護衛騎士のクリームコロッケ 1
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寝不足でフラフラになのに、いつもどおりの朝は容赦なくやってくる。
はあ、と自然に口から漏れる溜息は、寒さで白く染まって空気に溶けていく。
辺りには、雪かきに精を出す兵士たちでいっぱいだ。そんな彼らを他所に、私はどうもやる気が起きなかった。
それもこれも、昨日のルイス王子の言ったことが頭から離れないからだ。
ああ……この憂鬱な気持ちも、白い息みたいに、一緒に溶けて消えればいいのに。
いくらそう願っても、すぐには現状は変わりそうになかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あの後、あの酔っぱらい王子から情報を根掘り葉掘り聞き出した。
どうやら、ジェイドさんの婚約者探しが行われていたというのは、ルイス王子の狂言でもなんでもなく事実のようだった。
ジェイドさんは私のふたつ年上。この世界では、結婚して子どもがいてもおかしくないくらいの年齢だ。そして、伯爵家の三男坊でもある。ジェイドさんのお兄さん――長男は領地を継ぐ跡取りで、努力家で優秀な人なのだという。次男もかなり優秀な人で、長男のサポートをしながら、長男が正式に伯爵家を継いだ後に、家格が釣り合う家に婿養子に行く予定なのだとか。
そして、三男坊であるジェイドさんは騎士として身を立てる道を選んだ。
継ぐ家があるわけでもなく、特に急ぐ理由もなかったことから、ジェイドさんの婚約者選びは、今の今まで延び延びになっていたらしい。
……けれど、それが今になって決まった。
――もしかして、ジェイドさんの両親は、私の存在を知らないのだろうか。
よくよく考えると、お付き合いしているものの、まだご挨拶にも伺っていなかった。
もしかして、そのせいで色々とすれ違いと誤解が……。ああ、もっと早くご挨拶をしておけ……ば……。
「ご、ごあいさつぅ!?」
思わず、思い切り叫ぶ。
すると一緒に雪かきをしていた兵士たちが、一斉にこちらを向いた。
「は、ははは……。なんでもないですよ〜」
適当に愛想笑いをして誤魔化すと、みんなの意識が逸れたようでホッとした。
そして、足元の雪にザクザクとスコップを差し込みながら、考える。
……挨拶って。所謂、あれのことだろうか。
ちょっと小奇麗な感じにおしゃれをして、手土産を片手に、お母様に気に入られるように、全身全霊でもって臨む――あれのことだと思うのだけれど。
『まあ! なんて礼儀知らずな、お嬢さんなんザマしょ! 信じられないわぁ〜こんなお嬢さんに、ウチのジェイドは勿体無いザマス!』
そう言って、ジェイドさんのお母さんは、私に温い紅茶を浴びせかけた!
……という感じの、逆三角形の眼鏡をかけた、未来の姑による先制パンチを貰ったり……。
『あらあ? あなた、その服……ちょっと流行遅れじゃなくって? 信じられない。化石みたいな服! 恥ずかしいから、近付かないでくれるかしら?』
そう言って、ジェイドさんのお姉さんは、私を階段の上から突き落とした!
……そんな、ちょっと化粧の濃い、ネイルに命を懸けている小姑からの追撃があったりするんだろうか。
いや、お姉さんがいるかどうか知らないけれど。
「恐ろしや……恐ろしや……」
次から次へと脳内に再生される、血で血を洗う嫁姑戦争を想像して、プルプルと震える。誰かと付き合うということは、そういう恐ろしいイベントが起きる可能性があるということで、色々と考えさせられるものだ。
――けれど。
「あーあ。ジェイドさん、今日は会えるかな……」
ぽつん、と呟いたのは、やっぱりそんな言葉で。
寝不足になるくらい、昨日の晩は色々と考えたけれど、結局ジェイドさんが婚約者とどうこうするはずもないという結論に辿り着いた。きっと私に話してくれなかったのは、何か事情があって――彼も、私を煩わせないように、一生懸命やってくれているんじゃないか。そんな、根拠のない確信。
我ながら、どれだけジェイドさんのことを信用しているんだという感じだけれど。
ジェイドさんから貰った魔石を、服の上から握る。
彼の瞳の色にそっくりなその石は、今日も確かに私の胸で輝いている。
――なんだろうな。信じているというよりは、そういうものだと思っているんだよなあ……。
……うっ、自分で考えたのに、何故かものすごく気恥ずかしい。
「でも。……もう冬なんだよね……」
最終決戦はもうすぐそこだ。それが終わったら。
ちょっとだけ顔を顰める。
ぽつん、と冷たいものが肌に触れる。……ああ、また雪が降り出してきた。
私は雪がチラついてきた曇天を暫く睨みつけていたけれど、気を取り直して雪かきに専念することにした。
その時、昨晩の出来事をふと思い出す。ああ、そういえば。
「なんでルイス王子は抱きついてきたんだっけ……」
うーん、と首を捻る。
ジェイドさんのお見合い事件のせいで、その前にルイス王子が言っていたことの記憶が曖昧だ。
