番外ーー時計のネジ巻き。
20万pvありがとうございました。その記念と言っては変ですが書いたものです。はい。自己満足です。
サイのやり直し編ですが、暗いです。コメディは落としてきました。(汗)
注意としては一途をお求めの方はやめた方がいいと……。
そして、やっぱり土下座して謝ります。
私は妻を愛していて、幸せだ。だが、時々思う。ーー彼女が今では手の届かないところに行ってしまった彼女の手を取ればもっと幸せになったかもしれないと。意地でも奪い取ればよかったのかもしれないーーと。
そんな事は後の祭りなのだ。
私は妻を愛していたのだから。
で、あるはずなんだかどうして私の身体は縮んでいる? 細い手足には無数の傷。それを隠すようにシルクの者ってまとってみればあっという間に品のいい『公爵嫡男』の出来上がりなんだが。
いや、そればいい。父上がまだ健在みたいだがそれは置いておいて。目の前にいるのは……妻。正確には未来の妻。あの、妻にしてくれなければあなたを殺して私も死ぬと本気で肩に剣を突き刺したあの妻だ。
……思い出しても震える。
にしても、この麗しい小さな少女がどうしてああなったのか私が知りたい。かつての妻は俺の前にちょこんと座ると机にノートと大きな本を開いた。それを見ながら私はああと呟いていた。
一週間に一度の家庭教師の日だったな。
とは言え私も教えられることは少ない。私自身まだ子供である上に教えを乞うている立場にあるためだ。
どうしてと言われればこの家の主のたっての願いで私にも細かい事は分からない。なんにせよ息が詰まるようなあの屋敷から外に出れると言うのは私にとって願ったり叶ったりたった。
「せんせぇ。きょうはどこを読んだらいいですか?」
「そうだね。今日は……少し散歩をしてみようか? いいお天気だし」
ニコリと微笑むとぱあっと頬が赤くなる。かわいいなぁ。どうしてああなったんだろう。彼女の両親は温和で似ても似つかないんだけれど。
二人で手を繋ぎながら庭を散策していると可愛らしい手が私の手を軽く引っ張った。
「せんせぇ」
くるくると大きな目が私を見つめる。
「ん? なんですか?」
「せんせぇには好きな人がいるんですか?」
そういえばこんな会話あったかな。それを思い出した。七歳。ませてるななかなか。前はどう言ったか忘れたが別に言っても支障はないか。そう思う。若いせいか、前よりも鮮明に頭に残る彼女の姿ーーリアがいたからここ迄正気を保っていられた。暗闇の向こうにいつだってリアが見えたから生きていられた。
……。
そう言えば……子爵はまだ没落してなかったよな。父親は健在だったはず。
いまーー迎えに行けば。彼女が『アレ』を見る前に。そうすれば。
ドクンと心臓が揺れた。どうして前に考えつかなかったんだろうか。自分のことに精一杯で必死だったからかも知れない。
「せんせぇ?」
声に我に返り、慌てて笑みを作る。そこには心配そうに私を見つめる少女がいた。
「あ……すいません。私の好きな人ですか。ーーそうですね。はい。……いますよ」
別に隠すものでもないし真面目に答える気もなかったので適当に答えて次の話題に移ろうと考えていたのだが、少女は予想以上に不安に瞳を揺らしていた。
「レベッカよりも?」
「……え」
じっと見つめる目はどこまでも真っ直ぐだった。その姿は美しい妻に重なる。私には勿体無いほどのーー。
思わず言葉に詰まってしまった。『否』と言ってしまえば彼女を愛していた私の気持ちも何処かへ行ってしまいそうで。
それもまた真実だったのだ。私にとって。私は苦々しく苦笑を浮かべる。
「ーー忘れられない思いがあるんですよ」
「忘れられないの? じゃあ、せんせぇのこころベッキーがうめてあげるね。思いがベッキーで一杯になるように」
「……ありがとう。でも、きっとレベッカには私みたいな人間ではなくて相応しい人が居ると思いますよ?」
そう言えば。ベッキーは私の何処が好きだったんだろうかと思う。名声を取ってしまえば何もない人間。しかも犯罪者と言ってもいい身分なのに、家まで捨てて押しかけた彼女は私の記憶の限り生涯その事を口に出すことは無かった。
「せんせぇがいいんだもん!」
プクぅと膨れる頬。……なんでかこの頃から好かれてるんだよな。気付かなかったけど。
「……私の何処がすきです?」
まるで恋人の様な会話に笑えてくる。子供にいう事ではないが聞きたいと思った。
私が少女の顔を覗き込むと、少女は嬉しそうにぱっと顔を上げた。太陽に映える花のようにとてもいきいきとしている。
「顔!」
……
……。
即答。
いや、いいんだけれど。べつに。
ああ。そう。そう言えばそうだったかも知れない。顔なんて気にとめていなかったけど。
この顔でリアが靡いてくれるわけでもなかったし。……にしてもあいつの何処がいいんだろう? もはや顔だけの気が。
「そうですか?」
「そうなのっ。あ、お花だ! せんせぇ」
さすが子供。数秒前の事はもう頭に無いらしい。キラキラした目で木陰に咲いていた花を見つけるとパタパタと小さく足を鳴らして近づいていく。
花好きはこの頃かららしい。私と暮らしていた頃も屋敷を花でいっぱいにしていたベッキーの姿が浮かぶ。
そう言えば……私の記憶の隅。彼女との最後に交わした言葉は何だったんだろうか。
とても大切な事だったように思うけれど、霞がかって思いどすことはできなかった。
