第十六話 使命劇(人格過多編 第五部)
彼は何度も海に来た。
いつも砂浜で、私がいた岩を眺めていた。
彼が待っているのは、たった一度のお礼の為に、ただそれだけの為に来ているのだ。
私は自分にそう言い聞かせて、彼を海中から見ていた。
一年も経てば彼は来なくなる。
私はそう踏んで、踏みながらも、彼をずっと見ていた。
あれは、丁度台風の日だったか。
その日も、彼は私を待つ為に海に来ていた。
海は荒れて、中にいる私でも上手く泳げない。
海水の量も増え、彼のいる海岸はもはや姿が見えない。
それでも彼は立ち続けていた。
風と雨に晒されながら、濡れ鼠になりながら、私を待ち続けた。
私は、たぶん意固地になっていたのだろう。
彼が待てば待つ程、私は姿を見せない事に意地を張った。
だから、彼がまた波に攫われた時、私は迷わず助けたのだ。
しかし、流石に二度目ともなると私も文句を言いたくなる。
「あなた、馬鹿じゃないの⁉」
波の届かない岩に登りざま、私は彼に罵倒を浴びせた。
彼は水を吐き出すと、少し笑いながら確かな声で言った。
「ははっ、そうかもしれないね。人魚さん。」
それが私と彼の、私が勝手に終わらせた喜劇と悲劇の最初の台詞だった。
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舞い散る鮮血。
それと一緒に飛ぶ、確かな質量を持った物体。
刀を持っていた右腕は、鼬地の手刀が空を切った時には斬り飛ばされていた。
「がっ!あっ⁉」
突然の激痛と理解不能の事態に、頭が前後不覚に陥る。
俺は地面へと突っ伏し、余りの激痛に叫びそうになるのを、必死の形相で抑え込んだ。
腕から滝の様に流れる血液、目の前にはこちらを見下ろしている鼬地の姿。
おそらく腕はまだ刀を持ったまま、俺の後方に落ちているだろう。
「小僧!気をしっかり持て!」
俺の後ろにいたセレが、鼬地を遠ざける為に水弾を打って牽制する。
セレは俺の斬られた腕を見ると舌打ちをして、俺を担ぎだした。
「…セレ、鴉の…所に。」
俺は既に半分意識を失いながら、セレに鴉の元に行く様に指示を出す。
セレは小さく頷いた後、牽制しながら鴉の姿を探し出した。
だがセレはすぐに立ち止まり、鼬地の牽制に集中し始める。
「セ…レ?」
担がれている俺は自然とセレを見上げる形になってしまう。
体は動かすと激痛を訴えるが、今は気にしている場合ではない。
土花もまた、助けなければならないのだから。
「早く…、鴉…を…。」
俺の意識は秒が経つ程に遠くなる。
意識と言う細い糸に縋る俺はさながら、地獄から抜け出そうと蜘蛛の糸を掴む男だな。
ふいに昔読んだ絵本を思い出しながら、俺はセレに視線で物申す。
セレは俺の視線を受けながら、意識の半分無い俺にもはっきり聞こえる声で言った。
「大丈夫じゃよ、小僧。貴様の仲間は、そこまで心配する程、ヤワでなかろう?」
セレの声は優しさに満ちており、心の底から安心させられる。
しかし、セレの声はどこか…自信にも満ちている。
何か根拠があるのだろうか?
