12 空をかける少女
「ぜぇぜぇ……。もう二度と地上に出られないかと思った……」
俺はやっとの思いで新宿駅西口の改札を抜け、朝日を浴びた。
前世も含めて数年ぶりに訪れた新宿駅。さすがは日本有数の大迷宮だ。特に西口方面はヤバい。
余裕たっぷりに家を出たはずなのに、駅の中だけで1時間近く迷いたおしてしまった。
現在、時刻は朝の9時30分。
8月に入ったばかりの夏の日差しはもはや殺人級だ。
あの箱舟バーストから、2週間が経っていた。
そして今日、俺はこの西新宿へ来ている。
目的は一つ。都庁で行われる『冒険者試験』を受けるためだ。
筆記試験対策として、この2週間は死に物狂いでこの世界の歴史や魔法学を猛勉強し、見事に寝不足である。
それなのに、開始前から無駄に体力を消費してしまった。もしかして、新宿駅を抜け出せるかどうかが一次審査だったりする?
「それにしても、やっぱりすげぇな、新宿は」
改札機には、犯罪者などの危険な覚醒者を弾く『エーテル認証の光の膜』が張られている。
駅前の高層ビルを見上げれば、魔法で投影された巨大な錦鯉が空中を優雅に泳ぎ、指定の空路には空飛ぶ車やスクーターが行き来していた。
前世の記憶にある新宿と、魔法のテクノロジーが絶妙に混ざり合った景色。
見ているだけでワクワクしてくる。
「ほれ、あゆむ。早く次をよこすのじゃ」
「はいはい、わかってますよ。ほら」
俺は歩きながら、コンビニの袋から「ひと口チーズ」を取り出し、背負っているリュックの隙間へ突っ込んだ。
ぬっと小さな両手が伸びてきて、チーズをひったくる。
「とろけるのぉ。やはりひと口チーズの旨さは筆舌に尽くしがたい。人類の最高傑作のひとつじゃ」
ちびシエルが、リュックの中から顔だけを出してチーズを口いっぱいに頬張っていた。
リュックの中には保冷剤が敷き詰められ、今では彼女の移動用VIPルームと化している。
「シエル、あんまり顔を出すなよ。誰かに見られたら俺が変態だと思われるだろ。最悪捕まっちまうぜ」
「そのときは、人形のふりをするから安心せいと言っておろう。変態と見られるぶんには問題ない。まごうことなき真実なのじゃから」
「はーい。もうチーズはそれでお終いでーす」
「ごめんなのじゃ! もう本当のことは言わないから許してなのじゃ! これからは虚言の世界で生きてゆくことを誓うのじゃ!」
減らず口を叩くシエルを軽くあしらいながら、都庁へ向かって歩調を速める。
急がないと、本当に試験に遅刻してしまう!
――その時だった。
ゴォォォォォォォッ!!
「うおっ!?」
突如として、交差点に強烈な突風が吹き荒れた。
高層ビル特有のビル風に大気中のエーテルが干渉し、偶発的に生まれた風魔法だ。
地上を歩く俺たちでさえよろけるほどの風圧。だが、本当の危険は上空で起きていた。
「うわぁぁぁ!」
悲鳴の方を見上げ、俺は息を呑んだ。
上空の空路を走行していたフードデリバリーのスクーターが、魔力の乱気流に煽られて激しくスピンしている。
コントロールを失った車体が大きく傾き――運転手のお兄さんが、空中に放り出された。
「嘘だろっ!?」
地上十数メートルの高さから、人が真っ逆さまに落ちてくる。
俺は「アクセス!」と叫び万年筆を顕現させるが――いやダメだ間に合わない!
誰もが最悪の結末を予想して目を瞑りかけた、その瞬間。
「どいてッ!!」
俺の真横を、制服姿の少女が凄まじいスピードで駆け抜けた。
薄茶色の髪をなびかせた彼女は、何もない空中に向かって勢いよく跳躍する。
ファンッ、ファンッ、ファンッ! 波紋のような『水の足場』が空中に瞬時に生成され、彼女はそれを階段のように蹴り上げた。
そのままビルのガラス壁面を蹴って三角跳びをし、あり得ない軌道で宙を舞う。
「うぉ、バク宙! マジかよッ!」
「……ほう。あの小娘、なかなかやりおるな」
リュックのシエルが、チーズをむさぼる手を止めて目を細めた。
「空中に足場を連続展開するなど、並のエーテル操作ではないぞ。あれはなかなかの使い手じゃ」
シエルが解説している数秒の間に、彼女は空中で見事に運転手の身体をキャッチした。
「よっ、と! お兄さん、大丈夫!?」
おおお! すげぇ、助けた!