*******
カラカラと車輪の音を聞きながら私は荷台から景色を眺めていた。レベッカの屋敷を後にして私は戻ることなく、大衆用の馬車に飛び乗っていた。もちろん私だけではなく他にも二、三人乗っていて、彼らもまた黙って景色を眺めていた。
窓なんてあるはずも無く、生暖かい風が頬を掠めていく。
街を抜け、目に映るのは広大な牧草地帯で、牛が時折低い声で鳴き、鳥が地面を突付いている。
久しぶりに見るそれに私は懐かしい思いに駆られる。よくリアと二人で追いかけっこをしたものだ。彼女はとても足が遅いのですぐに捕まり面白く無かったんだけれど。
そんなことを考えていた時、隣から声が飛んだ。
「ニーチャン。家出かい?」
見ると中年ぐらいの小太りな男だ。ニヤついた顔で私を値踏みするうに見つめていた。
質素な衣装に着替えてきているのでおかしなことに巻き込まれないとは思うが、念のため私は背に忍ばせておいたナイフの柄に触れる。
これでも身分は『公爵』だ。捨ててしまいたい。そう思っていても。扱い用はいくらでもある。
それ以前に捕まって今屋敷に戻されるのは嫌だった。逃げ出せない。分かっている。あちらには、私の半身がいるのだから。捨てていくことはできなかった。
たとえその結末を知っていても尚だ。
「いえーーこの先の子爵様のところに面接に行くんです」
怪しまれないための嘘を咄嗟に付いていた。
「へぇ、あの家まだそんな金あったんだなぁ。色欲、強欲ババアがすべて使い切ったって聞いてんだけど。あ、俺元使用人な。今でも週に一度は管理しに行ってんの。旦那様はいい人だしな」
元使用人。という事はリアを知っているのだろうか。今どうしてるだろう。あのまま優しい彼女だろうか。
逸る気持ちを抑えて私は静かに口を開いていた。困ったようにして。
「……ええと、もっと何か情報はありませんか? ご家族とかーーあ、その。ええと、私はこれから行くのに何も聞いてなくて」
「ああ。御息女のリディア様は優しく聡明で美人たぞ? 惚れんなよ? で、アバズレの連れ子ーーなんて言ったかな?」
一瞬、殺してやろうか。そう思う。指一本ぐらいなら構わないか。構わないよな。頑張れば付くし。多分。
そんなことを考えていたが、当然男は気にも止めることなどなかった。
「ああーーマテリアだったな。地味なお嬢様だよ。性格は母親に似て人を見下した所はあるけどな」
「……そう、ですか」
否。と心が言っている。私が知っているリアは優しくてツッコミどころばかりの楽しい少女だ。人を見下す事はできない。きっとそれは今変わらないだろう。前の再開でも大して変わらなかったのだから。
ありがとうございました。私はそう言葉を述べて話は終わりというように外の景色に視線を移した。
小さく見えていた屋敷が近づいてくる。手入れされていないだろう荒れた庭。人が住んでいるのか疑わしいぐらい外壁を蔦が絡んでいる。
私が馬車を降りると当然のように男も降りた。
「またぁ……荒れてんなぁ」
ため息混じり。ぶつぶつと文句を言いながら歩いていく男に付くように私も歩く。
門を抜けて扉までたどり着けばーーそこには何かを伺うように一人の少年が中を覗き込んでいた。
服から見れば……貴族だろうか。妙に整った顔立ちのーー。
……って。あの横顔。
「って、何だ? 先客か?」
私は思わず少年の肩を掴んでいた。まだ細く俺そうな肩。少年は不審そうに私を見たが、不審者はお前だと言いたい。
件のーーバカだ。
なぜいる? 見回してみれば伴も付けていないようだった。抜け出してきたのだろう。ため息一つ。この王子は本当に大丈夫なのだろうか?
というか。リアに合わせたくないんだけど。
「ーーあ? 離せよ? 俺を誰だと思ってる?」
女の子のような可愛らしい顔で威圧されても怖くもなんともない。私は威圧を返すように睨みつけた。
まだ子供だ。怖く思ったのだろう。ビクリと肩が震える。
「はぁ? 知りませんよ? 早くお屋敷に帰りましょうか? ウェル様」
まさか王子とも言えず名前を呼ぶと大きな目を見開く。その後で警戒するように私を見た。連れ戻されるとでも思ったのだろう。
立場上連れ戻すけどこのまま行方不明になってくれればなおいい。ふと思ったりする。もっともそんな事はできないけれど。
「どっかの坊っちゃんか? 何だ? リディア様を見に来のか?」
「おう! ぜっせいのびじんと聞いたぞ? 俺には見るけんりがある。それまで帰らない!」
えへん。胸を張る馬鹿。私の知らない所でこんなことをしてたのか。この子供は。勉強した方がいいと思うのだが。
男も苦笑を浮かべている。
「……そうかい。でも、リディア様は繊細だからこっそり見ろよ? 今の時分ーーそうだな。お庭にいる頃だ。旦那様には俺が言っておくから。兄ちゃんもお目付けで行ってやんな」
「はぁ? 何で私がーーって、行かないで下さい!」
何かあるとまずい。私は矢のように飛んでいく馬鹿を慌てて追いかけていた。
******
『ああ。どうしよう? ママからもらったドレス破いちゃったわ。この糊でつかないかしら?』
消えた馬鹿を追いかけたのはいいけれど。逸れてしまった。あの子供案外素早い。雑草だらけの道。私はふらふらと歩いていると、途方に暮れたような声。
すっと木々の間からのぞき込んでみれば、一人の少女が泣きそうな顔でドレスの裾に糊をこすりつけている。
