第16話 「一兵卒マルク」
「なんでこんな目に……!」
26歳のマルクは酒が好きなだけのどこにでもいる兵士だった。
もちろんこれまでも相応に危険な任務には当たってきた。だが、しぶとく生き残りながら、ある時から感覚が麻痺していた。
その日も、帰って仲間と酒を飲みながら騒ぐのだと思っていた。
自分が死の淵に立つなど考えもしなかったのだ。
「一体……なんなんだよ!?」
目の前で舌を震わせる大蛇。ヒュドラと呼ばれる巨大な蛇の魔物で、本来は薄暗い洞窟を好む種だ。
それが何故か地上に出てきている。
「う、うわぁぁあ!」
絶叫しながら逃げ回るマルク。
共に任務に赴いた仲間たちは、大蛇に押し潰され、飲み込まれ、物言わぬ屍と化している。
そんな時、一つの光景が目に入った。
「あ、ああ……トーマス」
一番の親友であるトーマスが、上半身だけで木に引っかかっている。
ヒュドラが振り回した尾に弾かれ、樹上まで飛んだのだろう。生気を失った瞳が、血の涙を流している。
「くそ、くそ! 死んでたまるか!」
蹂躙されていく仲間たち。それらに背を向け、マルクは泣きながら森を走り回る。
後ろから木々を薙ぎ倒しながら近づいてくるヒュドラに、マルクは恐怖から絶叫する。
その瞬間、陰から真っ黒な何かが飛来してきて、ヒュドラの身体が大きく弾かれた。
「はぁ、はぁ……な、なにが起きて……?」
地面にへたり込んで後方を見ると、誰かがヒュドラとマルクの間に立ち塞がっている。
「だ、だれだ……?」
毛皮のような質感の真っ黒なマント。薄汚れた甲冑と、ピンと立った耳のような飾りがついた兜。
そして、右手に持った大剣。
「騎士……なのか?」
ヒュドラが甲高い鳴き声をあげる。空気が震えるような音に、思わずマルクは耳を覆う。
騎士のような人物が、ゆっくりとヒュドラに近づいていく。
散歩でもしているかのような足取りに、思わずマルクは声をあげようとした。
ヒュドラの大木のような身体がうねり、その尾が騎士に迫る。
「あっ!」
マルクが声を上げた瞬間、ブン、と音を立てて騎士の身体が高速で動いた。
人智を超えた速度で大剣が振るわれ、ヒュドラの尾が宙を舞う。
血しぶきを頭上から浴びながら、謎の騎士は空を仰ぎ見る。
「シャアァァア!」
断たれた尾を探すようにのたうち回るヒュドラを意に介さず、騎士はまたもやゆっくりと近づいていく。
マルクの目には、まるでヒュドラが得体の知れない怪物を恐れているようだった。
ヒュドラが距離を取ろうとする。その身体を掴み、地面に根を張ったように動かない騎士。
逃げようともがくヒュドラがいっそ哀れに思うような怪力。
「な、なんだありゃ……?」
逃げられないと悟ったのか、ヒュドラが騎士に大口を開けて噛みつこうとする。
その下に潜り込み、円を描くように騎士が回転した。
それだけで大蛇の首は紙切れのように断たれ、大きな音を立てて巨体が沈み込む。
「す、すげえ……」
まるで神話のような戦いを見て、マルクはここが戦場であることも忘れて呆然とする。
ヒュドラの血に濡れた騎士が、被っていた兜を外す。
真っ白な髪の男だ。まだ少年とも言えるほど幼い顔立ちだが、ギラギラと殺気だった瞳が歴戦の戦士のようにも見える。
「え?」
少年がマルクに近づいてくる。腕についた血を舐め取りながら、鳥肌が立つような無表情で。
「あ……あ」
目の前にすると、今まで抑えられていた恐怖心が湧き上がってくる。
白だと思っていたが、灰色に似た髪の色に、身体中から血の匂いを漂わせる少年。
ヒュドラの血を舐め取り喉を鳴らす様を見て、本当に人なのか疑うほどだった。
「──これ、知ってるか?」
マルクの肩が跳ねる。少年が突然声を発した。高くもなく、低くもない普通の声だった。
「え、え?」
