Ⅴ・理想的ドーム→Ⅰ
飛行機は何の問題もなく目的地に着いた。機内では、リコは窓の外の景色に夢中だったし、会長は寝ていた。はしゃぐリコは可愛かったし、会長の寝姿は絵になっていた。
加速の割にGを感じることもなく、音を追い越すからか騒音もなかった。僕らを運んだ飛行機を降り、あまりの寒さに驚いた。ポートでコートを借り、雪山しか周りには見えないような景色の中を歩く。
さくさくと灰色の雪を踏み締め、倉庫から回された迎えの車に乗り込んだ。相も変わらず、高級そうな黒塗りの車だった。見た目にはわかりにくいが、多分装甲車だろう。
ドアが自動で閉まり、音声が空調の具合を尋ねた。会長は問題ないとばかりに右手を振った。
「会長、どこへ向かうんですか?」
僕は訊いた。頬杖をついたままの姿勢で、会長は僕を見た。
「んー……どうせなら実際に見てくれよ」
「だから、何を……」
車が走り出す。走行音はほとんどしない。タイヤの振動も、エンジンの振動も。
「すぐそこだよ。まだ見えないかな? まあ、もうちょっと待ちなよ」
車は舗装された道を外れ、山道に入っている。左右に木々が生い茂り、さながらホラー映画のワンシーンのように、ゆっくりと僕らを運ぶ。
「ほら、見えた」
会長が手をひさしにして身を乗り出した。
そうこうしている内に、見えてくるものがある。屋根の一部が見えた。そう、ほんの一部。
僕らは車を降りた。そして、それを仰ぎ見る。
それは、巨大なガラス張りの建造物だった。
高さはさほどない。五階建てのビル程度で、しかし、横方向への終わりは見えなかった。全面がソーラーパネルのような光沢のある材質で出来ていて、最初はガラス張りだと思ったが、強化プラスチックかなにかで出来ているのかもしれない。所々に格子状の補強があるだけだ。ともかく、中まで透過することのできる材質だった。内部は温室のようになっているのか、辺りに広がる森とは違う、豊かな植物が茂っていた。
「ここだよ」
会長が手の平を向けた。
「ここが地図の場所、スフィアドームだよ」
「スフィア、ドーム……?」
リコがぽかん口を開けていた。
「ここにヒントがあるんですか?」
「おぉ、寒い。早く入ろう」
聞こえなかったように、会長はいそいそと建物に向かう。おもむろに壁に……といっても半透明だが、壁に手を置くと、パネルが現れた。カードを通し、何か操作をする。空気の抜ける音がして、壁の一部が開く。開いてみなければ境目がわからないような壁だった。
「入りなよ」
手招きされて、僕らは動いた。恐る恐る中に入ると、入ってきた壁が閉まった。
気圧が、違う……? 閉まると、軽い耳鳴りがした。建物の内部は暖かかった。空調が効いているのかはわからない。
「ここは……」
「ここは公園だよ」
会長は人差し指をくるくると回した。
「今から市街に行く。ちょっと待ってね、迎えがくるから」
「市街?」
なにか建造物なのは間違いなさそうだが、市街とはなんだ? ショッピングモールのようなものがあるのだろうか。ということは、ここはリゾートか、そういった観光施設なのかもしれない。その割には入り口が地味だが。
地図に表示されない観光施設があるのだろうか? もしかすると、VIPが集うような、秘密の場所なのかもしれない。
リコがそこいらをうろちょろ動き回り、辺りの植物を見ている。会長は腕組みをして、迎えとやらの到着を待っていた。
からからと音を立てて、車がやってきた。黄色くてのっぺりとしたラインのエレカートだ。それは僕達の前まで来ると、音も無く止まった。
運転席のウインドウが開き、男が顔を覗かせる。
「やあ、ミズキ」
「やあ、ワタル」
運転席から会長に挨拶したのは、二十代前半くらいに見える男の人だ。中々ハンサムで、髪は長髪。黒いセーターに青いジーンズ姿で、片手を運転席から外に出している。
「新しい仲間かい?」
僕らを一瞥する。僕と目が合うと、挑発的に鼻を鳴らした。
「いいや、まだだよ。試験はこれからさ」
会長が言った。
「へえ……まあ、頑張りなよ」
試験……か。
今現在、僕らは試験の真っ最中だ。結果がどうなるかはわからないが、仲間とはどのような意味なのだろう? 試験に合格すれば、ここに住むことになるのだろうか。
「俺は浦田亘。ワタルでいい。君達がここにくるかは知らないが、滞在中はよろしくな。まあ、乗りなよ」
促されて、僕らはエレカートに乗る。クッションの柔らかさは黒塗りの車とは雲泥だが、かわりに振動や音がほとんどない。
「どちらまで?」
「宿舎まで」
「了解」
手動の車には、初めて乗った。操作パネルがないので、オートドライブは搭載されていないようだ。エレカートはゆっくりと動き出す。
