第11話「美味しい味」
僕は家に戻った後もまだ怒りが収まらなかった。
この感情をどこにぶつければいいのかわからない中で、お腹が空いてもう死にそうだった。
僕は冷蔵庫を開けて冷えたご飯を取り出した。
おかずもあったけど、頑なに真帆ちゃんさんの美味しいおかずを食べると負けてしまう気がして、自分で何かを作る事にした。
目玉焼きくらいしか作れなかったので、温めたフライパンに卵を割って落とした。
たかが目玉焼き…と思って作ったはいいけど、結果は散々な物で、黄身は割れて白身の上に流れ出し、いつも見ていた真帆ちゃんさんの作るツヤツヤと光る目玉焼きとは違う物が建設されていった。
どのくらいで取り出せばいいのかわからない上にお皿を用意してるうちに周りの白身と卵から流れ落ちた焦げ付いてしまった。
フライパンからも剥がれにくく、無理に引き剥がすとボロボロに崩れた目玉焼きがお皿の上に乗った。
醤油をかけてから食べたけど、苦くて全く美味しくはなかった。
ご飯は冷たいし、目玉焼きは不味いし、段々と自分が惨めな気持ちになってきた。
真帆ちゃんさんの美味しい料理が普通であたりまえにに感じ始めていた。だから余計に不味く感じていたのだった。
何だか泣けてきて、涙を拭きながらご飯を食べていたのだけど、そのうち涙がもう止まらなくなってしまった。
僕は箸を置いて、声を出して泣いていた。
どうすればいいのかわからないし、何をやってもうまくいかない自分が惨めになり、悔しさと寂しさと恥ずかしさなどの色んな気持ちになっていた。
僕が泣いていると、真帆ちゃんさんがそっといつの間にか上手に焼き上げた目玉焼きとお味噌汁を持ってきてくれた。
「馬鹿ね、ちゃんとバター引かないと焦げちゃうわよ。」
僕は涙とご飯をこぼしながら食べ、食事を終えると泣き疲れていたのかぐっすりと眠っていた。
夕方、僕は鍋の蓋をおたまで叩かれる不快極まりない音が鳴り響く中で目を覚ました。
「このぐうたら亭主!いつまで寝てるんだい!とっとと仕事に行ってこいってんだ!!」
僕はびっくりして飛び起きた。一瞬、何が起こったのかわからなかった。
「えっ?あっ、ああ!ごめんなさい。食べた後の食器片付けもせず寝てしまって。」
僕は寝ぼけながら、ぼんやりとそう答えた気がする。
「ちゃんと稼いてくるんだよ!」
僕はよく分からなかったけど、ひとまず家の外に避難をした。
間も無く真帆ちゃんさんが家の裏口から出てきて、「そんなとこで何してんの?」とでも言いたそうにしていたので、僕はどこに行くのか尋ねた。
真帆ちゃんさんは顎で門の方を指し示したので、これは「一緒に付いてこい。」という意味だと合点して真帆ちゃんさんの後ろから後を付いて行く事にした。
真帆ちゃんさんは歩いて国道方面に向かっているようだった。
きっと買い物かな?と、推測していると、後ろから車が走ってきて、僕達の横で止まった。
「おぉ、東暖さん、買い物ですか?乗ってきます?」
「あらぁ、伊予田さん、いいんですか?じゃあ、お言葉に甘えちゃいましょうかしら?」
「えぇ、どうぞどうぞ。坊主も乗ってくか?」
すると、僕にとってはこの知らない、鼻の下が伸びきったおじさんは車から降りてドアを丁寧に開けてから優しく真帆ちゃんさんをエスコートして、助手席へ乗せた。
後ろのドアは開けてくれなかったので、ひっそりと静かに僕は乗り込んだ。
真帆ちゃんさんを乗せてドアを閉めた後、おじさんは小さい声で「よっしゃ!」という声が聞こえてきた。
車はスーパーとは少し別の方向へ向かった。
最終的にはスーパーに着いたのだけど、辿り着くまでには最短ルートではなく、少し遠回りのルートだった。
