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3年E 組、全員異世界転生しました。~30通りの恋と、小さなギフト~

一枚しか乾かせないハズレギフトですが、遭難先の洞窟で最強女騎士を抱きしめたら、俺の前でだけ可愛くなりました

作者: kinoko
掲載日:2026/10/22

30人異世界転生シリーズ、2人目のお話です。


今回は、地味すぎるギフト『一枚乾燥』を持つ洗濯職人レオンと、強くてちょっと不器用な女騎士クラリッサのお話。


討伐帰り、二人きりで遭難してしまい――。


ちょっと、艶っぽいです( *´艸`)

ちょいSっ気男子ですねー。

俺の名前は、高瀬蓮。


香南(こうなん)高校三年E組だった俺が、この世界でレオン・ハルツとして生まれ直してから、二十三年になる。

今はルシェリア王国の王都で、洗濯工房の職人をしている。


転生するときに創造主からもらったギフトは『一枚乾燥』。手で触れた布一枚から、水分だけを一瞬で抜くことができる。

ただし使えるのは三十分に一度きりだ。


洗濯屋として生きる今となっては、それなりに便利な能力ではある。


でも、異世界転生の特典と聞いて、剣を振れば魔物を倒せるだとか、火や雷を操れるだとか、そんな能力を一度でも期待した人間からすると、どうにも地味じゃね?

あの創造主、適当すぎるだろ……!

