Ⅴ・理想的ドーム→Ⅱ
ワタルさんは僕らを降ろすと、そのままどこかへ去った。僕らは会長に導かれるまま、小屋の一つに入る。
木造の、コテージのような小屋。外から見れば小さな平屋だったが、内部は思いの外広く、整っていた。柔らかいソファに、暖かな絨毯。遮光カーテンと、白いライト。テーブルがあり、椅子が三つ。電気コンロにはヤカンと鍋。その脇にはティーセットがあって、カップは三つ。パソコンが一台と、ディスプレイが三つ、キーボードが三つ。まくらが一つ、ベッドが一つ。
それで、この部屋にある全てだった。
「ここにはね」
会長は両手を持ち上げた。
「二十三人の人間が暮らしている。皆、私の好きな人ばかりだよ」
心臓を撫で回されるような悪寒と、予感がした。鳩尾に気管が出来て、冷たい何かが通るようだった。
「共同体なんだ。最年長で二十四から、最年少で十七までの若者だけの」
「試験に失敗した人達の、ですか?」
僕が訊くと、会長はすました顔で答える。
「私は、自分の政権を作れと言われた時に、人選は自分でやると言った。じいさんもそれを許した。合格した者は、各自が希望した様々な公的機関に所属し、僕の政権が来るまでの間、社会経験を積む。でも、もしも不合格ならば、そいつらは、私の政権に必要ない。私の自由にしていいらしいから」
会長は脚を組んだ。頬杖をついて僕を見る。
「覚えているかな。理想郷へ到る道程は、大まかに分けると三つあるといったね」
僕は頷く。
「思索する、空想する、小規模な理想を具現化する。この三つです」
「うん、そしてじいさんは、そのどれでもない道を選んだ」
そうして、閣下は国を作り変えた。
「大規模な理想の具現化。いやさ、すり合わせだ。理想と現実の中間点、幾分か理想寄り。それが、今の私達だ」
僕らは記録でしか知らない。閣下が如何にして民衆の心を掴み、如何にして国をきれいさっぱり掃除したのか。
どうすれば、こんなことができる?
独裁者と、それに従う狂信者。
歴史の教科書の中の、幾人もの人物と、いくつもの国と、幾通りのやり方と、何が違う?
ヒットラーは、婚姻統制に失敗した。
閣下は成功したと言って良い。
ヒットラーは間違っている。
世間はもっと間違っている。
自分たち以外のほとんどを、同じように締め出した。
最適な相手と、最適な環境で、最適な子供を造る。言葉だけなら、実に素晴らしいもののようだ。
閣下と、あのチョビヒゲの男。やったことは似ているかもしれない。しかし、決定的に違うところがある。
「その意思を、私は継ぐことになる。これは、私が私である以上、避けられないことだ。しかし、これでは私の理想へ到ることは、永遠にできない。だから」
会長はのけ反るようにして上を見る。そこには木の屋根しかない。その体勢から、勢いよく前のめりになる。膝に両手をついて、肩をいからせ、にやりと笑って言った。
「私は私の理想郷を創ることにした。失敗した連中……政権に必要のない人間を、このドームの住人にしてね」
気管が絞まるのを感じた。冷たいもので満たされていたそれは、急激に熱を持ち始める。
…………苦しい。心臓を鷲掴まれて、めちゃくちゃに振り回されているように。
「みんなみんな、私の大好きな人たちばかりだ。そんな場所で暮らすことは、理想的だよね。これが私の小規模な理想郷だ。大規模なものに関しては、じいさんの理想郷が完成してみてからじゃないといけないしね」
「……見せたいものは、これだけですか?」
僕は自分の胸元を掴む。うまく息が続かない。ひはひはと、短い呼吸を繰り返す。
「うん、君達には、失敗したらどうなるかというのを知らせておきたかったんだ」
箱庭……? 箱庭……!
この試験に失敗すれば、僕らもまた、会長の箱庭に加わるのか……?
