↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/29

3-3 一本の線


 ルシアンの指先は、二箇所の文字の間で止まっていた。


「じゃあ、もう少し小さく考えてみよう」


 そう言って、問題文の一節を示す。


「ここには『外部から、術式の流れと同じ方向の魔力が加わる』とある。合っているな?」

「はい」

「第二則の中で、同じ条件について書かれているのはどこだ?」


 フローレンはすぐに答えようとして、開きかけた唇を止めた。


 どこだ、と聞かれた。内容を最初から最後まで言う必要はない。


 自分で書き込んだ文字を追い、その中から該当する一文を探す。探すといっても、どこに何を書いたのかはすべて覚えていた。


「……ここです」


 指したのは、問題文から少し離れた場所に書き留めた第二則の一節だった。


『外部から同方向の魔力が加わる場合、その力は術式内を流れる魔力へ加算される』


「そうだ」


 ルシアンの指が、問題文へ戻る。


「こっちは?」

「外から、同じ方向の魔力が加わる」

「こっちは?」

「同じ方向から加わった魔力は、元から流れている魔力に加わる……」


 答えてから、フローレンは二つの文を見比べた。


 同じ方向。


 片方は、この問題に与えられた条件。もう片方は、教科書で覚えた法則。


 一方は問題文の中にあり、もう一方は自分が書き出した知識の中にある。今まで、こうして二つを並べて見たことなどなかった。


 けれど。


「……同じだ」


 思わず零れた声に、ルシアンが目を上げる。


「何が?」

「条件が……第二則に書いてある場合と同じです」

「ああ」


 それだけだった。


 褒めるでもなく、答えを先へ進めるでもない。ただ、続きを待っている。


 フローレンはもう一度頁を見た。


 問題文の条件。

 第二則の一節。


 今までなら、それぞれを別々に読んでいた。


 これは問題に書かれていること。

 これは教科書に書かれていたこと。


 どちらも覚えているから、必要だと思って同じ頁へ書き並べた。それなのに、そこから先を考えたことはなかった。


 ルシアンが机の上のペンを手に取る。


「少し書いても?」

「はい」


 フローレンがノートを二人の間へ少し寄せると、細いペン先が紙へ触れた。


 かすかな音を立てながら、問題文の『同じ方向』から、第二則の『同方向』へ一本の線が伸びていく。


 ほんの数センチ。


 それだけだった。


 けれど、頁の上に並ぶ文字の景色が、それまでとは少し違って見えた。


「今は、ここだけ見ればいい」


 ルシアンがペン先で線を軽く辿る。


「この条件が、この法則に当てはまる。なら、何が起きる?」


 フローレンは線の先を見つめた。


 外から同じ方向の魔力が加わる。

 同じ方向なら、その魔力は元の流れへ加算される。


 それなら。


「……流れる魔力が、増える」

「そうだ」


 答えが出た。


 あまりにも簡単に。


 ずっと読んでいたはずの第二則から、今まで一度も辿り着けなかった言葉が、自分の口から出てきた。


 フローレンは小さく息を止めた。


 隣のレオも口を挟まなかった。机の上へ片腕を置いたまま、フローレンの答えを静かに待っている。ただ、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。


