Ⅵ・ドーム内、どうもならない。ムードも無い→Ⅲ
リコを起こして、この時間なら誰もいないからと会長に連れられて大浴場へ行き、汗を流した。互いに身体を洗い合う。リコは終始顔が真っ赤だった。
それから夕食を食べた公民館にまた集まり、全員で昨日の残りのシチューとパンの朝食を摂る。評判が悪かったのか、ご飯はなかった。
相変わらずテンションの高いユウゴさんが、おにぎりを渡してくれた。彼の手作りらしいのだが……なにか不安だ。
「じゃあ、頑張れよな、もう会わないことを祈ってるぜ!」
言葉だけなら嫌われているように聞こえる。
会長がユウゴさんと話している間、僕は食堂を見渡した。食器を片付けるクヂオがいた。彼の頭はとても目立つから、簡単に見付けられた。
クヂオは僕と目が合うと、ポリポリと頭を掻いていた。僕は近付き、挨拶する。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
クヂオは少し痩せたように見えた。いや、引き締まったというべきだろうか。見せる筋肉ではなく、しなやかで野性動物のような筋肉だ。祖父譲りらしい白い肌は、有色といってもいいくらいに焼けていた。
「かっこよくなったね」
「そうですか? ありがとうございます」
クヂオは照れ笑いをする。
「こんなの、今更なのですけどね」
自分の腕をさすった。
「あのさ」
「ここでの生活は」
割り込むように、僕の言葉に重ねる。
「そう悪いものではありません。環境は整っているし、設備も申し分ない。住民だって、さすが会……ミズキさんのお気に入りといいますか、面白い人ばかりです」
「そう」
「僕みたいに身体を鍛える人もいれば、昼寝ばかりしている人もいるし、絵を描いたり、プログラミングをしたり、小説を書いたり、焼き物をしたり、黒魔術に傾倒している人もいます。ここのルールは一つだけ。『私以外に迷惑を強いるな』」
ミズキらしいといえばらしい、そして、小規模な理想郷でしか実現しえないルール。
迷惑は掛けてもいい。しかし、強いることは許されない。それが許されるのは、二重の意味でミズキだけだ。
「外部から遮断されているとはいえ、ネットはありますからね。外の情報は入ります。こちらの身許をバラしさえしなければ、ある程度は発信も可能ですし」
こんなふうにまくし立てるのは、どういう感情の発露なのか。
ずきりと、頭が痛む。
「 」
不意に。
「 」
クヂオの言葉が、消えたように感じた。
痒い。頭皮じゃなく、脳の表面が。
「ごめん」
僕は呟く。
「え?」
限りなく無意味な理想郷。ミズキの嗜好による指向的な思考停止の為の試行錯誤を施行した。
嗜好が施行で指向に思考。てにをは。誰が? ミズキが。どこで? ここで。どうやって? 理想を描いて。なにを? 僕達を。どうした? 終わらせた。終わらせた?
どうしたい?
もう何もしたく、させたくない。
後頭部が痛む。心臓が跳ねる。欠けた奥歯を飲み込んだ。頭が痒い。足先が冷たい。爪が腕に食い込んだ。腕が痛む。多分血が出た。頸動脈が暴れる。胃の上部が一瞬の痛みを訴える。寒気立つ。皮膚が強張る。左の乳首が硬くなる。左目を見開く。右目を閉じる。薄目を開ける。眉間に皺が寄る。膝を揃える。拳をゆっくり叩き付ける。左肩が重い。匂いが気に入らない。右目の瞼がビクビク動く。舌を噛む。ぶるりと震える。右肩が冷たい。犬歯がかちりと音を立てた。胸から胃液が込み上げる。
全部全部全部全部全部全部、あいつらのせい。
不意に理解してしまったんだ。ミズキが何をしているのか。ミズキのしていることが、一体どんなことなのか。
「あの……」
「ああ、大丈夫……大丈夫だよ」
「そうは見えません」
クヂオが僕の額に手を当てた。
「体調は? 無理はしないでください」
息を整えて、顔を上げる。
「ごめん」
「え?」
「ごめん、僕は君に何もできない」
「は? 何を……」
例えば……僕がいつか地位を築き、ミズキに意見できる立場になったとしたなら……その時、その時だ。
その時こそ、クヂオや、カナメや……皆を、ここから出すこともできるかもしれない。