褪せたような金の髪。気が強そうに見えるツリ目。けれど馬鹿さ下限が滲み出す愛らしい雰囲気。
リアだ。大人の時とも子供の時とも違う、私が初めて見る彼女がそこにいた。
嬉しくてーー駆け寄ろうと思った私をとどめたのはパタパタと歩いてくる少女だった。
人形のような。そんな形容詞が似合う美しい少女はおそらくリディア様だろうと思う。
なるほど。この頃から絵画に描かれている天使のようだけれど……私にはリアの方が可愛く見える。
「お姉様」
声をかけられる驚いたのかリアはビクリと小さな肩を震わせた。
「な、何かしら? あなたは私に話しかけていい身分ではないのよ? もう下女なのだから。ほら。さっさと向こうへ行きなさいな? それとも何? この私が邪魔だと言いたいのかしら?」
なんというか。ほほほと笑っているけれど。ーー盛大に似合わない。一生懸命演技していると言うのが分かる。
そして何てかわいいんだろう。と思っている私も相当な馬鹿だなと思うのだが。
しかし。
私はため息一つこぼしていた。
泣いているふりをしながらニタリと口元を歪ませ、頬を高潮させている。いまにも『お姉様って何て馬鹿で可愛いのかしら?』などという声が響いてきそうだった。
リディア様はリアでよく遊ぶのは昔から変わっていないらしい。そしてそれに気づくことはなかったリア。
苛め抜いたと最後まで後悔していたらしいから驚きだ。そんなところも可愛いけれど。
自然に私の口元は緩む。
「で、でも。お姉様。ドレスの裾が……」
一瞬、見つかってしまった。と苦々しい表情。裾を隠そうとしただが、無理ということを悟って困ったようにリディア様を見つめる。
その後でグッと意を決したように口許を結び、裾をビリビリと破る。
「こ、これは動きにくいから破ったのよ! 破れたんじゃ無いわ! ほらこうすれば私の長い足が目立つでしょ?」
長くない!! 細くない! 白くない!!
なんだろう。その標語。ともかく声にならない絶望が……気のせいだろうな。今にも地団駄を踏みそうな表情だったがかろうじて我慢しているようだ。
私から言わせてもらえば柔らかそうなんだけれど。そこで我に返ると私はちらちら見える太腿へと目が行かないようにして二人を観察する。
こういう事は一度タイミングを逃してしまえばすごく出にくいのはなぜだろう。
やはり犯罪じみているからだろう。
「……どうかな? 私の娘たちはかわいいだろう? サイ君」
突然背後から響く声に私の体と心臓は強張りジワリと手のひらには汗がにじむ。
この覗き見ている変態のような状況。役所に連れ出されてもおかしくない。しかしながらそれよりまずなぜ名前を知っているのだろうか。私はここに来るまで名乗った覚えなどない。
混乱した頭の中、いくつか疑問符を浮べ私は振り返っていた。
「王子なら今頃我が妻が相手をしておりますよ。流石に子供には手を出すまいて」
優しそうな笑みを浮かべた初老の男性。しかしながら顔色は悪く今にも折れそうで私は思わず駆け寄るとぐらついた彼の体を支えた。
「子爵様……ですか?」
そう思えば知っていてもおかしくはないけれどーー面識はない。何処かであっただろうかと考えながら今も昔も記憶を辿るが出ては来なかった。
「はい。公爵殿はお変わりないですかね?」
はい。と告げると子爵はそれは良かったと呟いて地面に腰を掛けた。はっと短く吐かれた息はとても辛そうに見えたけれど、私に向ける目は優しいものだった。
「あの。申し訳ございません。こんな形で」
「リアが気になったのでしょう? サイーーレンズ君は。私にとって見ればようやくと言ったところですね」
「……」
笑う子爵を呆然と見つめていた。なぜ知ってるのだろう。私の本当を知るものは父上と『レンズ』を除いてはもういないはずだったのに。
「なんでって。私はあなたのお父さんと仲が良かったんですよ。お母さんのことも貴方の事も聞いています。それはリアからも聞きましたが……。あ、実はあの後迎えに行ったんですがそんな人間はいないと公爵に突き返されまして」
言葉を着ると子爵は私の手を握って裾を捲りあげる。顕になった傷に少しだけ顔を顰めたがそれについて問いただすことはしなかった。
ただーー。
「頑張りましたね」
そう空気に溶けるように言っただけだった。
********
せっかくなので声をかけてきては。そう言われて子爵は身体を引きずりながら帰っていった。付き添おうとしたが断られては仕方ない。何処か後ろ髪を引かれる思いで庭を歩いている。
雑草の伸び切った庭。その一角綺麗に整えられた所があった。その中心にあるのは大木。今は夏を少し過ぎた頃なので青々とした葉しかないけれど春になれば白く可愛らしい花を咲かせる美しい木だった。
その大木に隠れるようにして少女が一人。しかめっ面で破りきったドレスの切れ端を睨んでいる。
「上手く付かない……本当どうしよう?」
大体糊でなぜつくと思ったんだろう。おかしなシミが広がってるがそれは気にしないのだろうか。
私ははあっとため息一つ。裾端をリアから引っ張り上げる。それに驚いたリアは素っ頓狂な声を上げた後で恐る恐る私に目を向けた。
少しだけ感動の再開を期待してしまったが……どうやらそんなものは無いらしい。
彼女は目をぱちくりさせたまま小さな唇を開く。
「えっと。誰? ……新しい……ママの恋人?」