「この呪いだ。目が見えないのか?」
少年が指差すのは、自らの胸元だった。胴当てをずらした皮膚に、黒い線が蜘蛛の巣状に走っていて、それが時折拍動するように蠢いている。
「あっ……。ま、まさか、求血の呪い……?」
「知ってるんだな。話が早い」
知っているとはいっても、マルクも実物を見たのは初めてだった。
巨人族の中でも、血鬼一族が操る呪いだ。
一族の巨人が狩りの際に使うもので、獲物に刻印して巣に帰し、群れを引き連れて戻ってくるように仕向ける呪い。
その呪いは対象と自分、双方の血を強烈に求め合うというが。
「まさか……血飲みのヒルドラン……?」
「そう。ヒルドラン。奴につけられた」
目の前の少年はなんでもない風に語る。求血の呪いは名前の通り、血を求めて凶暴になると言われているが、目の前の少年はそうは見えなかった。むしろ無気力にさえ見える。
「で、でもなんでそれを俺に?」
わざわざ自分に呪いを見せてくる理由が、マルクにはわからなかった。
「奴の情報はないか? ヒルドランはここにいるのか? それともいないのか? あいつは今どこにいるんだ?」
矢継ぎ早に質問する少年。沸々と殺意を滲ませる様子を見て、マルクは慌てて手を突き出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! お、おれはただの一兵卒だ。巨人族の戦士の居場所なんて知らないよ!」
「……」
マルクの返答に少年は露骨に落胆したような表情を浮かべる。
(噂には聞いてたが、本当にいたのか……)
巨人族の戦士の中でも、特に危険視されている血飲みのヒルドランと対峙し、呪いをかけられた"二人目"の人間。
数々の戦場に忽然と現れては魔物を蹂躙し、巨人族を探す獣じみた剣士。
神に背いた狼の伝承から取って、灰狼と呼ばれている男。
「あ、あなたが……あの灰狼なんですか? 本当に?」
「灰……? なんだって?」
「え、あ、いや」
(違うのか? いや、間違いなくこの少年のはずなんだが)
だが、少年はその呼び名に単に困惑しているように見える。それどころか、マルクから見てどこか居心地が悪そうですらある。
巨人族と争っている人間たちの中で、聖剣の主と同程度に噂される人物が、まさか自分についた異名を知らないのだろうか。
「──用件はそれだけだ。じゃ」
「あ、ちょっと待ってくれっ! お、俺はマルクっていうんだ。王国兵として働いていて、いま26歳だ!」
「それが?」
「いや……君の名前はなんて言うんだ?」
このまま別れるには惜しいと思い、マルクは自己紹介を投げかけた。戦っている時は畏怖の念を感じたが、話してみると意外にも普通の人間に見えたのも理由だ。
「名前……」
躊躇するような少年に、マルクは頭を下げる。
「頼む。命を助けてくれた恩人の名前を知らないままなんて、自分が許せないんだ」
それを見て、少年は驚いたような表情をした。
そして、小さくふっ、と笑って年相応に苦笑した。
「──ルイだ。よろしくマルクさん」
「あ、ああ。ルイ。ルイだな。もちろんだ! こっちこそよろしくな!」
まるで伝説の英雄にあったかのように高揚感とともに、マルクは叫ぶように返事をする。
張り詰めていた緊張感が解れるように感じた瞬間、ルイはピクリと眉を動かした。
「ど、どうしたんだ?」
大きなため息を吐いたルイ。
「悪いな。時間だ」
「時間?」
青白い光がルイの足元から現れ、次第にその存在を攫っていく。
数秒後にはそこには誰もおらず、耳に届くのは森のざわめきだけだった。
「消えた……? 夢……じゃないよな?」
マルクは現実味のない光景に自分の頬を引っ張った。
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