途中、すれ違う車やトラクターを追い抜く際、運転手らは皆苛立った表情をしていた。
その時、僕は何となくではあるけど、この街の男達は真帆ちゃんさんを車の助手席に乗せる事が一つの自慢になっている
のだと感じた。
スーパーでは普段、庭で取れない食材を買った。
真帆ちゃんさんが何でも好きなの買っていいよ。と言ってくれたので、僕は迷いながらもヨーグルトを買ってもらう事にした。
本当はお菓子が食べたかったのだけど、何だか馬鹿にされそうだったので、やめておく事にした。
スーパーを出ると外にはさっきのおじさんが待ち構えていた。
僕達と荷物をまたも少し遠回りしながら運んでくれた。
その日の夜は僕の大好物であるカレーを作ってくれた。
カレーも僕の好みに合わせてくれて、中辛でサラサラしたルーに、大きめにカットされた野菜とお肉がゴロゴロと入った物を作ってくれた。
僕はあまりの美味しさに涙と鼻水を垂れ流しながら三杯おかわりした。
さすがに調子に乗ってしまったようで、しばらく動けないくらい食べてしまっていた。
僕がお腹を摩りながら椅子の背もたれに全体重を支えていると、唐突に真帆ちゃんさんが話を始めた。
「ねぇ、この前話した『恋の形』の事、覚えてる?」
「はい、あの、恋をするには勇気と知恵が必要だっていう話ですか?」
「そう。それね、実はあれ男の子だけでの話なのよ。」
「えっ?そうなんですか?じゃあ、女の子の場合は…?」
「女の子もね、勇気は必要なのよ。でももう一つが違うの。私もね、あの時すっごく勇気出して瀧君にクッキー作ったのよ。それをね、瀧君たら…。」
僕は脱線しつつある真帆ちゃんさんの話を黙って聞いていた。
しばらく話したいだけ話した後、「で、結局何が言いたいんだっけ?」と言ってきたので、僕はもう一度「恋の形」についての説明を始め、話題を脱線前にようやく戻す事が出来た。
「あぁ、そうだったわね、話が少し逸れちゃったけど、元に戻ると、ねぇ、この前話した…。」
と、そこから話しがまた戻るの?と言いたくなるのを抑えながら、最後まで話を聞きたかったので、ここはぐっと堪えていた。
これだけでも何だか自分が大人になれたような気がした。
「女の子には勇気ともう一つ『支え』が必要なの。」
「『支え』ですか?」
「そう、『支え』よ。」
「『決まったー!』って顔してないでどういう意味なのか教えてもらえますか?」
「あ、あなたも言うようになったわね…、つまり女の子は皆、誰かの『支え』が欲しいのよ。」
「そうなんですか…。」
「あら、何その納得してなさそうな顔は?いい?実際に支えるというのではなくて、『心の支え』よ。たとえ目的が果たせなかったとしても一緒にいてくれるだけで充分なの。それだけで充分なの。」
真帆ちゃんさんは何かを思い出すかのように遠い目をしながら、話してくれていたのだけど、急にキリッとした顔つきで僕の方を見てきて続きを話し始めた。
「だからね、その子が一番辛い時期に離れてしまったらどう?その子、物凄く辛いんじゃないかしらね。きっとあなたが側にいてくれただけで、凄く心強かったと…。」
僕は真帆ちゃんさんが全てを言い終える前に椅子から立ち上がっていた。
真帆ちゃんさんの言う通りだ。
今度は何も言い返す事が出来ない。
僕は自分が惨めで可哀想だと感じていた。
真帆ちゃんさんに言われて自分の事しか考えていなかった事に気が付いた。
そう思うともう何かをしたくてたまらなくなった。
「ど、どうしたの?急に!?…ハッ!!もしかして…私の体が目的!?駄目よ…。私には瀧君と一生を添い遂げるって約束が…。」
「お願いがあるんですけど、神様にお供えするみかんを三つもらえませんか?」
僕は真帆ちゃんさんの冗談には全く相手にせずにお願いをした。