なんでそう思った? というか。あのオバサンまだそんなことしてるのかと呆れる。リアが小さい頃はよく私の家で預かったーーリアが家から追い出されるためーーものだった。
そう言えばリアが城にいた頃もオバサンに関する良い噂は聞かなかったな。にしても、子爵はこれでいいのだろうか。
私は困ったようにしてまゆを寄せリアの隣に座った。
「違います。ほら。縫いますから針と糸を持ってきてください」
裁縫は出来ないわけではない。伊達に庶民だったわけではないのだ。
私が言うと納得したようにして少女はパンっと手を鳴らす。
「あ、新しい使用人さん?」
違うというのに。リアの勘違い癖はこの頃から発症しているらしい。私は軽く頭を抱え軽くリアを睨むように見つめる。
今までの恨みを込めたようにーーと言うのは冗談だが。当然リアはなぜ睨まれているか分からず困惑が表情に浮かんでいた。
それもまた可愛いけれど。
「早く。直したいんですよね? 分からなければ子爵様に」
「はぁい」
パタパタと音を鳴らして戻ってきたリアは服を着替えていた。どうやら子爵に見つかり怒られたらしい。太腿が顕になっていればそれは怒られるだろうと思う。
手に持つのは糸と針。
で、肝心のドレスはどうしたんだろう。
ドレスの切れ端をヒラつかせてみれば『ああっ』と分かりやすく崩れているリア。聞くとリアと入れ違いで母親が部屋に入ってきたらしい。
終わった。口からエクトプラズムかなにかを吐き出しながら、地面に指でこれまた不明なものを描いている。蛙……いや、犬だろうか。いやーー。
なんだろう。これ。
「そんなに大切だったの? あのドレス」
「普段何もしないママが作ってくれて……大切にしてて。見つかればーー」
捨てられるわ。リアは力なく呟いた。ジョンポリしている彼女はどこか子犬のようで。
確かに。あのおばさんがリアのために何かをしたーー母親らしいことをしたのは驚きだった。昔から放置しかしていなかったのに。
「リアは……おばさんが好きなんだね」
あんな人でも。とは言えなかった。でも、その雰囲気を悟ったのかリアはプゥっと頬を膨らませ私を睨むように見つめる。
「レンズだってお母さん好きだったじゃない」
「え?」
「違うの? ママの恋人でもないし使用人でもないなら。うんーー良く考えればそうかなって」
気づかないと思っていた。前だって気づく事など皆無だったのに。何か変なことを言ったかなぁと言いたげな顔で首をかしげているリア。嬉しくて思わず抱きつきそうになってしまったが流石に自制した。
朱く染まった頬を隠すようにどうしてと言ってみれば困惑した表情を浮かべる。私がどうしてこんな表情をするのかちっともわからなかったようだった。
「え? ーーだって。そのままだから。別れた時と変わってないもん。良かった。元気そうでーー引っ越したって聞いたから」
さっきまで明らかに勘違いしていたんだけどそれは……という言葉を飲み込んで私は戸惑ったように口を開く。
「う、うん。リアは元気そうでーー」
「ええ。ママは基本変わってないけど、私にも義父様ができたのよ」
ふふっ。と嬉しそうに笑う。リアは物心ついた時から父親はいないし、おばさんも誰だかよくわからないらしい。であるので子供の頃は髪色がよく似た人とかを見つけては『あの人かもしれない』と言っていたものだった。
私の義父を見てそういうものに憧れていたらしいのだ。私の義父もとても良い人だったから。
母と共に救えたらどれほど良かっただろうか。
私は軽く笑顔を浮かべてみせた。
「うん。いい人だね」
私は彼の儚さを思った。そんなに遠くない未来に消えてしまう命。どうせなら父上の命をあげたいくらいだ。
「うんっ」
無邪気に笑うリアの隣に私は腰を掛けていた。薄っすらと茜に染まる空。もう帰らなければならないだろうか。
「ドレス残念だったね?」
言うと少しだけ未だ幼い顔に影がかかった。
「うんーーでも仕方ないよ。ママがくれた思い出はきちんとここにあるから。それでいいかな。あ、レンズ。そろそろ帰らないといけないんじゃない? おばさん心配するよね?」
もういない。とは言えない。何度繰り返しても胸の痛みなんて取れるものではないのだから。話せば溢れ出てくるような感情。痛みを圧し殺すようなくぐもった返事にリアはああと納得したようにして声を出す。
「喧嘩して逃げてきたんだぁ。仕方ないなぁーー泊まってく? どうせ部屋余ってるんだし……あ、昔みたいに遊ぶのはどうかなぁ?」
……昔みたい。ってそれは流石に無理だろうと思う。ひとつのベットの上で本を読んだり、怪談をしたり。カードで遊んだりして。
子供じゃないんだから。
「いやーー」
「あ、さっきの! こんな所にいた!!!」
私の声を遮るようにして目の前で影が踊る。それはいつの間にか消え去っていた王子だった。
そのまま消え去ってくれればいいものを。内心舌打ちを舌打ちをしたのは間違いない。
「どこにいらしたんですか?」
「それが、マテリアか? リディアから聞いたぞ」
リディア様の所で遊んでいたらしい。彼女の迷惑そうな顔が頭をよぎった。
そんなことよりも。私は慌てて目線をリアに飛ばすと呆気に取られたような顔で王子を見つめている。
かすかに頬が赤らんでいるのは夕日のせいではないだろう。私は軽く唇を噛んでいた。
なぜ今回も。そんな思いが湧き上がってくる。
「ーー可愛くないじゃん。だましやがって。おい、お前。帰るぞ?」