しばらく直進する。その名の通り、公園のような風景が続いていたが、やがて木々が少しずつ減っていく。エレカートは地下に向かうトンネルに潜った。
「ねえ、君達の試験はどんなものなんだ?」
ワタルさんは振り向いた。いくら直線道路で対向車もいないからといって、少しヒヤリとした。
僕は会長を窺う。会長は腕組みをしたまま目を閉じている。
「前を向いてください」
「おっと、失礼。それで、君達の試験は?」
「かくれんぼです」
リコが言った。
「どこかにいる閣下を探せと言われました」
「へえ、それはまた、難儀な……」
ワタルさんはミラー越しに僕と、それからリコを見る。その視線に妙な気配がした。僕はリコの腕に触れる。リコが僕の服の袖を掴んだ。
「ワタルさんの時は、どんな試験だったんですか?」
勉強会出身者と当たりをつけて、そう水を向ける。ワタルさんは気を削がれたように息を吐いた。
「俺の時は……閣下の出すクイズに答えるって試験だったな」
どうやら、間違いないらしい。彼もかつて、勉強会に参加していたのだ。
「クイズ?」
「そう。クイズだ。一問きりの」
「どんなクイズだったんですか?」
「それはね……こんな問題だった。猿とそのつがいがいて、その前には白い国があり、後には黒い国がある。猿が属する国は?」
「猿……?」
猿の国……? 日光のアレか、猿山か?
「そんなのわかんないよ……」
リコが言った。
「ちなみに、答えは?」
「なんだと思う?」
ワタルさんがにやにやと笑っているのが、ミラー越しに見えた。
「少し、時間を」
僕は頭を捻った。
猿……つがい? 前は白くて、後は黒い……?
「あの」
「ん?」
「答えは一つ?」
「さあ、どうかな」
それではぐらかしたつもりだろうか。
二択ではないと、言っているようなものではないか。
猿は、該当するのは一つしか思い当たらない。前が白くて、後が黒いとくれば、答えは一つしかないじゃないか。
「どうした、降参か?」
「猿が属するのは、赤い国です」
ぴくりと、ワタルさんの表情が動いた。
「ほぉ、それはどうしてだい?」
「白い国と黒い国……これは、昼間と夜のことじゃないかと。それなら、その中間にいるのは夕方。つまり、赤だと思いました」
「へえ……」
「さらに言うと、まず猿。これは、サルタヒコのことだと思います。つまり、つがいとはサルタヒコとアマノウズメの夫妻。これは、一説には道祖神だとされています。道祖神は国境、つまり境界にあるもので、現世と常世の狭間、逢魔が辻と呼ばれます。同じく夕方は、朝と夜の狭間、逢魔が時と呼ばれ、現世と常世の境界です。まあ、こんなことは知らなくても解けるクイズではありますが」
「……そうかい」
僕は確信を持って言った。
「それで、正解は何ですか?」
会長が、ふっと笑ったように、息を漏らしたのがわかった。
なんだろう、妙な笑い方だった。いつもなら、会長はもっと派手に笑う。皮肉げな、でも呵呵大笑するような笑いだ。
いぶかしんでいると、ワタルさんはたっぷり間を置いた。車に乗っている全員が、お互いの顔を見ようとしていなかった。
「知らないよ」
やがて、ワタルさんは平坦な口調でそう言った。
「え……」
「答えは知らない。だって、閣下は教えてくれはしなかった。それから俺は、俺達は、ずっとここにいる。今までも、今でも、きっとこれからも、ずっと」
僕は、自分の視界が、白く染まっていくのを感じた。
「さあ、どうかな」というのは、はぐらかすでなく、そのままで。
各方面で活躍している、勉強会参加者。
それきり帰ってこない参加者。
「ここは、楽園だよ」
ワタルさんは車を止める。気付けば、車は人里らしき場所にいた。田舎の、小さな村のような場所だ。
木々がそこかしこに生え、その間に置かれたような家が並ぶ。木造平屋の建築物ばかりで、ビルのような高い建物は一つもない。地面は土が剥き出しで、一本の道路を除いて、舗装されてはいない。犬が歩いているのが見えた。エレカートが何台かと、トラクターのようなものがあるのを除き、文明の利器は見当たらない。
僕はデバイスで現在地を確認しようとして、目を疑った。
デバイスが圏外と表示するのを、初めて見た。
僕は空を見上げる。きっと、あの透明な板か、その骨組みが原因だろう。電波を遮断する機能があるのかはわからない。
空を覆うように、ガラス張りの骨組みが見下ろしていた。
「ここは、楽園の箱庭さ」
そう言って、車を降りる。
箱庭の楽園ではない、楽園の箱庭。
「まずはようこそ。それと、できることならさよなら。君がここに加わらないことを心から願うよ」




