ルーカス・クロフォード
私の婚約が定められたのは、七歳の時だった。相手は、父が国を治めるにあたって、政治面のみならず、経済面からも資金援助し、後ろ盾となってくれたデヴォンシャー公爵の娘で、名をスカーレットといった。
自分の婚約が決まっても、何の感慨もなかった。王家に生まれ、王子としての振る舞いを幼い頃から求められ、自分自身の欲望など捨てていた。自分自身が選んだ相手と添い遂げる希望なんて、持ったことすらなかった。
しかし、婚約を結んでから、スカーレット・デヴォンシャー嬢と会い、気持ちは悪い方に変わった。出自に負けない、金色の髪に鮮やかな緑の瞳の華やかな容姿をしていた彼女は、もともと公爵家の令嬢であり、更に、未来の王妃の座が約束されたものとして、高慢に振る舞った。権力を振りかざす姿を目の当たりにし、落胆する心が抑えられなかった。
こちらの内心を察したらしい彼女は、金のかかった贈り物を贈りつけては、婚約者として自らを認めるよう求めてきた。でも、欲しくもない物を贈っては、要求を繰り返す彼女に、私はどうしてもいい感情を持てなかった。
結果、婚約は結ばれたものの、彼女と私の関係は悪循環に陥り、ギスギスしたものになっていた。
変化があったのは、私達の婚約が定められてから三年が経った頃だった。
ある日、スカーレット嬢が私に会いに王宮へとやって来た。仲は良好とは言えなかったが、彼女は頻繁に王宮に来たから、私達はそれなりに顔を合わせる仲であった。けれど、やってきた彼女は何かいつもと違っていた。
「殿下、どうかされましたか?」
「……いいえ」
口を開けば自分のことばかりだった彼女が、こちらの様子を知ろうとするのは初めてで驚いた。それと共に、いくつか気が付いた。
いつも新しいドレスを身に纏って会いに来ていた彼女が、前にも見たことがあるドレスを着ていること。今回の彼女の王宮への来訪が、これまでより日が経っていること。何より、彼女から私への呼び方が『ルーカス様』から『殿下』に変わっていること。
他にもありそうで、違和感の正体を探っていると、彼女がいつも連れていた亜麻色の髪のメイドが見当たらないということに気が付いた。そのメイドはいつも疲れ切っていて、青い顔をしながら、彼女の後をついて行っていた。粗相をして、首にでもしたのだろうかと思って、聞いた。
「いつものメイドはどうされたのですか?」
私の質問を聞くと、彼女は途端に得意げな表情になった。
「アンナですわね。今日、ここには来ておりませんわ。今、彼女がどうしているかお伝えしますわ」
随分ともったいぶる、と思っていると、得意気に胸を張ったスカーレットが言った。
「彼女、王立学園に通うことになったのですわ!」
「え……」
「あ、私が裏から手を回した訳ではありませんわよ。アンナが猛勉強しての成果ですわ。受験前は寝食を惜しむように勉強していて、それだけで大変なはずなのに、アンナは私のメイドも続けると聞かないので、本当に心配しましたわ。全く責任感が強いのですから」
王立学院といえば、王侯貴族の子息が通うこの国一番の名門だ。一介のメイドが合格したというのに、耳を疑っていると、彼女が心配そうな表情を見せた。
「今、アンナはどうしているかしら。楽しく過ごしているといいのですけれど。出自が平民ということで、嫌なことを言う生徒はいないかしら。いざとなれば、私の名前を使いなさいとは言っているのですけれど……」
期待と不安が入り混じった表情を浮かべる彼女は、アンナというメイドのことを心から案じているようだった。
「アンナは強い意欲を持って、入学しましたの。折角なのですから、学びたいことを、思い切り学んでほしいですし、学園はそういう場であってほしいですわね!」
彼女に明るく言われて、狼狽した。この国一番の名門であり、王侯貴族の子息が通う王立学園には、自分も通うと思っていた。でも、それは希望や楽しみではなく、ただの義務だと思っていた。
しばらく経って、再び、スカーレット嬢が王宮へとやって来た。やはり、以前と比べて、王宮に来る間隔が開いていた。私に贈りたいものがあるという彼女は、私の前で、以前と同様にふんぞり返った。