なんだっけなあ。なんだかすごく甘えていたような気がする。欲しいとかなんとか、こっ恥ずかしいことを言われたような。
「……お、おおおお!?」
その時、ルイス王子が私に言った言葉の数々を思い出して、混乱する。
なんてこった。王子様の撹乱。
ちょっぴり頬が熱くなる。けれど、その熱はすぐに冷めた。
酔っ払うと、抱きつき魔やら、キス魔になる輩はそれなりにいる。だから――もしかしなくとも、ルイス王子はその類なのだろう。
「ルイス王子は、知らない人と飲まないほうが賢明だねえ」
そもそも、一国の王子が私なんかに、そんな気持ちを抱くわけがない。
こちとら、くびれも盛り上がりも少ない、至って平凡な一般市民なのだ。
お酒の席での悪ふざけなのだと、思ったほうが自然だ。
――いやあ、酒は飲んでも飲まれるな! ……そういうことだねえ。
そんなことをぶつぶつと言いながら、思い切り雪にスコップを突き立てた――その時だ。
急に強い風が辺りに吹き荒れ始める。夜のうちに積もっていた、サラサラの雪が一斉に風に巻き上げられる。
一瞬にして、地吹雪と化した風のせいで、視界が真っ白に染まって、目も開けていられないほどだ。
あまりに風が酷いので、一旦家に戻ろうか――そう思って、無理やり目を開ける。すると……前方に、何かが見えた。
舞い上がった風で白く染まった視界のなかで、誰かが仁王立ちしているのが見える。
不思議に思って、目を凝らすと、紺色のスカートが風で翻り、はためいているのが見えた。
……どうやら女性のようだ。
「……わぷ」
その時、風に煽られた髪の毛が、目に当たりそうになって、一瞬だけ目を瞑った。
そうして、次に目を開けた瞬間。
いつの間に近づいていたのか――私のすぐ目の前に、その女性が立っていた。
その女性は酷く無表情で――けれども、目は血走っており、寒いのか唇は紫色に変わっている。黒髪は風に煽られて顔に張り付いていて、全身雪まみれになっていた。
そんな女性が、息が掛かりそうなほどの至近距離にいたものだから――。
「う、ぎゃああああああああ!」
堪らず悲鳴をあげると、次の瞬間、腹部に衝撃を感じて、意識を手放した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ちゃぷ……。
水音が聞こえる。
――なんだろう。すごく気持ちがいい。まるで、母親の胎内にいるような、心地よい温めのお湯が全身を包んでいる。そのお湯は、少し滑り気があって、柔らかい。それになんだろう……すごく……すごく……。
「セレブっぽい匂い……!!」
「せれぶ?」
一瞬にして覚醒した私は、思い切り体を起こす。
すると見慣れない光景が目に飛び込んできて、状況が理解出来るようになるまで、数瞬時を要した。
そこは、白い大理石で作られた部屋だった。所々に薔薇が飾られていて、天窓から柔らかい光が注いでいる。美しい女性の像が掲げる壺からは、滔々と湯気が立ち昇るお湯が流れ落ちている。そのお湯が行き着く先は――浴槽。そう、ここは所謂浴場だった。そして、そこは所謂セレブが愛用しているような、高級そうな香りが充満していたのだ。
――どうしてこんなところに……っていうか、お風呂……って、もしかして!
はっとして自分の体を見下ろすと、案の定裸で、白濁したお湯の中――しかも、薔薇の花びら入り――に浸かっていたのだ。
「え!? えええ!? わお、セレブ~って違う!」
あまりのことに動揺して、立ち上がろうとすると、足が滑って湯船に出戻ってしまった。一瞬、頭がお湯の中に沈みそうになってしまい、ひやりとする。顔にかかった水しぶきを拭って、乱れてしまった息を整えていると、頭上から落ち着いた女性の声が降ってきた。
「茜様、落ち着きましょうか。それ以上暴れて、溺れてもらっては困るのです」
「――カレンさん!?」
そこにいたのは、王妃様の侍女であるカレンさん。
カレンさんは黒髪をひっつめ髪にしてきっちり纏めている、無表情なのが特徴の中年女性だ。
けれど、無表情は無表情だけれど、その実、ものすごい笑い上戸で、笑いたいのを堪えるために無表情を装っているという、ちょっぴり変わった人だ。王妃様の乳母の子どもで、一緒に最果ての国からこのジルベルタ王国へとやってきたという。そして、王妃様の親友……らしい。
彼女は手に白いタオルを持ち、湯船に浸かっていた私を見下ろしていた。
「あの。カレンさん。これは、一体どういう……」
ひとり裸でいることが恥ずかしくて、白濁した湯に肩まで沈み込みながら聞いてみる。
よく見ると、カレンさんの後ろには、ずらりと見知らぬ侍女たちが並んでいるのに気がついた。彼女たちは、僅かに目を伏せて、こちらを直視しないように気を使ってくれてはいるけれど、なんだか落ち着かない。
「実は、茜様を驚かせたいからと、王妃様に内密にお連れするように言われまして」
「ええと、じゃあ。さっきの地吹雪のなかで見た女の人って」
「私でございます。中々、茜様が見つからず、長時間雪の中を探し回っておりました」
……だから、あんな鬼のような形相になっていたのか……!!