と、怒ったところで仕方ないので、今はそれを受け入れそれなりに楽しく生活している。


布を一枚乾かすだけ。

それ以上でも、それ以下でもない。



そんな俺のギフトを初めて本気で必要だと言ったのが、クラリッサ・ヴァルトだった。


彼女とまともに話したのは、春の終わり。

三日続いた雨のせいで、騎士団から預かった軍服が工房の中を埋め尽くしていた日のことだ。



「レオン・ハルツはいるか……」


よく通る女の声に顔を上げると、工房の入り口に一人の騎士が立っていた。


淡い金髪を後ろでひとつに束ね、濃紺の騎士服を隙なく着込んでいる。

腰には長剣。細身なのに、そこに立っているだけで周囲の空気が張り詰めるような存在感があった。


クラリッサ・ヴァルトは二十五歳だと言っていた。

高位貴族の娘でありながら、家の力ではなく剣の腕だけで西部騎士団の隊長にまで上り詰めた女だ。

男の騎士でも彼女を前にすると背筋を伸ばすほどの実力者らしい。


それなのに顔立ちだけを見れば、意外なくらい可愛らしい。

白い肌に大きな青灰色の瞳。鼻筋は細く、唇も小さい。


ただ、それを本人へ言える人間はいないだろう。


俺も含めて……。



「レオンは俺です。どうしましたか?」


俺が名乗ると、クラリッサは持っていた濃紺の布を作業台へ広げた。


銀糸で細かな魔法陣が刺繍されている。

騎士団が使う結界布だった。


魔力を流せば十数人を覆う防御結界を張れるが、水を吸うと術式が乱れ、完全に乾くまで使えないらしい。



「一瞬で乾かせると聞いたんだが……」


「ああ、これくらいなら」


布へ手を当てると、指先から淡い熱が広がった。

次の瞬間、重く水を含んでいた結界布から水分が消え、本来の紺色へ戻る。


クラリッサの瞳が僅かに見開かれた。


「本当に一瞬なんだな」


「ただ、三十分に一枚だけです」


「十分だ。……来週、西部国境へ討伐隊が出る。同行してほしい」


思わず彼女を見る。


「洗濯屋を討伐隊に!? 何言ってるんですか!?」


「安心しろ。今回の討伐で死人が出ることはまずない」


「それ、死亡フラグ!」


俺が思わずそう言うと、クラリッサは本気できょとんとした顔をしている。



変なやつだと思われたな……。



俺は、一度コホンと咳をしてなかったことにした。


「危険手当は……?」


「通常の三倍」


「行きます……!!」


報酬にまんまと食らいつくと、クラリッサの口元がほんの少しだけ緩んだ。

笑った、と気づいたのは、彼女が背を向けた後だった。




西部国境までは馬車で二日かかった。


駐屯地は王都とはまるで違う場所で、切り立った山々に囲まれ、石造りの砦の向こうには白い雪を残した峰が連なっていた。昼でも風は冷たく、夕方になると吐く息が白くなる。


俺に与えられた仕事は、洗濯と装備の補修、それから結界布の管理だった。


剣を握ることはない。

それでも騎士たちと生活しているうちに、クラリッサという女が少しずつ見えてきた。


彼女は誰より早く起きて、部下の訓練を見て、巡回へ出る。

戻れば報告書を確認し、装備を点検し、自分の食事や休憩は一番最後に回す。


部下が無茶をすれば叱るくせに、自分のことになると驚くほど雑だった。



「また破れてますよ」


ある日の夕方、巡回から戻ってきたクラリッサの右手を見て、俺はため息をついた。

革手袋の親指の付け根が派手に裂けている。


「いや、これくらいならまだ使えるだろ」


「穴から指出てますけど」


「剣は握れるから大丈夫だ」


「……もう! 貸してください!」


手袋を取り上げ、焚き火のそばへ腰を下ろした。


革を寄せて針を通していると、クラリッサも隣へ座る。

鎧を外した彼女は、普段よりずっと華奢に見えた。



「……器用だな」


「毎日服を触ってますからね」


「私は裁縫が苦手だ」


「でしょうね……」


「なぜ分かる?」


「……この前、自分で直したって言ってた手袋、縫い目が迷子になってましたからね」


クラリッサが黙った。


どうやら思い当たるらしい。

この人、もしかして天然なのか?


俺は笑いながら糸を結び、手袋を返した。


「はい、どうぞ。これでしばらく持ちます」


「ありがとう」


ちゃんと俺の目を見て言う。

その一言が、なぜか嬉しかった。



身分の高い人間の中には、職人に何かをさせることを当然だと思っている者もいる。

でもクラリッサは違った。


洗濯物を渡す時も、装備を直した時も必ず礼を言う。

そして俺のギフトを、一度も馬鹿にしたことがない。


「一枚しか乾かせないんですよ」


何気なくそう言った時も、クラリッサは少し眉を寄せた。


「一枚あれば、十人を守れる」


「結界布なら、でしょう」


「なら、その一枚を乾かせるお前は十人を守れる」


真顔だった。

慰めるために言っているわけではなく、本当にそう思っているのだ。


そのあたりからだったと思う。

気がつくと俺は、彼女の姿を目で追うようになっていた。




遠征十日目。

討伐を終え、前線近くの見張り所から駐屯地へ戻る途中、山の天気が急変した。


出発時には晴れていたが、それが午後になると峰の向こうから黒い雲が押し寄せ、冷たい風が谷を駆け抜けた。


「戻るぞ……!」


クラリッサの判断は早かった。

でも、山の天気はそれより速かった。


大粒の雨が落ちてきたかと思えば、数分もしないうちに視界が白く霞むほどの豪雨になった。

木々を叩く雨音が大きすぎて、数歩先にいる騎士の声すらまともに聞こえない。


その時、山の奥から腹の底に響くような低い音がした。

クラリッサの顔色が変わる。


「走れ!」


次の瞬間、山肌が崩れた。

木と岩を巻き込んだ土砂が、一気に斜面を滑り落ちてくる。


俺は走ったが、足元の泥が滑り、何度も転びそうになる。


突然、腕を強く掴まれた。


「レオン、こっちだ!」


クラリッサに引かれ、そのまま岩壁の陰へ飛び込む。

目の前を、濁流のような土砂が通り過ぎた。


泥水と小石が足元を叩き、轟音がようやく遠ざかった頃には、俺たちが歩いていた山道は跡形もなく消えていた。


仲間たちの姿もない。

クラリッサはすぐに周囲を確認すると、俺の方を向いた。


「怪我は?」


「……な、ないです。ありがとうございます」



し、死ぬかと思った……!!