なぜこの可愛さがわからないんだろう? あ、わからなくてもいいのか。そんな結論を頭の中で出していた。
しかしながら帰りたくないな。わかっているのだけれど。
「私は」
「俺の言うことが聞けないのかよ?」
何だか前よりも馬鹿さ加減が悪化している気がする。何故こんな男をリアが好きなのか今も昔もさっぱりわからない。
ため息混じりに口の中で悪口を転がしてからゆっくりと立ち上がった。
「帰るの?」
その言葉はどちらに向けられたものだろう。寂しそうな双眸に私であると信じたかった。
私は王子に先に行ってくださいとお願いしてからリアの視線に合わせるようにして膝をついていた。
少し驚いた顔をしたが何も言わず私を見つめている。
「また来るよね? おばさんも許してくれるよね?」
多分もう来ることはできないだろう。家からでることが出来てもおそらく監視がつくだろうし。
ーーまた『あの日』まで会えない。そして、また私は同じ道を行くのかもしれない。
私は軽く首を振った。
「すごく遠いからーーすごく、すごく大人になるまで来ることはできないんだ」
「……そう。でも、あえて良かった。来てくれて嬉しい」
リアはフワリと微笑んで見せた。それは何処か無理をしているような笑み。少しだけ、少しだけだけれども私がいなくて、会えなくて寂しいと思ってくれる事が嬉しかった。
今はあれを見ているのではなく私を見ているーー。きっと忘れてしまうだろうけれど。
私は半ば自然に近くにおいてあった小さな手を取るとその甲に唇を落としていた。貴族が良くするようにして。多分振る舞いは完璧だろう。市井出身だとしても。
「れ、レンズ? ちょ? どうしたの?」
見れば耳まで真っ赤になったリアの姿。また社交会に出てないためなれてはいないのだろう。理解できずに目を白黒させている。
かわいい。
私はたまらず自分の願望を声に出していた。
「ねぇ、リア。今度会ったら結婚してくれる?」
「はっ? なな、なななにを? だ、だ、大丈夫? というか、わ、私は子爵だし……」
もはや本人すら何を言っているのか理解していないかも知れない。ちなみに貴族と平民は結婚出来ないと言う馬鹿な決まりがある。実際には母と義父は結婚できていなかったわけだし。
私はニコッと笑いかけた。
「ヘーキ。なんとかなるよ。どう? 考えてくれる?」
私は公爵だしね。
付け加えることはしなかったがリアを見ると真っ赤な顔でこちらを睨むように見据えていた。
口にすればよかったかななんてふと思う。どうせ最後だし。
「ーーまた、会ったらね?」
「……うん。それでいいよ迎えに来るから」
それでいい。リアはきっと覚えてないだろうけれど。私は立ち上がると、軽く手を降って王子を追いかけていた。
+++++++
あれから幾度の季節が流れ何度同じことを繰り返しただろうか。父上の葬儀が終わり半身が出ていった頃ーー。私は気づいた。
まだ王子は結婚していない事を。
通常ならこの辺りでリディア様と結婚されるはずだったのだけれどどういう事だろうか。
夜な夜な開かれる会には主席し女性と遊んでいるみたいだけれどそれらしい噂すら聞かなかった。
不思議に思ってリディア様のことを調べてみれば、どこかの庭師と駆け落ちしたと報告があった。
意味がわからない。私の方はレベッカをこれ以上傷つけるわけにもいかず彼女とは会っていないし夜会にも参加していない。その事が功を奏したのか婚約パーティの知らせが来たのはついこの間だった。
そうして男爵家に邪魔しているわけだけれど。
「は?」
そこで見たのは使用人の服に身を包んだリアの姿。一回目と変わらず見事に仕事をこなしている。給仕、衣服の整理、片付け。細々と動いて声をかける暇もなかった。
生き生きとしたリアの姿。何も変わってなどいない彼女がそこにいる。
どうしようか。悩んでいると後から声が飛んだ。
「サイ様、ずっと何を見ておられるのですか? 皆様とお話すればよろしいのに」
レベッカだ。私が知っているレベッカのどれとも違う彼女がそこにいる。赤いドレスに身を包んだ彼女は未だ幼さと同居する顔で妖艶に微笑んだ。
「あ、いや。そうだね。ーーあ、あそこに居る使用人は?」
「まぁ、使用人に興味がお有りで? 変に手を出すと王子みたいになりますよ?」
何をしたんだろう。あのバカ。引きこもっていた私には一向に噂など届かないのでよくわからなかった。ただ、なんとなく想像もできるし、馬鹿らしいので聞くつもりもなかった。
「いや、あの。私が知っている人によく似ていたものですからーー」
言うとレベッカは小首を傾げた。
「そうなんですか? でも、もしかしたら会ってるかもしれないわね。彼女はマテリア=ラム=プレス。子爵様の養女で借金返済のために働いてるんですって」
……そこは変わらないらしい。きっと子爵は亡くなっているのだろう。あんな親を持った不憫を思う。
「リア! リア! こっちに!」
考えているとレベッカがブンブンと強調するように手を振りリアを呼んだ。それに気づくとリアは少しだけ苛ついたように視線を向けたが何も言うことなく近づいていくる。
「何でしょう?」
不機嫌そうな顔を隠すこともない。リアはレベッカを見つめていた。当然鉄の心を持つレベッカは気にもとめない。
「貴方のことが気に入ったそうよ? この人は公爵様。ヨロシクネ?」
何んだか語弊がある気がする。案の定私はリアに汚いものを見るかのように冷たい目を向けられた。