「私、お抱えの画家ができたのです。私の姿絵を描かせましたので、どうぞ、お受け取りください」
従者に布で隠された絵画を持ってこさせる彼女を見ながら、これだけ自信を持って、絵を持ってきたのだから、自分の姿を十分に満足いく出来に描かせたのだろうと想像した。画家も、彼女のような子供相手では、与しやすく、取り入るのは簡単だっただろうとも思った。そして、この歳で画家を抱えるなんて、公爵にとっては、愛娘らしいが、随分と好きにさせると少し呆れた。
とはいえ、以前と変わらず、親の権力や金を使って、得意げにする彼女の姿に、何処かホッとした気持ちもあった。
彼女からメイドの話を聞いて、しばらく経ってから思った。王子として周囲に求められるまま、生きる方が楽だ。心動く何かを知るのは怖い――
しかし、彼女が布を取って現れた絵は、想像と全く違っていた。これまで見たことがないものだった。王宮にあるどの宗教画や肖像画とも違う。明るい光のような黄金色の中に、七色の光が差す新緑のような緑の珠がある。どう考えても、人には見えない。でも、美しかった――
期待に輝く目で、こちらの反応を待つ彼女に、何か言わねばと、言葉を捻り出した。
「これは貴女ですか? というか、人ですか……?」
「ええ、そう言っていましたわ」
「どう解釈すればいいのか……」
「ええ、私も分かりません!」
何故か彼女は力強く同意を示した。
「よく分からないものを贈り物に持ってきたのですか?」
「ああ……! 申し訳ございません」
この絵では彼女だと分からない。私へのアピールにならない。何が目的だろうかと不審な気持ちで、彼女を見ると、今度は照れ臭そうに笑った。
コロコロ変わる表情を眩しく見ていると、彼女が言った。
「でも、綺麗で力強くて、なんだか元気がもらえたので。殿下にも見ていただきたくて」
彼女の笑顔を見た瞬間、彼女がこの絵を持ってきた意図を理解した。良い物を私にも共有したい。好きな物を共に楽しみたい。打算などではなく、きっと、ただ、それだけだ。
そして、同時に、この絵が何を描いたのかも分かった。太陽みたいな明るい光は彼女の髪、その中に輝く七色を取り込む緑の円は彼女の瞳。明るく、希望に満ちている。この絵は、彼女の外だけではなく、彼女の中まで描こうと試みた結果なのだ。
またしばらく経ったある日、王家主催で、子供を対象にした剣術大会を開いた。これまでも何度もしていたことだったが、その日は普段とは違うざわめきがあった。騎士団長の娘であるクランベル嬢が参加すると表明していたからだった。
騎士団長の娘であるクランベル嬢は、彼女自身によく似合う粋なジャケット、ズボン、グローブを身に纏い、大会に現れ、見学に来ていた令嬢達が黄色い悲鳴を上げた。それを見て、参加者の一部の少年は、少し悔しそうにしていた。
少しして、クランベル嬢の方向から、新たな歓声が聞こえた。それは、クランベル嬢同様に、ジャケット、ズボン、グローブを身に纏ったスカーレットだった。彼女が着ていた服は、紺を基調に全体に落ち着いていながら、ところどころに刺繍が刺され、華やかな彼女の雰囲気とよく合っていた。
彼女の服装を見ると、彼女自身も参加者であるようだ。しかし、彼女が剣を学んでいたなど知らず、驚きに彼女の方を見たまま、目を離せなくなった。付き合いの長い友人が私に聞いた。
「ルーカス様、スカーレット様もご参加されるようですね。ご存知だったのですか?」
「……いや。知らなかった」
意外な参加者二名を迎えながらも、剣術大会は無事に終わった。スカーレットは初戦で敗れ、クランベル嬢は健闘し、準決勝まで勝ち上がった。
見学に来ていた令嬢達に囲まれるクランベル嬢に、スカーレットも駆け寄った。
「クランベル、格好良かったですわ!」
「スカーレット様、ありがとうございます。お陰様で、自分の腕を確認し、磨くことができました」
伯爵家の令嬢であるシャーロット嬢がスカーレットのメイドと共にやって来て、スカーレットとクランベル嬢に飲み物を渡した。
はしゃぐ少女達を面白くなさそうに見ていた伯爵が、馬鹿にするように言った。
「こんなところに参加して、どういうつもりだ。女性が騎士になるわけでもないだろうに」
