めくるめく乾物の世界と、駄目な大人たち 前編
駄目な大人たちによる、駄目な日常回です。
のんびりまったり、お気軽にご覧になって〜(笑顔)
「うわあああああ! 美味い酒が飲みてええええ!」
「うわあああああ! 私もですうううううううう!」
「お前たちうるさいぞ」
久しぶりに、我が家に異界の魔道具の研究名目で、ルヴァンさんがやってきたある日のこと。
偶々、丁度いいタイミングで、雪上訓練から帰ってきたダージルさんと、ふたりでちゃぶ台の上でだらりと脱力して、お酒を飲みたいと愚痴る。
ふたりともいい歳だし、片方は組織のトップだったりするけれど、そこは気にしない。気にしてはいけない。私とダージルさんが揃ったのだ、お酒への欲求が爆発するのは、いつものことだ。
そんな私たちとは他所に、居間のテレビを観察して何やらメモをとっていたルヴァンさんは、非常に迷惑そうな視線をこちらに向けた。それはそうだ、ルヴァンさんはかなり忙しいはずだ。その合間を縫って、好きな魔道具の研究のためにと我が家を訪れたのに、いい大人ふたりが叫んで、研究の邪魔をしたら睨みつけたくもなるだろう。
けれど、私たちに厳しい視線を送っているその足元には、うちの愛犬がぴったりと寄り添っていて、偶に愛おしそうに撫でてやっているから、その眼光の威力は半減していた。
「……だって。この間、お酒を飲もうと思ったら、色々とありまして。……こう、上手く発散しきれていなくて、モヤモヤするんですよう!」
「欲求不満を酒にぶつけるな。中毒になるぞ、馬鹿者!」
「訓練中は酒が飲めねえだろお!? しかも帰ってきたら帰ってきたで、国王に報告書だなんだって……ちっくしょう、報告ぐらい自分でしろってんだ!」
「おい、お前は騎士団長だろう。最高責任者がそんな考えでどうするんだ、大馬鹿者!」
「なんか……ルヴァンさん、口うるさいお母さんみたい……」
「ほんとにな……。ああ、嫌だ嫌だ」
「物理的に黙らせようか、お前たち」
するとそこに、ジェイドさんがやってきた。
今朝は吹雪が酷く、いつものように買い出しに出られなかったので、城の厨房から食材を分けてもらいに行っていたのだ。
「茜、ゼブロさんから色々と貰ってきましたよ。その中に変なのがあったんですが――なんですか? これ」
「……待ってました!!」
私はちゃぶ台から、体を勢い良く起こすと、立ち上がってジェイドさんの傍に寄り、その手元を覗き込む。
ジェイドさんの手には、平たい籠があり、その中には私が待ち望んでいたアレの姿があった。
それは、何種類かの魚を乾燥させたもの――所謂干物や、乾物と言われるものだ。
「わああ! すごいすごい! 流石、ゼブロさん! 最高!」
「随分いろんな種類があるんですね」
「そうです、そうです! なんでも、魔法で簡単に干物が作れるらしくって。とある地方では、乾燥させた魚を、保存食として冬の間食べるんだそうです。だから、そういう魔法が発達したんだとか。凄いですよね、魔法万歳! 私、乾物大好きだから、もう嬉しくって色々とお願いしていたんですよ〜!」
「ああ、だからこの間やたらと魚を買い込んでいたんですね」
「ふふふー! そうなんです!」
因みに、ゼブロさんとは、初めてゴルディルさんと出会った時に、私の調理を手伝ってくれた料理人さんで、ちょび髭とぽっこりお腹が可愛らしい料理人のおじさんだ。彼には、度々食材を分けてもらったり、レシピを教え合ったり、中々いい関係を築いている。
――そして、今回、彼に頼んでいたのが、各種干物・乾物だ。
魚の干物というと、焼くだけで美味しいおかずになるし、日持ちがするから、いざという時に使える便利な一品。それに、乾物は言わずもがな、お酒のおつまみとしては一級品だ。
……で、今回お願いしたのは、イカの一夜干しに、鮭とば丸々一匹! それと、鯵相当の魚の干物にゼブロさんおすすめの小魚の干物。それに……これですよ、これ! ホッケ!