「じゃあ、次だ」


 ルシアンの声が、止まりかけた時間をもう一度動かした。


「術式自体は正常。基礎式にも乱れはない。供給されている魔力量も一定だったな?」

「はい」

「その状態で、流れる魔力だけが増えた。出力はどうなる?」


 フローレンの眉がわずかに寄った。


 また、さっきとは別のところで道が途切れる。けれど今度は、すぐに「分からない」とは思わなかった。


 ノートの中を探す。


 出力。

 魔力量。

 正常な基礎式。


 それぞれに関係する知識なら、覚えている。


「……術式が正常なら、出力は流れる魔力量に応じて変わります」

「それなら?」

「流れる魔力が増えたから……」


 そこで一度、息を継ぐ。


 先ほどルシアンが引いた細い線が、視界の端に残っていた。


 条件から法則へ。

 法則から、起こることへ。


 なら、今度も。


「出力も、上がる……?」


 語尾だけが少し頼りなくなる。


「ああ。上がる」


 ルシアンは即座に答えた。


 その短い肯定が、思っていたより深く胸へ落ちた。


「……解けた」


 まだ途中だということも忘れ、フローレンは呟いた。


「半分ね」


 横からレオが笑う。


「問題、もう一個聞いてたでしょ」

「あ」


 慌てて問題文へ目を戻す。確かに、問われているのは出力の変化だけではない。


「出力を元へ戻す方法……」

「そう、それ」


 レオは楽しそうだったが、答えを言う気はないらしい。視線だけをルシアンへ送り、そのまま再び口を閉じた。


 ルシアンは手にしていたペンを机へ置いた。今度は線も、書き込みも増やさない。


「では、同じように考えてみよう」


 問いだけが、フローレンの前へ置かれる。


「今、出力が上がった理由は?」

「外部から同じ方向の魔力が加わって、術式内を流れる魔力が増えたからです」

「元の出力へ戻したいなら、何を元へ戻せばいい?」

「……流れる魔力量」

「そうだ。では、増えた分をどうすればいい?」


 フローレンは第二則を見た。


 同じ方向から加わる場合。

 その一節の少し先。


 そこには、反対方向から力が加わった場合についても書いてある。


「反対方向の魔力は、元の流れから差し引かれる……」


 今度は、ルシアンに聞かれる前にその箇所を見つけた。フローレンの指先が、問題文から第二則へゆっくりと動く。


 問題文の『増えた魔力』。

 第二則の『反対方向』。


 紙の上には、まだ線はない。


 それでも、さっきと同じように二つを並べてみる。


「だったら……増えたのと同じだけ、反対方向から加えれば」


 言葉にしながら、自分の中でも形が整っていく。


「増えた分が打ち消されて、元の魔力量に戻る」


 ルシアンは答えなかった。


 返事がないことが少しだけ不安になり、フローレンは顔を上げる。


 深い紫色の瞳がこちらを見ていた。


「その先は?」

「その先?」

「魔力量が元へ戻ったら、出力は?」

「あ……」


 まだ終わっていなかった。


 けれど、今度は止まらない。


「術式そのものは正常だから……流れる魔力量が元に戻れば、出力も元に戻ります」

「ああ」


 今度こそ、ルシアンが頷いた。


「それが答えだ」


 窓の外を風が通り過ぎた。


 西へ傾いた陽が書架の縁をゆっくりと滑り、机の上へ落ちる光の形を少しずつ変えている。いつの間にか頁の半分まで伸びていた影の中で、一本の細い線だけが黒くくっきりと浮かんでいた。


 フローレンはしばらく、その線を見つめていた。


 ――解けた。


 知らなかったことを、新しく教えてもらったわけではない。


 第二則も知っていた。

 魔力量と出力の関係も知っていた。

 反対方向の魔力がどう作用するのかも知っていた。


 頁にあるものは、どれも昨日までの自分が知っていたことばかりだ。


「……全部、知ってた」


 声が小さく落ちた。


 隣で、レオがわずかに身体を動かす。


「うん」


 レオはそれだけ返した。


 フローレンは自分の書いた文字を順に追った。問題文、第二則、出力と魔力量の関係、反対方向から加わる力。


 これまでは、ただ一つずつそこに並んでいた。どれほど数を増やしても、それだけでは答えにはならなかった。


 けれど、最初の二つの間には今、細い線が一本引かれている。


 その線を起点にするように目を動かせば、その先にある知識へも道筋が続いていく。


 条件が、法則へ。

 法則から、起こる変化へ。

 そこからまた、次の知識へ。


 離れていたものが、一つずつ意味を持って近づいてくる。


 胸の奥で、何かがかすかに音を立てた気がした。


「そっか……繋げるんだ」


 フローレンの指先が、頁の上の細い線へ触れる。紙のざらりとした感触が、指の腹へ伝わった。


「覚えてるものを、こうやって」


 ルシアンがその指先を見てから、フローレンへ目を戻した。


「ああ」


 夕方の光の中で、深い紫の瞳がわずかに和らぐ。


「そういうことだ」


 その言葉が落ちたあと、自習室にはしばらく誰の声もなかった。


 窓辺で葉が擦れ合う。遠くの廊下を誰かが通り過ぎ、足音がひとつ、またひとつと薄れていった。


 フローレンはまだノートを見ていた。


 昨日までと同じ頁。

 同じ文字。

 同じ知識。


 そこに増えたのは、たった一本の線だけだった。


 それなのに、昨日までただ並んでいた文字は、もう同じようには見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。