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旅の終わりと秋刀魚の塩焼き 4

「……茜?」

「ねえ、ジェイドさん。ユエ、変わりましたね」

「……そうだね」



 ジェイドさんの膝の上で、長い体を伸ばして弛緩しきっているレオンの背中を撫でる。

 するとレオンは顔を上げて、ちらりと視線をこちらに寄越した後、頭を下げて目を閉じた。



「初めてあった時に、いきなり噛みつかれたんですよねえ」

「俺は血まみれの茜を見て、心臓が止まるかとおもったよ……」



 爬虫類の様な瞳孔の金色の瞳を持つ、一見すると少年にしか見えない人外は、白く煙る霧の中、私の前に唐突に現れた。そして黒い巨大な竜に变化したその人外は、私のお腹にいきなり噛み付いたのだ。

 ――それがユエとの出会いだった。普通ならば、そんなことを仕出かした相手とは一緒になんていられないものだけど、なんの因果か今こうして一緒にいる。



「初めて会った時は、本当にユエが怖かったんですよ。縦長の瞳孔が恐ろしかったのもありますけど、それ以上に発言や行動が如何にも人外っぽくて――本当に、油断ならない相手だと思ってたのに」

「今や、こんな顔して目の前で寝てるんだもんな。本当……こいつじゃないけど『へんなの』って感じだ」

「ふふ……そうですね。思えば、ユエの態度も初めの頃は、今よりも大人っぽかった気がしませんか?」

「ああ。確かに。一緒にいれば居るほど、幼くなっていくなこいつ。きっと、その『幼さ』がユエの本性なんだろう」



 そういえば、ジェイドさんはユエに「殺す」なんて言われたこともあった。実際に耳にした言葉なのに、その言葉がユエの口から発せられたなんて、今はもう信じられない。

 ユエが決定的に変わったのはいつだろう。――多分、フェルファイトスの死を知った後からだ。

 そう、あの古の森の竜の棲み家の洞窟で、彼らの名前を呼んで泣いた時。

「会いたい」――そう言って、涙を零した時からだろう。


 ユエは人間をとるに足らないものだと思っていたと、私に語った。確かに態度もその言葉通り、人間である私たちを何処か見下したものだった。それなのに、誤解に気がついたユエは、驚くほど柔軟に人間に馴染んでいった。妹やカイン王子、セシル君と一緒に居る時は、心の底から笑っているようにみえる。



「ユエは、すごいですよね」



 私は両腕でジェイドさんの腕に抱きついた。そして見た目よりはずっと筋肉質のその腕に頬を擦り寄せる。

 その力強い存在感が、私に安心感を与えてくれた。



「あっという間に変わってしまった。人間に寄り添おうと、理解しようとして、戸惑いながらも懸命に努力している。誰にでも出来ることじゃないですよね」

「ああ。……こいつの存在は、俺たち人間からしたらとても貴重なものだと思うよ。竜と人間が対立していた時代があったことを思うと、今こうして一緒に居られることが奇跡みたいだ」



 ジェイドさんはそう言うと「それに、ユエは反応が面白いからな。ついついからかいたくなるし、世話を焼きたくなるんだよなあ。それで、物凄く嫌がられる。ままならないものだ」と笑った。



「ジェイドさん、ユエをからかっている時、生き生きとしてますもんね」

「俺は気になる奴にはちょっかいを出す方なんだ。……ほら、身に覚えがあるだろ?」

「……ぐっ、ナチュラルに会話に羞恥心を煽ることを混ぜないでくださいよ!」



 ジェイドさんにされた、色々なことを思い出して頬が熱くなる。……って、色々なことっていうと語弊があるけど! 手を繋いだりとか、その程度だけど……!!