「ああ、試験の一環ですか。もう始まっているんですね」
どう解釈したのか、クヂオが言う。
「試験の内容は秘密なんですよね」
クヂオは優しい。
カナメは強い。
ワタルさんだって、ユウゴさんだって。
こんな場所にいていい人間じゃない。
こんな……鳥篭に。
ここに住むということは、可能性を奪うこと。
ミズキの楽園は、ミズキのエゴだ。
僕達には可能性がある。ここには、それがない。
理想的な空間は、思想を奪う。
最善は最悪を創る。
夢想は、仮想の中。
そこに実現しても、それはバーチャルな理想郷でしかないのだから。
……ミズキに罪はない。僕が弱いからいけないのだ。あるとすれば、責任。そして、ミズキは責任を全うするだろう。
だからこそ罰であり……それは、罰にしては重すぎる。
「もう行かなくちゃ」
僕はクヂオを見る。クヂオは、こんな時でも微笑んでいた。
「頑張ってください」
「うん」
僕は振り向かない。
必ず閣下を見付け出す。そう誓った。
エレカートに乗り込み、スフィアドームの出口に向かう。運転するのはワタルさんだった。
「短い滞在だったけど、楽しんでもらえたかな」
「はい、あの、キャンプみたいでした」
リコは無邪気に笑う。
「ここはいい場所だろう?」
「そうですね」
僕は相槌を打つ。
「ミズキ、次はいつ来るんだい?」
「さあ、彼らの試験が終わり次第、だね。結果がどうなっても」
「そうか」
「僕らは、もうここには来ません」
「……そうか」
ワタルさんはミラー越しに僕を見る。
「それじゃあ、これでお別れだな」
そう言って、僕に何かを投げた。それは、小さなメダルのようなものだった。
「餞別だ。お守りみたいなもんだよ。今度会ったら返してくれ」
表面には猿が彫られていた。両面とも猿だが、おそらく雌雄。
「もう会わないですよ」
「それならそれでいい」
僕はそれをポケットに入れた。
「銃弾に胸を貫かれたと思ったら、それに当たって助かるんだよね、そういうの」
「そんな映画みたいな……」
ミズキがちゃかす。
「俺はただ、お前みたいなのが嫌いだからここにきて欲しくないだけだ」
僕は、ミズキの人を見る才覚だけは確かだと、再確認していた。
見た目の割に、そのメダルは軽かった。
エレカートを昨日乗った場所で降り、ワタルさんに別れを告げた。ミズキがパネルを操作して、壁の扉が開く。
車に乗り換え、来た道を逆戻りして、ポートで飛行機に乗る。
「ここには、どんなヒントがあったの?」
「んー……それ教えたら駄目じゃないかな」
「そもそも、ここにはヒントがあったの?」
「一応ね。あまり重要でもないけれど」
「もし地図を見つけていなかったら、ここには来なかった?」
「いいや、ここには最初から来る予定だったさ」
「それで、次はどこに?」
「その前に」
ミズキは僕に掌を見せた。
「貸して」
「……何を?」
「さっきのメダル」
「何故?」
「何故かな」
「これは僕のだ」
「そうかい、あそこは私のだ」
ミズキはそう言って、僕のポケットに手を入れ、メダルを持っていった。
「やっぱりね」
顔の高さまで持ち上げて左右に振った。親指と人差し指でつまんで、力を込める。パキリと音がした。
メダルは、表と裏の二つに割れた。元からそうなる仕掛けのようだった。
「カードチップか……また古いものを」
メダルの中から出て来たのは、一昔前のカードチップだった。このタイプは、デバイスにアダプタがないと挿せない。
「相談していた……わけじゃないよね?」
「していない」
「そりゃそうか。ワタルは後でお仕置きだね」
ミズキは両手でカードチップを握り、砕いた。
「ミズキ」
「何かな」
「砕くことはないだろ」
「チートは嫌いでね」
「そういう能力も必要だと思わない?」
「今の試験には関係ないよ」
「ミズキ」
「何だい」
「くそったれ」
「誰でもね」
ミズキは笑った。
ヒントらしきものは砕けてしまった。
僕はどうすればいい? いや、どうすればよかったんだ?
「これからどこへ?」
「二番目の点」
「それは?」
「工場だ」




