↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手をつなぐ理由  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/57

それぞれの朝


 第18話


それぞれの朝


 朝は、残酷なくらい同じ形で来る。


 前の日に何があったとしても、目覚ましは同じ音で鳴るし、カーテンの隙間から差す光も大きくは変わらない。

 台所では湯が沸き、ニュースでは似たような天気予報が流れ、駅前のロータリーにはいつもの時間にバスが入ってくる。


 でも、人の内側だけは前の日のままではいられない。


 昨日、謝った者。

 昨日、怒鳴った者。

 昨日、声を上げた者。

 昨日、かばわれた者。


 みんな違う朝を迎えていた。


⸻


1.黒川大河の朝


 黒川大河は、目覚ましが鳴る前に起きていた。


 暗い天井を見上げながら、布団の中でしばらく動けなかった。

 眠れていなかったわけではない。何度か目が覚めたが、最終的には少し寝たはずだ。けれど、頭の中だけがずっと昨日の教室にいた。


 本当に申し訳なかった。


 自分がそう言った時の、三浦隆の顔。

 “うん”とだけ返ってきた声。

 赦されたとも、拒絶されたとも取れない、あの短い返事。


 それが今も胸の中に残っている。


 謝った。

 それは逃げずに言えたと思う。

 でも、だから何だという気持ちもある。


 謝ったからといって、自分がやっていたことが軽くなるわけじゃない。

 言葉は口から出た瞬間に、もう相手の中へ入ってしまっている。


 しかも、相原とのやり取りも頭から離れなかった。


 最初お前だって笑ってただろ。


 それは本当だった。

 黒川はそれを否定できない。


 最初から悪意だけだったわけじゃない。

 でも、“悪意だけじゃなかった”ことは、免罪符にならない。


 むしろ、その軽さこそが怖いのだと、天庄屋の講話と、白石ひなたの言葉と、三浦の顔が、全部別々の角度から突きつけてくる。


 階段の下から母親の声がした。


「大河、起きてる?」


「……起きてる」


 声が少し掠れた。


 起き上がって、顔を洗う。

 鏡を見る。


 昨日までと同じ顔なのに、どこか違う。

 いや、違うのは顔じゃなく、自分の見方の方なのかもしれなかった。


 食卓に着くと、父親が新聞を読んでいた。

 母親は味噌汁を置きながら、何気ないふうに聞いた。


「眠かった?」


「まあ」


「なんか、顔疲れてるよ」


「別に」


 そう答えたものの、母親は少しだけ眉を寄せた。

 だが、それ以上は聞かなかった。


 黒川は、ご飯を口に運びながら、思う。


 もし今、母親に「学校でどんなことしてるの」と聞かれたら、自分は昨日のことを胸を張って言えるだろうか。


 答えは、たぶん出ない。


 白石ひなたの言葉は、朝の食卓にまでついてきていた。


 自分の子どもに、今やってることを胸張って言える?


 それが、冗談ではなく本当に問いとして残っている。

 だから黒川は、その朝、食べ終わるまで一度も目を上げられなかった。


⸻


2.相原圭吾の朝


 相原圭吾の朝は、もっとひどかった。


 ほとんど眠れなかった。

 母親が言ったことが、頭の中で何度も繰り返されたからだ。


 昔、自殺未遂したことがある。

 いじめがつらくて。


 それはあまりに現実感がなかった。


 母親が。

 あの、いつも当たり前に台所にいて、学校のプリントに目を通して、夕飯の時にくだらない話をしてくる母親が。


 自殺未遂。


 昨夜は、にわかには信じられなかった。

 でも、その“信じられなさ”自体が、どこかで本当だと分かっている時の感覚でもあった。


 朝、目が覚めると同時にスマホを手に取っていた。


 検索窓に、しばらく何を入れればいいのか分からなかった。

 でも、指が勝手に打っていた。


 いじめ 被害者 体験談


 検索結果が並ぶ。


 ニュース記事。

 支援団体のページ。

 保護者の手記。

 裁判記録のまとめ。

 学校対応の遅れに関する特集。

 個人ブログ。

 掲示板の書き込み。


 相原は最初、ほんの少しだけ見るつもりだった。

 母親に言われたことを確認したかっただけだ。

 でも、一つ開いた体験談のページから目が離せなくなった。


 「娘を失った母親として」

 そういう題の文章。


 最初の数行を読んだだけで、胃のあたりがざわついた。


 そこには、何気ない陰口から始まり、無視、SNSでのからかい、教科書への落書き、相談しても「様子を見ましょう」で終わった学校の対応、家庭で食欲を失っていく様子が書かれていた。


