SS ある日のアイリス・サフラン
――これはハルネとヴァルグレイが出会う前の、ある日の香房の日常――
サフラン香房の母屋のキッチンで、ハルネは3人分の朝食を用意していた。
鼻歌を歌いつつ、ハッシュポテトをフライパンで炒めている。
ジリジリパチパチと鳴るフライパンの横には、白パンと、自作のトマトケチャップやマスタードが見える。
今日のサフラン家の朝食のメインは、ハルネお手製のハンバーガーのようだった。
隣の小鍋では野菜のスープがコトコトと音を立てている。
今ハルネが炒めているのはハッシュポテトだが、肉々しいジューシーな匂いも漂っていた。
ハルネが自分の分のためだけに焼いた、ハンバーグのせいだった。
「あったま痛ぇ……」
奥の部屋から出てきたのは、母アイリス。
薄い茶髪を雑に一つに結び、ほつれた髪が寝起きと本人のガサツさを表しているが、すっぴんでも整った容姿が、えも言われぬ色気を醸し出していた。
「むぐ……あ、お母さんおはよう。 朝ごはんもう出来るよ」
ハルネは自家製ピクルスをつまみ食いしながら、笑顔で朝の挨拶を交わす。
……が、アイリスは頭痛でそれどころではないようだった。
「お~、ハルネ……二日酔いの薬……あったっけか?」
こめかみを掌で押さえながら、辛そうな表情でハルネに問う。
「二日酔いの薬? 確か香房の方に陳列してあったと思うけど……」
「わりぃ……持ってきてくれ……あと、水」
そう言ってアイリスはリビングの椅子に座り、机に突っ伏す。
「……はい、お水。 二日酔いの薬なら自分で作りなよ……あたしよりお母さんの方が調合上手いんだから」
お水と一緒に、白パンのポテトバーガーのお皿をアイリスの前に置くハルネ。
皿の端には、ベビーリーフとトマトの簡単なサラダがあり、オリーブオイルと塩を軽く振りかけてある。
ポテトの香ばしい香りが辺りを漂ったが、アイリスは逆にしかめ面を強めた。
思わず、ハルネが出してくれた水に手を出す。
「んぐっ……ふぅ。 もうハルネの方が上手いだろ。 たまにしかやらないアタシと違って、毎日やってんだから」
「本格的な薬なんかはまだまだお母さんには敵わないよ。 ……そんな事よりも!」
水を飲み、多少落ち着いた様子を見せたアイリスに、ズズイと迫るハルネ。
「お母さん在庫のお酒飲んだんでしょう!? ウチにお酒なんて無かったはずだもん! それに飲んだの多分、龍涙の火酒でしょう? あんな度数の高いお酒……そりゃ二日酔いもするよ!」
「……あぁ、怒鳴るな……頭に響く」
ハルネの大きな声に、再び頭を押さえるアイリス。
「調合用だから仕入れ値もたっかいんだからね! 勝手に在庫の飲んじゃって…………ちゃんとした在庫管理も健全な経営にはすっごく大事なんだから!」
「……あーあー、うるせぇうるせぇ。 ちょっとくらい良いだろ。 アタシの店だぞ?」
「良くないよ! いくら店主だからって……これは立派な横領なんだからね!」
鼻息荒く説教をするハルネに、心底鬱陶しそうなアイリス。
「……お前は図体の割にホント昔からその手の事には細けぇな。 シャリエナを見習え……」
「お母さんのそのガサツさが似ないように、あたしが一生懸命教えてるの! まったく、よく今までサフラン香房がもってきたもんだよ……こないだもさ……」
またグチグチ説教が始まりそうなのを察し、アイリスはこっそり席を立つ。
「……そ~~」
「お店のお金だって今は儲かってるけど無限じゃないんだからね…………あ、コラ! 逃げるな!」
「いいのか? フライパン?」
「え? ……あっ!」
調理中だった焦げかけたフライパンを指摘し、その隙にお店にスタコラと逃げ出す母だった。
―――――――
「あ、お母さん。 おはよ」
香房に逃げてきたアイリス。 挨拶を交わしたのは店内を掃いていたシャリエナだった。
「おお、シャリエナ。 ……二日酔いの薬はどこだ?」
「え? 薬とかはあっちの棚だけど……」
「さんきゅー」
