プロローグ
「七織さんとこの、お父さんとお母さん。死んじゃったらしいわよ」
「ええ!?どうして?」
「事故だってぇ。怖いわね〜」
「気をつけなきゃ〜」
雨音に混じって、おばさんたちの話し声が聞こえる。
夕方時。空には重たい雲が立ち込めて、わずかに漏れる暗い光が障子を通して座敷に落ちていた。
「兄様……」
妹の小春が、正座のまま上目遣いに僕を見てくる。
長い黒髪の清楚な見た目。凛とした顔には少し幼さがあり、まるで日本人形のよう。泣き腫らした目が、まだ赤い。
握った手から、微かな震えが伝わる。
「閉めてくる」
外の声が聞こえてきてしまうのは、多分窓が閉まり切っていないからだ。カタカタと風で障子が揺れているのが良い証拠。
小春の手を離して畳を立つ。
十畳ある座敷の奥には白い布をかけた祭壇が設えられ、その前に二つの棺が並んでいる。
父と母。七織 源太郎と七織 志穂。
夫婦水入らずの旅行の帰りで、車に撥ねられてしまったらしい。
「棺は開けん方がええ」
先ほど関西訛りのある僧侶にそう忠告された。
開けてはいけない理由には予想がつく。きっと”体の状態”が相当悪いんだろう。
障子を開けるとやはり、閉まり切っていない窓から雨が縁側に入り込んでいた。扇形の雨跡ができている。イチョウの葉のような形。
濡れないように気をつけながら、僕は問題の窓に近づく。
僕らの家は古い日本家屋なもので、至る所で建て付けが悪くなっている。
この窓もレールの部分が錆び付いていて、一回浮かせてからじゃないと横にスライドできない。
「そろそろ直さないとな」
窓枠の両端を持ち上げて、ガチャンと音が鳴るところまで持っていった。これで外の声は聞こえないはずだ。
ちらっと外に視線を移すと、石塀の向こうにいくつかの影があった。興味本位の視線。
家族葬が珍しいのか、それとも不幸が面白いのか。
視線を断ち切るように、僕は背を向けた。
「仁さん、始めますさかい」
ちょうど、開けっぱなしの障子の向こうから僧侶が戻るよう促してきた。
「はい」
窓がちゃんと閉まっているかもう一度確認をしてから、僕は縁側を後にした。
告別式はすぐに始まった。
参列者は僕と小春だけ。
親族はもういない。病気や自殺で、皆いなくなった。
僧侶の低く唸るような読経が、湿った空気に溶け込んでいく。ポンポンと一定のリズムを刻む木魚の音が、騒々しい雨音を掻き消す。
供花は白と紫。百合とトルコ桔梗。
母は明るい色を好んでいたが、仏花には向かないので落ち着いた父好みの色を優先した。
生きていたら、きっと母はわざとらしく頬を膨らませて怒っている事だろう。そういう、楽しい人だった。そして、そんな母を見て父が優しく笑っている。そんな光景が浮かんだ。
鼻の奥がジンと熱くなる。
「兄様、小春は決めました」
涙を堪えていると、小春が囁いた。
「何を?」
読経中なので会話は控えるべきなんだろうが、あまりに真っ直ぐな瞳で言うもんだから、その先が気になってしまった。
「小春は、母様と父様が死んでしまってほんとうに悲しいです」
「そうだな」
声を殺して僕は頷く。
「泣き出したいくらい悲しいです」
「うん」
「でも、小春たちは生きなければいけません。二人の分も」
「ああ、分かってる」
この世は生を止めることを許してくれない。悲しくても、立ち上がれと上から目線でお告げになられる。世間は残酷だ。
「だから決めたんです。小春は、兄様と一生支え合って生きてこうと」
「……」
もちろん支え合って生きていくつもりだが……一生とは。まだ小春は15歳で僕も17歳だというのに、中々ハードな決意だ。
「……死ぬまで?」
「はい。死ぬまでです」
「どっちかが先に死んだ場合は」
「……支え合うと言ったばかりですよ」
小春が責めるような視線を向けてくる。
死ぬまでなんて無茶を言う方も悪い気がする。僕は黙って小春の返事を待った。
「でも、そうですね……」
小春は少し考えて、
「その時は、相手の分もどちらかが生きましょう。生きて二人……いや四人分、世界を楽しむんです。約束ですよ」
散々泣き腫らした顔でそう微笑んだ。
四人分。僕と妹、そして死んでしまった両親を合わせて四人の分まで世界を楽しむ、か……。
「やっぱ大変そうだから、死ぬ時は二人一緒がいいな」
「ふふ、意気地なし」
そう笑った小春が、寄りかかってくる。
「二人で……頑張りましょうね」
小春は、両親が眠る二つの棺桶を静かに眺めてそう言った。
読経の後、焼香を済ませ、供花を棺桶に添えたところで告別式は終了した。
「お兄ちゃんらは強いんやねぇ」
棺桶が運ばれているのを見届けている最中に、僧侶がこんなことを言ってきた。
強いの意味が分からなかった。
父と母がいなくなって二人で泣いたし、途方にも暮れた。外から聞こえる世間話に、いちいち反応してしまうほど荒んでもいる。そんな僕たちに、強いところなんて果たしてあっただろうか。
「読経の時話してはったやろ、二人で生きよーて。両親亡くしたばっかなのに、立派なもんや」
どうやら読経中の会話を聞いていたらしい。手では木魚を叩いて、口では読経もして……器用な人だ。僧侶はみんなできるのだろうか。
その僧侶は僕たちの頭にポンと手を置いた。父よりも一回り大きな硬い手。
「人生ってのは紡ぎ合いや。人から受けた恩だったり、誇りだったり、願いだったりを、みーんな紡いでいって生きてる。さっき妹ちゃんが言ってた、パパとママの分まで生きるってのもそや」
「紡ぎ合い……」
「せやから君たち二人。パパとママからもらったもんをしっかり紡いで、生きていきなさい」
満足そうに頷いた僧侶は、スッと手を離して帰っていく。
でもその帰り際「あ、言い忘れてたわ」と僧侶は振り返って、
「読経の時は静かにしたほうがええよ」
そう言い残して去っていった。
シンと静まり返った部屋には、僕と小春の二人が残された。だけど不思議と寂しくなかった。
訛りの強いあの関西弁が、まだ頭から抜けないせいかもしれない。
「すごい方でしたね……」
小春が、名残惜しそうに襖の先の暗闇を見つめている。
「怒られちゃったな」
「ええ。でも素敵な言葉ももらいました。紡ぎ合いですって」
「おかげで、小春の言ったことから逃げらんなくなった」
最後に残されたら、家族四人分人生を楽しんでほしい。そんな小春の願いが、僧侶によって肯定されてしまった。
僕はゴロンと横になる。畳は湿気を吸って、ひんやりと冷たい。
「確かに。これで逃げたらバチが当たってしまいそうですね」
小春は笑って僕のすぐ側に寝転がった。
鈴蘭のようなほんのり甘い香りが、ふわっと鼻を通る。
「兄様」
小春が、こちらをじっと見つめているのが横目で分かる。
「小春は疲れました」
「同感」
大きな欠伸が漏れる。小春もつられたのか小さく口を開けていた。
昨日はろくに寝られなかったからか、葬儀の緊張感が抜けたためか、一気に眠気が押し寄せてくる。
微睡んで閉じていく視界。体に力が入らない。まあ、無理して起きている必要もないか……。
そんな独り言を最後に、僕の意識は深い眠りへと沈んでいった。