しかしながら何も気づかないようだ。あの時から成長したし、変わっているから致し方ないけれど。
「私は私を売りに来たのではありませんが? 働きに来たんです」
「話すだけでいいのよ」
レベッカはニッコリと命令と言わんばかりの笑顔を浮かべてから私から離れると、私達は重苦しい沈黙の中取り残された。
「何か?」
相変わらずの冷たい目。私を人間のクズか何かだと思っているに違いない。何とかしなければとは思うが話題が見つからなかった。
「いや、あの。妹さんは?」
「リディはもう結婚してるわ。悪いけど私に仲介頼んでも無駄だから。子供だって生まれるし」
「そう」
一体どれだけの仲介を受けたのだろう。リディア様は社交界の華だ。リアなら近づきやすく紹介してほしいという人間が絶えなかったのは容易に想像できた。
そして私もその一人と思っているのかも知れない。
うんざりといった表情でリアは細い肩を竦め、もういい? と言いたげな視線を私に送る。
いや、それでは困るのだ。なんか話題をーー考えを巡らしていたが、唇が勝手に動くようなそんな気がした。
「君はーー結婚してるの?」
何を聞いているんだろう。私は。自分自身がその質問に一番驚いたし、分かっていた事だった。
知っているのだ。彼女が結婚などしていないことは。
けれどもリアの声から聞きたかった。じっと見詰めれば戸惑った視線が帰ってくる。なぜそんなことを聞くのだろうか。そう考えているのだろう。その後で警戒するように私を見る。
「……え? いや、関係ないでしょ? 私のことは」
私は昔のように手を握ると詰め寄るようにリアをのぞき込んだ。息のかかる距離。真っ赤に染まった顔。彼女の体温を間近に感じられる。
このまま抱きしめてしまいたかった。万感の思いを込めて。
「結婚してるの?」
「え、いや。してない、けど」
「じゃ、結婚しよう?」
きっとリアは押しに弱い。最近いろいろ振り返って気付いた。こういう時に昔があると便利だと思う。
リアは真っ赤な顔を更に真っ赤にさせて首を振った。……この顔が役に立ったのだろうか。
かわいい。
「は? いやいやいや。何言ってんの? 私達はここ出会ったばかりだし。私は貴方知らないし。ーーいやいやいや。なんで? それに、約束してるし」
消え入るようにリアは語尾を小さくした。
「約束?」
「いや、ええーーと。迎えに来てくれる人がーー子供の頃の約束だし。でも……私の初恋だったしーーう」
初対面の人に何を言ってるんだよ。私は。付け加えリアは頭を抱えてしゃがみこんだ。
その後で思い出したようにして私を見上げる。多分固まったまま顔を私も真っ赤にしているに違いない。
けれど嬉しくて。初恋と言われた事や待っていてくれた事が嬉しくて隠せなかった。
「貴方に似てるかも……面差しがーー」
「……私は。君が好きだよ」
ホロリと言葉が溢れる。公衆の面前。しかしながら使用人と私の会話を気に掛けるものはいなかった。
膝を織り込んで目線の高を同じにすると驚いたような彼女の顔。それは昔と少しも変わらない気がした。
「だから、なんで? 私はここの使用人だし。容姿だって」
滑らかな頬に触れればどうしたらいいのか分からず目をぐるぐるさせている。振り払うことも出来るのだろうけれど『場』と私の立場を考えているのだろうか。
こんなことを言っては何だけれどこの状況は私にとって好都合に思えた。
「ずっと好きだよ。リアーー」
昔から言いたくて、言えなかった言葉。言っていたら何か変わっていたのかもしれない。行動を起こしていたら『あれ』に勝てたのかもしれない。
私の手はもう酷く薄汚れているけれどーーそれでも離したくない。やっと巡って来たんだ。
「……レンズ?」
マテリアをリアと呼ぶ人間はあまりいない。ようやく気付いたのだろう。顔を上げて震える声で私を呼んだ。この先呼ばれることのないだろう名。ドクンと心臓が跳ねる。
「どうして?」
「迎えに来た」
「……」
先程の発言を思い出したのか、逃げられないと悟ったのかどっちにしろ陸に上げられた魚の様に口をパクパクさせるリア。
ーーそのまま彼女はここにある現実に耐えきれなかったのか、意識を手放してしまった。
+++++
小さな部屋だった。使用人に与えられる角部屋。二人部屋なのだろう。硬いベッドが並んで置いてある。ただ、その一つは使われていないらしい。汚れないように上から白い布が被せてあった。
もう一つのベッドにリアを運ぶと私は気持ち良さそうに眠る彼女の横顔を眺めていた。
年齢より幼く見える見た目。手に目を移せば少しカサカサとしているようだった。苦労してきたのだろう。貴族の娘ではありえないことだ。
それは街で暮らしていた頃の母の手にも似ていた。
「ん……」
長い睫毛がぴくりと動き、ゆっくりと目が開かれる。初めここはどこか分からない用で訝しげに天井を見ていたが、ようやく思い出したらしく慌てて身体を起こしていた。
当然視界に入るのは私で。
「……つ!!」
「おはよう」
ニコリと微笑んで見せると思わず声をつまらせる。グルリと思案するように視線を回したあとでピタリと私を見つめた。といってもどこか視線が合わないのだけれど。
「ーーゆ、夢では?」
「無いね?」
「……」
信じられないらしい。グッと自身の頬をつねると痛いと叫んでいる。一体どれだけ強く握ったんだろう?
