Ⅴ・理想的ドーム→Ⅲ
食事が終わった順に食器を流しに入れて、コーヒーを飲んだ。やたらと甘い、クリーミィなコーヒーだった。これも誰かの趣味らしい。片手にコーヒーを持ち、各自が好き勝手にくつろいでいる。僕は席を移動しなかったから、据え置きでカナメと並んでいた。クヂオは窓辺に腰掛けて外を眺めていたし、リコはリコで知らない相手と会話していた。なんだろうあのバイタリティ。
せっかくだから、色々と聞いておきたいこともある。そう、閣下に曰く、「知ることは、それ自体に意味がある」。
「知って、考えるのはなお良い、か」
「え?」
カナメが僕の独り言に反応する。
「いや。どうせなら色々知りたいなって。ここが、会長の理想郷なんだよね」
「そうらしいね。あたしはまだよく知らないけど」
「箱庭……ようするに、外部から隔離されて、閉鎖された空間でしょ? 食糧はどうしてるの?」
「バイオプラントとクローン。基本的なものはね。マニアックなのは各自で育てないとだけど、スーパーの生鮮食品コーナーで買えるようなものなら、だいたい収穫できるみたい。マシネイションだからあんまり手間も掛からないし、食べ残しとか期限切れも、またバイオプラントに再利用するから極限まで無駄がない、らしいよ」
土を使わず、人工栄養剤で満ちた培養液の中で直接育てる栽培方式。農地の少ない国では割と当たり前らしいが……やはり天然と比べ元々のコストも低いので、安物として認識されている。欠点として、初期費用が莫大になる点があげられる。
同じく、クローン。食肉用としては、すでに世界的な規模で普及している。一部(僕らが捨てたものを持っている)国家では倫理規定がどうとかで、今だ頑なに導入していないようだが、コストパフォーマンスの差は歴然だ。やはり、こちらも大衆用の安価な食品として扱われる。
「水槽栽培にクローンか。栽培や畜産より品質は落ちるらしいじゃない?」
「どうかな。そこまでグルメでもないし、あたしはそんなに気にしないよ」
実際のところ、シチューは美味しかった。
「肉や魚も?」
「牛と豚と羊とニワトリはいつでも食べられるよ。これもマシネイションだから。魚は……そこらへんにいるのを自分で捕らないと」
マシネイションは、最初から最後まで全てを機械にやらせ、人間はその整備と管理をするだけというシステムのこと。
その程度の管理くらいは、高等教育を受けた人間なら、技術者でなくとも容易だろう。
「なんだい、アキ。質問があるならなんでも訊いてくれよ」
僕の座る椅子の背もたれに手をかけて、会長が立っていた。右手にはコーヒーカップを持っている。いつの間にか近くに来ていて、僕らの話を聞いていたようだ。
「ここは私の理想郷だよ。ここのことなら、誰よりも知っている」
そうまで言うなら訊いてみてもいいけど……。
「ここはどういう場所なんですか」
「ここはスフィアドーム。もともとは火星や月に建築する為のものを、地上で実験的に建設したものを、役目が終わったから買い取ったのさ。内部は核戦争にも耐えられるシェルターとして開発された数千人を賄える規模のマシネイトに、出来るかぎり国内の自然を再現した温室なんかがある、基本的に外部から遮断された施設だよ」
「数千人規模……」
「まあインターネットはあるから、厳密には遮断されてないんだけどね」
会長はデバイスを振った。
「デバイス圏外だけど」
「え、まさか有線限定ですか?」
12GbpsのLANは、この国のほとんどをカバーしていて、まず圏外になることはないはずだ。
「情報のない世界……想像できるかい」
できない。デバイスを忘れた日など、一日不便で仕方ないではないか。
「核爆弾でも平気なとこってリクエストしたのだけど、それは無理だったみたいだね」
核爆弾が少なくとも表面的には根絶された今、そんなものを欲しがる理由がわからない。
「それから、これはただの職権濫用なのだけど」
そもそも、この存在自体が職権濫用だ――そう思ったが、言えなかった。
「ここは治外法権なんだよ」
――――それは。
「ここは、既存の法律が当て嵌まらない。ここでは、既存の法則が当て嵌まらない。そのかわり、ここには独自の規則がある」
いつも通りの持論を展開するのと同じような調子で話す。
「まず、ここには、システムがない」
ピクリと、リコが反応する。
「恋愛、なんて言葉が相応しいのかな。自分のパートナーは、自分で選ぶんだよ。まあ、選択肢はそう多くないが。君達からすると、妙に感じるかもしれないがね」
恋愛……古い時代の創作物には、よくそういった言葉が登場する。大抵は素晴らしいものだとして扱われているが、そのせいで事件や問題が起きるという側面もあるようだ。
愛情とは、閣下曰く、効率よく繁殖するための、旧時代のシステム。より良いシステムが整った今、必要とされない感情。人間の本能の一つ。
ならば、性欲と愛情の違いは一体なんだろうか……?
