エピローグ
指先をちょちょいと動かして、お店の正面扉に鍵の魔法をかける。
こうして一通りの閉店作業が終わる頃ともなると、外にはもうすっかりと、夜の帳が下りていた。
いつしか降り出していた冬の雨音が、寂しさを増したお店の中に小さく響く。
私は組んだ両手を逆さに押し出しながら、一つ大きく伸びをする。
細く長く、今日の一日を詰め込んだ吐息を吹き流してみれば、足元にフワリとした感触を覚えた。
視線だけをうっすらと真下へ向かわせれば、そこに見えたのは毛艶の良い真っ黒なお背中。
「おはよう、クロネコ」
足周りに首根っこをすり寄せてくる小さな相棒に、私はそっと声をかける。
もうすっかりと夜なのだけれど、この子にとっては、これからが一日の始まりなのでしょうか?
(気ままで羨ましいですね)
何てことを考えながら、お店の中へと向き直る。
すると向こう側に、うなだれた姿勢で座るリニアの姿が見て取れた。
丸テーブルの上に上半身をべチャリと張り付ける、出身地不明な細身の女性。
遠巻きに眺めながら、私は声をかけてみる。
「いつまで、そうしているつもりですか?」
リニアが答える。
「そんなのぉ、私の気が済むまでにぃ、決まっているじゃないかぁ」
間延びを通り越して、よれよれになる程に薄められた彼女の声が、雨音だけの店内に頼りなく響いた。
私は言う。
「そんなに後悔するくらいなら、あんな伝言なんて押し付けなければ良かったでしょうに」
きっと真っ当なはずの私の意見。
だけれどリニアは、テーブルに突っ伏したままで言い訳を垂れ流す。
「仕方がないだろぉ? 私にだってねぇ、つい勢い余ってしまう事くらいあるんだよぉ」
どこまでも引き締まらない、リニアの泣き言。
「ああ、私のバカバカ」なんてくぐもり声をへろへろと響かせる、そんな彼女を遠目に見ながら、私は困った物だと思い起こす。
あの後。
メッセージの受け取り手は自分なのだと。
伝言の内容は、自分の故郷に関わるものなのだと。
そんな世迷言を、リニアが声高に断言してみせた後。
彼女は摘み上げていた例の用紙を、テーブルの上に叩き付けた。
そして白衣のポケットから一本の硬筆を取り出すやいなや、余りある余白部分めがけて、ガリガリと筆を走らせ始めた。
そうして書きつづられていく文面。
その手短な一文が”お返事”なのだと言うことに、私はすぐに気がついた。
『用があるなら自分で来い』
乱雑で乱暴で素っ気無く。ただ端的に彼女の意思のみが書き付けられた、まだまだ余白十分な一枚の用紙。
リニアは一頻り書き上げると、傍らでその様子をオロオロと見入っていたお嬢様に向けて、出来上がったばかりのお返事をぐいっと押し付けた。
そして、
「分かっているね? 当然、早馬で送りつけてやるんだよ?」
そんな厚かましい頼み事を口にしながら、酷く意地の悪そうな顔をぶら下げて見せたのだった。
戸惑いながらも、胸元に突きつけられた用紙を受け取ったお嬢様。
その果てしない程に戸惑った表情は、やっぱり少しだけ居たたまれなく見えたものです。
そして今、リニアは言う。
「ああ、本当に来ちゃったらどうしよぉ!」
テーブルの上で身体を捩らせるリニアの苦悩が、小気味よくお店の中に木霊する。
聞けばどうやら、勢いに任せて強気なお返事をしたためてみたものの。
後で冷静になってみれば、得体の知れない相手に対して、あれは随分と挑発的な態度を取ってしまったとの嘆き。
私は片手間に慰めの言葉を放り投げる。
「心配しすぎですよ」
「何だい! 人がこれほどに悩んでいるというのに、随分とお気楽なものだねぇ!?」
リニアがガバリと、テーブルの上から上半身を引っぺがす。
私は諭す。
「大丈夫ですって。だってほら、自分で言ってたじゃないですか。向こうには何かしら、面と向かえない事情があるって。
それなら来たくても来られませんよ」
「それはそうかもしれないけれど、でも分からないじゃないか!
事情が変わったり気が変わったりして、何だか危なそうな武闘派集団とか送りつけられたらどうするんだい!?」
私は荒事が嫌いなんだよぉ、と。顔をくしゃくしゃにして頭を抱える彼女。
何ですか。貴女の故郷って、そんなに大事件なんですか?
よもや追っ手に怯える亡国の姫君か、はたまた故郷を滅ぼした悪しき何かか。
どこまでも素性の見えないリニアの憂鬱に、私は面倒くささ全開で言い聞かせる。
「あぁもう。だから心配しすぎですってば。仮に変なのが来ても、ちゃんと私が追い払ってあげますから」
耳触りの良さそうな言葉を適当に掴んで放り込みながら、私は腰を落として足元の黒いモフモフに向けて両手を伸ばす。
すると。
「えぇ……カフヴィナがかい?」
む。疑いの眼差しを感じます。舐められたものですね。
「これでも、そこそこに珍しい二等級の魔法使いですよ?」
国の有事などにも、率先して重宝される。
私の肩書きは何も、平和的な魔法だけで構成されているわけじゃないのです。
「少々訓練された程度の輩に、遅れを取ったりなんてしません」
安心安全を言葉にしてピシャリと言い放ち、真っ黒な相棒の両脇に手を差し込んでそっと持ち上げる。
両手に溢れる、極上の柔らかさ。
私は姿勢を伸ばすと、リニアが居座るテーブルへ向けてゆっくりと歩き始める。
思う。
ついさっきこの場所で、リニアが語り上げた何もかも。
それは圧倒されるほどに高く積み上げられた、一つの仮説で。
だけれど何一つとして納得できる根拠のない、ぼんやりとした絵空事で。
だから私には、そんな彼女の妄想を丸ごと飲み込む分けにはいかなかった。だって、分からないのだから。
リニアが受け取ったという伝言。その内容を聞いてなお、それを伝えることに何の意味があったのか、私には分からない。
不思議な一文字を目にした後の彼女を、どうしてあれ程までに恐ろしく感じてしまったのか、未だに自分でも分からない。
そして今。どうして彼女がこんな風に、面白おかしく思い悩んでいるのか。別に分かりたいとも思わない。
(あ〜あ。結局私には、分からないことばっかりですねぇ)
ふと。ああ、そう言えばと思い出した。
(片鱗って、なんの事だったんですかね?)
