第十五話 鼬と人魚(人格過多編 第四部)
夏の夜の熱帯夜。
彼と会ったのもそんな日だった。
岩場の隅、私の独壇場。
私がまだ、ただの現象だった時の話。
波は穏やかに揺れ、私の鱗を撫でつける。
彼は走ってここに来た。
沢山の汗をかき、私的には豪奢な服を着て、彼は私を見つけ、足を滑らせる。
大抵の人間はそうだ。
私を見つけると、怯えるか、殺そうとするか、このどちらかしか無い。
でも、彼はただ滑らせた。
私を見て立ち止まりはしたが、ただの興味で足を止めていた。
その結果、足を滑らせ海に落ちた。
助ける義理なんて無い。
そんな事をしても無意味だ。
得る物なんて何も無い。
無い無い尽くしの思考回路。
唾棄する私の行動。
海に落ちても、彼は私を見ていた。
手を伸ばす、手を掴む。
岸に運んで、私は海の中から彼を見る。
彼は海の中を覗き込む、私はいない。
彼は岩場を歩く、私はいない。
彼は呼びかける、私はいない。
彼は諦め帰っていく。
私はため息を吐いた。
これで良い。これが最良。これが当然。
これでもう会う事は無い。
そう思ったのに…
何故、あなたは戻ってきたのです。
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深夜、コンとコルの部屋で僕は、なかなか寝付けずにいた。
その原因はやっぱり、鼬地さんの雰囲気に変化があったからだろう。
雰囲気、と言うか気配と言うか、鼬地さんに違和感を覚えたのは事実だ。
屋敷に帰っている時も、帰って夕飯を食べた時も、鼬地さんの姿を見る度に違和感が襲う。
でも、僕以外の人間は何も感じないのか、黒部さんも青田さんも特に変化は無かった。
「気のせい…なのかな?」
誰に聞くでもなく、自分に問いかける様に言葉を紡ぐ。
隣ではコンとコルが寝ているが、目を覚ます気配は無い。
明日は宿題を三つは終わらせなければならない。
そう自分に言い聞かせて目を閉じる。
暫くすると浅くではあるが、意識が朦朧としだした。
「…おい、坊主。」
良かった、これですぐに朝が来るだろう。
「…おい、起きろ。」
何だろう、さっきから呼ばれている気がするが。
いや、多分それこそ気のせいだ。
一体誰が、こんな夜中に僕を呼ぶと言うのか。
「起きろ、坊主!」
「はぶっ!」
踏まれた。
肺から空気が全て持っていかれた。
「な、な…に?」
「おう、起きたか?坊主。」
目を開けると、そこにはいつもの悪人笑いをしている黒部さんがいた。
「く、黒部さん。どうしたんですか?」
飛び上がって思わず正座する僕。
正座する必要は…無かったかな?
黒部さんは僕を一瞥した後、襖の向こうにいた青田さんとカゲメを呼んで来た。
青田さんも黒部さんも寝巻きから普段着、否、動きやすい戦闘用と決めた服装をしている。
「坊主、今すぐ着替えな。そっちの狐は俺達で起こしておくからよ。」
こちらが全く状況把握する間もなく、黒部さん達はどんどん行動していく。
僕は言われるがまま、服を着替える事しか許されなかった。
「さて、坊主が着替え終わった所で早速行くとするか。」
「ち、ちょっと待って下さい、黒部さん!」
「何だ?」
「行くって、何処に行くんですか?」
流石にそろそろ話について行きたい僕は、黒部さんに食ってかかる。
黒部さんは振り返って僕を見るや、不思議そうな顔で問い返して来た。
「何処って、鼬地の坊主の所に決まってるだろ?お前、鼬地の坊主の変化に気付いてると思ったんだが、違ったか?」
黒部さんの言葉に青田さんも頷く。
つまり、僕だけで無く、皆気付いていたと言う事か?
「そう言う事だ。あんなに殺気出してりゃ誰でも分かる。あの坊主は、今までの坊主とは違う。」
そう言って黒部さんは悲痛な顔を浮かべる。
どうしたと言うのだろう?
「そんな顔してたか?…まあ、良い。いいか、これから俺達は鼬地と戦わなきゃならねえ。そこん所は良いか?」
「え、ええ。」
「よし。その鼬地だが、おそらく人を殺しに行った。」
「は、はい?人を…殺しにって、マジですか?」
「こんな時に冗談言ってどうする!いいから行くぞ。もう坊主が出て行ってから三十分は経ってる。既に殺られている奴がいても、不思議じゃない。」
それっきり、黒部さんは何も言わずに歩き出す。
僕もそれに習って、道を踏み外した友人の元へと向かい始めた。
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ああ、怠かった。
ったく、人の人格を殺そうとするとかあり得ねえだろ。
お陰でだいぶ時間食っちまった。
「あ〜、体重え〜。何でこんなに体が重えんだ?」
足は重いし、頭が痛え、前からそうだったけど一体どうなってんだ?
