Ⅰ.クロックマダムは醜く歪む
『悲報島』……《招かれざる客》
『鬼火島』……《午前霊時の悪霊》
『天草財宝伝説』……《白髪鬼》
遠くでカラスの鳴き声がする。夜明けは近い。自室に戻った俺は微睡む前に、各自のアリバイを元にぼんやりと考察した。
今のところ完璧なアリバイがあるのは菊地氏と生薬原だけだ。外側から閂が掛けられた状態で三階にいた彼女たちは、二つの事件の犯行時刻、弓野・笠原両君の部屋に近づくことは疎か、階下へは一歩も出られなかったのだから。
気になるのはかず理の不穏な行動。空白の三時間に何かをしていたのは間違いない。それが事件とどう繋がってくるのか。
次に癒治Dr.と石医氏。マスターキーを所持している癒治Dr.には、犯行そのものは可能だ。但し、身体の不自由な癒治Dr.は一階の弓野氏の病室はともかく、二階の笠原氏を殺しに行くことはできない。石医氏との共犯なら別だが。
例えば弓野にワインを飲ませたのが癒治Dr.だとして、笠原氏を襲ったのは石医氏だとしたらどうか。
しかし二人が犯人なら、そんなにすぐバレるようなことをするだろうか。弓野氏の部屋然り、笠原氏の部屋然り、現場を密室にする理由がない。むしろ真っ先に疑われるのは彼らなのだから。少なくとも窓は施錠せず、外部犯の可能性を残しておくほうが懸命である。
それに何故、鍵穴に髪の毛を突っ込む必要があったのか。
癒治Dr.と石医氏。彼らが犯人なら密室の謎など一瞬で氷解するのに、現場の状況はあまりに不可解な点が多すぎる。
「十一年前、ラプンツェル家に監禁されていたのは、当時十六歳だった儂の腹違いの妹――癒命じゃよ」
夜が明けた朝食の席にて。ディナーテーブルの中心を贅沢に占領し、車椅子の医師は切り出した。
今朝のディッシュはビッフェスタイルになっており、数種類のホットサンドが真ん中に置かれている。さらにパスタとドリアも大皿に盛られ、各自取り分けられるようになっていた。
「父、唯晴は若き愛人に産ませた娘を溺愛しておった。歳の離れた異母妹は昔から身体が弱く、医師として務める父の病院先に入院しておった。末期癌に侵され、自らの余命を悟った父はこの孤島を買い取り、ホスピスとして洋館を建てた。その際、彼は癒命を道連れにして幽閉し、此処で生涯を伴に過ごしたんじゃ」
明かされるラプンツェル家の歴史。当主の解説に耳を傾けながら、俺はイカ墨ソースのスパゲッティを取り分けた。
「但し、彼には質の悪い趣味があってのぅ。若い娘の髪の毛が大好きで、癒命の髪の毛の一部を毛根から抜いてプランターに植えつけ、人間の頭皮と同等な成分を含む特殊な肥料を与えて育ておった。ケラチン、プロテインを配合した美容液の注入も忘れずにの。とにかく静養の傍ら、髪の毛の研究がやめられなかったんじゃ」
俺はゾッとした。それじゃあリビングに飾られている観葉植物は。マントルピース横に恐る恐る視線を動かす。植木鉢に植えつけられた黒い草。ニョキニョキ育って、支柱にまで絡みついているのは本物の人毛だったのか。十年以上前から伸び続けてきた――。
「癒治Dr.の異腹の妹は、どうなったのだ……?」
ここまできたら最後まで聞くしかなかろう。
「死んだよ。父、唯晴と一緒にな」
「けど、その死に様に問題があったのよねぇ?」
意地悪い笑みを浮かべるのは生薬原だ。
癒治は特段、気を悪くした様子もなく、
「唯晴は仰向けで、癒命はうつ伏せで、二人は伴に倒れておった。癒命の長い髪の毛が、唯晴の首に巻きついた状態でな」
俺はイカ墨のカッペリーニを吹きそうになった。
「癒命は病弱な身体に心労が祟ったことによる衰弱死。唯晴の死因は――いずれ病死するのは時間の問題だったろうが――、髪の毛の絞殺によるものじゃった。癒命は死の間際、父の首に自身の髪を巻きつけて絞めあげたのじゃろうて」
