18 遺書
「お兄ちゃんの『最終選考進出』を祝って……かんぱーい!」
団地の我が家の食卓には、スーパーの割引シールが貼られたお寿司や、山盛りの冷しゃぶなど、ささやかながらもご馳走が並んでいた。
俺たちはコーラの入ったグラスで乾杯を交わす。
プッハー! 疲れた五臓六腑にコーラの炭酸が染みわたりますなぁ。
「シーちゃんは大人なんでしょう!? サーモンは子供が食べるお寿司だよ!」
「ふん! 小春こそサバを食し、大人の階段を上るのじゃ!」
小春とちびシエルが、お皿の上のサーモン寿司を取り合っている。
ってか、いつの間に「シーちゃん」と呼ぶほどの仲になったんだ?
三次選考が終わり、次が最終選考であることが告げられた。日程は3日後だ。
激闘を終えて家に帰ってきた俺を待っていたのは、俺の合格を信じて疑わなかった母さんが用意した、お祝いパーティだった。
現在、時刻は19時を回っている。
「まだ最終選考が残ってるんだから、お祝いは早くない?」
「こういうのは何回やっても良いのよ」
母さんが冷しゃぶのサラダを取り分けながら言った。
「安心して。もし落ちても、そのときはまた盛大に不合格パーティを開いてあげるから」
「言っただろ! 俺は冒険者になって大金持ちになるの! そして家も建て直すし、母さんたちに楽させてやるの!」
「はいはい、期待して待ってるわ」
母さんは俺の大好物の冷しゃぶを多めによそってくれた。
冷しゃぶってなんでこんなに旨いのだろう。ポン酢は神だし、カイワレ大根はこのために存在しているのではとすら思える。
「次の選考に受かったら、とうとうお兄ちゃんも冒険者かぁ。そしたら学校で自慢できちゃうなぁ」
冒険者は箱舟内のダンジョンを攻略することが使命ではあるが、ある種のスタースポーツ選手のように、世界中から憧れられる職業でもある。
テレビやネットでは専用のチャンネルが設けられ、その活躍が24時間中継されていた。
「あゆむ、もう最終選考の内容は教えてもらったの?」
「ああ、実際に『箱舟』を探索するらしいよ」
その言葉を聞いた瞬間、母さんの顔が少し険しくなった。
「もう箱舟に行くの? あそこは何が起きるか分からない場所なのよ。本当に大丈夫かしら」
「大丈夫だって! プロの冒険者が何人も試験官として付いてきてくれるみたいだし。それに、流石に深層までは潜らないでしょう」
「だといいんだけど……。言っちゃぁなんだけど、冒険者の人たちってちょっと常軌を逸してるところもあるのよね。……パパみたいに」
「パパって、常軌を逸してたんだ……」
小春が「なんか残念」みたいな表情をしている。
そして、母さんはいつになく真剣な眼差しで俺を見つめた。
「あゆむ。あなたが冒険者になることはもう止めないわ。でもね、ひとつだけ約束して」
「うん……」
「何があっても、絶対に生きて帰ってくるのよ。全てを失ったとしても、誰かを犠牲にしたとしても、這いつくばってでも生きて帰ってくるの。……それだけは約束してちょうだい」
はしゃいでいた小春とシエルもピタリと箸を止め、静かに母さんを見つめていた。
「……わかった、約束するよ」
「……そう。ならオッケーよ! この話はお終い。それじゃあ、食べましょう! 私はネギトロ貰うわね!」
母さんが明るい声を出して、再び食卓を活気づける。
家族の笑顔と共に夜は更けていった。
◆
――深夜、母さんたちはすでに寝床についている。
俺は隣の四畳半の部屋で、デスクライトの明かりだけを頼りに、まだ眠れずにいた。
折り畳み式の小さな机には、2枚の書類がおかれていた。
どちらも、最終選考までに書いて提出しろと渡されたものだ。
【死傷免責同意書】
『私は、本任務が自己の生命に対する重大かつ予測不能な危険を伴うことを完全に理解し、死亡または致命的な障害を負うリスクを自らの意志で受諾します』
この書類には思いのほかあっさりと署名できた。
冒険者になる以上、危険は覚悟のうえだ。
だが、2枚目の書類で俺の筆が止まったままになっていた。
【遺書】
何を書けばいいか分からない。
『何があっても、絶対に生きて帰ってくるのよ』
さっきの母さんの言葉が脳裏をよぎる。
そうだ、俺は絶対に生きて帰ってくる。それなら、遺書なんて書く必要がないじゃないか。
なんでこんなものを書かなきゃいけないんだ?
『空白は不可』と注意書きがされており、冒険者協会に対してイライラしてくる。
まったく手が進まない。
考えても考えても、頭は真っ白だ。
どんな長文もピンとこない。
前世で、俺は母さんと小春を突然の事故で失った。
残された側がどれほど絶望し、消えない後悔に苛まれるか、誰よりも知っている。
だからこそ、俺が死ぬことを前提とした言葉なんて、残したくなかった。
気分転換のために、冷蔵庫に麦茶を取りに行く。
コップ一杯の冷たい麦茶を飲み干し、少し気分が落ち着く。
母さんたちが寝ている部屋をのぞき見る。
月明かりの中、三人が小さな寝息を立てている。
小春とシエルは寝相が悪く、お互いに重なり合っていた。
その光景が、何よりも愛おしかった。
俺は四畳半の部屋に戻り、机の前に正座した。
もしものとき……。抗っても、藻掻いてもどうしようもなかったとき……。俺が二人に残したい言葉。
長々と書く必要はない。ただ、一番伝えたいことだけを。
目をつぶって、最初に浮かんだ言葉を、書類に書き込んだ。
――母さん、小春。
――愛してる。