閣下の理想の為に会長の理想は犠牲になり、会長の理想の為に、僕らの理想が犠牲になる。
そんなのは……ごめんだ。
会長が理想郷を創るのは好きにすればいい。
それに僕らを巻き込むな。
「後出しでそういうの……狡くないです?」
無駄とわかっていても、不満はある。
「まあ、でもね」
「でも、それは、試験というチャンスに挑む代償、なん、ですよね」
リコの手が、僕の背中に触れた。
会長が僕を見て、それからリコを見た。明かりでも見たように目を細める。リコを見ながら言った。
「そういうこと」
「なら……仕方ないよ、アキ。これはもう、仕方ない。一度、受けるって、決めたんだから。何のリスクも無しに、全部はうまくいかない。最初からわかっていたでしょ。そんなの」
リコが言った。僕は肯定するしかできない。
「……そうだね」
最初からアンフェアな勝負なのだ。親と子の勝負ならば、親の定めたルールには従うしかない。
「納得してくれたかな? とりあえず、今日はここに泊まりだ。一晩、ゆっくりしていってくれ」
会長の顔は、愉快そうに歪んでいた。
納得なんて、するものか。
しばらく、無言が続いた。会話もなく、どころか、なんの音もしない。
ここは、あまりに静かだ。僕らの小さな呼吸が、やけに大きく耳に届く。どこかで鳥の声がした。
スフィアドームと、会長は言った。何かのシェルターのようなものだろうか? あんなガラスかプラスチックかが一枚あるだけで、外界と遮断されているというのだろうか。ドームというからには、内部は密閉されているのだろう。あんな大袈裟な開閉装置まであるくらいだ。
上に被せただけなのか……それとも、意図的に内部は作り変えられているのだろうか。後者だとしたら、あまりに大掛かりが過ぎる。
トントンと、ノックの音がした。扉が開き、女の子が顔を覗かせる。
「食事の時間ですよ、かいちょ……ミズキさん」
「うん。じゃあ、行こうか」
それは、見覚えのある顔だった。
「あっ……」
リコが思わずといったふうに声を上げる。
はたして、それは、僕らと共に勉強会に参加した少女――江間那カナメだった。
僕らに気付くと、照れたように顔を背ける。僕は声を掛けた。
「……お久しぶり」
「うん……」
彼女がここにいるということは……つまり。
「話は後で、ね」
カナメは言って、歩き出す。
「アキ……」
「うん」
僕はリコの手を握った。リコはそれをきゅっと握り返す。
カナメの後に続いて歩く。夕刻――赤い夕日が沈んでいく、昼と夜の狭間……逢魔が時。
ならば、この時間に逢うものは、魔なのかもしれない。
本当の意味で、僕らの世界とは違う場所に、いま僕はいるのかもしれないのだから。
「夕飯は?」
「シチューだけど……あんまり期待しないでね。あたしが作ったから」
「超期待してる」
「やめてって」
「練習したのかい」
「い、一応は……」
中央を走る道路以外の道は舗装されておらず、田舎のあぜ道といった風情だ。時折、小屋のようなものがあるのを除いて、ほとんど自然のままの、踏み固めることで出来た道のようだった。
五分ほど歩くと、公民館という看板が見えた。やはり木造で、スキー場にある休憩スペースのように見える。
「食事はみんな一緒に摂るんだ。朝晩の二回だけね。昼は各自で好き勝手にしてる」
会長が言う。
「まあ、小さな共同体で生きるうえでの、ちょっとしたルールだよ」
ガラスのドアを開き、建物の中に入る。入り口には、何故か鳥の剥製が飾ってある。大きなテーブルが四つ、縦に並んでいて、椅子がかなりの数、テーブルに付属するように並べられていた。学校の食堂に近いようだが、テーブルの長さは段違いだ。
いい匂いが漂っている。発生源は、一番奥にあった。
そこでは、三人が食事の支度をしていた。大きな寸胴鍋と炊飯器が一つ。匂いは鍋からしているようだ。
そそくさと、カナメがそちらに駆け寄る。二、三何事か話したと思うと、全員がこちらを向く。
「あー、ミズキちゃん!」
「今日はこっちなんだ。あれ、その子たちは?」
彼らは口々に言いながら、こちらに寄ってきた。
「アキ……」
リコが僕の手を引いた。見ると、カナメが手招きしている。
「この二人の試験でね、今日はこっちに……」
会長は僕らの紹介をしつつ、わいわいと話していた。それを横目に、カナメのほうへ向かう。
「……久しぶりだね」
「うん」
「試験、失敗したんだ」
「うん」
「クヂオもここに?」
「うん……今は作業中。そろそろ来ると思うよ」
「作業?」