「待たせたな、坊主!」
突然の声。
発生源は丁度俺の上。
見るまでもない、あの声は鴉だ。
鴉が頭上で何をしているか、それは見る事が出来ないが、セレの水弾を避けていた鼬地の周りに黒い羽根が刺さった時、セレ達の意図がようやく読めた。
セレがやっていたのは、時間稼ぎ。
鴉の意図を俺より早く汲み取り、鴉の為に鼬地を遠ざけていたのだ。
鼬地の周りに刺さった羽根は、鴉が自作で作った結界の発動陣形。
鼬地が足を止められたのが最後、鼬地の姿はあっという間に、鴉の発動した結界の中へと姿を消し、残ったのは一枚の羽根だけだった。
「ひとまず、怪我の治療が先だ。これからの事は、その後に考えるぞ。」
危機を回避した余韻を感じている俺とセレの上から、鴉の声が聞こえてくる。
翼の羽ばたきが徐々に近くなり、鴉が俺の前に降りた時、安堵を覚えた俺の脳は俺の意識を、残酷にも奪っていった。
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「……う、小僧!」
必死に呼びかける声が聞こえる。
鼓膜が震え、脳が認識し、俺が再び目を開けた時、目の前には心配そうな顔をしたセレがいた。
「小僧、起きたか⁉急に気を失うものだから驚いたぞ。」
俺は電柱に背を預けて眠っていたようだ。
腕の事も夢かと一瞬思ったが、生憎、現実はそんなに甘くない。
少し動かしただけで、右腕から激痛が走る。
一応止血の為に布が巻いてあるが、その布も血で真っ赤に染まっていた。
「鴉と土花は?」
少し眠ったおかげだろう。腕を斬られた時より意識ははっきりして、言葉もちゃんと出ている。
俺は姿の見えない鴉と土花について、セレに尋ねた。
「あの二人はたいした怪我はしておらんからの。今は鼬地の監視をしておる。」
「監視って…、確かあいつは結界に閉じ込めたはずだよな?」
「ああ、じゃが鴉の話じゃと、あの結界はそう長く保たんらしい。何時ぞやの、小僧に使ったタイプと同じみたいじゃ。」
俺の時と同じ…『二結層』か。
俺が無言で導いた答えに、セレも深く首肯する。
「『二結層』は小僧の時みたくならなければそこそこ時間稼ぎに向いておる。しかし、所詮時間稼ぎじゃ。あの小童の能力を使えば…十分位で出てくるじゃろう。」
セレの顔が歪む。
先に闘っていたセレには、鼬地の能力が分かっているからだろう。
「俺の腕は?」
「ちゃんとある。刀を持ったままじゃったから、刀は手の中から取ったが。」
セレは後ろを向いて、腕を包んでいる布と刀を俺の前に置いた。
「コンとコルはまだ憑依したままか。」
「当たり前じゃ。憑依を解いたら小僧、貴様は即死じゃぞ。」
セレが空の腕を見て、不吉な事を口にする。
その顔は冗談を言っているのではなく、変えようのない事実を語っていた。
「どういう事だ、セレ?」
「良いか?今小僧は妖怪に近い体をしておる。妖怪は人間の様に脆くはない。腕の一本や二本、斬られた所で問題はさして無いのじゃ。しかし、もし憑依を解けば、貴様は人間となり血を流し過ぎて死んでおる。」
狐共に感謝しろ。
そう言ってセレは俺の隣に座り込んだ。
腕が無ければ刀は握れない。
戦力にならないのであれば、死地に向かうのはただの無謀だ。
下手をすると、俺はこのまま憑依しなければ生きられない様な状況で、セレがいるだけまだ、精神的安定が保たれている。
「情けないな。知己だからって油断して、挙句の果てに腕を持っていかれるとは。」
「その通りじゃな。あのまま傍観しておれば、こんな事にはならなかったじゃろうに。」
セレは言葉とは裏腹に、面白いバラエティ番組を観た様な顔で俺に皮肉をぶつけて来る。
しかし、セレ自身も分かっているのだ。
セレ単体で挑んでも、刀使いには勝てない…と。
「セレ、何で一人で鼬地に対した?前から鼬地を嫌ってたのは知ってるけど、わざわざ一人で向かう必要はあったのか?」
セレが鼬地を苦手としていたのは、鼬地が来た時にセレが言っていた事だ。
だからこそ、俺は気になって仕方ない。
何故セレが一人だったのか、一人で鼬地を…殺そうとしたのか。
セレはその質問を覚悟していたのか、以外とすんなりと答えてくれた。
「ふむ、何処から話せば良いのかの?我があやつに対した理由…となると、少し前から話さねばならぬの。」
そう言って、彼女は話し出した。
彼女が真性の人魚を辞めた直後の、俺達と出会う前に一緒にいた…一人の男の生涯を。
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なに、特にどうという事はない。
その男は小僧の様に、何処にでもいるような男じゃった。
ただ、我の生まれは西洋での、この国に来るには海を渡らねばならん。
もう察しが着くと思うが、我とそいつは海で出会った。
我としては、「ああ、なんか前にもこんな事があったな。」、位の事しか思わなかった。
その時の我は既に魚の足ではなかったからの。
男は我を漂流者か何かじゃと思ったのか、我が海から出るとひどく驚いていたが、別に警戒はしとらんかった。
我自身、別に人を傷つけるのが目的でこの国に来た訳ではない。
そのまま男が自分の家に来ないかと言うので、我は男についていったのじゃ。
なんじゃ、小僧?