 当時のことを思い出して、思わずジェイドさんの腕に顔を押し付けて羞恥心に堪えていると、そんな私には構わずに、ジェイドさんは静かな口調で続けた。



「きっと、ユエはこれからフェルファイトス様やマユ様の『死』に正面から向き合うんだ。

 墓参りなんて、『死』んだという事実を真正面から突きつけられるようなものだろう? 最近、やけに幼いユエを見ていると、酷く心配になるんだ」

「ジェイドさん……」

「こいつ、大丈夫かなって。長命種なんだから、それこそこれからの長い一生のなかで、数え切れないくらい別れを繰り返すだろうに。こんな調子で大丈夫かって……そう思ってさ。見ていてハラハラする」



 そっと見上げたジェイドさんの横顔は、酷く苦しそうに眉を潜めていて――その蜂蜜色の眼差しは、今も眠るユエに注がれていた。



「――ジェイドさん。大丈夫ですよ」



 私がそう言うと、ジェイドさんは僅かに目を見開き、驚いたような顔をしてこちらを見た。



「そういう時は、私たち大人が一緒にいてやればいいんですよ。辛い時、苦しい時。泣きたくても泣けない時――そばに居てあげて、支えてあげる。少し後ろに立って、彼らの行末を見守りながら、彼らが決断しきれない時に、正しいと思う方向に背中を押してやればいいんです」

「……茜」

「それが私にできること。私たちにできる唯一のこと。

 ……今まで、私が妹にしてきたことです。それを、ユエにもしてあげましょう」



 ジェイドさんは一瞬、くしゃりと顔を歪ませた。

 なんだか泣きそうな顔だ――そう思った直後、ジェイドさんはぐっと口を引き結ぶと、またユエに視線を戻した。



「俺たちだって、ユエの長い人生からしてみれば、一瞬で消えてしまう流れ星みたいなものだ。だけど、ユエを支えても――いいんだよな? いつか訪れる俺たちとの別れを辛くさせるだけじゃあ、ないよな?」

「心底嫌になったら、きっとユエ自身が私たちの下を去るでしょう。ユエは自由なんです。小さな子供に見えますけど、子供じゃない。翼を持った竜なんですから。

 私たちはユエじゃありませんから、彼の本心はわかりません。だから、ユエが私たちと一緒にいてくれているうちは、支えてあげる。それでいいんじゃないでしょうか」



 ジェイドさんは私の頭に自分の顔を乗せると、何処か安堵したような息を吐いた。



「そうだな……俺たちと一緒にいるうちは、見守っていてやろう」

「そうですよ。ユエも……ひよりも、きっとふたりの前には無数の選択肢が広がっていて、沢山の可能性が転がっている。それをひとつひとつ確実に掴み取って、選び取っていくふたりを、これからも応援してやりましょう。それが――そばにいる大人の役目ですから」



 私とジェイドさんは顔を上げて見つめ合った。そして、ふたり笑いあった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ジルベルタ王国の王城からほど近い小さな森。

 王家が管理しているという、手入れが行き届いた秋色に染まったその森の奥、そこに白い石で作られた石碑があった。

 その石碑には、フェルファイトスの名前と、没年月日が彫られていて、建てられてから数百年は経っているはずなのに、白い石は素材の色そのままに汚れたり壊れたりしている様子はなかった。


 石碑の足元には献花台が設置されており、沢山の花束が供えられている。

 その花束ひとつひとつに、小さな紙が添えられており、そこには何か文字が書かれているようだった。



「その紙には、大切な人への感謝の言葉を書き記すんです。それをこの石碑に供えれば、届かなかった感謝の言葉が、相手に届くのだと言われています。フェルファイトス様は、この国で感謝の心を司る聖人なんですよ」



 石碑まで案内してくれた管理人は、そう教えてくれた。

 彼の死から数百年経っている。この場所は死者を祀る場所というよりは、聖人ゆかりの地という意味合いに変わっているのだと言う。



「ここには、フェルファイトス様のご遺体は埋葬されていないから、というのもあります。

 この石碑の下に眠っているのは、かの聖人が聖女に贈ったと言われている魔石のみです」

「そうなのですか。それで、フェルファイトス様のご遺体はどちらに?」



 すると、管理人は言いにくそうに言葉を濁して、ユエにちらりと視線を遣ってから言った。



「フェイルファイトス様は、最期に巨大な魔物に飲み込まれたのだと言われています。……その魔物が今も生きているかはわかりませんが――おそらく、今も穢れの島のどこかに」



 その言葉を聞いた時、ユエの表情に変化はなかった。

 何も感じていないということは、絶対にありえないとわかっている。けれど、ユエは静かに管理人の言葉に耳を傾け、真摯な眼差しを石碑に注いでいた。

 管理人に御礼を言って別れると、ユエは献花台に近づいた。

 そして、持参した花束をそこに置くと、巨大な石碑を見上げた。



「……フェル」



 ユエはそう小さく呟くと、暫くそこに立ち尽くして、じっと石碑を見つめていた。

 私とジェイドさんは、石碑を見つめる小さな背中を、少し離れたところで見守っていた。

 