「はっ!まあ良いさ。誰か殺せば少しはすっきりするだろ。」
目指す場所は決まってる。
あそこが一番力が出るんだ。
あの…ブルーシートで覆われたアパート。
あそこ周辺が一番調子が良い。
殺し甲斐がある人間がわんさか溢れていやがる。
「ああ、久しぶりに味わえる。あの肉を斬る感覚が。」
俺の足は進む。
夜の静けさの中、誰にも捕まえられない殺人鬼が歩く音がする。
「誰にも俺は止められねえ。誰にも俺を止めさせねえ。俺は、殺りたいだけ殺るだけだ。」
醜い人間の一人語り、誰も俺に口は出さな…
「そうか、それでは我が止めねばの。」
…い筈なのに、誰かが俺に返答する。
俺の前には知らない女。
さっきまでいなかったはずの、髪を一つに結んだ女が立っている。
いや、変化はそれだけじゃねえ。
夏にも関わらず、大気には水気があり、気温も明らかに低くなっている。
女は静かに歩みよる。
流れる清流の様に、波紋の無い水面の様に。
静かに、そっと…。
「初めまして、かの。貴様に記憶が受け継がれておらんのであれば。」
女は静かに会釈する。
その姿は、俺に少なからず畏怖の念を与えた。
「はっ!ご丁寧にどうも。確かに記憶は継がれていねえな。同一人物であり、同一人物ではねえからよ。」
「ふむ、ではやはり貴様、あの小童の一部か。」
「さあな、どいつがオリジナルかなんて、もう覚えちゃいねえよ。」
俺の名前は、鼬地 晃介。
その名の通り、鼬の血を引き継ぐ者。
「相手が妖怪は二度目だが、人間よりは楽しめそうだな!」
「楽しむ楽しまないで判断するとは、野蛮だのお、人間?」
静かな膠着、野蛮な下準備。
静かな笑み、野蛮な殺気。
鼬と人魚。
激突したのは、その三秒後だった。
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「嬢ちゃん、どうだ?鼬の坊主は何処にいる?」
「…家からそんなに遠くないですね。ここは、赤原さんのアパートの近くです。」
「ほう。」
僕のアパートの近く。
それはやはり、あの付近で人を殺すと言う事なのか?
しかし、何故?
青田さんの屋敷から出て数分、僕達は青田さんの探査能力で鼬地さんを探していた。
探査は憑依した方がやり易い、と言う事で青田さんは憑依しているのだが、何度見ても彼女に生えた角が気になって仕方ない。
「どうかしましたか?赤原さん。」
「あ、いや、その角、本物なのかなって。」
「憑依しているんですから本物です。何なら、触ってみます?」
青田さんが少し恥じらう表情をしながら、頭をこっちに向けてくる。
そういえば、憑依中は感情表情が戻るんだっけ。
「い、いや良いよ。それより、早く鼬地さんを見つけよう。また被害者が出てからじゃ遅いしさ。」
「ご主人、逃げましたね。」
「逃げましたね、ご主人様。」
「ヘタレね、ライカ。」
三者三様の罵倒、ありがとう。
でも残念ながら、最近そう言うのに慣れてきたんだよね。
「ほら、バカやってねえで、そろそろ俺らも憑依するぞ。出会ってすぐに戦闘、なんてザラにあるからな。」
黒部さんは僕を見ながら注意する。
既に黒部さんの肩には烏天狗がおり、憑依を始めている。
僕もそれに続いて、コンとコルに視線を向けた。
コンとコルはやれやれとでも言いたげに手を振った後、光の玉となって僕に入ってくる。
体が光に包まれ、視界が白に、思考は鋭く、髪は金色、尻尾は二尾、二本で一対の刀。
お馴染みの姿で現れた俺を見て、憑依を済ませた鴉が近づいてくる。
「お前のアパートに殺人鬼とは、皮肉だと思わねえか、坊主?」
「うるせえ、早く行きたいんだろ?だったら早くしようぜ。」
鴉の翼を軽く引っ張って先を促す。
今から全力で急げば三分ぐらいで、アパートには着くだろう。
それまでに、あいつが誰か殺さなければいいが。
「赤原さん!」
「どうした、土花?」
土花が酷く困惑した顔でこっちに駆けてくる。
その顔は困惑と同時に、何か焦っている様な面持ちだ。
「さっきまで鼬地さん一人だったんですけど、急に別の反応も現れたんです。」
「鼬地が誰か襲ったって事か?」
「違います。普通の人は、突然現れたりしません。…これは、刀の反応です!」
三人で民家の屋根を走りながら、土花の言葉に注意を向ける。
刀一本でも大変だと言うのに、まさか二本同時に現れるとは。
「はあ〜、今日も大変だな、坊主?」
「他人事みたいに言ってるが、お前もだからな、鴉。」
「あの、私の話はまだ終わっていないんですけど…。」
俺と鴉をジト目で睨んでくる土花。