その男は気でも狂ったのか、じゃと?
失礼じゃのう。まあ、確かにこんな喋りをしていれば当然じゃが、昔は我も普通の喋りじゃったんじゃぞ?
話を続けるぞ。
我はそこで、一ヶ月位かの?過ごした後に出て行こうとした。
男も最初はもう少し居れば良い、などと言ったおったが、我は早く出て行こうとした。
理由は二つじゃな。
一つは我が妖怪じゃからの、ずっといる事は出来ん。
何年も歳を取らなければいずれバレる。
二つ目は、我の特性じゃな。
知らんか?人魚の血と肉は不老不死の力がある、という逸話を。
そうか、その位は知っておるか。
怒るでない。最近はそんな逸話を知る人間も少なくなっておるからの。
我は基本的には不老不死じゃ。
じゃから、妖怪共がこぞって我の元に集まって来る。
案の定、一ヶ月も留まった所為で妖怪共が羽虫の如く現れおった。
我は一人で戦った。
爆破して、爆破して、爆破しまくって、それでも我は誰一人巻き込もうとは考えなかった。
挙句、傷だらけで敗走をし、男の家の前で遂に倒れた。
我を救ったのは、その男じゃ。
我が倒れているのを見つけ、介抱し、病院に連れて行こうとした。
まあ、それはまずいから断ったがの。
何でまずいのか、それを説明するついでに自分の事を話した。
最初は信じてもらえず、一笑に付しておったが。
妖怪共が我の匂いを追って来た時、信じずにはいられんかったのじゃろう。
最後は我の主として、男は我をその身に憑依させたのじゃ。
じゃが、やはり素人は素人。
そんな無茶を繰り返しておれば体が保たん。
男の最期は我が看取った。
と言うか、我が主を殺したのも同然じゃ。
主は我の力に耐えきれず、妖怪へと変貌、否、引き寄せられ、体を妖怪の自我に呑み込まれた。
ここで本題じゃ。
あの小僧、鼬地は主と同じ…自我を妖怪に喰われかけておる。
もしかすると、もう既に喰われておるかもしれん程じゃ。
あれは本当に苦しい。
主もそうじゃが、それに仕える妖怪も同様の苦痛を受けるのじゃ。
我はもう二度とあんな、自分の存在を喰われる感覚を味わう奴を出したくない。
もう主の様な、苦痛の果てに死ぬ輩を見るのは耐えられん。
これが理由じゃ。
ちと長く、それでいて中身が無いが、これが我が鼬地に向かう理由じゃよ。
どうじゃ、満足したか?
何じゃ、まだ何かあるのか?
…はっ?貴様、何を言っておる。
いや、可能かもしれんし、それが出来るなら試しても良いが。
…ふむ。良いのじゃな?下手をするとあの男の二の舞になるが、それでも。
ふふ、そうか。では背負ってもらうぞ。
それを代償に、我は貴様に頼るとしよう。
…しかし、貴様も往生際が悪いのう?
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結界媒体の羽根が落ちている所から少し離れた電柱の上。
そこで俺は嬢ちゃんと結界の監視をしていた。
奴を閉じ込めてから何分経ったか、時計の無い場では分からない。
十分だけの気もするし、一時間の様にも思う。
だがそれでも、感覚で分かる。
奴はそろそろ出てくる。
二つの起点を見つけ出し、確実に破壊して、俺達の前に現れる。
「嬢ちゃん、確信がある訳じゃねえが、奴はそろそろ出てくる。覚悟は出来てるな?」
「はい。赤原さんの腕の仇は、絶対に私が討ちます!」
気合いの入った顔で答える嬢ちゃん。
しかし、たかが坊主の腕一つでここまで士気が上がるとは…何だかね。
感情表現が豊かになった分、分かりやすくはなったのだが如何せん、その気合いが空回りしていそうで恐い。
あと心なし、怒りのあまり目が怖くなってる。
「赤原さんは、大丈夫でしょうか?」
さっきまでのハイテンションは何処へやら、今度は坊主の心配を始める嬢ちゃん。
坊主を置いて来た電柱のある方へと、視線を向けて嬢ちゃんは悲しそうな顔をする。
同情、否、あれは腕の事より命その物を心配しているのか?