どこだったか。リニアが会話の最中で、私に向けてそんな言葉を口にしていた気がした。
悪い意味には聞こえず、だけど手放しで喜べそうにも思えなかった不思議な一言。
ほんの少しだけ思いを巡らせてみるのだけれど、やっぱりこれの意味も私には分からないのである。
ま、いっか。
などと。私はノロノロと歩みを進めながら、手元で大人しくぶら下がったクロネコの深みに軽く顔を埋める。ああ素晴らしいですね、うへへ。
そうしてリニアの腰掛けるテーブルまでたどり着き、白ローブの彼女へ向けて、黒毛皮の彼女を差し出て言う。
「ほら。クロネコも心配してますから、元気を出してください」
「いやぁ。後ろ足で凄い蹴ってくるんだけどねぇ」
あら、本当。
私の手の中を起点にして、激しく両の後ろ脚でリニアの肩を乱打しまくっている相棒の姿。いい動きですね、クロネコ。
「では、どうぞ」
私は肩を縮こまらせて耐えているリニアの膝に、激しい愛情表現を繰り広げるその子を問答無用でそっと乗せる。
押し付けたわけではないですよ。落ち込んだ彼女に景気づけの一杯を、という奴です。
「あ、ああ!?」
そうして高らかと響き渡るリニアの悲鳴。
同時に勢いよくリニアのお膝元から飛び出していくクロネコの姿。
問いかける。
「嫌われているのですか、リニア?」
リニアが答える。
「たまに本気で酷いよね、カフヴィナって」
「そうですか?」
そうかも。だって。私には分からないんだもん。
「八つ当たりなら他でやっておくれよぉ」
はて。何のことでしょう。
素知らぬ顔を崩さぬまま、すっ呆ける私。そしてそのまま、リニアに告げる。
「じゃあ、そろそろ帰りますので」
踵を返して通用口へと向き直れば、背後から心細そうな声が聞こえた。
「えぇぇ。私をひとり残して? 本気かい?」
「本気ですとも」
「これは酷い話もあったものだよぉ」
何てか細い声で言うのですか、もう。
「だから、大丈夫ですってば」
安心安全を再び口にしながら振り返れば、そこにはニヤリと笑ったリニアの姿。あ。
「おや? 心配してくれるのかい?」
くっそ。
「ああもう、いいです。本当に帰りますから」
私は早足でお店の裏手につながる通用口を目指して歩き始める。後ろから声が聞こえた。
「聞かないのかい?」
私は思わず足を止める。だけど振り向かず、声だけで背後のリニアに答えを返す。
「聞いて欲しかったのですか?」
リニアが言った。
「まぁさか」
でしょうね。
「だけれどね、カフヴィナ。君がどうしてもと言うのなら、私の故郷のことを話して聞かせることも、やぶさかではないんだよ?」
また、思ってもいない事を。
「ああそうだ。だったら、こうしよう。覚えているかい? 先日、私が君に送った手作りのプレゼントがあっただろう?」
プレゼント?
「まさか忘れちゃったのかい? ほぉら、あのトンガリ帽子だよ、魔法使いに必需品のさ」
ああ、そう言えばと思い出し、しかしそんな帽子をかぶった魔法使いなど、ついぞお目にかかったことが無いことも思い出す。
「あの帽子がどうかしたのですか?」
私はやっぱり振り返らない。だからリニアの声だけが背後から聞こえてくる。
「君は結局、一度もあの帽子をかぶってくれていないようだからね」
当たり前でしょう。
「そこでだよ、カフヴィナ。君は明日、あの帽子をかぶっておいでよ。
その暁には資格ありと見なして、私は全ての秘密を君に打ち明けるとしようじゃないかぁ!」
どういう条件ですか。
「お断りします」
私は淡々と資格の辞退を口にして、再び歩み始める。
数歩を進めば、愛用の黒いロングコートと革カバンを預けていた、荷置き用のテーブルが目の前です。
そしてリニアが言います。
「嘘だろう、カフヴィナ?
そこは『命に代えてもかぶってくるから』と、泣きながら私と約束を交すシーンのはずじゃないのかい?」
「間に合ってますので」
しつこい勧誘を突き返しながら、私はお気に入りの黒いロングコートを手に取り羽織る。
胸元に縦に並んだ二つの金ボタンがキラリと輝く様を視界の端に流しながら、そして私は思うわけです。
(明日こそ本職のお仕事とかが舞い込んで来ると、とっても嬉しいのですけれど)
と。
第2話 書棚の森の中ほどで 完
長らくのお付き合い、ありがとうございました。
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