その言葉は周囲に響いた。クランベル嬢とシャーロット嬢が顔を険しくし、楽しそうだった令嬢達が冷や水を浴びせられたようになった。
伯爵の息子は、今日の剣術大会でクランベル嬢に負けた。しかし、それは、伯爵の息子が腕を磨いていないからであるのは、動きから明らかだった。伯爵が言ったのは、負け惜しみからだろう。
場が凍りつく中、スカーレットはあっけらかんと伯爵の方を見た。
「あら、この剣術大会は騎士を志す人間しか参加してはいけないのですか? 私は騎士を目指しているわけではありません。それも存じ上げず、場を乱すようなことをして、申し訳ないですわ。伯爵のご子息も本日ご参加されているようですが、騎士を志望されているのですね?」
「そ、そういうことではなくてですなあっ――」
伯爵は、自分の息子には自分の爵位を継がせる予定で、伯爵の子自身も騎士など身を張る仕事を考えていないだろう。指摘を受け、顔を赤くした伯爵が、彼女にがなり立てようとしているのに、後ろから口を挟んだ。
「いいえ、スカーレット嬢。ご心配には及びません。この大会は、騎士を目指す人間のためだけのものではありません。自らの腕を確認すると共に、同世代の友人達と切磋琢磨し、交流を深めることを目的としています。事実、私も目指すところは騎士ではありませんが、この大会に参加しています」
周囲が驚いたように私を見る中、クランベル嬢に向かって言った。
「今回、新たな参加者を迎えました。多様な人材がいることは、我が国にとって強みとなるでしょう。これからも歓迎します」
スカーレットとクランベル嬢が私に向かって深々と頭を下げた。伯爵が逃げるように場を離れた後、自らの婚約者であるスカーレットの元に足を向けた。彼女と私が婚約関係にあると知っている周囲は、空気を読んで、我々からそっと距離を空けた。
彼女は、私が自分自身に近付いてくるのを信じられないように、周囲を見回した後、やはり、自分の元に向かっているのを確認して、真正面から私を見た。
「その装いも似合いますね」
「あ、ありがとうございます」
彼女に剣術をするための服装が似合うというつもりで言ったけれど、彼女は少し違った意味で、私の言葉を取った。
「殿下にお墨付きをいただき、心強いですわ! これはシャーロットがブティックに掛け合ってくれまして、動きやすいだけでなく、流行も取り入れたデザインになっているのです。ええと、私が何をしたかというとお金を出しただけなのですけれど……。
私も実際に着てみて、デザインは勿論、ドレスしか着たことがなかったので、ズボン姿は羽が生えたように身軽で感動いたしました。お洒落であっても、剣術も十分できることはクランベルが立証してくれました。ええと、私は大会ではすぐに負けてしまいましたけれど……」
照れ臭そうに笑う彼女に、何を言おうか、迷った。
『いつから剣を始めたのですか?』、『服をデザインする友人がいるのですか?』、『このところ、お会いしていませんが、いつも部屋で貴女からもらった絵を見ています』など、いくつか質問と伝えたいことが浮かんだ後、口から出たのは玉虫色の最もつまらない質問だった。
「最近は、いかがお過ごしですか?」
こんなつまらない質問でも、こちらが彼女のことを聞くのは初めてだった。彼女もそれに気付いたらしく、再び驚いた。そして、何と言おうか考え込んだ後、口を開いた。
「ええと、そうですわね。最近は、シャーロットやクランベルといった友人達と学んだり、剣術を始めたり――」
そして、彼女ははにかんだ笑みを見せた。眩しい思いで見ていると、彼女が続けた。
「新しいことばかりで、毎日が、面白くなってきました」
剣術大会の後、久し振りに、スカーレットとお茶会を約束して別れた。
しかし、お茶会の当日、デヴォンシャー公爵家より、スカーレットが風邪をひいたため、本日は遠慮したいと連絡が来た。彼女が苦しんでいるのかと思うと、いてもたってもいられず、その足で見舞いに行った。
公爵家に着くと、公爵夫人は迷いを見せたが、王子である私を追い返すこともできなかったらしく、こちらの見舞いを受け入れた。案内されたのは本邸ではなく、公爵家の敷地内の離れだった。到着した離れは美しい建物であったが、何故、公爵家の令嬢で、まだ成人していない彼女が、本邸と離れた場所で、暮らしているのか訝しんだ。