涙目になっている。私が思わず頬に触れると彼女はビクリと肩を揺らして身を引いた。
拒絶するみたいに。それは悲しく思える。
「私が、気絶するほど嫌い?」
視線を反らし、悲しそうに地を見つめてみればーー勿論演技だけれどーー素直なリアは慌てて声を上げた。
「そ、そんなんじゃないけど。お、驚いて。なんでこんなところにいるのかなって思ったり……いや、それよりーー私はとっくに約束なんて覚えてないーーって。いや、ええっと。本当に来るとは思ってなくて。あれはその。断るための言い訳というかーー」
「そ、じゃ、結婚しようね」
清々しく告げれば、固まった。『話を聞けよ』みたいな顔で見ているが話を素直に聞くほど私は人間できていない。特に今回は。
どうせ心の準備がとかなんとか言っては逃げられるのだから。私は逃げ気味のリアの手を取り覗き込むように見つめた。
息のかかる距離。柔らかい髪から石鹸の匂いが漂ってくる。それに微かにぐらりとして私は身体を少し離していた。
「……私はリアが好き、君も私を待っていた。何か問題でも? それに私は公爵だし。君の望むものは買ってあげられるよ?」
でも、多分正確にはあのおばさんの望むものなんだろうけど。それが少しだけ魅力的だったのか何なのかリアは少しだけ考え込んだあとでぷるぷると何かを振り切るように顔を振った。
「いや、あの、そんな事は」
「それとも私では不服?」
こんな好条件他にはないと思う。現に私のもとにはお見合い話が大量に送られてくるのだから。面倒なので読んでもいないが。
柔らかい掌を指でなぞればくすぐったそうな声が小さく響く。
「そういうわけではーー無いけど、さ。……あ、えと。でも、結婚ってお互いをよく理解して尊敬しあってするものでしょう?」
いや、前回は尊敬の文字なんてどこにも浮かんでいなかったけれど。そのまま前回のリアに送りたい。尊敬というかーーあれは何だったんだろう。ふと思う。
何度も言う。あれのどこか好きだったのか。
「私はよくリアを知ってる。それじゃダメなの?」
リアは赤くなったままの頬を軽く膨らませた。なんだか、小さな子供みたいだ。
「ーー子供の頃の私しか知らないじゃない。私だって今のレンズはよくわかんないよ」
それは知ってくれれば私のものになってくれるということだろうか。良いように解釈して、私はゆっくりと口元を開く。
「今の私ねぇ。じゃあよく知ってもらう為にも私の家で働けばいいよ、レベッカ嬢には私から言っておくから」
「え? でも」
「悪い話ではないと思うよ? 給料もここよりは良くするよーー何より公爵家だしね。これでも矜持はあるつもりだし」
働かせるーー本当はそんな事させるつもりはないが、多分止めても働くだろう。うーんと唸ってから観念したようにため息一つ。
「わかった。でも給料はきっちりいただくんだから。でも。結婚するとは言ってないわよ?」
「もちろんーーでも忘れないで? 私が君を好きだということをね」
ニコリと微笑んでみれば『安売りは嘘っぽいよ。逆に』と頰を染めながら言われてしまった。
++++++
ーー夢か。
薄暗い部屋の中で私は息をついていた。どれもこれも見覚えのある調度品。あの国を追い出されてから揃えたものだ。もう、どれくらいになるだろう。リアが私の元を去ったのは。
悪い夢だ。
水を飲もうとベッドを立った。しかしながらふと私の手に冷たい何かが触れているのに気付くとゆっくりと視線を滑らせる。
月明かりに照らされた青白い部屋。白く滑らかな手が私の手に重ねられていた。
ーー労るように。
「?」
レベッカだろうか。眠るときに一緒にいた記憶は皆無だ。更に視線を滑らせれば、月の光に反射する長い髪が飛び込んできた。
キラキラと光る髪を追えば柔らかそうな口元。長い睫毛。年齢よりも若干若く見える可愛らしい顔。
ーーえ?