頭を押さえながら、手早く棚を物色するアイリス。
「自分で作ればいいのに」
「……この体調でか? 無理だろ。 それに最近はハルネの方が調合は上手いんだ」
「お姉ちゃん器用だもんね。 あ、でも昨日、特別調合の依頼があったよ」
「……めんどうくさい。 ハルネに丸投げしとけ」
ハルネに全て丸投げするのも、最近の香房のパターンの一つだった。
ハルネにまだ教えていない高難度調合だけは、非常に渋って面倒くさがりながらやるのも、また一つのパターンだった。
「うん、分かった。 でもお姉ちゃんまた怒るよ? 働けって……」
「アタシが出ない方が、もう香房は回るだろ」
「う~ん、それはそうかもね?」
「……ホント素直だな、お前は」
真顔で肯定するシャリエナに、複雑な気分を抱くアイリスだった。
「ところでお母さんご飯食べたの? その様子だとまたお姉ちゃんに怒られてたんじゃない?」
「……相変わらず鋭いな、お前は」
「いつもの事だもん。 まぁお姉ちゃんも本気で怒ってるワケじゃないと思うケド……」
「……それでもグチグチ説教されるのはイヤだ。 全く、ハルネは口うるせぇんだから。 母親かっての……」
「母親はお母さんの方でしょ!」
キッチンをひと段落させたハルネが、アイリスを追ってに店までやってきた。
これはたまらんと、薬棚から二日酔いの薬を掴み、一目散に店の出口へと向かう。
「あばよ、二人とも! 晩飯までには帰るから!」
ドアベルをかき鳴らしながら、薬を片手に颯爽と店を出る母アイリス。
そんな騒がしい母を、ハルネは呆れ顔で、シャリエナはニコニコとした笑顔で見送った。
―――――――
調合した者が良かったのか、二日酔いの薬はすぐ効き、頭の痛みは大分取れた。
ハルネから逃げ出したアイリスが向かったのは、行きつけの酒場だった。
朝食を貰い損ねた事を思い出し、食の取れるこの場所に思わず足が向いたのだったが……
「ハァ……ハァ……っ、あ~、クソ、相変わらず体力ねぇな、アタシは……」
起き抜けで二日酔いの身体に小走りで来たのが災いしたか、アイリスの息は絶え絶えだった。
昔から気性の割に、身体が弱い。 気合だけで乗り切ってきた女だ。
昔付き合った男から学んだ錬金術は、相性がよく、アイリスの生業となった。
儲けを考えなければ十分食べて行けるという点も、元々働くのが好きではないアイリスと相性が良かった。
「あっ! しまった!」
逃げるように出てきたサフラン香房。
そのため、財布を忘れていた事に今更気付く。
「ツケか……あるいは男に奢らせるか……」
手持ちのお金が無いなら無いなりに考えを働かせるアイリス。
シャリエナに色濃く受け継がれたアイリスの美貌は、普段の口調を抑えてしゃなりとしていれば、奢る男には事欠かなかった。
しかし、その事を話したハルネにはすこぶる評判が悪く、なんとなくバツが悪くて男に奢らせる行為は最近は控えていた。
「アイツも太ってるなりに愛嬌はあるんだから、男に奢らせるのもワケ無いだろうに……」
そう呟くも、本人はココにはいない。
腹具合と体調を確認する。
さっきまでは気持ち悪かったが、薬が効いてきたせいか、ちょっとだけ腹も空いてきた。
しかし今の時間は朝。
賑わう夜とは違い、酒場にいる客はそもそも少ないだろう。
……正直、ツケも溜まっている。
ハルネに言ったらまた怒られるだろう。
「……ディルクにタカろう」
たまには顔を出そうという腹積もりと共に、よく知った相手である彼の元――南街商会ギルドの長ディルク・ハヴェンズのいる場所へと足を向けた。
―――――――
「で、オレんとこに来たってワケか……」
「んむんむっ……美味いな、これ。 トールんとこのパンか?」
南街商会のギルド長室は、いつも通り雑然と散らかった様子だったが、今は低めの応接テーブルの書類がどけられ、クロワッサンやエピパンが盛られたバスケットが置かれていた。
「……オレの朝飯」