そして、すぐに公爵はスカーレットの実母である最初の妻とは死別し、今、屋敷にいるのはスカーレットにとっては義母と異母弟であることを思い出した。そして、彼女が継母や異母弟に虐げられている可能性に思い至り、血の気が引いた。
彼女がいるという離れに足を踏み入れると、アンナというメイドが中へと案内してくれた。足を進めると、彼女の弟であるヨハンが心配そうな表情で、スカーレットがいる部屋の前に佇んでいた。
スカーレットから離れに住んでいる理由を聞くつもりで、ヨハン、メイド、自身の従者を下がらせ、彼女の部屋に入った。
私が彼女の部屋のドアを閉めると、その音で目を覚ましたらしく、彼女はぼんやりこちらを見た。
「あら、殿下……?」
彼女は熱があるらしく、うっすら汗ばんでいる。私を見ると、紅潮した頬で、へらっと笑った。
「夢ですね!」
「夢ではありませんよ」
「いいえ。夢ですわ。殿下が、女性が寝込んでいる部屋に立ち入るはずなどありませんもの!」
邪気と他意のない彼女の言葉が突き刺さった。
同時に、心配し、気持ちが急いていたとはいえ、同意なく、女性の部屋に立ち入るのは無礼だったと気付き、浅慮を恥じた。
「申し訳ない……。すぐに出て行きます」
「ええ……。行ってしまわれるのですか?」
踵を返す私に、名残惜しそうな声が後ろから聞こえて、振り返った。
「……まだいてもいいのですか?」
「勿論です! いい夢ですわ」
やはり夢だと思っているらしい。熱にうなされながらも、彼女は楽しそうに見えるが、本来の目的を問い質すことにした。
「貴女は、何故、本邸に住んでいないのですか?」
「あ、ああー……。それ、聞いちゃいます……?」
「本邸に住んでいるのは、貴女の義理の母と異母弟ですね? ここに追いやられているのでしょうか? 貴女から言えないようであれば、私から公爵にそれとなく言うこともできます」
「ち、違うんですのよ。離れに住んでいるのは私の希望で、私、ここでの生活を楽しんでおりますわ。それに、むしろ、義母やヨハンではなく、私がやらかした側と言いますか……」
「どういうことでしょうか?」
彼女は言い辛そうに、ここに至るまでの経緯を話した。
「――つまり、貴女は、公爵が夫人と子を虐げていた責任を取っているということでしょうか?」
「いえ。冷たく当たってしまったのは私もですので、同罪ですわ……。してしまったことをなかったことにはできませんが、なら、今、できることをしなければと思いまして……。せめてこの家から出るまで、なるべく二人の目に入らないようにしようと……」
義母と異母弟に冷たく当たってしまうということは、決して褒められたものではない。でも、母親を亡くした少女による、仲の良い義母と異母弟への羨望や嫉妬からの行動だったと考えると、心が痛い。
しかも、幼い頃に彼女と婚約を結んだ私は、そんなことがあった時も、彼女と全く知らぬ仲というわけではなかった。これまでの私は、彼女の表面的な傲慢さにうんざりして逃げ回るだけで、彼女の婚約者の立場でありながら、決して親身とはいえない態度だった。
せめてもの罪滅ぼしのつもりで申し出た。
「それでは、私の婚約者として、何か理由を付けて、王宮で暮らすのはどうでしょうか?」
無防備になっているらしい彼女が、驚きに目を見開いた。これまでの自らの行動を顧みると、彼女が簡単に私の言葉を信じるなどできないだろうと思うが、心を込めて伝えた。
「この先、家族になっていくのです。これまでの私の貴女への態度を思うと、信じられないかもしれませんが、貴女が許してくれるのであれば、これからは婚約者、そして、未来の妻として必ず大事にします」
「勿体ない話ですわ」
「なら――」
「でも、お断りします。王宮に行くと、散財ができないので!」
こちらが思いもしない断り文句を口にした後、彼女は力強く続けた。
「だって、婚約を結んでしまいましたから。私が散財して、断罪されないと、殿下が幸せになれませんもの」
