picturesque
「ただいま帰りました〜!」
ヒーニアが大扉を強く開け放つ。返事はない。
薄暗い大聖堂の中に足を踏み入れた途端、あるものに目を奪われた。
四本の石柱。その奥、左右に分かれた階段の上。空間を支配するように掲げられた巨大なステンドグラスだ。
描かれているのは、純白の布を深くかぶり、杖を抱いた女性の姿。
微かに上がった口元。全て許す聖母のような造形だ。
あまりに綺麗だ。薄暗いギルドの中が全てこのステンドグラスを引き立てる舞台のようにすら思える。けれど……
ステンドグラスから目を落とした途端に、僕は我に帰った。
汚い。
中央にドンと主張強く置かれた長机。その周りには物が無造作に投げ捨てられている。剣やら杖やら酒樽やら、なんなら食べかけの食事まで放置されてる始末。
せっかくの神聖な内装が台無しになるほどの散らかりぶりに、僕は前言撤回をせざるを得なくなった。
その時、女神の写されたステンドグラスに影が入った。
何やら人のシルエットで起き上がった様子のその影に、ヒーニア達は近づいていく。
「ボスー、帰りましたよー!」
階段の手前まできたところで、ヒーニアが影に告げた。
「酒乱女め、また酔い潰れてたな」
ヴィルは呆れっぽい視線を向ける。
するとその影は手すりに寄りかかるように身を乗り出して、
「水ぅ」
それだけ言って、項垂れた。
ステンドグラスを通して流れる陽光によって、その影に光が入る。
露わになったそれは、全裸の女だった。
艶めく褐色の肌。傷跡の目立つしなやかな体躯に長い赤髪。そして何より目を引くのは、額から生えた真紅の角。艶やかな輝きを放つその二本の角は宝石のように透き通るような美しさを持っていた。
しかしその全ては、手に持った酒瓶と涎を垂らしたゆるい口元のおかげで台無しなのだが。
「あちゃ〜、これはひどい。どうしましょう。ボスをこのままにしておくわけにもいきませんし……」
キョロキョロと辺りを見回して、ヒーニアが困ったように漏らす。
「他の奴らも出払ってるみてーだな。チッ、めんどくせぇ」
ヴィルも頭をガシガシと掻いて階段を上がっていく。
「あれは?」
「フーリギルドのギルドマスター。バーゼリア・エンリさんです。酒好きなので、朝まで飲んでは、いつもこうして酔い潰れています。ここまで酔ってるのは久々な気もしますが……」
「国家会議がちけーからな。やけ酒だろ、ったく。おいバーゼリア!!」
階段を上がったところでヴィルがバーゼリアに怒鳴る。
「う〜ヴィル。貴様の声は鼓膜を直接ぶん殴りにくるな……。ぶん殴りボイスだ。略してぶんボだな。ぶんボ……ぐぅ…………」
「誰がぶんボだ!!寝てんじゃねぇ!!」
酒瓶を抱いて眠るバーゼリアには、ヴィルのぶんボも小鳥のさえずりくらいにしか聞こえていない様子。あれは長くかかりそうだ。
「ここはヴィルに任せて、私たちは別の目的地へ急ぐとしましょう!」
見上げた視線を戻して、ヒーニアは僕の手を引いた。
「別の目的地って?」
「それはまだ秘密です」
人差し指を口元に当てる仕草。
ヒーニアの軽快な足取りは、左右の階段の間にある巨大な鏡に向いている。
その鏡には何も映っておらず、闇だけが蠢いている。
まさかこの中に入るのか?
「お、おい、待てっ!」
「何を躊躇いますか!ほらっ!行きますよ!!」
ヒーニアが僕の手を強く引いて、迷いなく鏡に飛び込んだ。
視界が闇に飲み込まれる。
落下感。耳鳴り。血液が逆流するような感覚。
「くっ……」
光が差した。僕は恐る恐る目を開く。
そこは、赤いカーペットが真っ直ぐ伸びた廊下だった。右手にある窓の外からは、広い庭園が見える。まるで城の中なんじゃないかと錯覚するほどの、純白で気品のある景色だ。
だけど違和感があった。
僕の記憶が確かであれば、ギルドの周りは庭園ではなく広場になっていたはず。それにこんな長い廊下も、あの外観からはあり得ない。
不思議な空間に首を傾げていると、僕の手がまたグイッと引かれた。
「うわっ」
「ほれほれ〜!止まってると置いて行っちゃいますよ!」
「……この場所は?」
やけに上機嫌なヒーニアを半眼で睨みながら、僕は先ほどの疑問をぶつける。
「おやおや〜!気づきましたか、ここが先ほどとは異なる場所ということに」
ニヤニヤとした笑みを浮かべてヒーニアは振り返った。
「ここは神であるフーリ様が権能で創造した幻想空間。今通ってきた鏡はここと現実空間をつなげるトンネルってわけです!」
「へぇ」
両手を広げて、自慢げだ。
神フーリ。確かヘイルフェンを守護する神の一柱……だったか?
「汚染域での活動の要、加護。幻血獣に有効な力、祝福。それら魔女に対抗するための権能を持つフーリ様は、私たち綺麗好きな冒険者にはなくてはならない存在なんです。分かって頂けましたか?」
「ま、ちょっと神様を見直したかな」
「なんであなたが上からなんですか。やはり罰当たりです」
ぷくっと頬を膨らませて、ヒーニアは僕を睨んでくる。
そんな目を向けられても仕方ないだろ。僕は加護なしで汚染域に入れていたから、まだイマイチ神様の恩恵を実感できていないんだから。
「……僕は神様要らずみたいだからな。上も下もない」
「ぐぬっ……。ジンも綺麗好きな冒険者になればきっと……あ、そうです!ジンもフーリギルド所属の綺麗好きな冒険者になりましょう!そうすれば食いっぱぐれることはありませんし、神様との距離もグッと近くに────」
「腹の見え透いた勧誘はお断りだ。それに僕は、ヒーニアたちみたいな大義を抱えているわけでもないしな」
目を輝かせるヒーニアをそう一蹴して、赤いカーペットの上を急ぎ足で進む。
「あ、ちょっと待ってくださいよー!!」
パタパタと後ろを追いかけてくる音がする。
ヒーニアの話は、ほんのりとしかなかった僕の中の、謎をさらに大きくした。
権能と呪い。相対する力と力。神でしか対抗できない力に、なぜ、僕は……僕たちは……何の力も持たないまま抗えていた?と




