21 観測を司る者『女神マナフレア』
蒼く揺らめくワープゲートをくぐり抜けた俺たちを待っていたのは――見渡す限りの広大な宇宙空間だった。
「うわっ、なんだここ!? 宇宙!?」
俺は星々の瞬く虚空に、ポツンと浮いていた。
眼下には、巨大な白濁色の地球が、静かに佇んでいる。
「慌てるな、呼吸は出来ておろう。おそらくは幻影やまやかしの類じゃ」
「……お、おお! 確かに息はできるな。VR空間的なやつか。すげえな箱舟、どういうテクノロジーなの?」
そのときだった。
何処ともなく、あらゆる方角から、黄金に光り輝く無数の『糸』が、空間のとある一点を目指して集まりだしたのだ。
光の糸が交差する中心に、ゆらゆらと人のシルエットが浮かび上がる。
やがてその輪郭ははっきりと結ばれ、そこに一人の美しい女性が姿を現した。
月光のように滑らかに波打つ長い髪。双眸は黄金のヴェールで覆い隠されており、その表情を窺い知ることはできない。
纏っているのは、裾の長い黄金のドレス。それは豪奢でありながらどこか冷たく、祝福のドレスのようでもあり、哀悼の喪服のようでもあった。
眼下には白濁色の地球。その天空で、幾千の光の糸を束ねる謎の女性。
圧倒的な神秘。間違いなく、人智を超えた存在だった。
『ようこそ、箱舟へ。私はこの深淵のほとりにて観測を司る者――女神マナフレアと申します』
鼓膜を撫でたのは、上質な絹のように柔らかく、慈愛に満ちた大人の女性の声だった。ただ優しいだけではない、深くて底知れない響きがある。
『または「糸紡ぎの君」などと呼ばれたりもします。どちらでも、お好きな方でお声がけくださいね』
観測を司る……女神? システムのAIか何かか?
いや、機械的な冷たさはない。むしろ包容力のある年上のお姉さんといった雰囲気だ。神々しい見た目とのギャップに、すっかり拍子抜けしてしまった。
『あゆむ様……そして……シエル様。果てしなく紡がれる悠久の時の果てで、お二人が訪れるこの瞬間をお待ちしておりました』
「……え? 俺たちのこと知ってるの?」
『ええ、もちろんです。私はこの地で『糸』を観測する者。お二人は特異点。古の約束を果たす者』
「まって、まって!! 話が唐突すぎて付いていけないって! もっとわかりやすく説明してくれよ!」
『あら、確かにおっしゃるとおりですねぇ……。今のお二人に『深紅の糸』の話をしたところで、真理の体現には至らないかもしれません。それどころか、下手に干渉すれば糸が断絶してしまう恐れすら――』
マナフレアは小首を傾げると、無数の糸の中に混じる『深紅の一本』をそっと愛おしそうに指先でなぞった。
「おい、マナフレアとやら! 貴様、わしのことも知っておるのか!?」
『……シエル様。本当に、全てをお忘れなのですね』
「知っておるならば、教えろ! わしは一体何者なのじゃ? 何故、このような惨めな状況に陥っているのじゃ!?」
シエルの悲痛な叫びに対し、マナフレアは慈しむように、静かに言葉を紡いだ。
『……失うこともまた、運命が定めたひとつの必然なのでしょう』
「必然じゃと? いちいち含みのある言い回しをしよって!」
『申し訳ありません。ですが、今の私からお伝えできることは多くはありません。ひとつひとつ、自らの歩む軌跡にて観測することこそが、真理へと至る最も確かな道筋なのですから』
「はぐらかすなと言っておろうが!」
シエルが険しい顔で睨みつけるが、ヴェール越しの女神は、それ以上語ろうとしなかった。
『すべてを語らぬことと、虚言を吐くことは別物。私はお二人とこれからも良き関係であり続けたいと願っているのですよ』
「白々しい。本音を隠す女狐ほど、信用に足らんもんはないわ」
マナフレアのまとう柔らかな空気が、ほんの少しだけ悲しげに揺らいだ。
『私もこの箱舟の『12の死の未来』の踏破は悲願。……そのことだけは信じてください』
奥底から覗いた、紛れもない本音。
シエルはマナフレアの真意を探るように鋭い眼光で睨みつけている。
『ただ一点の特異点のために。ただ一本の糸を紡ぐために。無限の揺らぎの中……その奇跡を観測するために』
「おぬし、何を……」
『そのために、僭越ながら、冒険者の皆様のお手伝いをさせていただいております』
完全に暖簾に腕押しだ。優しくておっとりしているのに、絶対にこちらのペースを握らせてくれない。ある意味、一番底知れないタイプかもしれない。
ただ……マナフレアの発言を信用するなら、シエルがこの箱舟と何かしらの関係があるということは確定ってことか。
『さて、あゆむ様。あなたがこの箱舟に触れるのはこれが初めて。ならばまず、この揺り籠――その輪郭から、お話しいたしましょう』
マナフレアが優雅に手を振ると、眼下に浮かぶ白濁色の地球にホログラムのウインドウがいくつも展開された。
『この箱舟には、黄道十二星座の名を冠する十二の迷宮が脈動しています。そのひとつひとつに封じられているのは、いずれ地上を蝕みうる『地球の死の未来』。人の歩みが届かず、討ち払われぬまま時を越えれば――それらはいずれ必ず、現実に産み落とされることでしょう』
「ひとつ質問してもいいか、マナフレア?」
『なんなりと』
「ダンジョンの内部って、どういう構造になってるんだ?」
『十二の迷宮はすべて、同心円を描くように形作られております。広大なる外周を最も浅き岸辺とし、中心たる深淵へ向かうほどに『深度』は増してゆく……。そして、死の未来が脈打つ中心部こそが、深度100と呼ばれる場所なのです』
展開されたウインドウには、各ダンジョンの現在の踏破状況が記されていた。
▼白羊宮、金牛宮、巨蟹宮、磨羯宮、双魚宮:【完全踏破済】
▼双子宮、処女宮、天秤宮:【封印中】
▼獅子宮:深度70まで到達
▼人馬宮:深度50まで到達
▼天蝎宮:深度80まで到達
▼宝瓶宮:深度70まで到達
なるほど。十二個のうち五つはすでにクリア済みで、三つは謎の封印中。
つまり、現在挑めるダンジョンは四つだけ。しかも、どれもすでに先人たちの手によって半分以上は攻略が進んでいる状態ってことか。
『それでは、まだまだお話し足りないですが、お二人は冒険者試験の真っ最中。此度の試験の舞台たる『死の未来』へとお送りいたしますね』
マナフレアが白濁色の地球へ向けてスッと手を差し向ける。
すると、地球の表面から七本の深紅の光の柱が宇宙空間へ向けて立ち昇った。未踏破のダンジョンの数だ。
『開かれるは『獅子宮』――すなわち『獄炎の死の未来』。燃え盛る特異点が封じられた、灼熱の領域』
直後、俺の体が強烈な引力に引かれた。
視界がぐにゃりと歪み、意識が細長く引き伸ばされながら、深紅の光の柱の一本へと猛烈な勢いで吸い込まれていく。
『それでは――星の寵児たちよ、良き旅路を』
引き延ばされる意識の中、最後に聞こえたマナフレアの声は、どこか切なげに揺れているような気がした。