濡れた前髪が頬に張りついている。

唇の色が少し悪かった。


「…あの、他の方は……」


「あいつらも大丈夫だ。反対の安全な方に行ったのを確認した。濁流に呑まれそうなのはお前だけだ」


「すみません……」


「いや、私が無理を行って連れてきた。お前を守るのは当然だ」


「うわっ、それ、惚れるやつですって!」


「何を言っている。……とりあえず、この近くに洞窟がある。まず雨をしのごう」


それから十分ほど歩いて、ようやく岩肌に口を開けた洞窟へたどり着いた。

中へ入った途端、激しい雨音が遠くなる。


外から差し込む青白い光が濡れた岩壁をぼんやり照らし、その先は暗闇へ沈んでいた。

天井から落ちる雫が、ぴちゃん…ぴちゃん…と、静かな洞窟の中で規則的な音を響かせている。


風がないだけでもかなり楽だった。


俺は非常袋を開いた。

乾燥肉と火打石、小さな薬箱。それから厚手のタオルケットが一枚。

でも、袋ごと濡れていたせいで、タオルケットは水を吸ってずっしり重い。



「最悪だな」


呟いて振り返り、そこで初めてクラリッサをまともに見た。


騎士服が完全に濡れて、身体に張りついている。

細い腰も、脚の線もはっきり分かる。


普段は鎧に隠れていて意識したことなどなかったのに、今は嫌でも目に入った。

慌てて視線を逸らす。



「レオン?」


「隊長、服脱いだ方がいいんじゃないですか?」


「ここで?」


「そのままじゃ体が冷えますよ……?」


クラリッサが自分の服を見下ろした。

一瞬ためらった後、俺を見る。


「む、向こうを向け」



背を向けると、後ろで濡れた革の擦れる音がした。

布を絞る音まで聞こえる。

聞こうとしているわけじゃないのに、耳について困った。


「……もう、いいぞ」


振り返る。

クラリッサは鎧と上着を脱ぎ、薄いタンクトップと短パンスタイルになっている


そのタンクトップと短パンは絞りたてでシワシワ。

頑張って絞ったのだろうが、まだしっかり濡れている。

俺は、思わず固まってしまった……。


「……お前、何を見ている……!」


胸元を隠すように腕を組まれた。


「いや……隊長って、意外と」


「何だ」


「な、なんでもないです……!!」


これ以上口にすると、絶対に怒られる。

俺は濡れたタオルケットへ手を置き、『一枚乾燥』を使った。


瞬間、冷たく重かった布から水分が抜け、柔らかな手触りへ戻る。


それをクラリッサの肩へ掛けた。


「包まっててください」


「お前は?」


「俺はまだ平気です」


布の端を胸元へ寄せてやろうとした時、彼女の手に触れた。


冷たい。

思わず指を掴んだ。


「こんなに冷えてるじゃないですか!」


「平気だ! 触るな!」


「……震えてますよ。……まったくもう!」


両手で包んで擦る。


細い指だった。

俺の掌にすっぽり収まってしまうほど小さい。


戦場では男より強くて、どんな時でも真っ直ぐ立っている女なのに、今は俺の前で静かに震えている。


「……何……? お前、さっきから、何じろじろ見てるんだ……!」


見つめすぎたらしい。

隊長、怒ってる……。


「いや……。隊長って、もっと大きい人だと思ってました」


「165センチだ! 他の令嬢よりも大きい!」


「俺は180センチです。やっぱり小さいですね」


「……」



やばい。

これ以上からかうと、マジで切られるかも……。

だって……なんか……可愛すぎるんだけど、この人。



俺の視線が、タオルケットに包まれた身体へ落ちる。


腰が細い。

本当に、思っていたよりずっと……。



「抱いたら、簡単に腕の中へ入りそう……」


思わず言った瞬間、クラリッサの目が見開かれた。



やば。



「……な、何を言っている!!」


そう言って、クラリッサは勢いよく顔を背ける。

耳が赤い。


その反応を見た瞬間、胸の奥が妙にざわついた。

いつもつんとして、眉一つ動かさない女が、こんな簡単な一言で赤くなる。


なんだよ、その反応……。

――可愛い。

もっと見たくなるだろ……。




その時、洞窟の奥から石の転がる音がした。

クラリッサがすぐ剣へ手を伸ばす。


暗闇の中に、二つの目が光った。


山狼(やまおおかみ)だ。


雨を避けて入り込んでいたらしい。

クラリッサが立ち上がろうとしたが、冷え切った脚が思うように動かなかったのか、体がぐらついた。


「……危ないっ!」


腰を掴んで引き寄せる。

そのまま背中が岩壁へ当たり、俺はクラリッサを庇うように片手を壁へついた。


結果的に、彼女を壁と俺の体の間へ閉じ込める格好になった。



ん?

