旅の終わりと秋刀魚の塩焼き 3
外もすっかり暗くなって、蛍光灯の灯りが居間を照らしている。
よくよく考えると、蛍光灯のような明るい照明の下で夜を過ごすのはとても久しぶりだ。
最近は蝋燭やランプの灯りで過ごしていたので、蛍光灯の灯りがやけに眩しい。
換気のために僅かに開けておいた窓を閉める為に近づくと、か細い秋の虫の声が聞こえてきた。虫の声も以前に聞いたときよりも随分と勢いが無くなっているような気がする。
肌に触れる夜の風も随分と冷たい。私は思わずぶるりと身を震わせて、窓を閉めた。
居間へと視線を戻すと、今日は随分と賑やかだ。それに、そこにいる大半は人間でないというのが面白い。
居間のど真ん中に鎮座しているちゃぶ台の周りには、騎士であるジェイドさんに黒竜のユエ。ちゃぶ台の下では、レオンが伏せをして寛いでいる。いつもはこっそり仏壇に上げたものを食べる山の主も、今日ばかりはレオンの隣に一緒になって伏せをしていた。
木の精霊であるまめこは、ちゃっかり座布団を確保して座っている。
そんな人(?)達が集う、古びた日本家屋の居間の光景……。
……うん、混沌としている。
自分がこの異世界にきてから積み重ねてきた結果とは言え、あまりにも不思議な光景に苦笑いしながらも、私は出来上がった食事を、ジェイドさんと協力してみんなの前に並べていった。
「山の主は、今日は一緒に食べるんですね? はい、どうぞ。レオンにはあげちゃだめですよ。人間のご飯はレオンには塩っ辛すぎますからね」
平皿に料理を山盛りにして盛り、ちゃぶ台の下に置くと、「ぷひっ」と山の主は可愛い声を上げた。レオンがすかさず料理の匂いを嗅ごうとすると、「ぷっひん!」と鼻でレオンを押しのけている。私の言っていることが通じたのだろうか。食い意地が張っているだけかもしれないけれど。
まめこの前にも料理を並べる。そういえば、以前にまめこが大豆を食べた時は、頭から枝豆が生えてきていた。秋刀魚を食べたら――まめこの頭から秋刀魚の顔が覗いている光景を想像して戦慄する。いやいやいや、無いでしょう……そう思いながらまめこを見ると、まめこは料理を目の前に置かれても、いつもと変わらない調子で頭を左右にゆらゆらと揺らしていた。
大丈夫かなと心配していると、ユエが「お腹すいた!」と騒ぎ出した。
「茜、早く食べようー。もう我慢出来ない!」
「はいはい。じゃあ、いただきます!」
「いただきます!」
そしてみんなで一斉に挨拶をして、思い思いに箸をつけ始めた。
はじめにきんぴら。
穴ぼこの空いたレンコン。醤油で飴色に染まったそれを、口の中で噛みしめる。するとシャクシャクといい音がして、軽いレンコンの歯ざわりと合わさってなんとも楽しい。それに少し濃い目に味付けた醤油のしょっぱさ、そして偶に来る鷹の爪の辛味。なんとも白いご飯が欲しくなる味だ。
ほかほかご飯を口に投入すると、レンコンのしょっぱい味付けと、甘いご飯が混じり合って、その素晴らしいハーモニーにうっとりする。調子に乗って、レンコンと人参を続けて食べて、更に白いご飯。うん、このコンビは最高!