 そして最後に、娘が帰らなかった日のこと。


 相原は、ページを閉じかけた。

 でも閉じられなかった。


 別の体験談を開く。


 今度は、息子を亡くした父親の手記だった。

 もっと短く、もっと荒れていた。

 怒りと後悔で文がぶつ切りになっている。


 なぜ守れなかったのか。

 あの日もっと学校へ行っていれば。

 笑っていた連中を許せない。


 その言葉は、昨夜、母親が言った“言葉は人の命を奪う凶器にもなる”という一文を、急に現実のものへ変えた。


 さらに読み進める。


 兄弟姉妹を失った子の文章。

 「お兄ちゃんがいなくなったあと、家の中の音が変わった」という一節があった。

 その文章には、守れなかった苦しみや、加害者への憎悪、恨みがそのまま刻まれていた。


 また別のページでは、裁判の記録が出てきた。


 多額の損害賠償。

 判決。

 加害側の家庭が経済的に追い詰められ、家族が崩壊した事例。

 父親が仕事を辞め、家を手放し、兄弟姉妹まで地域で名前を知られて転校した、そんな記述まであった。


 相原は、スマホを持つ手に汗がにじむのを感じた。


 遊びだった。

 そんなつもりじゃなかった。


 昨日まで、自分の中で何度もそう繰り返していた言葉が、いきなり軽薄で恐ろしいものに見え始める。


 もし、自分たちのやっていたことが、もっと先へ進んでいたら。

 もし、本当に誰かの命を奪うところまで行っていたら。


 その時、自分は何と言っていたのか。


 胸の中で、いろんなものが渦巻く。


 天庄屋の話した言葉。

 結菜が怒りを込めて言った言葉。

 母親の過去。

 検索結果に並ぶ体験談。


 どれも今までの自分の外にあったものなのに、今は全部、自分へ向かってくる。


 怖い。

 見たくない。

 でも、もう見なかったことにはできない。


 母親が部屋の外で声をかけた。


「圭吾、起きてる?」


「……起きてる」


 声がうまく出なかった。


「朝ごはん、少しでいいから食べな」


「……うん」


 食卓に下りると、母親はいつも通りに味噌汁をよそっていた。

 父親は何も言わない。

 でも、昨日までとは違う目で自分を見ているのが分かる。


 母親の顔を見た瞬間、昨夜の言葉がまた胸に刺さる。


 この人は、死の手前まで行ったことがある。

 そして自分は、その人の前で“そんな大げさなことじゃない”に近いことを言おうとしていた。


 にわかには信じられない。

 でも、信じられないままでも、その重さは朝の空気にしっかり残っていた。


⸻


3.白石ひなたの朝


 白石ひなたは、目覚ましが鳴る少し前に起きた。


 起きた瞬間に思ったのは、“今日は何を言われるだろう”だった。

 自分が三浦をかばったこと。

 “好きで悪い?”と言ったこと。

 さらに、本名で天庄屋へ投稿したこと。


 自分がしたことを後悔してはいない。

 でも、何も怖くないわけでもない。


 教室へ行けば、また何か空気がある。

 女子の中で距離を取られるかもしれない。

 男子がまだ茶化すかもしれない。


 それでも、今日は昨日より少しだけましだった。

 なぜなら、自分がどちら側に立つのかについて、もう迷っていないからだ。


 迷っている時の方が、朝は苦しい。

 立つと決めたあとの方が、別のしんどさはあっても、足は少し動きやすい。


 朝食の席で、母親が「なんか最近、学校のことで考え事してる?」と聞いてきた。

 ひなたは少し迷ってから、「うん、まあ」とだけ答えた。


 全部は話していない。

 でも、全部隠してもいない。


 そういう中途半端な答え方が、今の自分にはちょうどよかった。


 制服に着替え、鏡を見る。


 目が少し強くなっている気がした。

 勘違いかもしれない。

 でも、昨日までと同じではないのは確かだった。


⸻


4.浅井結菜の朝


 結菜は、朝から少し胃が重かった。


 昨日、本気で怒った。

 相原に向かって、クラスメイトから本気で怒ってもらえるうちが花だと思え、と言った。


 あの時の自分は、たしかに本気だった。

 でも、言ったあとで自分でも少し怖くなった。