となるとそれは同情ではない。
ただの気遣いにしかならない。
この嬢ちゃん。
女子の割にはだいぶ肝が座ってやがる。
一種の畏怖すら覚える程だ。
「問題無いだろ。俺達は人間だが、妖怪の肉体にも近い、故に人間よりも頑丈だ。腕を斬られても、血さえ止まれば大丈夫だ。」
…と思いたい。
いくら妖怪の肉体でも、限界はある。
血が止まっても、出過ぎれば死ぬし、各個人の域っていうのが存在する。
その域を越えれば、真性の妖怪、ないし不老不死の妖怪じゃなきゃ死んじまう。
坊主の限界が、もう少しある事を祈る事しか出来ねえな。
「そうですね。赤原さんなら大丈夫です。私達は、彼の代わりになりましょう。」
まったく、坊主の野郎、嬢ちゃん残して死んだら俺が二回殺してやる。
そんな事を考えている内に、結界の方に変化が現れる。
と言っても、それを探知出来るのは張った俺だけなんだが。
「嬢ちゃん、来るぜ!」
ガラスが砕ける様な音。
断続的に聞こえる快音、猛獣が唸る様な恐怖心を掻き立てられる音が混じり合う。
俺と嬢ちゃんは電柱から飛び降りて、崩壊寸前の羽根へと跳ぶ。
地面に足がつくと同時に、羽根は一層の快音を立てて砕けた。
白い煙が立ち込める。
その中に感じる、人間ではない気配。
「…鼬地?」
「黒部さん、どういう事ですか?か、彼は人間のはずです。なのに、あれでは…。」
嬢ちゃんが驚き、一歩二歩と後ずさる。
しかし、驚くのも無理はない。
そこにいたのは人間ではなく、全身のベースは人間の…鼬。
ひょろりと長い尻尾も、全身に生える毛も、その小さな体躯も、その全てがその姿に適格になる為の様に感じる。
「何でだ?あいつはさっきまで、確かに人間だったはずだ。」
「黒部さんの結界の…所為?」
「そんな訳あるか!俺は自分から妖怪を増やす程、リスキーじゃない!」
鼬はゆらりと体を揺らし、こちらを光る目で睨みつける。
それだけで、体の細胞が警告を発する。
ここにいるのはヤバイ、早く逃げろ。
動物としての本能が、錆びれて、廃れたはずの本能が、俺の意識を埋め尽くす。
だが、足を動かす前に、視えない刃が俺の首へと向かっているのを…感じた。
「…はあ、黒部さんは死にませんよ。あなたはなんだかんだ言って死なない、美味しいポジションしてますから。」
一閃
目の前を、青い光が通過する。
光が通り過ぎた後は、今までの様な危険の無い世界が広がっていた。
俺は光が来た方に顔を向ける。
敵から視線を外すのは論外だが、まるで自分に絶対の結界を張った様な、そんな安心感がある。
視線の先、真夜中の暗闇の中から、見知っていて、見知らぬ奴が近づいて来ていた。
「嘘だろ。何でお前、そんな姿になってんだ?」
「赤原…さん!」
嬢ちゃんの言う通り、そこには雷狐の刀使い…赤原 雷咼が、五体満足で歩いていた。
いつもの金色の髪と瞳ではなく、青い髪と瞳の和袴姿で。
「皆、無事みたいだね。良かった、黒部さんの首が飛ばされる前に着けて。」
坊主は尻尾や耳も無い、一見すると人間の様に見える姿で言葉を紡ぐ。
攻撃的ではなく、憑依していない状態の坊主の口調で。
「さて、義務に駆られた使命劇を始めよう。」
夏休みももう半分以下
今年の夏も、非常に寂しい夏を過ごさせていただきました。
特に事件も無く、目新しい発見も無く、ただ小説を書く日々。
まあ、それも悪くはありませんが、やはり人生楽しんでこそだと、片府は思います。
読者様の夏がどうだったのか、私には知る術がありませんが、後悔のない夏を過ごせておいででしょうか?
雷咼達の様な波乱万丈な人生、命の危険が伴いますが、体験してみたい物ですね。
予定としては、次回で雷咼達の夏は終わります。
彼等が何を得るのか、少し悲しい物でも、彼等は得る物が在るのか、それを楽しみにしてお待ちください。
では皆々様、今宵も、狐の事情の裏事情を読んで頂きありがとうございました。




