うのはやっぱりこれ!
「今日のお酒は日本酒! それもぬる燗です! 熱燗も対応可能ですが、始めはぬる燗から行きましょう!」
私がそう言うと、飲ん兵衛たちが「おお〜」と、パチパチと拍手をする。
全員に徳利とお猪口を配ると、皆珍しそうに、小さなお猪口と徳利を眺めていた。
ぬる燗というと、40度前後まで温めた日本酒のことだ。
日本酒は、純粋に味を楽しむのならば、常温で飲むのが一番なのだと思う。沢山飲みたいときは、冷やにすることが多い。けれど、冬の寒い季節はどうしても温めた日本酒が恋しくなる。
手っ取り早く温まるなら、熱燗でもいいけれど、あまり熱しすぎると風味が飛ぶという人もいる。亡くなった祖父は、ぬる燗派だった。だから、私もぬる燗が好きだったりする。
「はい、ジェイドさん」
「ありがとう」
日本酒のいいところは、自然とお互いにお酒を注ぎ合うところにあると思う。
接待とかそういうことではなくて、注ぐ瞬間は肩が触れ合うほど体が近くなって、心の距離もほんの少し近くなる感じがする。それが、なんだか照れくさくて、擽ったくて。ああこれからお酒を飲むんだな、という実感が沸いてくるのだ。
ジェイドさんは、私がお酒を注ぎ終わると、お返しに私のお猪口にも注いでくれた。
透明なお酒がお猪口に注がれて、照明を反射してゆらりと煌めく。白い湯気が僅かに立ち昇り、お猪口を持つ手がじんわりと温かくなる。
気がつくと、部屋の隅っこに座って、おにぎり片手に本を読み始めていたヴァンテさんは、声を掛けても本の世界に没入しているのかこちらに気が付かない。仕方がないので、残りの皆で乾杯することにした。
因みに、ユエはオレンジジュースだ。
……乾杯! 皆でそう言い合って、お猪口をぶつけあってからひとくちお酒を飲む。
「……くうっ!」
ぬる燗をひとくち飲んだダージルさんは、顔をくしゃくしゃにして、満足気な声を上げる。ルヴァンさんも、満更ではないようで、頬を緩めてお猪口を見つめていた。
私もそっとお猪口を口に近づける。
途端に、鼻を日本酒の豊潤な香りが鼻を抜けた。
ぬる燗のいいところは、冷やよりも遥かに強く、日本酒の香りを感じられるところだ。
私はその香り堪能してから、そっと口の中に日本酒を招き入れる。すると、途端にきゅん、と強い酒精が舌を刺激した。その後に、ゆるゆると日本酒の味が舌の上に広がってくる。キリリとした辛味がありながらも、余韻は何処か甘い。そして、お酒が通り過ぎていった喉から胃に向かって、じわじわと熱を帯びてくる感覚。
――ああ、堪らない!
「温めると、冷やとは趣が変わっていいね」
ジェイドさんはぬる燗が気に入ったのか、ニコリと笑って更にお酒を注いでいる。
「けれど、こんなに小さな器で飲むのは不思議だね。まあ、異界の文化って感じがして悪くないけど」
「ああ、そうですね。ジェイドさんたちからしたら、珍しいでしょう。このお猪口はですね、ほら底に、二重丸があるじゃないですか。これを『蛇の目』と言いまして」
「じゃのめ?」
「蛇の目のことですよ」
「――蛇!?」
ジェイドさんは、パチパチと目を瞬かせ、じっとお猪口の底にある、紺色の模様を見つめている。
「お猪口は元々は、利き酒の為に使っていた器なんだそうです。この二重丸の見え方で、お酒の透明度を測ったのだとか。ぐい呑っていう一回りくらい大きな器も、日本酒を飲む時によく使うんですが、徳利から少しずつ注ぎながら飲む、お猪口の方が私は好きですね」
「へえ、詳しいんだね」
「私のお酒の知識は、祖父直伝なので!」
私が胸を張ると、ジェイドさんは柔らかく笑って、私の手元のお猪口にまたお酒を注いでくれた。
お礼を言いつつ、もうひとくち。
……うん、幸せ。
「ごくごく飲むお酒もいいんですけどね。こうやって、ちびちび味わいながら飲むお酒というのも、中々いいですよねえ」
「そうだね」
ジェイドさんとふたり、まったり日本酒の余韻に浸っていると、そのすぐ傍で、ユエがダージルさんと大騒ぎしていた。
「傷のおっちゃん、骨取って! 僕、まだ箸が上手く使えないんだよ!」
そう言いつつも、ユエはホッケと格闘している。そう言えば、秋刀魚も上手く骨が取れなくて、苦労していたっけ。というか、ジェイドさんには自分で取れるから平気! なんて言っていたのに、ダージルさんにはべったり甘えている。隣のジェイドさんを見ると、彼も苦笑しながらユエを見守っていた。
ダージルさんは、無邪気に甘えてくるユエが可愛いのか、若干頬を緩めながら、甲斐甲斐しく世話をしている。
「つってもなあ。俺もそんなに、得意じゃねえんだよなあ、箸――おっと」
「あっ」
すると、ダージルさんがホッケの身を取ろうとして、テーブルに身を落としてしまった。けれど、ダージルさんはひょい、と素手でその身を拾うと、ぽいっと自分の口に放り込んだ。
「あ〜〜〜! 落ちたの食べたら駄目だって、昔マユが言ってた! ばいきんがいっぱいなんだよって!」
「ばいきん? おおー。なんかしらんが、そうだなあ、まあ大丈夫だ。うん、お、また落とした」
「……むぐ! なんで、落としたのを僕の口に放り込むのさ!」
「男の子だろうが! 細けえこと言ってんじゃねえ。このテーブルは綺麗だ! 茜を信じろ!」
「そう言う問題じゃない!」
因みに、マユと言うのは先代聖女で何百年も前にこの世界に来た異界人だ。
……その教えを未だに覚えているユエの健気さに泣ける。それにしても、ダージルさんのおおらかさよ……。
これでこの人、高位の貴族です!
