Ⅱ.シーフードリアは飛び散った
「ちきしょう! どいつもこいつも辛気くせえし陰気くせえ。何もかも不愉快だ、クソイライラする!」
テーブルクロスを払いのける勢いでメインディッシュをも床にぶちまけ、喚き散らす。
「食べ物に当たるなといつも言っておるじゃろう、萩子君。朝食はもう良いのか」
「いらねえよ、俺にとっちゃ食い物は毒だからな! あまつさえ朝食なんか喰らってるてめぇらは愚の骨頂だぜ」
動じない癒治Dr.に咎められ、萩子は牙を向いた。昨晩からすっかり馬脚を現している。
身を翻して乱暴に扉を閉め、ダイニングを出ていった彼のあとには。引っくり返って割れた皿と潰れたターメリックライス、粉々に砕け散ったカップの破片が残った。
看田氏がホウキと塵取りを持ってきて白磁の欠片を掃き、菊地氏が雑巾を掛けていく。イカ、タコ、サーモン、海老と蟹。ホワイトソースの絡まった無惨な姿で散乱する海の幸たちが、美女の手にかかって消えてゆく。
「怒りに任せてモノを叩き壊す癖は笠原君と同じだなぁ。あの二人は犬猿の仲だったが、似た者同士だったよ」
ひしゃげたシュリンプを摘まみあげながら、かず理が呟いた。
「むしろ同族嫌悪ゆえに反発しあっていたのかもしれねぇ」
そういえば初日の夜に、笠原氏が部屋の扉の前で、床に私物を叩きつけていたのを思い起こす。
「本人たちは気づいていないのでしょうね。萩子君と笠原さんは合わせ鏡に映した姿。如何にそっくりかってね」
クツクツと喉を鳴らしながら生薬原が話題に乗ってきた。例によって菊地氏たちを手伝うでもなく、面白そうに頬杖をつくと、冷めた視線だけを投げている。家政婦とは名ばかりではないか。
それにしても食事が毒だと思い込んでいる男。あながち共感できなくもない。俺もそうだからだ。『ブレック・ファースト』を和訳すると、『断食後に初めて摂る食事』の意味になる。朝食を抜くなと食育されている一方、寝起きで覚醒していない胃の中に固形物を押し込むことに異を唱える医学博士もいる。朝はデトックスタイム。吸収は排泄を阻害するから、食べ物が入ってきた胃腸は消化に労力を費やさねばならない。せっかくリセットモードに入っていた臓器は朝飯に邪魔され、身体の浄化ができなくなってしまうのだ。
一通りの後始末が終わったあとで。
「ところで通報は済んでいるのか」
一抹の不安に駆られた俺は、館の主人に確かめる。
「通報? そんなものはしとらんよ。この館に電話はないのじゃから」
事も無げに言い放たれ、冷や汗が伝い落ちた。
「それじゃあ外部との連絡手段は」
「そんなもの元から在りはせん。島には電話線自体、通っておらん。儂らは此処で果てるつもりなのじゃから」
そんなまさか。スマートフォンは使用圏外だ。俺はこの離島に閉じ込められたというのか? 得体の知れない殺人鬼と伴に。ドクンと心臓が跳ね返り、ふたたび牛肥村病院で味わった恐怖が鎌首をもたげる。
「しかし――お節介なクルーザーが三週間に一度、食料を運びに来よるわい」
それを先に言わんかい。
「如何に有能な科学者たちも飢え死にしてはかなわんからの」
ふぉっふぉっ、と軽快に笑う老頭児を俺は睨んだ。このお茶目なジジイめ。
「看田ちゃん。あとで笠原さんと弓野さんの遺体に毛布をかけておいてね」
石医氏に命じられ看田氏が頷いたところで各々が席を立ち、朝食会は終わった。
自室への帰り際、笠原氏の寝室に立ち寄った。
蹴破ったドアは倒されたまま、鍵穴に髪の毛が突きだしている。今一度引っ張ってみるが、房からむしり取れるのはほんの数本だった。下手に引き抜くと途中で千切れて、根元だけが穴の奥に残っちまう。相当、強力な接着剤でくっついているのだろう。ナイトテーブルに置いてある鍵を取って差し込んでみるが、やはり入らない。
リモコンを入れても冷房は杳として作動しない。
窓にはクレセント鍵が掛かったままだ。外側は匂欄が付いている。ガラスの面積を三分の一ほど覆う窓格子だ。
笠原氏の部屋は俺の部屋の間取りと変わらない。北側に腰窓があって、エアコン、ベッドとナイトテーブルが一台ずつだけの簡素な部屋。
かず理の部屋も然りだった。
弓野氏の病室も洗面所とトイレが付いていること以外、間取りは同じである。
当然、館の宿泊棟の全室が同じ造りになっているわけだ。
違っている点といえばベッドの向きだ。俺の自室は窓に対して垂直に置かれているが、笠原氏と弓野氏のベッドは窓辺に面して横向きに設置されていた。
ともかく素人が現場を荒らすより、次の便で救世主が来るのを待って、通報してもらうのが賢明だろう。警官の捜査が入ればすべては明らかになるはずだ。
三週間に一度か。直近でクルーザーが食料を届けに来たのが、俺が島に辿り着いた日の三日前だったということだ。よってあと二週間以上もこの館に閉じ込められることになる。亡霊――『黒髪鬼』の呪いにしろ、生きた人間の仕業にしろ、ラプンツェル家に尋常じゃない怨念が渦巻いているのは嫌というほど感じている。
嘆息して笠原氏の寝室を出ると、廊下の隅に看田好恵が蹲っていた。