本能から逆行することが、即ち人間的であることだと、閣下は言った。例えば、栄養の含まれないものを食すること。また、必要最低限の食事しか摂らないこと。サプリメントや嗜好品等も含まれる。
例えば、妊娠する可能性のないものに対する性欲、フェティシズム。
また、欲求の排除は、人々の昔からの望みでもある。食事も摂らず、眠りもせず、性欲もない。特に、中世から近代にかけての宗教に多い。こんなものが、誰かにとっては理想なのだ。
理想……なのだ。
当然のことかもしれないが、閣下の理想と会長の理想は違うものだ。または、理想が同じだとして、条件と、目指す方向が違う。
自由恋愛……それはシステムに真っ向から立ち向かう。何故、こんな場所を作る必要がある?
「会長は、何の目的で、ここを作ったんですか?」
「目的? そんなもの、理想郷に必要かい?」
会長はコーヒーをすすった。
「はい、必要です」
僕は言う。
「閣下を信じるのなら、他の理想郷なんて必要ありません」
「ふうん……」
会長は笑った。気に入らない、とでも言うような笑い方だった。
「そうだね。強いて言うなら、だたをこねる子供なのだよ、私は」
ぐいっとコーヒーカップを傾け、テーブルに置いた。
「覚えがあるかな。用意されたものが気に入らず、でもそれが何故気に入らないのか説明できない、そんな感覚。じいさんの理想にケチはつけない。でも、手放しで賛同もできないんだよ。出来るなら、違う形の理想を追求してみたい。しかし、一度作ってしまったものを、おいそれと変える訳にいかない。だから、私が替わりに創るんだ。そんな幼稚で短絡的な考えさ」
言葉の最初と最後で論旨が違う。これが咄嗟だとしたら仕方ないか。
「これが、違った形の理想だと?」
「今のこの国が大多数の理想郷とするなら、ここは個人的な理想郷だよ。私の好きな人ばかりを集め、何不自由なく過ごせる、即物的な理想郷さ。私の、私による、私の為の理想郷。だから、ここで暮らすことはペナルティなんだ」
何不自由ない空間で過ごすこと……それは理想かもしれない。しかし、そこで過ごすことを強要される――一人のエゴによって――それは確かに罰なのかもしれない。
僕は……僕は……僕は、そんなの嫌だ。
「もう、いいかな、質問は?」
「はい……」
僕は会長を見る。脚を組んで笑っていた。
いつの間にか会話を終えたらしいリコが、こちらの会話を窺っていた。
「これから何をするんですか」
「夜は寝るだけだよ。あまり夜更かしすると朝起きられないし、自家発電をしているから、電気がもったいないしね」
そう言って、会長はにやりと笑った。質問はおしまい。そう言われたようだった。
「二人とも、私の小屋でいいだろう?」
「え」
声を上げたのは、僕とリコとカナメだった。
会長と同じ部屋……?
「え、っていうのはどういう訳かな?」
「いえ、なんでも……」
理由はあるが、言えない。
「何か、私に不満が?」
「いえ、そういう訳じゃあ……」
「それならよし。じゃあ、行こうか」
カナメが僕らを可哀相なものを見る目で見ていた。じゃあ、と手を振り、会長の後に続く。
「じゃあね」
手を振るカナメの声が、やけに耳に残った。
クヂオとは、結局話す機会が無かった。