異世界の魚お約束の、鑑定欄に現れる獰猛な説明文はどうでもいい! 身が厚くて食べごたえがありそうな、ホッケ相当の魚の干物……! まるで一日干したみたいに、きちんと表面が飴色に変色している。それにかなり身厚い。脂がたっぷりと乗っていそうだ。
「ああ〜美味しそうー! 堪りませんねえ、日本酒案件ですよこれは」
「日本酒! それは聞き捨てならねえな。おっ、アッカだ! これは香草と焼いたりはするが……干すと美味いのか?」
ダージルさんが見ているのは、ホッケ相当の魚だ。どうやら、この魚を干物にするのは一般的でないらしい。
私は、チチチ、と舌を鳴らして、人差し指を左右に振った。
「美味いのか? じゃないですよ。美味しいに決まってます! 一夜干しにしたホッケ……いや、アッカ。きっと美味しいですよ! そういえば、うちの食料庫にも、美味しい乾物が眠ってたなあ……ああ、今晩食べちゃおうっかな!」
「茜……お前……それ……!」
すると、ダージルさんが期待に目を輝かせて私を見た。
ふふふ、わかっている、わかっているとも……!
「ダージルさん。一緒に、めくるめく干物と乾物の世界に行きましょう……?」
「茜……! 一緒に行ってくれるのか……?」
「勿論ですとも! 私とダージルさんの仲じゃないですか……!」
「お前ってやつは……!」
「ちょっとふたりとも」
ダージルさんと手と手を取り合って興奮していると、ジェイドさんが割って入ってきた。
ジェイドさんは、ちょっぴり不機嫌そうな顔をしている。……あ、興奮するあまり、やりすぎてしまった。
「まったく。団長、明日も朝早くから演習だと聞きましたけど、大丈夫なんですか」
「う、うるせえや。影響が出るほどは飲まねえ!」
「信用なりませんね。副団長に、お知らせしないと……」
「ちょ、待て! 止めろー!」
ダージルさんの悲痛な叫び声が上がった瞬間、そこにずっと静観を決め込んでいた人が入ってきた。
その人は――ルヴァンさん。腕にレオンを抱えて、繁々と物珍しそうに籠の乾物を眺めている。
「ふむ。私も参加していいだろうか」
「……え」
「そういえば、最近ここで酒を飲んでいなかった。久しぶりに、異界の酒を味わうのも悪くない」
ああ、そうだった。ルヴァンさんは、魔道具が好きなのと同じくらい、珍しい食べ物にも目がなかったんだった。確か、ダージルさんは食道楽と言っていたっけ。
「ダージルが飲みすぎないように、監督しよう。それなら文句はないだろう?」
「まあ、宰相殿がいらっしゃるなら……」
「おお、やったぜ!」
ダージルさんが喜びの声を上げた瞬間、ルヴァンさんの銀縁眼鏡がキラリと光った。
「ダージルの許容酒量は把握している。一滴足りとも余分には飲ませない。安心するがいい」
「ちょ……! 酒くらい、自由に飲ませてくれよ……!」
「ふん。明日の演習は、重要な演習だったはずだ。騎士団長が体調が優れなかったりしたら、今後に支障をきたす。そうなったら――わかっているな? ダージル」
「うっ……うううう……ちくしょう」
――そんなこんなで、私たちは美味しい干物、乾物をつまみに晩酌をすることになった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
冬は夜の訪れが早い。早々に顔を隠した太陽の代わりに、青白い光を地上に注ぐ月が、綺麗に見えるそんな夜。今日は晩酌だと、張り切って準備をしようとしたのだけれど、いつもは既に夢の中にいるはずのユエが、居間のソファの上でむくれていた。
「いつもいつも、僕たちが寝た後に美味しいもの食べてずるいよね。僕だって、食べたいのにー」
ぷくっと頬を膨らませたユエは、要するに自分も晩酌に参加したいらしい。
「さっき夕食、食べたじゃない。オムライス、美味しかったでしょう?」
「美味しかった! ……でも、それとこれは違うんだー!」
「ひよりはもう寝に行ったよ?」
「ひよりはひより! 僕は僕! 僕も茜たちと一緒に食べるの!」
ソファの上で、クッションをぎゅうぎゅう抱きしめて、ユエは駄々を捏ねている。
まあ、わからなくもない。私も小さい頃、寝室に入った後に、階下から聞こえる大人たちの笑い声がとても楽しそうに聞こえて、羨ましく思ったものだ。
それに、子どもに一切配慮されていない、大人味のおつまみの数々。それは、子どもから見ると、非常に美味しそうに見えるものだ。
