23 妹姫の謎 (オーランド・オヴリガン視点)2
「クレオリアはもし、その記憶の欠落が誰かの手によるものだとして、その奪われた記憶がなんなのか、予測はできるかい?」
二ヶ月前から、大運河に出るまでというと、それはサウスギルベナで暮らしていた期間と、今回の受験のために南方を旅していた期間になる。そして記憶の奪取という行為自体が行われたのは更に短い、魔導船に乗る直前のどこかということになる。
「奪われた……奪われた? うん? それも違う気がするわ」
妹は私に答えるというより、ぶつぶつと独り言のように漏らす。
「記憶っていうのは麺麭の様にそう簡単に奪って消せるものじゃないもの」
「だが、そういう魔法もあると聞いたことがあるよ」
「いいえ、それは記憶を『写し盗った』だけで、元の記憶がなくなるわけじゃないですもの。記憶は何か単体であるわけじゃなくて、紐でつながっているように存在している。だからその一つに覆いが被せられると、それは全体に影響が出る……まるで索引のない辞書みたいに」
「それがさっき言っていた記憶の鎖という奴かい?」
面白い考え方だ。妹がその当事者でなければだが。
妹は私の言葉に頷く。
「知識としての記憶にアクセス出来ないようにしたけど、体が覚えている記憶は消せないから何かの拍子に思わず口にする……けれど、そんな習慣になるような知識を短期間に身につけたって言うの? ……どうして特定の記憶だけ隠すなんて面倒なことを? ……そもそもいつ? そういつなら可能なの?」
「クレオリア」
私は妹の思考の放流を止める。妹の自問自答のような言葉を聞いているだけで、私にもある程度の予測は立てることはできた。やはり我が妹は神童と呼ぶに相応しい。冷静に自身の状態を捕捉できていた。これだけあれば現時点で十分だ。これ以上は意味もない。
「これ以上は考えもしょうがない。どうやら欠損……いや隠された記憶の部分は今はどうしようもない。不安だろうけれど実害が分からなければ今は置いておこう」
妹には言わないが、私の中では新たな容疑者はすでに浮かんでいた。突然現れた吸血鬼などよりも余程有力だ。これも妹の独り言のお陰である。そう、妹の言うとおり考えてみれば当然の、疑わしい相手だ。
だが、それを彼女に教えたりはしない。自分でまずは調べてみたほうがいいだろう。
「今は、今後の学生生活のことも考えて、君のその『位怖』をどうするかについて考えよう」
「そうですね」
と妹はあっさりと話題を変えることを了承した。自分の記憶がおかしいなんてもっと不安になって当然だろうが、妹は実際あまり気にしていないようだ。違和感程度なのだろう。
確かに数週間程度の間に知った記憶が無くても困らないだろうが、自分で言っておいてなんだが、妹の度胸の座り方も大概だと思う。
「その『位怖』っていうのは実際はどういうもので、どれくらいの影響があるんだい?」
「やってみせましょうか?」
とクレオリアは自分の腕に着けている銅製の三連腕輪を掲げた。
「外すだけで発動しますから」
「それはクレオリアの体に影響はないのかい?」
「私にはないですよ。あと相手にも何か肉体変化を及ぼす影響はないみたいですよ? あくまで威圧効果ですから。恐怖で足が竦むことはあるみたいですから、心臓の悪いお年寄りとかはどうか知りませんけど。それに私の場合はまだ幼いこともあって効果はそれほどでもないそうですけど自分じゃわからないです」
「じゃあ、やってみてもらっても?」
「ええ」
妹は私から離れて、ソファから起き上がると、対面するようにソファの前に立った。
「いきますよ」
そう言ってあっさりとその魔道具だという腕輪を外した。
ドクン!
私は大きく鼓動したのを感じた。
いや、心臓の内側から何か得体のしれない感情が強く、破壊槌のようにぶち当てられたようだ。
妹は腕輪を外す動作以外動いていない。
表情さえも変わっていない。
いや、変わった。存在自体が変わった。外見が変わっていないだけの別人が立っていた。
美しい。
元より高貴な顔立ちではあったが、今はそこに年齢に似合わぬ厳しさと、異次元の神々しさが加わっている。
我が妹でありながら、平伏しそうな威圧感があった。そうすることが自然であるかのように。
唾を飲み込むことさえも躊躇われるほど、動けなくなっていた。
確実に、明白に、血のつながりなど意味は無いほど、隔絶した存在であり、自分は下段であり、妹だったはずの『ソレ』は遥か上段にあると実感する。
「……」
妹はすぐに再び腕輪を身につけた。
三つつけた途端に威圧感が消える。
「これが『位怖』?」
畏れの残り香にブルりと体が震える。
『神人類』などと言葉で説明されるよりもずっと効果があった。
すっと説得力があった。
肉体という外見が同じだけで、中に入っているものは、明らかに違う。
ガラスコップの中身が赤ワインか水か一目瞭然な様に。
私はテーブルに置いたグラスに何気なく目をやった。
飲もうなどとは思わなかった。これ以上酔ってしまえば先ほどまでの感覚が幻だと思ってしまうかもしれない。
それほど目の前に立っている妹は美しく愛おしい『だけ』の存在だった。
さきほどの存在との明確な違いは、『アレ』は愛おしいなどという感情は微塵もせず、そういった想いを抱くこと自体が罪のように感じる存在だった。
なぜグラスに目をやったのかは、なんとなくとしか言えないが、「手に持っていなくてよかった」と思ったくらいだ。持っていたら確実にカーペットにシミを作っていた。
「これは……予想以上に不味いかもしれない……」
なんとか思考を引っ張りだして、言葉を絞り出す。
もしかしたら、これは記憶の欠落などよりもずっと当面の問題としては大きいかもしれない。
少なくとも、学園への入学を考えなおす必要があるかもしれないほどには。
「そんなにですか?」
妹は位怖とやらの効果が自分ではわからないらしく、私に何か害はなかったのか確かめるように覗きこんでいる。
「クレオリア」
私は妹の名を呼んだ。
「はい」
素直に返事をしてくれる。
私は妹を手招きすると、そのまま彼女を抱きしめた。
「オーランドお兄様?」
妹は意図がわからないらしく不思議そうな声を出した。
私にも明確に自分の意図が分かっていたわけではない。
それでも私はこうしなければ『アレ』が妹であるという日常と愛おしさが喪失するような気がしてそうせざるを得なかった。
「えーっと大丈夫ですか?」
妹は昔から変わらぬ私を、家族を、心配する言葉を発してくれた。
それでも私は何も答えず、妹を抱きしめたまま動かなかった。
妹のぬくもりが、私の芯に移るまでずっと。