映画のワンシーンみたいな見事な救出劇だ。
「ひぃぃぃ! 死ぬぅぅぅ!!」
「わっ、ちょっと! 暴れないでよ!」
だが、安心したのも束の間だった。
パニックに陥った運転手が空中で派手に暴れたせいで、着地姿勢に入ろうとしていた少女のバランスが大きく崩れてしまったのだ。
彼女が踏み込もうとした水の足場が、パチャッと音を立てて無残に弾け散る。
「えっ、嘘っ!?」
少女の顔が青ざめる。
リカバリーの足場を張る暇もなく、二人は抱き合ったまま猛スピードで地上へと落下してきた。
このままじゃ、二人ともアスファルトに叩きつけられる!
俺の手はすでに動いていた。『宇宙色の万年筆』が宙に軌跡を描く。
俺の魔法は、柔らかいクッションやトランポリンを作ることはできない。描いたものはすべて、ガチガチの硬い謎物質になってしまうからだ。なら、どうする? 硬いもので、高所からの落下エネルギーを殺すには?
――斜面で、勢いを逃がす!!
極限の集中。描くのは、完璧な角度の直角三角形。なだらかなカーブの『巨大な滑り台』だ!
0.5秒。描き終えると同時に親指と中指を弾く。
「キャァァァァァァッ!!」
少女たちが地面に激突する直前。
アスファルトの上に、白黒の『巨大な滑り台』が実体化した。
ズサァァァァァァァッ!!! 落下してきた二人は、滑り台の斜面に綺麗に滑り込んだ。
そのまま猛スピードでカーブを滑り降り、運動エネルギーは完全に前方へと変換され、地上へとゴロゴロと転がり出る。
「……いっててて。……え? あれ? 痛くない?」
少女が目を丸くして自分の身体をさする。怪我一つしていない。
彼女が背後を振り返ると、そこには不自然極まりない巨大な直角三角形が鎮座していた。
「……何これ? 滑り台?」
俺は、呆然とする二人に背を向け、少し離れた場所から指を鳴らした。
直角三角形は光の粒子となって宙に溶けるように消滅する。
「あっ、ちょっと待って! 君が……!」
少女がこちらに気づいて声をかけてきた。
フッ……俺は振り返らず、無言で右手を上げて応えた。
名乗るほどの者じゃあ、ありませんよ。ただの通りすがりの――。
「あゆむ! 時間! あと5分しかないぞ!」
「うぎゃあああああ! やべえええええええ!!」
俺は右手を上げたポーズのまま奇声を上げ、野次馬の視線を振り切って都庁へ向かって猛烈なダッシュを開始した。
その背後で、少女もハッとしたように自分のスマホを取り出す。
「えっ、嘘っ、9時55分!? 冒険者試験に遅刻しちゃう!!」
あの娘も冒険者試験!? だが今はそれどころではない!
「ゼぇ……ゼぇ……ッ! し、死ぬ……!」
俺が情けない悲鳴を上げながら都庁までの通りを全力疾走していると、背後から凄まじい風切り音が迫ってきた。
「さっきはありがとう! それじゃ!」
ビュンッ!! 先ほどの制服少女が、足元に淡いエーテルの光を纏いながら、まるで新幹線のような速度で俺の横を駆け抜けていったのだ。
「早ぇぇぇッ!? なんだよあのスピードは!」
「走れ小僧! わしの馬なら、抜かれたなら抜き返すのじゃ!」
「あとで絶対にシバくッ……」
覚醒者の圧倒的な身体能力の差をまざまざと見せつけられながら、俺は涙目で彼女の背中を追う羽目になった。
◆
「ゼぇ……ゼぇ……ッ!」
時刻は9時59分。
俺は肺から血の味がするほど息を切らしながら、なんとか都庁のエントランスに滑り込んだ。
「間に……合った……もうだめかと……」
肺が爆発しそうだ。滝のような汗が止まらない。もう体力は完全にゼロですよ。今日の試験、受ける前から終わってないか?
這うようにして受付を済ませ、空いていたソファーにへたり込む。持参した麦茶を一気飲みして、ようやく人心地ついた。
ぐったりとしながら、周囲を見渡す。
「……おお、すげぇ人だな」
都庁のエントランスホールには数百人の受験者がひしめいていた。
年齢は様々だが、16歳から受験資格が得られるため、同年代の若者が過半数を占めているようだ。
そんな中――少し離れた場所に、さっきの制服少女の姿があった。
彼女は俺と違って息一つ切らしておらず、涼しい顔で案内掲示板を眺めている。
「おお、化け物かよ。汗すらかいてねぇ」
「ぬしがこれから競う相手は、ああいう者たちということじゃろう」
「俺、今になって緊張してきたかも」
「ぬしは体力もゼロならエーテル指数もゼロじゃ。失うものなど何もない底辺からのスタートじゃろう。今更焦ってもしゃあない、自分とわしを信じてドンと行け!」
シエルなりに励ましてくれているのだろうか? 言葉の端々に容赦ない事実が混ざっていて絶妙に腹が立つが――不思議と、肩の力は抜けた。
「……だな。ここまで来たら、なるようになるさ!」
俺は両手で自分の頬をパンッと叩き、気合を入れ直して立ち上がった。