「ぷ、ぷっひっひ。ぷひー」
ちゃぶ台の下の山の主は、どうやらきんぴらが気に入ったらしい。
小さな鼻を、きんぴらの山に突っ込んで、一生懸命食べている。シャクシャク、ぷっひひ、とひとりだけとても賑やかだ。
さてさて、次は主役の登場だ。
こんがり焼けた秋刀魚。
七輪で焼いた秋刀魚は、皮は所々膨れて、いい色に色づいている。大ぶりで肉厚の秋刀魚は、横長の皿からはみ出しそうな程だ。うっすら表面に吹いた塩も、如何にも焼き魚! といった風で、なんともいい眺めだ。
そっと、箸で秋刀魚の身を裂くと、皮の下から現れたのは、真っ白な秋刀魚の身。ほろり、と柔らかい身は箸に切り分けられて、ぷりんと美味しそうな白い身を露わにした。
身を箸でつまみ上げ、初めは何もつけずにひとくち。
「〜〜〜〜!! 秋刀魚……いい……!」
途端に、秋刀魚の身からじゅわっと脂が染み出してきた。
プリプリ、柔らかな身に内包されていた脂は旨味成分の塊。そして、ほんのり塩気が効いている身は、とても甘い。口いっぱいに、秋刀魚の優しい味わいが広がると、ついつい顔が緩んでしまう。
添えてある大根おろしに醤油を垂らして、今度はそれと一緒に身を食べる。すると、大根おろしのさわやかさと若干の辛味が、醤油の香ばしいしょっぱさと秋刀魚の甘い身と混じり合い、これもまたいい。
そのまま食べると、秋刀魚の濃厚な脂を楽しめる。
大根おろしと一緒だと、さっぱりいただける。
二度美味しい秋刀魚は、食べ飽きることがない秋の味だ。
今度はぷっくり膨らんだお腹に箸を差し込む。すると、そこにはとろとろの秋刀魚の肝。それもぱくりと食べれば、途端に口に広がるほろ苦さ。とろとろの肝の濃厚な味わいは、大人にしかわからない美味しさだ。
……ああ、苦い。美味しい。複雑な旨み。ああ……ビ、いやなんでもない。
直ぐにお酒方向に思考が傾きかける頭を諌めながら、今度は味噌汁をすすった。
「ん! なめこ、美味しい……!」
「そうだな。このなめこってきのこ……初めて食べたな。ぬるぬるしてて、どうかなと思ったけど。これは美味いな」
ジェイドさんは驚きの表情を浮かべて、味噌汁にぷかぷかと浮かんでいるなめこを眺めている。
よくお店で売っているようななめこに比べると、一回りも二回りも大きななめこだ。
山の主が持ってきてくれるものは、上等なものが多いけれど、これもまた素晴らしい。
ぬるんとしたなめこが口に入ってくると、ふっと鼻を抜けるのは濃厚な土の香り。サクサクとした歯ざわりが堪らない。ひとくち飲めば、つるつると次々と口の中に飛び込んでくるなめこを噛みしめるのに忙しい。
ふと隣を見ると、ちょうど大口を開けたまめこが、ざばっと豪快に味噌汁を流し込んだところだった。
久しぶりに見たとんでもなく大きな口に吸い込まれる味噌汁の光景に、思わず箸を落としそうになる。
まめこは木の肌の切れ目を、暫くゴリゴリと磨り合わせていたかと思うと、次の瞬間ふるりと体を震わせた。
――にょき。
……ああああ! やっぱり!!
私の想像していたとおり、次の瞬間まめこの頭からなめこが生えてきた。なめこの間から垂れ下がっている黒いでろん、としたものは――もしかして、一緒に入っていたわかめなのだろうか。
加工品である味噌の原材料の大豆は生えてこなかった様だけれど、一瞬鰹節の原料であるカツオが生えてくるのではないかとハラハラしてしまった。
内心穏やかではない私を他所に、まめこは「まめ!」と一声あげて、満足そうだった。
因みに、秋刀魚を食べても頭から生えてくることはなかった。流石に、生物は生えてこないらしい。……本当によかった。
「こら、ユエ。ちゃんと綺麗に食べろ」
「うるさいなあ、骨があるんだから仕方がないだろ!」
ジェイドさんは、ユエが秋刀魚を上手く食べられないのを見かねて、箸で身を骨からこそげ落としてやっている。
箸がまだ上手く使えないユエには、焼き魚は難しいようだ。
ユエは文句をいいながらも、ジェイドさんが取ってくれた身を食べていた。
甲斐甲斐しく世話を焼くジェイドさんに、不満げながらも従うユエ――その姿はまるで……。
「……父親と、反抗期の息子……」
