4(完結)
ヴァイオラ・エヴァランスはいつも、アマデウスの元に青天の霹靂をもたらしてくれる。
それはもう望むと望まざるとに関わらず、ズドン!! ととんでもない勢いで右斜め上に爆弾を放り込んでくるかのように。
「あないな色ボケとの再婚約ねぇ……」
ヴァイオラから十三度目の婚約破棄について愚痴られたあの日から、わずか一晩。
割り当てられた学園の寮の自室にて、ほぉん、と頷きつつ、指先でヴァイオラ・エヴァランス侯爵令嬢と王太子殿下とやらの再婚約について徹底的に調べ上げさせた書面を弾く。
ぱしん、と乾いた音がした。
ひざまずく駒達が一斉にびっくぅ!! とそれはもう大きく肩を跳ねさせたが、構うことなくアマデウスは溜息を吐いた。
「あ~~~~もうなんやの~~~~ビビちゃんのことやからギリギリまでな~~んかあるやろな~~とは思とったけど、よりにもよってこれはあらへんやろ~~~~こんなんビビちゃんが断るはずのない案件や~~ん」
正確には、『断れるはずのない案件』だが、結果として同じならばどちらであっても変わりはしない。
ああもうここにきてコレか。すっかり油断していた。
この国に染まって平和ボケしていたのかもしれない。
しくじった。ああもうムカつくわぁ。
チィッと盛大に舌打ちを決めたアマデウスは、かくして書面を床に落とし、立ち上がりざまに踏みにじる。
ぐしゃぐしゃになったその書面を冷めた目で見下ろしてから、アマデウスは肩を竦めた。
「しゃーない。帰ろか」
その、淡々とした温度のない台詞に。
頭を低く下げひざまずいていた駒達の空気が、ざわりと変わった。
しじまにヒビが入り、そのヒビから圧倒的な熱量が噴き出した。
「……急ぎ、手筈を整えましてございまする…………!」
この国における駒の筆頭として潜入している老齢の『庭師』の言葉を皮切りに、誰かが安堵の息を吐いた。誰かが興奮の唾を飲んだ。誰かが歓喜に笑った。誰かが感激に泣いた。
誰もが、胸に迫る衝動に、全身を震え上がらせ、そしてますます深く頭を下げる。
彼らの姿を見下ろして、「だってしゃーないもんなぁ」と辟易とした溜息を吐く。
ヴァイオラがこの国の王太子と婚約を再び結ぶのならば、間違いなく彼女はアマデウスの提案――皇国への留学を蹴るだろう。
それこそ空のかなたに届くような勢いで蹴り飛ばすに違いない。
ただの隣国からの留学生である、テオフィロス・ミーディオカ男爵令息には、それを止めるすべはない。
だから。
「――――せやから堪忍なぁ、兄上」
パンッ! と軽快に両手を合わせて、アマデウスはそう言った。
目の前では、皇国第一王子にして兄であるサリエル・ディクタトゥラ・アマランティーンが、薄荷色の瞳を血走らせ、アマデウスの駒達に取り押さえられて床に全身事押し付けられている。
懸命に顔をこちらへと持ち上げて、なんとか剣を取って立ち上がろうとしているので、アマデウスは優しくその手を踏み付けた。
それはもう優しくぎちぎちと踏みにじった。
痛みにもだえる姿を睥睨しつつ、これでは話もできないことにらしくもなく遅ればせながら気付いたので、視線で駒の一人に促す。
楚々と頷いたのは、先ほどまで兄のお気に入りだった若く美しい侍女だ。
諜報員としても戦闘員としても使える便利な彼女は、言葉で命令されなくとも正しくアマデウスの意図をくみ取り、兄皇子の猿ぐつわを手慣れた様子で取り外す。
その途端、ぎゃんぎゃんと吠え出した兄皇子の前にしゃがみこんで、アマデウスは、「やかましっ」とその兄の額をピンと弾く。
その衝撃に、兄皇子は舌を噛んで悲鳴を上げた。見事な自爆である。
哀れなもんやなぁ、と真実他人事としてそう思いながら、「しゃーないやろ」とアマデウスは笑った。
「ボク、ど~~~~しても皇太子になりたいんよ。せやないとビビちゃんのこと迎えに行けへんもん」