これは謝ったほうがいいのだろうか。雪のなか、私を探し回っていた人に対して、悲鳴を上げるなんて、失礼極まりない!
「カレンさん……! ごめんなさい、私……!」
「謝る必要はありません。王妃様のご命令を正確に実行するのも、私の仕事ですので」
そう言うと、カレンさんはゆっくりと私に頭を下げた。
「それにしても、どうして私、お風呂に入っているんでしょう……? ちょっと意味が……」
「茜ちゃんの目が覚めたって本当かしら!」
すると王妃様の声と共に、バタバタと激しい足音が聞こえた。そして、入り口が勢い良く開いたかと思うと、今日も今日とて、大層美しい王妃様が何人かのお連れの人と一緒に入ってきた。
「うっふふふふふ! お湯加減はどうかしら〜! あらあらあら、良さげね! さあ、気合を入れましょ! これからが大変なんだから……!」
浴室に入ってきた王妃様は、いきなりエンジン全開だ。
……ああ、嫌な予感しかしない!
「な、何が!? 何がですか、王妃様……! って、カレンさんも笑いを堪えていないで、教えて下さいよ……!」
「く……ッ、ぷ、ぷくっ、うひ……ッ」
王妃様は、私の言葉は丸々無視をして、ウキウキ気分で、近くにいた侍女に色々と指示を飛ばし始めた。
カレンさんは、俯いて口を手で塞いで、震えているばかりで答えてくれない。王妃様の出現によって、一気に騒がしくなった浴場に、私は只々戸惑うばかりだ。
「ご安心なさってください。茜様。なにも、王妃様はあなたを取って食おうだなんて、思っていませんから」
すると、ひとりの女性が声をかけてきた。
その女性は、栗色の髪を結い上げていて、榛色の瞳をした落ち着いた色合いのドレスを着た中年女性だった。どことなく品を感じさせる笑みを浮かべているその人は、侍女ではないようだ。王妃様には恭しい態度をとってはいるけれど、意見を求められると、自分の考えを臆することなく述べている。そしてかなり親しげだった。もしかしたら、それなりの身分の女性なのかもしれない。
その女性の後ろには、同じような髪色と目の色をしている若い女性がいて、彼女は興味津々な様子でこちらを覗き込んできている。
その女性を見た瞬間、私は息を飲んだ。
だって、その女性は途轍もない美人だったのだ。
「ん? あら、ぼうっとしちゃって。のぼせちゃったのかしら」
「あっ……いや、そんなことは……すみません」
その女性は、少しタレ目がちな目を細めて、にっこりと笑った。
目の下にある泣きぼくろ。整った鼻梁。形の良い真っ赤な唇が、弧を描く様に思わず見惚れる。
全身から溢れる色気を、大胆に胸元が空いたドレスが余すことなく引き立たせている。
同じ女性であっても、見惚れずにいられない。まごうことなき美女。そういう人だった。
……というか、お胸が大きい……。ダブルメロン。たわわ! たわわ!
「体調が悪くなったんじゃなくって良かったわ。だって、あなたこれから大変よ?」
「へ?」
その女性はそう言うと、美しい指先で赤い唇に触れ、片手で胸を強調するように持ち上げて――まるで夢見るような表情で言ったのだ。
「あなたはね、これから私に揉まれて」
更に、その女性の言葉に王妃様と、中年女性が続いた。
「うっふふふ。わたくしの侍女に全身お手入れされて」
「私が見立てた、最先端のドレスを着ていただくのですから」
「――はい?」
そして、その三人はニマァ、と似たような笑みを浮かべて私を見つめた。
「「「世界で一番、綺麗にしてあげるわ……!」」」
「ちょ、ええええええええ!?」
私の間抜けな声が、大理石の浴場に響き渡ると、とうとう耐えきれなくなったカレンさんが、勢い良く噴き出して、蹲って笑い始めた。