これは、思いがけず壁ドンしてしまった……。



クラリッサが小さく息を呑む。

俺の手はまだ腰にある。


タオルケット越しでも、手のひらの下にはっきりくびれが分かる。


なんだよ。

あれだけ強いくせに、こんなに小さいのか。

腰も、細っ……。



視線を下げると、濡れた睫毛の向こうから青灰色の瞳が俺を見ていた。

近づいたせいで、金髪から甘い香りがする。


ほんの少しだけ、花の香り。


「……いい匂いがする」


「は?」


クラリッサの頬が赤くなる。


「お前……、今言うことか!? わかってるのか、この状況!!」


「だって、こんなに近くなったことないから……。死ぬかもしれないなら、思ったこと言った方がいいと思って」


「……っ!」



クラリッサは、急に俺を押しのけて、そのまま山狼を剣で切り殺した。



うわ、瞬殺かよ。

まじで強いんだな、この人……。

やっぱり、怒らせるのやめよう……。

でも──。



クラリッサを見ると、俺の視線に気まずくなったのか、ぎゅっと自分を抱きしめるように体を隠す。


「……寒い」


小さな声だった。


「……こっち来てください」


俺の言葉に従うように、クラリッサは近づいてきた。

タオルケットで包み、細い身体を抱き寄せる。


胸にすっぽり収まった。


思った通りだ。

いや、思っていた以上に小さい。


濡れた髪が顎に触れ、甘い香りがふわりと鼻を掠める。

腕の中の身体は細くて、腰なんて少し力を込めたら折れてしまいそうなのに、ちゃんと柔らかく、温かかった。


クラリッサの額が俺の胸へ触れた。

さっきより少し強く震えた。



「まだ寒い?」


「ああ、少し……」


「じゃあ、もっとくっつきます?」


半分からかうつもりで言った。

ところがクラリッサは一瞬だけ迷い、本当に身体を寄せてきた。


息が止まりそうになった。


「ねぇ、隊長……」


「……何だ」


「俺、そんなに善人じゃないですよ?」


「何の話だ……」


本当に分かっていない。

俺は腰へ回した腕に少しだけ力を込めた。


クラリッサが顔を上げる。


「こんなところで、こんなかわいい女の子にくっつかれたら困るって話です。」


青灰色の目が大きくなる。



言ってしまった。

でも、もう取り消す気にはなれなかった。

山狼を瞬殺する隊長に“かわいい女の子”なんて、失礼だってわかってるけど、だって、本当に思ってしまったんだから仕方ない。



俺はクラリッサの頬へ手を添えた。

冷たかった肌が、さっきより温かい。


「俺……今、はっきり分かりました」


親指で濡れた頬を撫でる。


「けっこう好きみたいです。あなたのこと」


クラリッサは何も言わなかった。


ただ俺を見ている。

頬がどんどん赤くなる。


その顔を見た瞬間、背筋がぞくりとした。


いつも誰より強気で、俺に平然と命令する女が、俺の一言でこんな顔をしている。



「……何ですか? その顔」


「何でもないっ」


「全然何でもなくないでしょう……?」


顔を逸らそうとしたクラリッサの顎へ指を添え、こちらへ戻す。


「こっち見て」


「……レオン! からかうのも……」


「からかってないですよ? いつも俺に命令してるんだから、たまには言うこと聞いてください」


一瞬迷ったあと、クラリッサが俺を見た。

顔も耳も赤くて、目は潤んでいる。



もっと困らせたい。