ヴァイオラを残して母国である皇国に帰国しから、ちょうど三か月が経過した。
この後の身辺整理と、正式な立太子の儀、そこからさらに続く事後処理、からの隣国への往路にかかる時間を換算すると、今日から約三か月といったところか。
ヴァイオラが学園を卒業するころと、ちょうど重なる。ギリッギリだ。
――ほんま、無駄に手間ァ取らせよってからに。
そう内心で吐き捨てたアマデウスの本音に気付いているのかいないのか、どちらであるにしろ兄にはもうなんの意味もないだろう。
血走った目に涙を浮かべながら、兄は更にぎゃんぎゃんとがなり立てた。
「女のために国を盗ろうなどっ! 恥を知れ、田舎者が! 何が蒼穹眼だ、その瞳こそ濁り切っておるではないか!」
いやそれ色狂いと名高い兄上が言いはるぅ? とは思ったけれど言わなかった。
後半については確かにその通りなので、しみじみと頷くより他はないからだ。
そうだとも、何が蒼穹眼だ。
この瞳に、それを持つ自分に、誰もが勝手に期待し、勝手に幻滅し、勝手に心酔し、勝手に憎悪する。
そう思うと、この兄も哀れなものだ。
この皇国で最も尊ばれる瞳を持って生まれた優秀すぎる弟の存在は、薄く儚い色の瞳しか持てなかったそこそこ優秀にしかなれない兄にとって、さぞかし憎たらしいものであっただろう。
だからその点については同情する。かわいそうに。
けれど、それはそれ、これはこれ、である。
「あんなぁ兄上、ボクが望む花はな、薔薇でも百合でも牡丹でもなく、菫なんよ」
脳裏にまざまざとよみがえるヴァイオラの表情は、最後に会ったときのそれだ。
友達だと思ったことはないと告げたとき、彼女は、アマデウスの知らない表情になった。
どんな婚約破棄も、どんなうわさ話も、どんな口さがない悪評も陰口も、痛みを覚えてはいても傷付きはしていなかった彼女は、粉々に砕ける寸前の顔になった。
初めて出会ったときよりももっと酷い、泣き顔よりもよっぽど悲痛な顔をしていた。
――あかんなぁ。
――嫌やわぁ。
――ビビちゃんは、笑っとる顔がいっとう似合うのに。
それなのにそんな顔をさせてしまったのは、間違いなく自分であって、それを悔やむでも悲しむでも怒るでもなく、しみじみと嬉しいだなんて思ってしまうのも自分である。
そうしてもう一つ、思うのは。
――堪忍なぁ、ビビちゃん。
この自分に心から謝罪させる存在なんて、後にも先にもヴァイオラ・エヴァランスだけだ。
まさか人生でそんな存在に巡り合えるとは思いもしなかった。
想像したこともなかった。
なるほど、これもまた青天の霹靂。
という訳で。
「手折って花瓶に飾るよか、土を整えて育てるほうが、よぉっぽどうつくしゅう咲いてくれる花なんや」
もうとっくの昔にアマデウスは決めてしまったので、兄にはここでアマデウスの人生から退場してもらおう。
殺しはしない。そんな価値もない。ただ、いなくなってもらうだけ。
艶やかに美しく嗤うこの弟の顔が、兄にどう見えたのかすら、もう興味もないのだ。
――――かくしてアマデウスは、兄皇子を皇位継承権争いから蹴り落し、見事皇太子の座を射止めたのである。
後は肝心のヴァイオラを、隣国に迎えに行くだけ。
そうして物語はもちろん、これにてめでたしめでたしと締めくくられて終わる――――はず、だった。
のだが。
「……なぁビビちゃん、ほんまにダメ? やっぱりこのまま皇国に入ったら婚約記念凱旋パレードにしぃひん?」
「そんな真似をしたらあたくし二度とあなたと口を利きませんわ」
「ええ~~……」
「不満そうなお顔をなさらないで! 無茶苦茶なことをおっしゃっている自覚をお持ちになるべきでしてよ。まるであたくしがおかしいみたいじゃありませんの」
「せやかてビビちゃん、もう皇国じゃビビちゃんはボクを立太子に導いた女神サマっちゅーことで大人気なんやで? これで婚約しぃひんほうが嘘やろ」
