Ⅵ.ラプンツェル家にひそむモノ
ギィィィ
内側から四五℃の角度に扉がゆっくり開かれ、黒い影がヌッと現れた。
犯人。亡霊。皆殺し。一瞬の間に思考が交差して固まる。
「よ!」
軽く右手を翳して入ってきたのは鈴木かず理だった。
『よ!』じゃねえ。
「何処に行っていたの、かず理さん」
「威かさないでください」
「いや何、散歩だよ。今日辺り火星が見えるんじゃねえかと思ってね。すわ、森の夜風は気持ち良くてすっかり遅くなっちまった」
女性陣の勢いに気圧されるでもなく、かず理はあっけらかんと返した。
誰もが一様に呆れ、そこかしこから安堵の溜め息が漏れる。
「何だい。皆お揃いでお出迎えとは。そんなにアタシを心配してくれてたんかい」
「弓野君が死んで、笠原君が殺された」
単刀直入に癒治Dr.が告げた。
「なっ……」
かず理は瞠目して固まった。事の顛末を聞かされ、暫し絶句していたが、
「……そうかい」
やがて、たった一言。静かに言って目を伏せた。赤く潤んだ瞳を拭ったように見えたのは気のせいか。
「貴女は今まで何をしておった。何故、人が二人も死んだ夜に限って出歩いていたんじゃ」
癒治Dr.は憤懣遣る方ない様相で声を震わせた。
「さっきも言ったけど、天体観測もかねて逍遙してただけだ。深い意味はねえ」
「日付の変わる数時間前……昨夜九時頃、既に貴女が外にいるのを見かけたという証言もある。夜更けに三時間以上もほっつき歩いてるヤツがおるか!」
「んな怒ることかい。確かに貴方らの心情を考えれば、呑気にリフレッシュしてたのは悪かった。だが、まさかそんな一大事が起こっていようとは、知らなかったものは知らなかったんだから仕方ないだろ。他意も悪気もないんだよ」
突如、声を荒らげて怒鳴った館の主に、かず理も負けずに応戦する。
暫し老いた者たちの荒い呼吸が続き、嫌な空気が渦巻いた。カラスの肉と唐辛子、ダークチョコを煮詰めた魔女のスープの匂いが漂う。幻臭だろうか。
ふと、かず理の両手が黒く煤けているのに気づいた。俺はフクロウ並みに夜目が利く。暗闇に目が慣れてきたせいもあって、依りはっきりと見えた。
それと黒いスラックスの裾と膝小僧の部分に、土……?
「かず理さん。部屋を出た際に三階の階段の扉、閂を掛けていきませんでしたか」
空気を変えるためだろうか、菊地氏が問う。
「ああ。掛けた。昔、強盗に入られたことがあって以来、戸締まりが癖になっとるもんでな」
邸内に泥棒がひそんでいるとでも言いたいのか。閂まで掛けていくとは気合いの入った用心っぷりである。
「出掛けたっきり一度も部屋に戻ってきてはいないのか」
突っ込みどころは多々あるが。俺は念入りに確認をとった。
「ああ。戻ってないよ。今に至るまでな」
ということは。二十一時前から看田氏と俺が閂を外すまでの約三時間、菊地氏と生薬原は寄しくも三階に閉じ込められていたことになる。笠原氏と弓野氏に何者かの魔手が伸びている最中、幸か不幸か三階から身動きがとれなかったわけだ。
「各自アリバイの確認でしたよね。夕食後、わたしは夜の九時頃に二階の浴室に入って、その後は自室で日記をしたためてから十一時にはベッドに入っていました」
癒治Dr.の意思を汲んで、看田氏が打ち明けた。
「俺は夕方以降、一歩も外に出てない。シャワーを浴びてからずっと部屋に籠ってたよ。寝る前に窓の外を覗いたが、かず理の婆さんは見かけなかったぜ? 火星は俺が生まれた星だ。故郷に帰らなきゃいけねーと思って探してたんたが、忌々しい月が出ているだけだった」
萩子は夕食時のダイニングには訪れなかった。俺の言えた義理ではないが、こいつの脳内は不可解だ。
「胸焼けしそうな油っぽい月でよ、見ているだけで胃もたれしてきたから、胃薬飲んで早めに寝たんだ」
不貞腐れたように萩子が言い終えると。
「儂と日佐夜さんは湯浴みを済ませて、伴に弓野君の回診をしてから床に着いた。そのあとのことは先述した通りじゃよ。のぅ、日佐夜さん」
車椅子の老いぼれ医師がチラリと元妻を見やり、石医氏は「ええ」と頷いた。
菊地氏、生薬原、最後に俺。形式ばかりの似たり寄ったりな供述が続いた。誰もが夕食後は入浴したり自室で過ごしてから、何事もなく床に着いたようである。
「弓野君と笠原君を殺めた人物は、この中にいないということじゃな。良かろう、今夜は遅い。ひとまず解散じゃ」
深く溜め息をついた癒治Dr.は、車椅子をクルリと廻して背を向けた。
石医氏を引き連れ、
「くれぐれも気をつけるんじゃよ。家の中に何者かがひそんでいるかもしれんからな……」
去り際に意味深な台詞を残していった。