「んぐんぐっ…………いつも香房のお茶をハルネが差し入れてんだから、ちょっとぐらいいいだろ?」
「それはそうだが……」
態度は図々しいが、食べる様子は小動物のようで、小さい口でちまちまと食べるアイリス。
「ふぅ、もう腹いっぱい……」
「相変わらず食が細いな、お前は」
「茶は無いのか?」
「……まったく」
気怠そうな様子のギルド長だったが、事務机にあるティーポットから、客用のカップへと注ぎ、丁寧にアイリスの前に置く。
「さんきゅー…………うん、美味いなこの茶も。 どこの店のもんだ?」
「お前の店だよ」
口調はうっとおしい様子を見せているが、決して追い払う様子は見せないギルド長。
「最近は……身体の方はどうだ?」
「なんだよ、気持ち悪い」
「……気持ち悪いは酷いな。 これでも心配してるんだ」
「……ああ、ディルが心配するようなこたねえよ。 娘に楽させてもらってっから」
気怠く答えながらも、どこか優し気に返答を返すアイリス。
「サフラン嬢……ハルネくんか。 彼女は非常に優秀だな。 お前と違って」
「ア、アタシだってまだ調合の腕じゃ負けねぇもん!」
「経営の腕だよ…………正直な所、お前が店を回してる時は、いつ香房が潰れるかとヒヤヒヤしていた」
「あ、ああ、そっちか。 そうだなぁ。 本当にアタシの子か? ってくらいアイツ、店回すの上手いもんな……」
ディルクとアイリス、二人で遠い目でハルネを想う。
「どうだ? 完全に店主の座を譲って、御隠居としてサポートに回るってのは?」
「あはは! 御隠居って! アタシたちはまだ隠居って年じゃねえだろ」
「いや、これは真面目な話だ。 彼女は極めて優秀だ。 ギルドの若き女性のホープとして、店主として立った方が先の為になりそうだ」
「へえ、そうなのか……でも店主の委譲ってめんどうくさそうだし……」
「別に、一筆でいい。 細かい手続きの方はオレがやっておく」
ディルクのありがたい提案に、表情を一瞬輝かすも、すぐに訝しむ表情に変わるアイリス。
「ありがてぇけど…………なんか怪しいな。 昔もそうだった」
「昔の事は…………オレは、お前の為なら」
「あ~、やめろ! そういうのは! もう終わったの! お前とは!」
「…………」
「ったく。 ディルと付き合った事実は、アタシにとっちゃ一生の恥だぜ……」
「ふっ……変わらないな、お前は」
あしらわれた事実を軽く流そうとしているギルド長だが、よく見ると苦々しい表情が混じっていた。
「とにかく、店主委譲の件は考えておいてくれ」
「あぁ、まぁ、気が向いたらな?」
「……ハァ。 こんな母親ではあの子らも苦労するだろうな」
「余計なお世話だよ! それに気楽にやってるよ、ハルネとシャリエナは。 アタシも好き勝手気楽でいい」
そう言ってお茶をすするアイリスと、それをじっと見つめるディルク。
「……そうだなぁ。 別に店主の座にそんなにこだわりねーんだけど……ハルネに気の合う旦那でも出来たら考えてやってもいっかな」
「……なるほどな」
「シャリエナはちゃっかりしてるからな、心配してねぇ。 しかしハルネの方はなんか……アタシと違って男になんか線を引いてんだよな」
それは、恋多き母の正しい直感だった。
「ハルネのおかげで金の心配はしなくて済みそうだし、シャリエナの面倒も良く見てくれてる。 ありがたいこったぜ」
「あの子は……いい娘だな」
「当たり前だろ、アタシの娘だぞ? ……だからこそ、幸せになってもらいてぇもんだがな」
「ああ、そうだな……」
「あ~あ、どっかにいねぇかな? アイツを腹の肉ごと丸ごと愛してくれる、理想のオジさまってヤツ……」
中空に視線をやりながら、娘の将来に思いを馳せる。
ティーカップを片手に、椅子に足を組んでふんぞり返るアイリス。
再び事務机のティーポットを持ち、お茶のおかわりを勧めるギルド長。
その表情は笑顔を含みつつも穏やかで、アイリスはその真意を読み取りつつも、おかわりは遠慮なくいただくのだった。