 あんな顔、自分でも初めて見た。

 ひなたみたいに、前から覚悟を持って立っていたわけではない。

 どちらかといえば、怖いから流されてしまう側だったのに。


 でも、だからこそ、あそこで怒らなければ自分が自分をもっと嫌いになる気がした。


 朝の洗面所で歯を磨きながら、鏡越しに自分を見る。


 相原は今日どうするだろう。

 また荒れるのか。

 それとも黙るのか。


 どちらにしても、自分はもう前の位置には戻れない。

 でもそれは、不思議と嫌ではなかった。


 怖い。

 でも、嫌じゃない。


 その感覚は、結菜にとって新しかった。


⸻


5.柴田蓮斗の朝


 柴田蓮斗は、前の日の夜、珍しく父親と長く話した。


 「最近、なんか顔つき違うな」と言われて、ぽつりぽつりと学校の空気の話をしたのだ。

 全部ではない。

 でも、“誰かを笑いものにして、見て見ぬふりしてたのが嫌になった”というところだけは言った。


 父親は、しばらく黙ってから言った。


 「それに気づいたなら、もう戻るな」


 その短い一言が、思いのほか残った。


 朝、家を出るとき、柴田はその言葉を思い出していた。


 もう戻るな。

 流される側へ、笑う側へ、都合のいい曖昧さへ。


 それは簡単なようで、実は難しい。

 教室の中では、“戻る”方がずっと楽だからだ。


 でも今日は、結菜の顔が頭に浮かんだ。

 昨日、本気で相原に怒っていた顔。


 あそこまで本気で言える人がいるなら、自分もまた曖昧な側へは戻れないと思った。


⸻


6.隆の朝


 隆の朝は、これまでより少しだけ違っていた。


 怖いのは変わらない。

 教室へ入る前の胃の重さも、まだある。

 相原がどういう顔で来るのかも分からない。

 黒川の謝罪をどう受け止めればいいのかも、まだ整理はついていない。


 でも、それでも前と違う。


 天庄屋の講話。

 黒川の謝罪。

 結菜の怒り。

 ひなたや柴田の立ち方。


 全部が、自分の中でまだ整理しきれないまま積み重なっている。

 けれど、その積み重なりは、“怖さしかない教室”を少しだけ別の場所へ変え始めていた。


 実里が、味噌汁を置きながら聞く。


「今日、行けそう?」


 前なら、その問いだけで喉が詰まったかもしれない。

 でも今日は、少し考えてから言えた。


「……怖いけど、行く」


 その返事を聞いて、なぎさがすぐに口を挟む。


「それでいいんだよ」


「お前が言うな」


「言うよ」


 正康が新聞の向こうで、小さく口元を緩めた。


 怖いけど、行く。


 それは立派な決意でもなんでもない。

 でも今の隆にとっては、それだけで十分大きかった。


⸻


7.教室へ向かうそれぞれ


 その朝、二年二組へ向かう廊下には、別々の気持ちを抱えた子どもたちが歩いていた。


 黒川は謝ったあと初めての朝を、重い胸のまま歩いている。

 相原は母親の過去と検索で読んだ体験談の重さを抱えている。

 白石は“声を上げた側”として見られることの怖さを知りながら、それでも前を向いている。

 結菜は怒った自分を少し怖がりながらも、その怒りをなかったことにはしたくないと思っている。

 柴田は、もう曖昧な場所へは戻らないと決めている。

 隆は、怖さを抱えたまま、それでも前とは違う朝を歩いている。


 同じ廊下。

 同じ朝。

 でも、だれ一人として昨日までと同じではなかった。


 教室のドアは、相変わらずただの引き戸だった。

 でも、その向こうにはもう、“ただのいつもの一日”は待っていない。


 痛みのあと。

 問いのあと。

 謝罪のあと。

 赦しの前。


 その途中にある教室へ、彼らはそれぞれの足で向かっていく。


⸻


 この朝を越えた先で、二年二組はさらに小さな対話と、小さな軋みを重ねていくことになる。

 元には戻らない。

 でも、戻らないまま進む道もある。


 それを、子どもたちはまだうまく言葉にできない。

 けれど、その最初の朝だけは、確かに始まっていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。