真帆ちゃんさんは少し不思議そうな顔をしながら、箱に入っているのを持っていって良いという許可をもらった。
僕は箱からみかんを三つ取り出した。
そして、意を決してみかんを冷凍庫に入れた。
翌日、いつもより早めに僕は祠へお供えを持っていった。神様は祠の横にある小さな石の上に座っていた。
そして、僕の姿を確認すると同時に手を出してきた。
「おはようございます!今日は特別なお供えを持って来ました。」
「おぅ、どんなやつだぁ?」
「みかんです」
「品種が特別なのか?」
「いつもの、普通のみかんです。」
途端に神様の表情は豹変し、激怒した。
「お前、俺を馬鹿にしてんのか?」
僕はすぐに謝った。
「そうですよね。ごめんなさい。やっぱり自分が甘かったです。ただ、そうですよね、ただ凍らせただけの普通のみかんですからね。これは自分で食べます。神様には普通のみかんにしますね。」
「ったり前だろぉ?凍らせたってみかんは普通のみかんだろ。もっと考えて…。」
僕は神様の話を最後まで聞かないうちにその場で凍らせたみかんを食べ始めた。
「あぁ、でもこの凍らせたみかんは普通のとやっぱり違うんだよなぁ。この果肉のシャキッと感、普通のじゃ味わえないよなぁ。それに甘さもスッキリしてて、夏の暑い時期にはぴったりなんだよなぁ。あぁ、全然違う。違うなぁ…あっ、神様はいつものをどうぞどうぞ。」
神様は目の色を変えて身を乗り出してきた。
「お、おい!普通のとは違うのかぁ?こっちのとは違うのかよぉ?」
「いえいえ、普通のみかんなんで、物は変わらないです。だから気にしないでください。ただ凍らせただけの『みかんシャーベット』なんで。神様はいつものをどうぞどうぞ。」
「お、おい!みかん…シャーベット…だと!?」
神様の唾を飲み込む音がが既にこの短時間で三回聞こえてきた。
「えぇ、でもこれもそっちの普通のも味自体は変わらないですよ。ただ、美味しさが全然違うんですよねぇ。普通であって普通でないこの味がまた…くぅ!たまらなーい!」
「お、お、お、お、おい!そ、それを一口、一口くれねぇか…なぁ?」
「え?でも今日の朝の分はもうお供えしましたよね?普通のやつ。」
「い、いやぁ、そっちの美味しそうだよなぁ。ちょっと、ちょっとでいいから食ってみてぇなぁ。」
「でも、こっちも普通のみかんですから…。」
「お、おい!意地悪すんじゃねぇよぉ。いいから!頼むぜぇ。悪かったってぇ。わかりましたぁ。それは普通のみかんじゃありません!特別なみかんです、って事でどうだぁ?」
「えぇ、どうぞ。この『特別』なみかんを。」
神様は僕の食べかけのみかんを一つだけつまんでゆっくり凝視しながら口に近付けていった。
神様の口の中はどんどん唾が溢れてきているようだった。
口の中に入れた瞬間の神様の衝撃を受けたという顔ったら。
神様は僕の手の上にあるみかんシャーベットを全てひったくり、残りの神様にお供えするはずだった分も目を血走らせながら美味しそうに頬張った。
「何だこれ!?普通のと全然違うじゃねぇかぁ!美味ぇぞ!」
「そうですか。喜んでもらえて良かったです。」
「こんだけ美味ぇもん、持ってきたんだからよぉ、何か願があんのか?言ってみろよぉ。」
「いえ、お願いしたい事はあるんですけど、今回は願掛けをしたいんです。自分の力でなんとかしたいと言いますか…。だからお祈りさせてください。」
「あぁ、そんな事かぁ。ならそんなの持ってこなくても聞いてやんのによぉ。」
僕はしばらく祠に向かって手を合わせていた。
美菜ちゃんが最後まで楽しく過ごせませすように。
僕が最後まで諦めずに美菜ちゃんを支えられますように。
僕はそんな事をお願いした。