 秋の山は少し前までは色鮮やかに染まっていたのだろう。

 けれども、大部分の葉が落ちてしまった木々はどこか寒々しく、頬を撫でる空気の冷たさも相まって、冬が近づいているのをひしひしと感じる。

 風が吹く度に、足元の枯れ葉が乾いた音を立てて飛んでいき、あまりの寒さに鼻のあたりがかじかんできた。


 ――ひゅう。


 その時、一際強い風が吹いた。木々たちは冬支度の最後の仕上げと言わんばかりに、絶え間なく落ち葉を大地に向かって解き放ち、まるで雨のように絶え間なく落ち葉が降り注いでくる。あまりの落ち葉の量に、石碑の前に立ち尽くす小さな背中が、一瞬だけ落ち葉で見えなくなった。

 風が止み、落ち葉の雨が落ち着くと、いつの間にかユエは私たちの方へと体を向けていた。

 白い石碑を背後に背負い、真っ直ぐに私たちを見ているユエの表情は、どこか晴れ晴れとしていた。


 ユエは、はあ、と大きく息を吐いた。すると、その息は寒さで白く染まり、秋の冷たい空気に溶けて消えた。それを見たユエは、理由はわからないけれど、何故か酷く切なそうに笑った。

 そして、私たちの方に小走りで駆け寄ると、私の腕に絡みついて言った。



「茜、ついてきてくれてありがとう! ねえ。僕、お腹すいちゃった!」



 そして、私の手を引いて、軽い足取りで歩き始めた。



「茜の作ったご飯がいいな。なにがいいかな。そうだ、肉がいい! こう、がぶっといけるようなやつ!

 ねえ、茜。とっておきの美味しいご飯、ご馳走してよ! 

 ご飯を食べたら、出かけよう。この国を隅から隅まで見て回るんだ――」



 ユエはまるでスキップする様に、私を強い力で引いた。

 転ばないように私も慌てて歩調をユエに合わせると、ユエは楽しそうに、愉快そうに、満面の笑みを浮かべて、声高らかに――そろそろ冬を迎えようとしている、薄曇りの秋の空に向かって言った。



「僕の大切な友達の国! あいつの帰るべき場所。あいつが大好きだった場所――僕ね、あいつが自慢してたこと。全部見てやるんだ。あいつが僕に語った自慢話。全部、ぜーんぶ! この目で確かめてやるんだ。

 ねえ、茜。付き合ってよ。いいでしょ?」



 ユエはそう言うと、白い歯を見せて笑って私を見上げた。

 私はそんなユエに笑って頷いた。



「そうですね、ユエ。見て回りましょう」



 するとユエは「やった!」と飛び上がり、ジェイドさんに悪戯っぽい笑みを向けた。



「仕方ないから、ジェイドもついてきていいよ。案内役だ!」

「俺の案内料は高いぞ」

「ええー。ケチだなあ。そんなんじゃ、茜に嫌われるぞ」

「茜はそれくらいじゃ、俺を嫌わないさ」



 ジェイドさんがそう澄まし顔で言うと、途端にユエは頬を膨らませた。

 その時、私の中にむくむくと悪戯心が沸いてきた。



「さて、それはどうでしょう〜」

「へ!?」



 私の言葉にジェイドさんが素っ頓狂な声を上げると、ユエは楽しそうにジェイドさんを指差して笑った。



「あはははは! 茜に嫌われたら、僕が慰めてやるよ!」

「そもそもの原因はお前だろう! この!」

「うわあ、暴力反対!」



 足元の落ち葉を蹴散らしながら、ジェイドさんとユエが辺りを走り回っている。

 私たちを迎えに来た管理人も、そのふたりの様子に目を丸くしていた。

 私はあんまりにもふたりの様子が面白くて、笑いが止まらなくなってしまった。

 ふたりの騒がしい声と、私の笑い声が白い石碑のある森に響き、木の上でせっせと頬袋に木の実を詰め込んでいた栗鼠が、不思議そうに首を傾げて私たちを見下ろしていた。

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