ダージルさんとユエはぎゃあぎゃあ騒いで、それでも楽しそうだ。骨を取り除いたホッケの身を、自分とユエの口のぽいぽい放り込んでいるダージルさんは、ぐいぐいお酒を飲んで、顔を若干赤く染めている。
その横では、ルヴァンさんが黙々とお酒を飲んでいる。
彼もどうやらホッケを気に入ってくれたらしく、ひとりで半身を食べてしまいそうな勢いだ。
「ルヴァンさん、ホッケ美味しいですか?」
「……中々、いけるな。塩気が中まで染みて、淡白な身の旨味を引き立たせている」
ルヴァンさんはぽつん、とそう言うとお猪口の中の酒を一気に飲み干した。
柔らかな表情で、レオンの背中を撫でながらホッケを食べているルヴァンさんは、凄く幸せそうに見える。
そんな姿を微笑ましく思いながら、私もホッケをぱくり。
「〜〜〜! 美味しいー!」
ホッケの脂の甘味。塩気が染みたその身は、ぷりぷり濃厚な旨味を伝えてくれる。ホッケのいいところは、その身の大きさ! 充分な厚みがあるその身を、箸で大きく切り取って口いっぱいに頬張れる贅沢さ……。これは、中々他の魚では味わえない感覚だ。そして、その脂と身の甘さよ……! ルヴァンさんが言ったように、塩に漬け込んでから干したホッケは、程よい塩味が染みている。その塩味が甘さを更に引き立たせ、舌が、脳が喜んでいるのがわかる。
――堪らず、ぬる燗をグビリ。
そして、私はそのあまりの相性の良さにノックアウトされて、思わず片手で顔を覆った。
「ああああああ。ホッケと日本酒……最高……!」
私がひとり悶ていると、ダージルさんもホッケをもぐもぐしながら同意してくれた。
「おうおう、まったくそうだな。これは、うめえ! アッカは値段も安いし、手に入りやすい。塩漬けして干すだけなんだろ!? これの作り方を広めれば、きっと平民も喜ぶだろうなあ。なあ、宰相殿よー!」
「……まったく、この酔っぱらいは何を言い出すんだ。自分が、城下町の酒場で食べたいだけだろう……だが、同意だ! これは美味い! ……ふふ、ふふふ……」
「……えっ、ルヴァ……うわあ」
ルヴァンさんは何がおかしいのか、急に笑いながらダージルさんの背中をたたき始めた。見ると、首元から手まで、肌が見えている部分全部が真っ赤ではないか。
……そうだった、ルヴァンさんはお酒を飲むと、途端に愉快になるタイプ……!
滅多に見られない満面の笑みを浮かべたルヴァンさんは、ゼブロさんを通じて、ホッケの一夜干しを広めることをダージルさんと約束していた。
「あ、でもルヴァンさん、今って、色々と忙しいのでは……。春頃は頻繁に来ていた魔道具の研究にも、滅多に来なくなりましたし」
私がそう言うと――銀縁眼鏡をキラリと光らせたルヴァンさんは、不敵な笑みを浮かべた。
「ちょうど、世の犬に対する意識の低さを改革しようと、色々と準備を進めていたところで、平民に触れを出す手はずを進めていた。……ついでだからな、問題ないだろう。――くくく、数年後には我が国には捨て犬はいなくなっている……!」
「ちょっと待て。それは結果だけ見ると喜ばしいことだが、何をするつもりだルヴァン。宰相であるお前が、そういう表情でそういう発言をすると、怖えよ」
どうやらルヴァンさんは、生類憐れみの令のような法律を作るつもりらしい。それを、ダージルさんが盛大に顔を引き攣らせて、どうにかして思いとどまらせようとしている。
――犬を捨てた人間への罰則がリアルに重い。いや、命をないがしろにすることはよくないけど……! 物凄く、話題がデリケートな方向に……ッ!!
というか、そんなものと一緒に広められるホッケの一夜干しの作り方……なんだそれ。
罰せられた人に、ホッケが恨まれそうで怖い。やめて、ホッケに罪はない。誤解です。
すると、ダージルさんの膝から降りて、四つん這いで私に寄ってきたユエが、こっそりと私に耳打ちをした。
「ねえ、あの人いつも仏頂面で、真面目な人だと思ってたのに……お酒を飲むと変人になるの?」
「――シッ! 聞こえるじゃないですか。……それは、あれですよ。お酒を飲むと、こうなんというか……溜まっていたものを一気に放出するタイプの人なんですよ。子どもはみちゃいけません」
「聞こえているぞ! 茜!」
「ひいいい! 目が怖い!」
思わず、ジェイドさんの後ろに逃げ込む。ルヴァンさんは、憮然とした表情になって、くどくどと犬の愛らしさ、命の尊さについて語りだした。腕にレオンを抱いて、熱弁を振るう姿は、なんというか……うん。こんなルヴァンさんは見たくなかったよ!
「……こいつ、最近酔うと犬の話ばっかりでな」
ダージルさんは困りきった表情をしていたけれど、それでも律儀にルヴァンさんに付き合ってやっていた。
……幼馴染って、偉大だ。
長年付き合うことで得られる経験値の尊さに、私は思わず涙ぐんでしまった。