癒治Dr.はクロックマダムに刺したフォークを見つめたまま語る。ポーチドエッグの黄身が歪んで、どろりと崩壊した。
「ところが他殺にしては奇妙なことに、吉川線がなかったんじゃ」
吉川線。首を絞められる際、被害者は紐状の凶器に抵抗する。自らの首を掻きむしった縦縞模様の痕跡。
「それどころか父の死に顔は、満ち足りたように幸せそうな笑みさえ浮かべておった」
娘によって積極的安楽死を施されたと云うべきか、唯晴とて本望だったはずだ。髪の毛で首を絞められるとはどのような感じだろう。フサフサした長い人毛が首に巻きつく。苦しくて快感で、痛くて心地良い。まさしく安楽死ではないか。奇妙な性癖ゆえの幸福な死に様は想像に難くない。
因みにカッペリーニは、イタリア語で髪の毛という意味だ。
「介入した警察には一家心中と処理されたが。これがラプンツェル家が曰く付きと云われる由縁じゃ。断末魔に蝕まれながら髪の毛を愛し抜いた老人の執念と、志半ばに命尽きた少女の怨念が渦巻いているのやもしれん」
然して動揺した様子もなく淡々と食事を続けている住人たち。察するに、全員が周知だったのだろう。
「いつしか、この家の連中は儂の父や異母妹を〝黒髪鬼〟と称して噂しておるようじゃがな」
食パンごと手で掴み、半熟卵をズズッと飲み干した癒治Dr.。視線がかち合わないよう、よそよそしく目を反らしている住人たちを恨めしそうに睥猊すると、哀れな成の果てとなったクロックマダムを獣の如く噛み千切った。
唯晴と癒命の亡霊。弓野と笠原氏は、彼女らに殺されたというのか。バカな。仮に『黒髪鬼』が存在したとして、笠原氏たちに直接の恨みはないはずだ。無差別殺人、皆殺し、どうにもしっくりこない。
「私は〝黒髪鬼〟など信じません。あれは人間の仕業よ」
俺の思惑を代弁するかのように石医氏が口を開いた。流石は現実的である。ツナとベイクドトマトが挟まったクロックムッシュに粉パセリをかけ、こちらは器用に切り分けている。どうでも良いが、婦人と紳士があべこべなのね。
「〝黒髪鬼〟は在るよ。アタシにはビンビン感じるからねぇ」
次いで反駁したかず理に、皆の視線が集まった。
「だが癒命ちゃんは優しい娘だったよ。例え亡霊になっても、あの子が笠原君をメッタ刺しにするなんて考えられねえ」
かず理は生前の癒命という娘を知っているのか。
目を伏せた菊地氏が同意するように頷いている。
過去にどんな因縁があって、この館の人間たちがどこまで親密な関係で繋がっているのか、部外者の俺には計り知れない。
「ところで本当なの? 笠原さんの部屋の扉、鍵穴に髪の毛が突き刺さっていたって話」
生薬原が問う。薬味たっぷりの麻薬卵に、あり得ないほどタバスコを多量にかけている。黒い瓶のラベルに『スコーピオン∞ハバネロMAXの献身』と銘打たれていた。
俺は首肯した。笠原氏の長髪が一部、切り取られた形跡があったことを含め、現場を見ていない彼女に説明する。
「〝黒髪鬼〟の執念や怨嗟にしては生ぬるいやり方ね。わたしだったら、バリカンで剃りあげて丸坊主にしてやるわ」
凄まじいスコヴィル値の黒い瓶を空にして卓上に置くと、黒衣の魔女は吐き捨てた。
おいおい。
しかし違和感が拭えないのは同感だ。『黒髪鬼』の呪い云々はともかく、あれは明らかに人為的な仕業である。
ふと、クラブハウスサンドを器用に頬張る看田好恵を盗み見た。俺が亡霊の立場だったら、真っ先に彼女を手にかけるだろう。腰まで伸びた長く美しい黒髪が、フォークを口へ運ぶたびに揺れていた。
ガシャーン
突如、椅子から立ち上がった萩子が、コーヒーカップを床に投げつけた。