彼女の言葉の意味を完全に理解できたわけではなかった。でも、こちらの幸せをただ願っているような言葉に、今度はこちらが目を見開いた。
「……貴女は、私のことをどう思っているのですか?」
「心よりお慕いしておりますわ!」
間髪を一切容れずの答えに、再び面食らった。何も言えないでいると彼女が続けた。
「まず、権威に溺れることなく、公平で責任感のあるブレない態度が素晴らしいですわ。優しさと厳しさを持ち合わせ、広い視線で周囲を見ていらっしゃるのも尊敬しております。王家としての自負を持ち、努力を怠らない姿も存じ上げております。あ、顔も好みです」
「……もう分かりました。やめてください」
風邪のせいであったとしても、自分自身への好意を隠しもせず表明されたのに、恥ずかしくなって、彼女の言葉を遮った。
しばらく彼女はニコニコ笑って、こちらを見ていたが、突然、布団に顔を埋め、シクシクと泣き出した。
「殿下に認めていただければ、私も殿下のような立派な人間になれるのではないかと思いましたの。でも、殿下に私のことを好きになってほしくても、私にできることはお金を使うだけ。だって、お金がないと、私なんかの周りには誰もいませんもの」
数年前の彼女を思い出し、心が痛んだ。これまで彼女に寄り添おうとしなかった私に、何も言う資格などなく、無言のまま、彼女の独白をただ聞いた。
「お金を使っている時はチヤホヤしてもらえるし、『お父様に愛されているのですね』と言われるし。贅沢な物を贈れば、殿下も喜んで、私を好きになっていただけるかと……。
でも、私が孤独を埋めるために使っていたのは、多くの人達にとっては簡単に手にすることができない、すごい額のお金だったのですわね。私、それすら知らなくて。これでは殿下が私に呆れるのも仕方ありません……。私ったら、クソ野郎ですわぁ……」
「『クソ野郎』……。先ほどから、一体、何処でそういった言葉を覚えたのですか……」
「断罪後の生活を知ろうと、市井に勉強に行った時ですわ」
「その断罪とは何なのですか」
訝しむ私に、彼女は滔々と話し始めた。
「王立学園に入学して、運命の相手に出会った殿下は、公爵令嬢としての身分に溺れ、贅沢放題の私に見切りをつけ、私は断罪され、貴族社会から追放されるんです。当然ですわ。どうせ私なんて皆から嫌われているし、公爵令嬢に相応しくないし、王子妃なんてもっとだし。
ああ、そんな同情するような表情をしないでくださいませ。断罪されても、夢や希望はあるんですの。全て失った後は、王都から遠く離れ、かつて私が公爵令嬢だったと誰も知らない場所で、カフェを開いてみたいななんて思っておりますの」
彼女の話から、このところの彼女の行動が、全て失う覚悟でのものだと知り、ぞっとした。ついさっきとは違う理由で、何も言えなくなった私を前に、彼女が続ける。
「どうせ全てを失うなら、せめて、それまでのように寂しさを埋めるのではなく、周囲を笑顔にできることにお金を使ってみようと思いました。でも、その結果は散々でしたわ……!」
彼女は苦しそうにしながら、大きな瞳からポロポロ涙を溢れさせた。
「私、天啓を得て、スカーレット・デヴォンシャーとしての未来を知り、受け入れた時、怖いものなんてなかったのです。
でも、このところ、皆、私を嫌いじゃないように感じてしまうのです。皆のことを知れば、ますます皆のことを好きになってしまうし。こんなの、欲が出てしまうではありませんか。こんなの知ってしまった後の断罪に追放はキツいですわあ……」
どうしようもなくて、励ますように手を握り締めると、彼女がゆっくりとこちらを見た。
「断罪も追放もしないよ。皆も私も、ずっと君の人生に関わっていきたいんだ」
「えー……? 何故ですか?」
不審感を露わにした彼女に、答えを迷うことはなかった。
「君のことが好きだから」
私がキッパリと言うと、彼女が涙を止め、無防備な笑顔をこちらに向けた。その表情に鼓動を速くしていると、明るく彼女が言った。
「やはりいい夢ですわ! いけません。風邪をひいて、少し気弱になっておりました。元気になったら、婚約破棄を目指して、気合いを入れて、自分勝手に散財しますね!」
