第1話「……ん、ナイス」
「おい、来るな。死ぬぞ」
『……やだ』
白いスモークの中に、相棒が飛び込んできた。
午前一時。
バトロワゲーム『ラストライン・アリーナ』、残り三部隊。
俺――真壁奏汰のキャラは、ビルの陰でダウンしていた。
敵は二人残っている。こっちは一人。
この状況で蘇生に来るのは、どう考えても悪手だ。
見捨てて隠れるのが正解で、それを責めるやつなんていない。
なのに、こいつは来る。
いつも来る。
蘇生ゲージが、じりじりと伸びていく。
満タンになった瞬間、俺のキャラが立ち上がった。
「右、一人」
『……ん』
短い返事と同時に、相棒の銃声が響く。
一人が倒れる。
残った一人を、俺が撃ち抜く。
画面に『CHAMPION』の文字が浮かんだ。
椅子の背もたれに体を預けて、長く息を吐く。
「……助かった」
『……ん、ナイス』
だるそうな声だった。
ヘッドセットの向こうで、小さく息を吐く音がする。
眠いのか、疲れたのか、それとも笑ったのか。
分からない。
一年組んでいても、こいつのことは、ほとんど分からない。
◇
プレイヤーネーム「YOI」。
俺の固定のデュオ相手だ。
顔は知らない。
本名も知らない。
年齢も、住んでいる場所も知らない。
知っているのは、声だけ。
しかもその声すら、ほとんど聞いたことがない。
なぜなら、YOIの語彙はだいたい三つで足りるからだ。
「……ん」
「……了解」
「……だる」
以上。
一年組んで、俺が聞いた言葉の九割はこの三つでできている。
それでも、このゲームで一番信頼している相手は誰かと聞かれたら、俺は迷わずこいつの名前を挙げる。
だって、こいつは絶対に蘇生に来る。
「つーか、さっきのは無茶だろ。普通は見捨てるとこだぞ」
『……別に』
出た。
語彙にない四つ目。
……いや、「別に」は数えないことにしている。便利すぎるので。
「別にって」
『……カナがいないと、だるいし』
カナ。俺のプレイヤーネームだ。
説明はそれだけ。
だるいのは、俺がいない試合なのか。一人で戦うことなのか。
聞いても、どうせ「別に」で終わる。
「もう一時半か。そろそろ寝るか」
いつもなら、ここで『……ん、おやすみ』が返ってくる。
でも今日は、少しだけ間があった。
『……もうちょい、やってていい?』
「いいけど。明日学校じゃないのか?」
『……ん。帰っても、別にやることないし』
帰っても?
引っかかって、耳を澄ます。
ヘッドセットの向こうから、かすかに風の音がした。
遠くを、車が走り抜ける音も。
部屋の中じゃない。
こんな時間に、外にいるのか。
「お前、今どこに――」
『……次、マッチ入れた』
話をそらされた。
画面はもう、次の試合のロード中だ。
顔も知らない相手の事情に、どこまで踏み込んでいいのか。
俺には分からなかった。
その夜、俺たちは三時までゲームを続けた。
最後の『……おやすみ』は、いつもより少しだけ柔らかかった気がする。
◇
「真壁、目の下やばいぞ」
「三時までやってた」
「アホだろ」
翌日の昼休み。
前の席の森拓海が、弁当を食べながら呆れた顔をした。
俺の数少ない――というか唯一の友人だ。
「また相棒ちゃん?」
「ちゃんかどうかは知らん」
「女の子なんだろ?」
「たぶん」
「年は」
「知らん」
「どこ住み」
「知らん」
「顔」
「知らん」
拓海の箸が止まった。
「お前、それ相棒って言えんの?」
「言える」
「何を根拠に」
「絶対に蘇生に来る」
「……重っ」
失礼なやつだ。
そのとき、教室の後ろのドアが開いた。
入ってきたのは、宵宮しずくだった。
金髪のセミロングに、内側だけ淡い紫のインナーカラー。
耳には小さなピアスがいくつか。
カーディガンの袖は手の甲まで伸びている。
見た目は、どこからどう見てもギャルだ。
うちのクラスで一番派手なグループにいる――らしい。
らしい、というのは、彼女がそのグループと一緒にいるところを、ほとんど見ないからだ。
宵宮さんは誰にも挨拶せず、眠そうな半目のまま歩いてくる。
俺の横を通り過ぎる瞬間、ふわりと甘い香水の匂いがした。
自分の席に座る。
イヤホンを片耳に入れる。
頬杖をつく。
以上。
今日の宵宮しずくの社交は、たぶんこれで全部だ。
「宵宮さんさ、声聞いたことある?」
拓海が小声で言う。
「授業で当てられたときくらいだな」
「なんて言ってた?」
「『……わかんないです』」
「省エネだな」
省エネ。
確かにそうだ。
ちらりと、宵宮さんの方を見る。
頬杖をついた指先の爪が、黒とくすんだ紫で塗られていた。
昨日までは、もっと明るい色だった気がする。
つやつやしている。塗り直したばかりなのだろう。
……そういえば。
昨日の夜、YOIは珍しく試合に遅れてきた。
理由を聞いたら『……爪、塗ってた』と言っていた。
ギャルみたいなことするんだな、と思ったのを覚えている。
……いや。
まさかな。
世の中に、爪を塗る女子が何人いると思ってるんだ。
俺は首を振って、机に突っ伏した。
眠気には勝てない。
意識が落ちる直前、誰かの視線を感じた気がした。
◇
その夜も、午前零時ちょうどにYOIはログインしてきた。
「おつかれ。昨日は遅くまで悪かったな」
『……ん』
いつもどおりの返事。
いつもどおりのロード画面。
ボイスチャットの向こうで、YOIが小さくあくびをした。
『……カナ、眠そうな声』
「三時までやってたからな。学校でも死んでた」
『……知ってる』
「え?」
『……昼休み、ずっと寝てたもんね』
手が止まった。
なんで知ってる。
確かに俺は、昼休みずっと寝ていた。
でもそれを、顔も知らない相棒が知っているはずがない。
「……おい、YOI。今のどういう――」
『……マッチ入った』
ヘッドセットの向こうで、くすりと息が漏れた。
笑ったのだと、初めて分かった。
一年組んで、九割が三つの言葉でできていた相棒。
その語彙に今夜、四つ目が増えた。
『……知ってる』
――いったい、何を。
お読みいただきありがとうございます!
無口な相棒の「……知ってる」の意味は、次話から少しずつ明かされていきます。
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