「それが一番無茶苦茶ですのよ!? 情報統制の速度が桁違いすぎますわ……ああ……早まったかしら……」
がっくりと肩を落として頭を抱えるヴァイオラの姿を、アマデウスは「うーんビビちゃんは今日もかいらしなぁ」とニコニコと見つめる。
ヴァイオラ的には笑っている場合ではないだろうが、アマデウスとしては待ちかねた本日なのでどうしようもない。
アマデウスとヴァイオラが現在乗り込んでいる馬車は皇国が用意した皇家のためのものであり、ヴァイオラの母国から皇国へとエッサホイサ意気揚々と帰路を進んでいる真っ最中である。
彼女と彼女にとっての王太子である色ボケとの婚約破棄に割り込んで、ついでに自称聖女とやらとの不正を告発し、まあとにかくアレソレドレミを経てヴァイオラを口説き落として、ようやく彼女に皇国への留学を決意させたのは、つい先日の話だ。
いや~~~~、長かった。本当に長かった。
兄皇子を蹴り落すよりもヴァイオラに留学を決意させるほうがよっぽど難しかったとはどういうことだ。
一時期は本当に権力をかさに着てやろうかと思いつめそうになったが、それをせずに今日に至れて実はほっとしているアマデウスである。
皇国では、ヴァイオラは既にもうすっかり注目の的であり、崇拝の対象だ。
なにせ彼女は、『蒼穹眼を持って生まれた不遇の第二皇子を、見事皇太子へと導いた、奇跡の女神様』なのだから。
“アマデウス”とは、“神に愛された者”。
その神こそがヴァイオラ・エヴァランスなのだともっぱらのうわさであるらしい。
まあそのうわさを流させたのは自分だけれど、それが定着するか否かは賭けだった。
勝率九割九分九厘の賭けだった。その残りの一厘を引き当てるのがヴァイオラなので最後まで気は抜けなかったが、今回ばかりは神は自分に味方してくれたらしい。
なるほどやはり自分は“神に愛されている”のだろう。
そうしてようやく帰国の途である。
周囲は気を利かせてわざわざ馬車にヴァイオラと二人きりにしてくれた。
婚約話こそ宙に浮いているけれど、それはまあおいおい楽しく進めていけばいいだろう。
――もし最後まで頷いてもらえへんかったら、戦もやむなしやったかんなぁ。
――いやぁ、ビビちゃんが賢明でほんまよかったわぁ。
そう笑顔の裏で過去の画策を反すうするアマデウスの顔をじっとりと半目で見つめてきたヴァイオラは、やがて深々と溜息を吐いた。
「――――あたくしは基本的になんでも持っていると自負しております」
「うん?」
唐突である。
何の話? と視線で促すまでもなく、彼女は淡々と言葉を続ける。
「美貌、才覚、頭脳、権力、資産、立場、恩恵。少なくともこれらについてはこれ以上は望むべくもございません」
「それを自分で言うてまうとこがビビちゃんやなぁ」
「事実ですもの」
「せやな。うんうん、それで?」
「ですが、一つ、決定的に持ち合わせていないものがあることに気付きましたの」
「へえ、なんなん?」
このヴァイオラにそこまで言わせるような、彼女に欠けているものなどあっただろうか。少なくともアマデウスの知り得る限りではピンとくるものはない。
純粋に興味を惹かれて瞳をまばたかせると、本当に心の底から嫌そうに、辟易とした口調でヴァイオラはいよいよ吐き捨てた。
「男運」
一言であった。
は、とぽかんと口を開けるアマデウスを置いてきぼりにして、ヴァイオラは嘆く。
「あたくし、これに関してだけは、ほんっとうにかけらも持ち合わせていない気がしてなりませんの……あなたといると余計にそう思えてなりませんわ……」
クッ! と悔しげに歯噛みして、ヴァイオラは眉間に寄ったしわを揉んでいる。
そんな姿すら可憐で愛らしいが、言っていることはだいぶ酷い。
そう、酷い。酷い、の、だけれども。
ああもうどうしよう、どうしてくれよう!