――そういえば、子どもの頃、こっそりお父さんからひとくちだけ分けてもらって食べたおつまみ、とっても美味しかったなあ。
……まあ、歯磨きした後だったから、お母さんにお父さんと一緒に物凄く怒られたけど。
「仕方ないなあ。眠くて仕方がなくなったら、寝に行くんだよ?」
「うん。わかった!」
偶にはこう言う体験も悪くないかと、私が渋々了承すると、ユエは満面の笑みを浮かべて、こくりと頷いた。
しばらくすると、皆が集まってきた。
「おお!? 竜の小僧ー! まだ寝てないのか、珍しいな」
「あ、傷のおっちゃん! 今日は僕も一緒に食べるの!」
「そうかそうかー。じゃあ、一緒に飲むか! 竜は何歳から飲めるんだ?」
「別にもう飲んでも平気だけど、お酒は苦いから嫌!」
「お前……! 竜の癖に、お子ちゃまだな!」
「ぎゃー! 頭グシャグシャにしないでよ! それに、僕のほうが年上だ!」
ダージルさんとユエは、なんだか波長が合うらしく、会う度にじゃれ合っている気がする。
ユエは、ダージルさんの膝の上にちゃっかり座って、ふたりで楽しそうに話し始めた。
ジェイドさんも遅れてやってきて、一緒に晩酌の準備を進める。
そんな時、ルヴァンさんが思わぬ人物を連れてきた。
「こんばんは。僕も、一緒にご相伴に預かってもいいかなあ」
「あら、ヴァンテさん!」
それは、ルヴァンさんの甥っ子である、ヴァンテさんだ。ゆるゆるとウェーブがかった暗褐色の髪に、翡翠色の瞳に丸メガネ。色合いはルヴァンさんと一緒だけれど、細身で目の下に濃い隈を作っていて、優しげな表情をしているところなんかは、どこかキツそうな印象を与えるルヴァンさんとは似ていない。
「叔父さんが誘ってくれたんだよね。あ、大丈夫大丈夫。邪魔にならないように、部屋の隅で本を読んでいるから」
「それは来た意味があるんですか……?」
手にした分厚い本に頬ずりしているヴァンテさんに呆れていると、ルヴァンさんは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「出かける間際に、侍従からこの馬鹿が二週間も執務室から出てこないと訴えられてな。無理やり引きずり出してきた。……あまりに酷い有様だったので、風呂には入れてきた。茜、すまないが、こいつに食事を用意してくれないか。出来れば、腹にたまるようなものがいい」
「あ、はい」
「叔父さん〜酷いなあ。翻訳に夢中になっちゃって、色々と忘れてただけだよ〜。ああ、異界の家は夜でも明るくて、凄くいいねえ!」
ヴァンテさんは、へらりと気の抜けた笑みを浮かべると、いそいそと居間の隅に移動した。
そして、座布団をひとつ確保すると、その上に座って、持ってきた分厚い本を読み始めた。
「ルヴァンさん。……なんて言ったらいいんでしょうね」
「何も言うな。頼む」
なんでもヴァンテさんはルヴァンさんの、12個上のお姉さんの息子なのだそうだ。お姉さんが16歳の時の子どもで、そのせいでヴァンテさんとルヴァンさんはまるで兄弟のように育ったらしい。
「……なんというか、アイツは昔から本を読み始めると、どうも周りが見えなくなってな。すまないが、片手で食べられる類の食事は用意できるだろうか」
「あ、大丈夫ですよ。おにぎりで良かったら……きっと、また沢山食べるんでしょう?」
「うむ。恐らく、今朝から何も食べていないだろうからな」
ヴァンテさんは細身だけれど、結構な大食漢だ。
ルヴァンさんは、長い長い溜息を吐き、申し訳なさそうに眉を下げた。
そんな表情は、どちらかというと、常に不機嫌そうな表情が多いルヴァンさんからすると、とても珍しい。
「手間の掛かる甥っ子さんですね?」
「仕方ない。アレはああいうものなんだ。……まったく」
「そうですか。でも、そう言う割に、なんだか優しい顔していますよね」
「……なんだそれは」
私は小さく笑うと、相変わらず面倒見のいい宰相様に居間は任せて、台所へと足を向けた。
その後、残っていたご飯で大量におにぎりを作り、晩酌の干物で、焼く必要があるものは魚焼きグリルで焼いた。
――今日は、とことん干物・乾物メインの晩酌……! さあ、目一杯飲んで食べようー!
私はウキウキ気分で、ジェイドさんと一緒に出来上がった料理を手に、居間へと戻ったのだった。