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最終話 旅立ちは晴れやかに

 

 春の半ば、フェインはいつものように執務室から城壁に佇む弟の背中を見ていた。

 ここひと月オリビアはどこか上の空で、ああして遠くを眺めてばかりだ。


「そろそろかな」


 フェインのつぶやきを聞いたターミガンが顔を上げ、ああ、と頷く。

 レシャは寂しげに微笑する。イルダはいつも通りの無表情だ。


「オリビアが居なくなると寂しくなるね」

「しかし気がかりですな。殿下のご無事も、我が国の防衛も」

「アリエスの石の在庫は?」

「それは少なく見積もっても十年分はございますので、当分は問題ないかと」

「ふむ」

「イルダはオリビア様からなにか伺っていないのですか」


 レシャのその言葉を聞いて、書面を流れていたイルダの視線がピタリと止まった。


「……いえ。ネモ殿に相談していたらしき現場は見ましたが、私に対しては何も」


 声は淡々としているが、敢えてそう装っていることは誰の目にも明らかだった。

 なにやら暗雲垂れ篭めるイルダの様子に、ターミガンとレシャは気まずそうに目をそらす。


(これはこれは。もしやオリビアは、イルダを置いていくつもりかな)


 イルダの空が曇った場合、降ってくるのは雨ではなく雷である。

 それはもう大荒れになるに違いない。


 爽やかな春にも関わらずなにやら湿り始めている執務室の空気に、フェインは今後を思って仄かに苦笑を滲ませた。



 ⌘



 その日の昼過ぎ、噂のオリビアことブレスはと言えば、いつものように演習場を監督するネモの隣に座り込んで頭を抱えていた。


「問題はどう逃亡するかですよ。なんだか最近やたらにイルダの目が厳しくて、いつにも増して隙がないんですよね」

「えー……逃亡。逃亡ですか。それは決定事項なのですか?」

「他にどうしろと」


 あの兄がそう簡単に、ああそうかわかったよ行ってらっしゃいと見送ってくれるはずもない。

 本気で逃げ出す気でいるブレスを眺め、ネモは嘆かわしいとばかりにため息をひとつ。


「……どうと言われましても。突然なんの連絡もなくあなたが姿をくらませば、兄君も宮廷魔術師の方々も困るでしょう。王弟が姿を消すわけにはいかないのですから影武者を見繕わねばなりませんし、だいたい有事の際の連絡手段はどうするのです」


「うっ……」


「黒き竜と刻印の魔術師が守っているからこそ、ウォルグランドは小国で独立したばかりにも関わらず、他国に侮られることなくやっていけているのです。フェイン陛下は有能なお方ですが、使える駒なくては立ち行きません。王なのですから」


 全くもっておっしゃる通りである。

 ぐああ、と頭を抱えて仰け反った黒面の魔術師の奇声に、演習場の魔術師たちがビクビクと身を竦ませた。


 正体不明の「竜を操る刻印の魔術師エミスフィリオ」はここ二年ほどあまりにも頻繁に演習場に現れ、そしていつも宮廷魔術師に連行されて消えるため、最近は留学生たちに変人扱いされている。


「大体ですね、私があなたの逃走の相談に乗っているというのもまずいのですよ? これで本当にあなたが出て行ってしまった場合、私は国際的犯罪者です。私ひとつの首で済めばいいですが、下手をすれば皆……」