「……だから、私のためである時点で自分勝手ではないし、今の君のソレは散財ではなく経済を回しているだけだし、何より、これは夢じゃない」
彼女は一瞬、くすぐったそうに笑った後、疲れたのかすぐに眠りに落ちた。この様子では、起きた時、私と話したことも覚えていないかもしれない。
何故か、彼女は自らの断罪や追放に確信を持ち、自らの破滅が私の幸せに繋がっていると考えているようだ。彼女の言う天啓とは何だろうか。問い詰めるべきなのか、問い詰めざるべきなのか。
彼女が天啓なんて言葉を使ってまで、自らの破滅を確信している理由も、これから、私がどうすべきなのかも、まだ判然としない。それでも、一つ決意した。
「君が無償の愛を私に注いでくれようとしていることは分かったよ。今度は、私が君の気持ちに応えさせてくれ。私の生涯の愛は、君に捧げる」
それが、幼い頃の思い出――
スカーレットと私が婚約を結んでから十年以上経った。そして、とうとう、学園を卒業し、彼女と私が結婚する日を迎えた。準備期間は十分に取り、市中の経済活動にも良い影響があるものとした。
日中、結婚式も王家と公爵家で十分に金をかけた結婚式を挙げ、広場にて市民へ顔を見せ、外国の賓客も招き、披露宴を行った。
全て滞りなく済ませ、夜になり、今日から彼女と暮らす離宮にやって来た。
スカーレットは、先に夫婦の寝室で待っていた。手を引き、寝台へと誘うと、彼女は困惑に泣きそうな表情を浮かべた。その様子に苦笑する。
「殿下……」
「そろそろ、名前で呼んでくれ」
躊躇しながら、彼女は辛うじて聞こえる小さな声を出した。
「ル、ルーカス様」
「『様』も不要だけどね」
かつてないほど身を縮こませ、これからのことに構える彼女に、かつてのふんぞり返った姿を思い出し、愉快な気持ちになった。
「幼い頃はもっと積極的だったのに」
「わっ、忘れてくださいまし……。私、何も分かっていなかったのですわ……」
私がクスクスと笑いながら、怨み言を言うのに、彼女も昔を思い出したのか、顔を赤らめた。その後、彼女も昔を思い出したのか、不審そうに聞いた。
「ルーカス様も、幼い頃とは私に対する態度が随分と変わられたように感じます。今更ですが、何かきっかけはあったのですか?」
「ああ、きっかけはよく覚えているよ。君が断罪と追放に怯えながらも、私のために身を引こうとしていると聞いた時だな」
「えっ……。何故、それを……!」
「スカーレット自身が言っていたよ」
驚く彼女に上機嫌で笑いかけながら、彼女の体をそっと横たえた。
初めて、夫婦として繋がった後、放心している彼女の頬を撫でながら、顔中に口付けた。目を閉じた彼女は、照れ臭そうでありながらも、嬉しそうで、されるがままとなっている。
しばらく甘えるような彼女の姿を見続けた後、聞いた。
「もう、断罪も追放もないと信じてくれただろうか」
「だから、何故、そのことを……」
私の言葉に目をパチリと開けた後、気まずそうに目を逸らした。
「でも、こ、ここまで来たのですから、それはもう……」
額に口付けながら、更に問うた。
「私が君を愛していることも?」
「……はい。恐れながら」
「では、私を幸せにできるのは君だけだということも?」
「…………それは、あまり」
頑なな彼女に苦笑する。ここまで彼女のことを追い求めたのだから、そろそろ私には彼女が必要だと信じてくれたっていいのに。そういえば、彼女の友人達が励まされたという言葉も、私は言われたことがない。
少し拗ねた気持ちで、過去を振り返った後、これから生涯を共にするのだから、急がなくてもいい、と気持ちを切り替え、彼女の頬に手を添えた。すると、彼女は顔を上げ、意思を感じさせる目でこちらを見た。
「殿下は私が相手でなくても幸せになれると、今でも思っておりますわ。でも、殿下のことは、私が絶対に幸せにいたします。ル、ルーカスのことを愛していますもの」
――彼女からの愛の言葉は初めてだったかもしれない。
驚きのあまり、何も言えず、私がじっと彼女を見つめると、真っ赤な顔をした彼女が、焦った様子でふんぞり返った。
「お、驚いた顔なんてしないでくださいませ。当たり前でしょう? 私を誰だとお思いですか。スカーレット・デヴォンシャーですわよ!」