「ここの生活ってね、変なんだ。午前中は仕事して――仕事っていっても、食糧を取りに行くとか、そんな簡単なことだけどね。食事当番とか、ちょっとした仕事はみんなで持ち回り。それから、午後は各自が好き勝手なことして過ごすの。許されないのは、他の人に迷惑かけることだけ。だから皆、好き勝手に作業してるよ。絵を描いてたり、ずーっと座禅組んでみたり、映画観てたり、ゲームばっかりしてたり、ね。クヂオは……なんか修行してる」
それはまるで……ユートピアのような。
「修行?」
「あたし達の課題ね、結構な体力勝負だったんだ」
カナメは反芻するように目を閉じた。
「三日間眠らないで、その後でテストを受けたんだよ」
カナメは言った。
「頭に電極つけられてさ。眠ったらピリって電気が流れるの。別にぜんぜん痛くないんだけど、うつらうつらしてても、一発で目が覚めるよ。眠れないんだ、とにかく」
「なんか……拷問みたい」
リコが言った。
「拷問みたいなものだったよ、ジッサイ。わかるかな……目を閉じたいと思ってるのに、まぶたが勝手に動くんだよ。眠いのにぜんぜん眠れない。眠気はそのままで、無理矢理意識だけ起こされてさ。まず頭が痛くなって、それからだんだん吐き気がしてくるの。目の前が白い波みたいのでいっぱいになって、目を閉じても消えないんだ」
カナメは嫌そうに顔を歪めた。
「テスト自体は簡単だった。中学生でも解けるような問題ばっかり。今思い出すと、だけどね。その時は、あたしもクヂオもまるで駄目。お話にならなかった。頭はまったく働かないし、目の前は真っ白だし。二次関数とか、配線図とか、燃焼反応とか、誤謬の問題とか、落ち着いてやれば簡単な問題ばっかりだったのに。あたし達は失敗した」
悔しいのだろう、唇を噛んだ。
「そして、ここに連れてこられちゃった。それから、クヂオは体力をつけるためにずっと走り回ってる。あたしは今更そんなの意味ないって言ったんだけどね。矜持の問題とか言っちゃって」
僕には、クヂオの気持ちが少しわかる。
不甲斐無い。その一言に尽きるのだろう。
せめて……。
せめて、パートナーの前くらいは。
「試験を大別すると、気付き一発の試験と、時間をかけてやるテストの二つがあるみたいだよ。あたし達のは後者。眠気を我慢するのと体力ってなにか関係あるのかわかんないけどね」
カナメは苦笑して言った。その顔は、悲しいとも寂しいともとれない、曖昧なものだった。
……クヂオは何をしているのだろう。こんな、カナメを放ったままで。
「あたしの話はこれでおしまい。それで、あなたたちはどんな試験なの? ここに来るってことは、試験はこれからなんでしょ? あたし達も徹夜開始前夜はここで過ごしたんだ」
明るく装って手を叩く、その笑顔がとても痛かった。
「僕らの課題は、かくれんぼだよ。この国のどっかにいる閣下を見つけ出すことが条件」
「へぇ……なんかめんどくさそうだね」
後者だねと、カナメは笑った。それは、悲しいような、妙な笑顔だった。
「ヒントとかは?」
僕は掻い摘んで説明する。
「それと、この地図だよ」
リコがデバイスを見せる。
「ふーん……ひとつはここだよね。ダメだ、何があるかもわからないや」
カナメはデバイスを覗き込んで両手を振った。
「あ、そろそろ準備に掛からないと。ごめんね、じゃあ、また」
カナメが手を振り、厨房に駆けていく。
気付けば、ぞろぞろと人が集まっていた。いずれも十代から二十代の、若者の集団。
その中で、一際目立つその髪の色。
紛うことなく、クヂオがそこにいた。
クヂオはカナメと話す僕らに気付くと、気まずそうに笑った。
「おっ! 新しいメンバーか?」
大柄な男性が、僕らを見て言った。
「さあ、まだわからないよ」
「おぉ、ミズキ!」
「やあ、ユウゴ」
会長は親しげに話す。その声に釣られて、皆が僕らに注目する。
「紹介するよ。アキとリコだ。只今絶賛試験中」
「おう、俺は尾久谷優伍だ。よろしくな!」
何と言うか、テンションが高い。
「まあ、自己紹介はあとにして、とりあえず食事にしよう」
「そうだな。もう腹ペコペコだ!」
皆、ぞろぞろと席についた。特に決まった席ではないようだ。
カナメが立ち上がり、他の食事係と共に配膳に回る。
クリームシチューと、パンと――ご飯……?
何故主食が二つ?
「パン作りが趣味の人がいてね、だから、メニューが何であれ、毎日パンがあるんだ」
顔に出ていたのか、配膳をするカナメが言う。
どちらかと言えばシチューに合うのはパンで、ご飯のほうが主食としてどうなんだろうと思ったが、これを作った人を知っているので黙っていた。