 と言って演習場を眺めるネモ。

 ぞわりと全身に鳥肌が立ち、ブレスはひゅうと息を呑む。


「とはいえ、フェイン王はあなたがいつか去ることを知っておられるので、恐らくそうはならないでしょうけれども」

「すみませんでしたネモ様。そんな可能性が少しでもあるのならもうここには来ません」

「はい? 私はですね、行くのならばきちんとお話を通してお行きなさいと言っているのですが」


 話を聞いているのだろうか、という目を向けられるが、それに答える暇はなかった。

 いつもの如く、宮廷魔術師の装いのイルダが演習場へ踏み行って来ている。


 お迎えだ。

 諦めて立ち上がったブレスは無言のままネモに頭を下げる。

 けれど正面に立ったイルダは、小言を言うでもなく黙ってブレスを見つめている。


「あの、イルダ? どうかした?」

「オリビア」

「ああ。……じゃない、エミスフィリオですけど」


 なんだろうか、このおかしな空気は。

 やけに張り詰めているような気がする。

 いつにも増して無表情だ。怖い。


 何事かと身構えるブレスに向かって、イルダは覚悟を決めた面持ちで告げた。


「私に何か、話したい事はないか?」

「は、話したいこと……?」


 これは、あれだろうか。

 もしかしなくても逃走計画がばれているのではないだろうか。

 だらだらと背中を冷や汗が流れる。


 必死で言い訳を考えるも焦りのあまり口も回らず、視線を泳がせまくった挙句にやっとのことで出した答えは。


「別に……何もない」


 直後、イルダの無表情に電撃が走った。

 ゆらりと一歩ぶんよろめいたイルダの腕を、ブレスは咄嗟に掴む。


「どうしたんだ、君らしくもない。おかしいぞ、調子が悪いんだったら今日はもういいから下がれ」

「……さ、下がれ、だと……?」

「皆イルダが居なくなったら困る。一応安定したとは言え、ウォルグランドは人手不足なんだ」


 それはそのままあなたにも当てはまる言葉ですけどね、と背後のネモがぼそりと呟く。

 いつもならばネモに同意して反論してくるであろうイルダが、動揺してさらに一歩後ずさる。


「オリビア、私は……」

「話は今度聞くから。まったく、レシャもターミガンも気づいてくれればいいものを」


 帰って寝ろと言い立てると、やがてイルダは黙り込んでしまった。

 やはりどこかおかしいのだ。


 イルダは帰って行った。

 調子が悪いのだろう、いつもは真っ直ぐに伸びている背を僅かに丸めて。


 やりとりを遠目に見ていた演習場の魔術師たちは、「とうとう刻印の魔術師が宮廷魔術師を追い返した」とどよめいている。


「イルダ、大丈夫かなぁ」

「とても大丈夫そうには見えませんでしたね」


 のそりと立ち上がったネモが、後ろから同情たっぷりの声音で呟く。


「可哀想に。彼、主人に置いて行かれてしまうのですね。私と同じように」

「…………ああ!?」


 哀愁漂うネモの一言に、ブレスはそういうことかと大声を上げた。

 あれは体調不良の姿ではない。

 捨て犬の姿だったのだ。捨て犬の悲哀だ。


 ブレスは先程とは別の感情で頭を抱えた。

 問題が増えてしまったではないか。


「えええ、いやぁしかしどうしたものかな、イルダの宮廷魔術師としての華々しい人生を俺如きのために捨てさせるわけには」

「それはご本人と話し合って決められれば宜しいのでは?」

「でも、俺が言ったら命令になってしまわないですか」

「黙って置き去りにされる方が、よほど(こた)えますよ……」


 経験者の言葉が重い。

 しかし、そうか。そうだ、確かに。


 ふらっとひとりで出掛けて呼ばれた時にテンテラに乗って戻って来ればいいや、という考えでいたブレスはあまりにも甘かった。

 考え無しすぎて自己嫌悪に襲われる。


「……やっぱり、ちゃんと兄さん達と話さなきゃだめだ」


 やっと解って頂けましたか、というネモの呟きにブレスはがくりと項垂れた。

 逃げ場はない。




 そして翌朝の朝食の時間。


 起こしに来てくれた時から凄まじく落ち込んでいたイルダと、彼に哀れみの目を向ける親族の方々と、どうせ全部知っているくせに知らん顔で妻と仲睦まじく話している兄と、無関心に朝食をもぐもぐしている妹を前に、ブレスは話題を切り出した。


「えー……あの、食事中にすみませんが、皆さんにお話があります」


 一斉に一同の視線が向けられる。

 うっ、と気が挫けそうになる己を叱咤して、ブレスは深呼吸をひとつ。


「兄さん達は知っての通り、私は国が安定した後は旅立つ身でした。こうして国も平和となった今、この城に常在していても、私に出来る事はもはやとても少ない」


 でも、と不安げに声を上げたカリーシア王妃を、フェインが宥める。

「最後まで話を聞こう」と言ってくれた兄に感謝しつつ、ブレスは続ける。


「私は血の誓約によって、生涯をかけてこのウォルグランドの盾と剣であることを誓いました。私の魔術師としての生が、どれほどの年月となるかはわかりませんが」


 世界の終焉まで生き残るらしい、とは流石に言えない。


「きっと長い長い生となることでしょう。魔術師として研鑽(けんさん)を積むためには、ひとつの土地に留まるわけにはいかないのです。これは、長い目で見ればウォルグランドのためでもあります」