私が思わずぽつりとつぶやくと、耳聡く聞きつけたふたりが、声を揃えて「違う!」と叫んだ。
「あはははは!!」
「……茜、笑い事じゃない!」
「もう! お前のせいで笑われたじゃないか。僕、自分で食べるからね!」
ユエは堪らず皿をジェイドさんの方から取り返して、おぼつかない手つきで箸で秋刀魚をほじくり始めた。
けれど、そんなに上手くいくはずもなく、あっという間に秋刀魚の身はぐちゃぐちゃになってしまった。ジェイドさんは堪らず、ユエの手元から皿を取り返した。
「駄目だ、お前に任せていたら、秋刀魚が分解されるだけだ」
「うう……こんな棒で食べるほうがおかしいんだ! もう、骨ごと食べてやる!」
「こら!」
もう、本当に父親と反抗期真っ盛りの息子。そうとしか見えない。
私はふたりの様子が面白くて面白くて。思わずお腹を抱えて笑い出すと、ふたりに思い切り睨まれてしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
食器を下げて、洗い物も終えて居間に戻ると、ユエやまめこ、山の主は折り重なるようにして眠ってしまっていた。洗い物をしている最中も、大騒ぎして走り回っていたから、どうやら疲れて眠ってしまったらしい。
山の主に抱きつくようにして、まめことユエが安らかな寝息をたてている。
正直、山の主はちょっと寝苦しそうだ。
私が彼らにブランケットを掛けてやっていると、ひとりだけ起きていたレオンが、尻尾をゆらゆらと揺らしながら寄ってきた。
レオンを抱き上げてソファに座る。すると、途端に体が重く感じた。
荷解きや料理をしているときはそれほどではなかったけれど、やっぱり旅から帰ってきたばかりだから、私も大概疲れていたらしい。
レオンを撫でながらぼうっとしていると、エプロンを脱いだジェイドさんがやってきた。手にはお盆を持っていて、そこには空のグラスに缶ビールが乗っていた。
「茜、お疲れ様」
「わあ、ジェイドさん。いいんですか!?」
「一杯だけだよ」
「ジェイドさん、素敵! 愛してる!」
「そういう言葉は、もうちょっと雰囲気のいい時に言ってくれよ……」
ジェイドさんは苦笑いして、私のすぐ隣に座った。
「そ、そんな雰囲気のいい時なんて、恥ずかしくて言えるわけないじゃないですか……」
「茜ってそういう所あるよなあ」
ジェイドさんは、そう言いながらグラスにビールを注いでくれた。にこにこ顔でビールを受け取ると、軽く指で小突かれた。
「じゃあ、乾杯」
「はい。乾杯です。お疲れ様です」
カチン、とグラスを触れ合わせ、ビールを飲む。すると弾ける炭酸とほのかな苦味が疲れた体に染みて、思わず頬を緩めた。隣を見ると、ジェイドさんも満足そうに息を吐いていた。
「ああー、美味しい! 飲みたかったんですよね!」
「それはよかった。茜ったら、さっき秋刀魚を食べながら、ビールが飲みたそうにしてただろ」
「バレていましたか……ジェイドさんは慧眼を持ってますね!」
「茜がわかりやすいだけだと思うけど」
「ええ……!?」
二人で笑いながら、お酒を飲む。そんなひと時が、とても心地良い。
「むう……」
その時、ユエが寝返りをうって、ブランケットからはみ出してしまった。
レオンをジェイドさんに預けて、グラスをちゃぶ台に置くと、気づかれないようにそっと近づいてブランケットを掛けなおしてやる。
見ると、ユエの長い黒髪が顔にかかってしまっていたので、そっと避けてやった。
ユエは気付く様子もなく、気持ちよさそうに眠っている。その寝顔はとてもあどけなくて、なんとも子供らしい。
なんとなしにユエのほっぺを突くと、大人にはないふわふわのほっぺをしていて、私よりも遥かに長生きしているのだとは、とてもではないが思えなかった。
「……むうう!」
調子に乗って、ほっぺを更に突くと、眠ったままのユエに手で払われた。起こしてしまったかと、内心ヒヤヒヤしたけれど、どうやら無意識の行動だったらしく眠ったままだった。
ほっと胸を撫で下ろして、ソファに戻る。そして、なんとなくジェイドさんにぴったりくっついて寄りかかった。