感情表現が戻ると結構怖いな。
「何だ?まだ何かあんのか、土花?」
「もう良いです。見れば分かると思いますから。」
そう言うと、土花はアパート前の道路で上がっている水柱を指差した。
「はは!そう言う事か、嬢ちゃん。そう言えば、あいつ起こして来るの忘れてたな。」
「カゲメ置いて来たのは、ある意味正解だったかもしれないな、鴉。」
「まあ、あいつが居れば泥棒の一個団体位なら、何とか出来るだろうからな。」
「そこらの警備会社より優秀ですね〜。」
カゲメが聞いたら不貞腐れるだろうな、なんて事を思いながら、俺達は一足先に着いていた仲間の元へと、最後の屋根を跳んだ。
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アパートの前は、クレーターと水で一種の災害跡地の様になっていた。
そんな水とクレーターのの中央で、戦闘をしている一組の男女。
セレと鼬地だ。
だが見た感じ、一方的にセレが小規模の水素爆発を起こして攻撃しているだけで、鼬地の方は武器らしい物を一切持たず、ただ避けているだけだ。
セレの攻撃はギリギリ他の民家を壊さない程度の規模だ。
だが、規模が小さい代わりに、その攻撃の中心は、一歩入れば跡形も無く消えるレベルの威力を内包している。
「はは!さてどうやって割り込む、坊主。」
「どうって、そりゃ、こうじゃね?」
俺は土花に一つ、彼女の得意技を拝借願う。
「んじゃ、土花頼む。」
「分かりました。」
土花は刀を地面に刺し、重力操作を発動する。
体感の重力が徐々に増えだし、二人は直ぐに重力の鎖に縛られていく。
「こ、小僧か!貴様、何をする⁉」
「ああ⁉誰だよ、せっかくの愉しい時間に水さす輩は!」
二人は辛うじて顔を横にして、気道の確保と不満の確保をしている。
これで、土花が体力の続く限りは被害も出ないだろう。
「小僧、何故…我まで拘束する!その必要はなか…ろう!」
セレは鼬地より少し、苦しそうに言葉を発している。
理由は…多分アレだな。
その、少し大きいから、セレは。
何がとは言わないけど…。
土花は重力操作の為その場で待機し、俺は鴉と共にセレの元へ降り立った。
「セレ、お前こそ何で結界も張らずに闘ってんだよ。ご近所様の迷惑になるだろ。」
俺はセレから一メートル程離れて話し掛ける。
土花の重力操作を警戒して、って言うのもあるが、本命はセレの殺気を避ける為だ。
ここまで殺気を漲らせているセレは、今まで見たことが無い。
「結界何ぞ…張れる様な出力は…持っておらん。妖怪は…それ単体では、結界も…張れんのじゃ!」
初めて知った事実に困惑するも、すぐに立ち直り結界を張るよう鴉に言う。
鴉も初めて知った、みたいな顔をしていたが、俺の言葉ですぐに結界を張った。
辺り一面に広がる殺風景な光景は、決闘をするには持ってこいの、遮蔽物の無い世界だった。
「よし、結界の方はなんとかなったか。で?セレは何で、そんなに鼬地に拘るんだ?」
「それは……。」
セレは言葉に詰まったまま、それっきり一切の発言を拒む。
俺が根気強く待っていると、背後で金属が飛ぶ音がする。
「きゃっ!」
それと同時に聞こえる、土花の短い叫び。
俺が後ろを向いた時、土花は地面の上で仰向けで倒れていた。
「つ、土花?」
「坊主!鼬地だ!」
鴉の叫びで鼬地の方を向く。
鼬地は重力の束縛を無くし、自由になった体から大量の殺気を出していた。
「てめえ等、調子乗ってんじゃねえぞ!」
鼬地は刀を出しもせず、手刀の構えで突っ込んでくる。
俺は右手の刀を峰にして応戦しようと…
「いかん!後ろに跳べ、小僧!」
セレの声が届くのと、目の前に血飛沫が飛ぶのは、ほぼ同時だった。
遅くなってしまいました、片府です。
今回で人格過多編は第四部。
次に進む事で、前の話より長くなってしまいました。
最初から読んでくださっている方、今回の分だけを読んでくださっている方、どちらにしても有難い事に変わりはありません。
これからも、狐の事情の裏事情を長い目で読んでくださると幸いです。
余談ですが、私片府の趣味はアニメを見る事なのですが、最近、アニメがだいぶ社会認知されてきた様に思います。
この前もニュースでアニメの話題を目にした時、なんだか無性に嬉しくなりました。
これからも、アニメ業界は盛り上がってくれると嬉しいです。
以上、余談でした。
では、次回の投稿もいつになるか分かりませんが、頑張らせて頂きたいと思います。
では皆様、また次回もお会い出来る事を祈っております。