 半分ほど建前だが、嘘ではない。


「幸いなことに、カナン先生は私に竜を預けていって下さった。今後も有事とあらば、盾と剣の役割を果たすべく、私は竜の速度で戻ります」


 静かな笑みを浮かべている兄を真っ直ぐに見つめて、ブレスは言う。


「陛下。出立のお許しを、頂けますでしょうか」

「駄目だ」

「──……」


 断られてしまった。やはり逃げるしかない。


「と言ったところで、どうせ君は出てゆくのだろう?」


 続いたフェインの言葉に、全身の力が抜けた。

 やっぱり兄は少々意地悪だ。

 そして全てお見通しなのだ。いつものことだけれど。


「有事とあらばって……ではフィル兄様は、もう滅多に帰ってこないということ?」


 エルシェマリアの涙声に首を向ければ、大きな水色の目がうるうると涙に揺れていた。


「だめ。いやよ。何もなくったって、帰って来れる時は帰って来て」

「エル……」


 この妹の好意は兄と違って純粋だ。

 つられて滲んだ涙をまばたきを繰り返してやり過ごしていると、今度はフェインが言った。


「出てゆくことを止める者はいるだろうけれど、帰ってくることを歓迎しない者はこの国にはいないよ。ここは君の居場所のひとつなのだから」

「……兄さんはそうやって優しいことを言っておけば、私に延々と刻印師の仕事をさせられると思っているのでしょう」

「まあね、それもあるけれど。それだけではない事くらい、君は解っているはずだ」


 苦笑が浮かぶ。もちろん、解っている。

 王としてのフェインはブレスを駒として動かす。

 けれど、フェインには兄としての部分も、ちゃんと残っている。


「さて……となると、オリビアにもエミスフィリオにも身代わりが必要だな。変貌の魔術で姿を変えれば如何様にも出来るので、それはさしたる問題ではないが」

「連絡手段が必要ですな」


 と言ったのはターミガン。


「殿下が竜の速さで戻って来られる事は結構ですが、こちらから連絡する事が出来なければ、呼ぼうにも呼べませぬ」


「そうだね。〈耳〉は遠すぎては届かないし、夢渡りでは緊急の際に困る。オリビアが〈遠視の水鏡〉でも使えれば、問題はなかったのだが」


 水鏡? 