もっと赤くなった顔を見たい。

俺しか知らない表情を、もっと引き出してみたい……。



そんな欲がじわりと湧いてきた。



「……可愛い」


言った瞬間、クラリッサの頬がさらに赤くなる。


「そ、そんなこと言うな……!」


「なんで?」


「……どうしていいか、わからなくなるから……」


「そういう言い方も、全部可愛いんだけど」


「やめろって……!」


「キスしていい?」



言葉が止まった。

クラリッサが完全に固まる。


俺はその反応を見ながら、ゆっくり顔を寄せた。

唇が触れる直前で止める。



「嫌なら……俺のこと殺してもいいですよ?」



腰に回した腕はそのまま。

クラリッサは動かなかった。


胸元を掴んでいた指だけが、少しだけ強くなる。


それで十分だった。


唇を重ねる。


ほんの一度触れるだけのつもりだったのに、離れた途端、クラリッサが目を見開いて俺を見た。


クラリッサの顔が真っ赤だった。



「へぇ? ……隊長って、キスくらいでそんな顔になるんですね」


「レオン……本当にもう……」


睨まれたが、全く迫力がない。

むしろ耳まで赤くなっているせいで、可愛さしかなかった。


ぞくりと、またあの感覚が走る。


強いクラリッサを、今だけは俺が振り回している。

それがたまらなく気持ちよかった。


「嫌でした?」


クラリッサが答えない。

俺は思わず笑った。



意地をかけているのか、クラリッサが顔を逸らすので、今度は頬へ唇を落とした。

クラリッサの肩が小さく揺れる。


そのまま耳の下へ触れるだけの短いキスをした。


「レオン……」


声がさっきより低い。


首筋へもう一度唇を落とすと、クラリッサの身体がぴくりと震えた。

それを見逃すほど、俺も余裕はなくなっていなかった。


「レオン……!」


顔を上げたクラリッサは、完全に恥ずかしそうな顔をしていた。


いつもの隊長の面影なんてほとんどない。

それが可愛くて仕方がない。


「そんな顔されたら、やめられないんですけど……」


「誰のせいだと思っている……!」


「俺ですね。すみません」


「分かっているなら――」


言い終える前に、もう一度唇を重ねた。

今度は少し長く。


クラリッサの手が、俺の胸元を強く掴む。


その反応に煽られた。

腕にも力が入り、もっと近くへ引き寄せる。

タオルケット越しでも身体の温度が分かる。


唇を離すと、クラリッサは僅かに息を乱していた。


俺は額を軽く重ねた。


「本当に嫌なら、突き飛ばせるでしょう? なんで、しないんですか?」


クラリッサは俺より強い。

本気なら、俺なんて簡単に吹っ飛ばせる。

いや、本当に殺せる。


それなのに、彼女は離れない。

むしろ服を掴んだまま、小さく俯いた。


「……今のお前、嫌いだ」


「……嘘だろ?」


思わず返した。

クラリッサが顔を上げる。


今にも泣きそうな顔。


その瞬間、自分でも驚くほどの高揚感が胸を満たした。



もっと見たい……。

恥ずかしがる顔も、困った顔も、俺に触れられて、どうしていいか分からなくなっている顔も……。



普段は絶対に見せないものを、自分だけが知っている。


それがたまらなかった。


でも……そこまで考えたところでさすがに我に返った。


このまま調子に乗ったら本当にまずい。

俺の理性、しっかりしろ……!