それが誰であるかを理解する前にドクンと心臓が震える。
リアだ。
なぜ。どうして? 理解も何も追いつかない。息をすることさえ忘れたようにして固まる私。ゆっくりとまぶたをひらいたリアは心配するようにして私をのぞき込んだ。
「大丈夫? 怖い夢見てたようだけど?」
「え? あ? どうして……ここに?」
思わずいう私にリアは眉間に深いシワを作ってみせたが、考えるようにして首をひねると私の額に手を置いて見せる。
まるで熱を測るように。いや、実際測っているのだろう。
いい年をしてカッと頬が赤くなってしまう。それがまた恥ずかしかった。
「……熱は微熱程度っと」
「いや、あの。リア? そうじゃなくてどうして私の部屋に寝てーーなぜいる?」
「丁度部屋の前を通りかかって魘されてるのが聞こえてたからよ? 全くどんな夢を……」
さも当然のように答えているが……私はそこまで警戒されていないのだろうか。逆に言うと『あれ』以外は目に入らないのかもしれない。
ともかくこんな所を誰かに見られでもしたら大騒ぎた。まずは軽くレベッカのジャブーー殺されるかもしれないーーが入り、あとは祖国から暗殺者がわんさか送られる。
一瞬それでもいいかな。と思ったりもしたが良くない。リアに良くない。リアが幸せでないのは私の本意ではなかった。
それに、レベッカを悲しませたくないのもある。
「と、ともかくーー部屋に戻った方がいい。私は問題ないから」
「いるわよ? レンズが眠るまで。ほら、手をとって? 毎日忙しいんだから眠なきゃ」
手を取られベッドに押し込められると私は困ったように顔を上げる。
「でも……ってーー」
私は慌ててリアを見つめた。名乗った覚えはないのだ。レンズとは。あくまでもサイと認識しているはずだった。
それが意味するところって。私の思考を遮るようにして声が飛ぶ。
「いいから寝なさい。子守唄歌うわよ?」
なんだろう。そのご褒美。いや。と私は頭を振る。
「いいから。そんな事は妻に頼むからーー」
最も出来るかは疑問だったけれど。私が困った顔をして告げればリアの顔が困惑を通り過ぎて怒りに変わった気がした。
放つ空気がこころなしか禍々しい。それはとても怖いものだった。
「妻ーー私ではなくて?」
「え?」
「私をなんだと思ってた?」
「?」
どういう事だろうか。私が不思議そうにして目を瞬かせていると更に顔が険しくなってくる。
なんだか知らないが思わず謝りたい。
「私が妻でなければ何と聞いてるのよ?」
「ーーリア?」
何かの冗談かと思った。レベッカと一緒に私をからかっているのだろうかと。まぁ、あのレベッカがそんなことを許す性格でもないし、二人がこういう意味で仲が良いとは怖い話だ。
でも。
思考を遮るようにしてため息一つ。
「疲れているんだわ。毎日忙しいでしょう? 仕方ないわよね。うん。私のことを忘れるのは」
嫌味っぽい言葉に私は思わずごめんと返す。もし、そうならなぜ私は覚えてないのだろうか。『二回目』の延長線上にあるのならば、あの夢の続きならば覚えていてものさそうな事だろうに。
それがとても悔しかった。
視線を落とすと戸惑ったような声が帰ってくる。
「え。あの……大丈夫よ、落ち込まなくても。怒ってないし……体調不良なだけだから」
「うん」
沈黙。リアはどうしていいのか分からなかったらしい。水? 酒? 武術などと考えてる言葉がボロボロと口から溢れている。いや、どれもいらないんだけれど。特に一番最後の武術ってなんだろう。
それからしばらくーー悩むリアが面白かったとは言えないーー重苦しい空気が続いたが、リアは耐えきれないと言ったように声を上げていた。
「ああーーもう」
チュっと頬に触れるのは温かな唇の感触。何が起こったのかわからなくてリアを見てみれば暗い中でも赤くなっているのがよく分かった。
それを見て私も釣られるようにして頬を染める。思春期か何かだろうか。私はーーでも、それほどに嬉しくてくすぐったかった。
「……もう寝なさいよ?」
立ち上がって身体を翻す彼女の裾がふわりと揺れる。その向こうには白い足が浮いて見えた。
私は思わず呼び止める。そこに何かがあったわけでもなくただ呼び止めていた。
「リア」
「なによ?」
「ーー君は私のどこがすき?」
何? その羞恥プレイ。などと考えているのがよくわかる。目を見開いたあとで真っ赤な顔。それはとても可愛かった。
今更。そう呟いた後でリアは唇を開く。
「顔」
ーー。
……。
さらっと吐かれた言葉に私は顔を引き攣らせていた。何だろうこのデジャブ。世間は顔が良ければ何だっていいのだろうか。いや、リアはそうなんだろうな。そう考えると悲しくなってくる。
それでも私はリアを好きなんだけれど。
そんな私を見てリアは歳相応の笑顔を優しく浮かべた。
「なんて、嘘に決まってるでしょ? 全てかな? どこが何て分からないよ。嫌いな所をひっくるめてここにいたいと思えるから、全てよ」
「リア」
「不安そうな顔をしないでよ。私はあなたを愛しているわ。子供の頃からーーあなたは違うの?」
「……私は」
いいのだろうか。ここでの私の記憶は、経験は『一回目』のままだ。このままだとレベッカをーーリアを裏切ってしまうのだろうか。
そんなことを考えているとふと脳裏に記憶が過る。それはレベッカとの最後の記憶。レベッカと交わした言葉だった。
痩せ細った身体には温もりなどな抜く抱きしめれば折れてしまいそうだったレベッカは、とつとつと言葉を紡ぐ。
『嬉……しい。でも、今度……は、サイさ……番。わたし……は。ーー愛し……てくれてあり……ガト』
今度は私の番。ーーあなたの最後は……。
……。
ーー私は。
ドクドクと波打つ心臓の音が妙に響く。『これ』はレベッカの願いなのだろうか。それでいいのだろうか。
「どうしたの?」
気付くと涙がこぼれ落ちていた。それを心配そうに見つめるリアはまるで本物のようで。出来れば失くしたくないものだった。けれども。やっぱりコレは違うと何かが告げている。
ゆっくりと視線を合わせてニコリと微笑んでみせた。それで何かを悟ったのか怪訝な顔をして私を見つめ返している。
「君がここにいる事が嬉しくて。ーーもう、帰ったほうがいい」
「あ、部屋に?」
ーーそうだね。
リアはうん。と少し考えてから『分かった』と返した。再び身を翻しゆっくりと歩き出す彼女を止めたくて仕方なかったけれど私にはできなかった。
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静寂だけが包む世界の中で私は再び夢を見る。
『彼女』との物語を続けるために。