 背後でどんよりと負のオーラを撒き散らしていたイルダが、はっと顔を上げた。


 イルダの呼び名は水鏡の魔術師であったはず。

 見上げれば、イルダの青い目とばちりと視線がかち合った。


「ええと、イルダってその〈遠視の水鏡〉を使えたりは」

「する。叔父上、私が同行すれば万事解決です。なんの問題もありません」


 食い気味の返答に気圧されて仰け反る。


「だけど、いいのか? 宮廷魔術師の地位は。俺は国外ではただの旅人で、イルダだって身分を落として暮らさなければならないんだよ」


「それがなんだと言うのだ。呪いを抱えた主人をひとり送り出しておきながら、のうのうとここでの暮らしを謳歌できるような器用な人間に私が見えるのか?」


「えー、あー……いや、そうだな。見えない」


 イルダの心配性と過保護では無理だろう。

 わかりやすく陰っていた表情がみるみるうちに晴れていくのを見て、これは置いてはいけないなと流石に諦めもついた。


 ちらりとレシャを見ると、彼も仕方がなさそうに笑っていた。

 彼はもう、イルダが居なくてもひとりで立っていられる。


「そう。それではひとまず、問題は解決した事だけれど……やはり君が居なくなると、国の守りが心配だね」


 思案げに指先で顎を撫でていたフェインは、やがてふっと薄い笑みを浮かべた。

 これは何かを企んでいる顔だ。


「よし。では刻印の魔術師には、最後に一芝居打ってもらうことにしようか」




 その三日後、ウォルグランドの王城では王子生誕の祝いとして招宴が開かれていた。


 近隣諸国の有力者達も招かれ、春の華やぎもあって大変な賑わいとなった大広間に、国王と共に現れた影がひとつ。

 不気味な黒い面をつけた長い髪の魔術師の姿に、客人達は噂する。


 ──あれが例の、竜を操る刻印の魔術師。


 王に付き従い、刻印の魔術師ことブレスは広間を突っ切って歩く。

 一歩進むたびに床伝いに〈霧散〉を流した。

 印に反応した客人達の守りの腕輪や指輪が次々と効力を失って壊れ、転がり落ちる。


 ──ただ歩いているだけなのに、これは一体どういうことだ。


 客人達の驚愕の声を聞きながら、ブレスは面の奥で苦笑する。


「我が子に障りがあってはならぬ故、魔術具の類は使用を控えて頂いた。なに、この祝いの席で身を守る道具など身につける必要はない。この城は我が国の魔術師達によって固く守られている。みな、安心して宴を楽しんでくれ」


 朗々とそう宣言し、最奥の席に国王が座る。

 横に並んだ王妃の腕には王子が抱かれている。


 ふたりの背後に佇む黒面の魔術師に、客人達は気もそぞろとなったが、一瞬の間に気配が消えて見失ってしまった。


 特別製の〈遮断の腕輪〉を使ったことを、ウォルグランドの魔術師だけが知っている。


 食事もお喋りもダンスも一通り済んだという頃合いを見計らって、ブレスは城の屋根の上、エミスフィリオのままイルダと共に竜に乗った。

 余興をして、そのまま出立することになっている。


 旅の荷物を積んでいると、何やら風に乗って男がひとり現れた。

 テンテラがキュッと鳴いて嬉しげに頭を上げる。


 さらさらとした黒髪を肩で揃えた、着古した旅装束の懐かしくも見慣れた姿。

 驚いたイルダの隣で、ブレスは面の下で満面の笑みを浮かべる。


「カナン先生!」

「そろそろ旅立つころかと思っていた」


 再会を喜ぶでもなくあっさりとテンテラに乗ったカナンは、「それで、君はまだ僕の弟子を続けるのですか」と淡い金色の目でブレスを見下ろす。


「当然です。一生弟子ですよ」


 一も二もなく頷くと、ようやく素気ない顔に笑みらしい表情が浮かぶ。


「オリビア。レシャから指示があった」


 イルダの声に頷き、ブレスはテンテラを飛ばした。

 カナンとイルダとブレスを乗せたテンテラは、そのままぐるりと城の上空を旋回して人目を引きつけたあと、城壁沿いを滑空する。


「──風よ」


 呼びかけながら髪を切る。

 しばらくお別れだから、大盤振る舞いするとしよう。


 集まってきた風の微精霊に支払いを済ませると、髪を取り込んで力を得た精霊は広い翼の鳥の形を得てテンテラに追従して飛んだ。


 風の鳥によって運ばれた守りの刻印が、城壁じゅうに浮かび上がって白く発光する。


「言霊は……そうだな、()()()()()()()


 城壁は頑丈なのが一番いい。

 白く浮かび上がった刻印が今度は瞬く間に金色に染まり、客人達の視線を釘付けにする。


 城の城壁を染め、国境の城壁を染めると、ウォルグランドは金色の光に包まれているかのように見えた。

 これであの城壁は、民と国をきちんと守ってくれることだろう。


 最後に一度城に戻ると、感嘆する人々に混じって中庭で空を見上げていたフェインと目が合った。

 眩しげに目を細める兄の唇が、笑みを浮かべて微かに動く。


 ──行っておいで。


 ぐるりと旋回し、ブレスは旅立った。

 竜のテンテラに乗って、懐には黒猫のミシェリーを抱いて、カナンとイルダと共に。


 まずはどこへ向かおうか。

 せっかく西にいるのだから、ひとまず西を一巡りしてみようか。

 カナンの今年の行き先はどこだろう。


(ああ、もうどこへだって行ける……!)


 黒面を外し、春風を全身で受け止めて、ブレスは爽快に二度目の旅の始まりを笑った。





12 夜明けの王国 

冬のカナリア とある魔術師の旅路 終


最後のあとがきと外伝・次作のお知らせは次のページへ。

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