俺はクラリッサから少し身体を離し、タオルケットを肩まで掛け直した。


「……悪ふざけが過ぎました。もう、本当に何もしません」


訝しげに見上げる彼女へ苦笑する。


「これ以上は、本当にやめられなくなりそうなので」


意味が伝わったのか、クラリッサがまた真っ赤になった。

俺はその顔を見ないようにしながら、洞窟の壁へ背を預けた。


その隣へ、クラリッサが静かに座る。



外ではまだ雨が降っていた。

なのに、さっきまであれほど冷たかった洞窟の空気が、もうあまり気にならなかった。




翌朝、捜索隊に発見されて駐屯地へ戻り、その数日後には俺も王都の工房へ帰った。


そこでようやく、猛烈な自己嫌悪に襲われた。



「……最・悪・だっ!!」



洗濯物を畳みながら、頭を抱える。

思い出すたびに死にたくなる。


騎士隊長を壁際へ追い込んで、キスして、首にまでキスして、『そこ弱い?』なんて言った。

何をやってるんだ、俺は!!


洞窟の中では完全に頭がおかしくなっていたとしか思えない。


暗かったから。

寒かったから。

二人きりだったからね。

そういう状況だったから仕方ないよね?


――いや、違う……。

普通に俺が悪い!!!


だって、可愛かった。

どうしようもなくキスしたくなった。

いつもつんとして、誰より強くて、自分から弱音なんか吐かないクラリッサが、俺の腕の中で真っ赤になっていた。


もっと見たくなった。

困った顔も、恥ずかしがる顔も。



「……ほんと最悪だ。俺、完全に嫌われただろ」



それに、問題はそれからクラリッサとほとんど話していないことだ。


帰還後は隊の処理に追われていたし、俺もすぐ王都へ戻った。

別れ際もろくに話せなかった。


絶対怒っている。

次に会ったら殴られる。

いや、クラリッサなら普通に斬られるかもしれない。

高位貴族の女騎士隊長に、あんなことをしたんだ。

下手すれば騎士団から連行されても文句は言えない。



工房の扉が開くたび、体が勝手に反応するようになった。

だから、その声が聞こえた時、本当に心臓が止まるかと思った。



「レオン」



終わった……。



恐る恐る顔を上げる。


クラリッサが立っていた。

いつもの騎士服で、いつもの凛とした顔。

そして手には、革の手袋。



「……まいどですー……」



自分でも情けない声だった。

クラリッサは何も言わず、俺の前へ手袋を置いた。


「今日もこれを頼む」


見ると、縫い目がほんの少しほつれているだけだった。

放っておいても何の問題もない。


「これくらいなら、自分でも――」


そこまで言って、顔を上げる。


クラリッサはいつもの顔をしている。

つんとして、何を考えているのか分かりづらい。


でも、もう知ってしまった。


この人が耳まで真っ赤になることも。

抱いたら驚くほど細いことも。

キスしたら目を見開くことも。

首筋へ唇を落とすと、小さく肩を震わせることも。


──全部知っている。



途端に、胸がどくんと鳴った。



だめだ。

もう以前と同じようには見られない……!



俺は誤魔化すように手袋を取った。



「仕方ないですね。ほんと、手のかかる隊長だ」


クラリッサが目を瞬いた。

そして、ふっと笑った。


信じられないほど、柔らかな笑顔だった。


「うん。これからも頼む」



その笑顔を見た瞬間、本気で天使かと思った。



あの日、あの時、あの洞窟で。

いつも強気なクラリッサを、俺が手玉に取っているつもりだった。


けれど、どうやら違ったらしい。


あの時からずっと……。

──手玉に取られていたのは、俺の方だった。


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