「っあははははははははははは! せやな! うんうん、ビビちゃんはせやなぁ」
これだから、そう、これだからヴァイオラ・エヴァランスはたまらないのだ!
盛大に爆笑するアマデウスに、「笑い事じゃございませんのよ!!」と威勢よく噛みついてくるその姿がこんなにもかわいくて、こんなにも好きで好きで好きでたまらない。
ひぃひぃともはや引き笑いになりながら、笑い過ぎてにじんできた涙をぬぐって、アマデウスはこれみよがしに胸を張る。
「ええやないの、結果的にこないなエエ男捕まえたんやから」
「あなたが素敵な殿方であることは存じ上げておりますわ。ただ性格がいただけなくて。本当に切実に少しばかりではなくかなり……本当に……思うところが……」
「そないに深刻に!?」
そこまで言われると流石にアマデウスも傷付くのだが。
それが解っているのだろう、ヴァイオラは気まずそうに、そして申し訳なさそうに、その美しい柳眉を下げた。
「お友達としては悪くないのだと、ええ、おそらく、たぶん、きっと、思いますのよ? でもあの……夫になっていただくと考えますと…………」
苦虫をめいっぱい口に詰め込まれたかのような渋面になった。
それでもなお彼女はとても美しく、綺麗で、本当にかわいいのだけれど、想像だけでこの顔にさせているのが自分なのかと思うと若干胸にクるものがある。
「……なんか……なんか、まあ、えろうすんまへん」
「心にもない謝罪は結構」
「いやほんまに悪いと思ってんで?」
ただだからと言って状況を変える気はまったくない上に、むしろ現在進行形で外堀をざっくざっくと埋めている真っ只中なだけだ。
ヴァイオラもそれが解っているからこそ、先ほどの台詞であり、この顔なのだろう。
うーん、せっかくならばやはり笑っていてほしい。
そうしてしばし思案したアマデウスは、やがて「せや!」とぽんっと拳を打った。
そのままヴァイオラの顔をひょいと覗き込む。
間近で見る菫の色を映した瞳には、自分自身ですら知らない期待に輝く自分の笑顔が映り込んでいる。
「ほんなら友達の次に、恋人になろ?」
これ以上ない名案に、心から晴れ晴れとした笑みがこぼれた。
自分はこんな風に笑えたのか、なるほど青天の以下省略。
紫の瞳が見開かれて、そうしてまぶしげに細められ、それからその花のかんばせががっくりと垂れる。
「…………本当に、あなたってお方は……」
はああああああああ、と深い深い溜息を吐いて、彼女はそのままぷいっとそっぽを向いてしまった。
「ビビちゃぁん」と呼びかけても、「知りません!」と彼女はそのままで、けれどその耳が真っ赤になっているのは明らかだったから、ふふふ、とアマデウスは笑う。
――はてさて、こっからが勝負やなぁ。
――覚悟しといてもらわんと。
本当は、自信があった。
国益を求める彼女が、自分との婚姻を断るはずがないと。
むしろ望んで嫁いでくれるに決まっていると思っていた。
それなのに実際はどうだ。コレである。
何よりも、それこそ自分のことよりも、国益のことを優先するはずの彼女が、自分との婚姻に関しては難色を示すのだ。
――なあビビちゃん。
――やからやっぱりボクは、期待してまうんよ。
うっとりと笑みを深めて、ヴァイオラが見つめている窓の向こうをアマデウスもまた追いかける。
ああ、今日の空も美しい。
ヴァイオラ・エヴァランスと一緒なら、これから見たことのない青空が見られることだろう。
その青はきっと、何よりも美しいに違いない。




