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エウトピア   作者: 十ノ青日
序章
15/39

Ⅳ・行為、試験、その内容→Ⅳ

 そこは暖かな空気で満ちていた。

 閣下の部屋という言葉から想像していたような、大袈裟で広い部屋ではなかった。恐らく二十畳もないだろう。大きなシャンデリアがあるわけでもなく、機械に囲まれている訳でもない。地下にあるはずなのに柔らかな光に満ちている。木製の本棚とクローゼット、酒瓶の並ぶ棚と柔らかい絨毯に、執務机が一つ。来客用らしきテーブルと、ソファーが二つ。いずれも落ち着きのある、上品なものだった。


「ようこそ」


 その男は言った。僕はその一言だけで身が竦む。

 もちろん、顔は知っていた。この国にいて知らない者はいないだろう。しかし、画像や映像で見るのと、実際はこうも違うものなのだろうか。

 もう老人だ。だというのに、皴が寄ったその顔は、今なお眉目秀麗と言っていい。眉は釣り上がり、双眸がぎらりとこちらを見ていた。彫りの深い顔に真っ白な髪は、まるで明王像かなにかのようだ。

 何をしているわけじゃない。ただそこにいて、静かにいるだけだ。それなのに。

 気圧される。まさに、そんな表現が相応しい。

 ごくりと喉が鳴った。うまく唾が流れていかない。二度そうすると、軽い痛みが走った。

 これが、一代で全てを壊し、全てを再構築した男……。

 不意に、リコが僕の手を握った。背中に回してあるから、閣下には見えないはず。


「…………」


 目配せをする。大丈夫だと。しっかりしろと。

 僕は奥歯で舌の右側を噛んだ。

 どれ程のものかは知らない。どうせ何も知らないんだ。

 試されてやる。試してやるけどな。


「はじめまして」


 僕は平静を装って言った。


「招致に応じました」

「ああ」


 閣下は頷いた。


「君は私の大嫌いなものが大好きなようだ」

「え?」

「いいや、なんでもないよ」


 閣下は一度、目を伏せると、顔を上げて会長を見た。ふっと笑みをこぼしたようだった。


「久しぶりだな」

「お久しぶり」


 二人の間には、妙な雰囲気があった。


「ミズキ、お前の言った通りだな」

「だろう」


 肩を震わせてくっくと笑う。その仕種がそっくりで、まるで二人が兄妹であるかのような、そんな錯覚をした。こんなにも年齢が離れた二人だというのに。

 閣下は僕らに向き直った。


「質問をしよう。簡単な質問だ。いいかな?」


 これはすでに、テストの一環なのだろうか。

 いや、どちらにせよ、否があるはずもない。僕はしっかりと頷いた。


「まずは、そうだな……君達は、国とはなんだと考える?」

「え……?」


 僕もリコも、呆然としていた。


「国とは、ですか?」

「そう、国だよ。国」


 質問の意味を把握するのに手間取る。

 国とはなんだ? ……人間の集まり? 民族の集合体? 同一の文化圏を持つ集団? 同じ政府の統治下にあること?

 それはどれも正しくて、どれも正解ではない気がする。


「機構です」


 そう言った。自然と出てきた言葉だった。


「効率よく生きる為のシステムです」

「ほお」

「それと、虚構です」


 そう続けた。


「効率よく生きられるという幻想です」

「なるほどなるほど」


 閣下は後ろ手に回した両手を動かした。


「で、それは誰の受け売り?」

「僕の受け売り」


 なるたけ不敵に見えるように。


「ははあ」


 閣下は笑った。


「なるほど、国は機構で、虚構だと。それでは、人間とは何かな?」

「動物の一種」

「生物としてでなく、概念としてでは?」

「効率を求めること」

「それは、誰の受け売り?」

「あなたの」

「ほうほう! では効率化とはなんだ?」

「最適に近づくこと」

「最適とは?」

「主観的な理想」

「主観とは?」

「我が儘」

「どうして?」

「あくまで自己中心的な解釈だから」

「なるほど。では理想とは?」

「空想」

「空想と理想の違いは?」

「ニアイコール。空想の中の一部分が理想」

「理想と現実の違いはなんだ?」

「感情か、勘定かの違い」

「ほぉ!」


 休む間もなく、次々質問された。閣下は目を見張り、会長に言った。


「ミズキ、素晴らしいぞ。こんなにも素晴らしいのは初めてだ」

「そうだね」


 会長はいつの間にか部屋の隅にいて、ソファーに腰掛けていた。足を投げ出して、テーブルの上に乗せている。


「まったく、初めてだよ。こんなにも」


 二人は顔を見合わせた。


「こんなにも間違っているのは」


 二人の声が重なった。


「どういう……ことでしょう」


 僕は噫にも出さぬように、平静な振りをして訊いた。


「君は」


 会長が膝に乗せたデバイスを叩いて言った。部屋に入る際に没収されたはずだから、あれは元々ここにあるものなのだろう。


「キリスト教とイスラム教が何故争っているか、知っているかい?」

「……一言では言えないかと」

「そう、まあそうなんだがね。元は同じユダヤ教から派生したもの同士の、根本的な対立の原因は?」

「聖書の……救世主とか、解釈の違い」

「まあ、そうだ」


 ……何が言いたいのか、少しわかった。


「でも、ユダヤ教から派生した宗教を持たない国、それも、宗教を排斥した国に住む我々から見たら、そもそも救世主なんてものは存在しないのだよ。争っている理由がちゃんちゃらおかしいね」


 人差し指を立て、ちっちと左右に振る。


「そもそも前提が間違っている、と?」

「それもまた、主観だがね」


 会長は片手を頬に添えて笑った。


「私はね、もうじき死ぬのだ」


 なんでもないことのように、閣下が言う。僕は驚いて目を見開いた。

 病気をしているようには見えない。むしろ、年齢を考えれば元気そうに見えるくらいだ。

 この人が……死ぬ? 何故?


「死を受け入れてからというもの、私の柄ではないかもしれないが、間違いを認めることができるようになったのだ。全てではない。私は我を通して生きてきた。間違っていたつもりはない。しかし、いくらかのことは、間違いだと認められるのだ」


 ゆっくりと、長い溜め息を吐いて。


「昔、私が発表した文章には、いくらかの修正点がある。丸々削除してしまいたい項もある。君は、それらも丸ごと吸収してしまったのだ」

「…………」

「私に気に入られようとしたのか?」

「違っ……」

「…………」


 言いかけた僕も黙ったし、リコは何も答えない。


「清々しい程に間違えているな、君は」


 ふふっと笑って、そう言った。


「いや、いいのだ。それでもいい。君のような者が、一人は必要なのだ」


 僕は何も訊かない。意味がない。


「質問は以上だ。では、次に進もうか。本番だよ。テストだ」


 閣下の言葉に合わせて会長がデバイスを操作すると、キャビネットの一部が競り上がり、モニターが出てきた。映像が出る。それはこの国の、本州の地図だった。


「君達に挑戦してもらうのは、そう」


 閣下はニヤリと、悪戯な笑みを見せた。

 僕は続く言葉を待つ。





「かくれんぼだ」













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