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152話 帰還

 

 春の盛り、ウォルグランドには多くの人々が集っていた。

 冬の戦で帝国に勝利をおさめたフェイン王の戴冠式が行われ、正式に国王として即位するためである。


 もちろんフェインはこれまでも事実上は王であった。

 しかし、国が国と認められるためには他国の承認が必要だ。


 戴冠式には周辺諸国の重鎮や、また今後彼の大きな後ろ盾となる中央大陸の三大国の国王たちが招かれ、ウォルグランドはいま客人たちをもてなすため大変な賑わいとなっていた。


 しかし、その一方では。


「今日はとてもおめでたい日なのに、どうしてかお城の皆様は浮かない顔をしていらっしゃるのよね。緊張のせいかしら?」


 王城、とあるシーラ貴族の侍女が不思議そうに立ち話の輪に問いかけた。

 それを聞いたエトルリア貴族の侍女が、あら知らないのと顔を曇らせる。


「即位なさるフェイン様には弟殿下がいらっしゃって、冬の戦で大きな功績を立てたのですけど、例の……」

「暴君ガヌロン断頭日の暗殺!」

「そう、その日にフェイン王を暗殺者から守って、大変な大怪我をなさってね、そのまま亡くなってしまったのだそうよ」

「まあ……」

「あら、わたくしは誘拐されて行方知れずと聞きましたわ」

「誘拐……でも、ひどい怪我をなさっていたのでしょう?」

「きっともうこの世にはいらっしゃらないのでしょうね」

「お可哀想なこと……」

「しっ、声を潜めて、聞こえてしまいます」


 侍女たちが立ち話をする回廊を突っ切って、金髪の長髪をひとつ結びにしたふたりの男が歩いてゆく。

 表情のない彼らを見送り、侍女たちはほっと息をひとつ。


「なんでも、お葬式もまだなんですって」

「そんな。それじゃあ亡くなった王子様も安らげないではありませんか」

「身体が見つかるまでは葬儀はしないと、フェイン王が自ら仰ったとか」

「ああ……」


 きっと亡くなったことを認めたくないのでしょう。

 仲の良いご兄弟だったのでしょうね。

 お辛いはずだわ。

 弟殿下は並々ならぬ魔術師であったとか。

 国にとっても損失でしょうね。


 やがて侍女たちの噂話は、帝国の生き残りカリーシア皇女とフェイン王の婚約の噂に流れていく。


 本当なのかしら。

 有り得なくはないでしょう。

 帝国の一部を治めるのですもの。

 政略結婚のお相手なら、もっと大国の姫を貰えるでしょうに。

 ひどいじゃじゃ馬なのですって。

 さすが、あの暴君の娘。


 おしゃべり好きの侍女たちの噂話はとどまることを知らない。

 彼女たちは忘れているのだ。

 このウォルグランドが、魔術師たちの統べる王国であることを。


 城中の至る所に〈目〉や〈耳〉の印が描かれ、会話や振る舞いのすべてを宮廷魔術師たちが監視していることに一切気づかないまま、侍女たちの詮索は続いていく。



 ⌘



 不快だ。

 イルダは無表情を貼り付けたまま苛々と正装の黒い手袋を握りしめた。

 女達の無駄話には吐き気がする。


 隣をちらりと見れば、レシャも見るからに苛立っている。

 オリビアが失踪してからというもの、温和で気弱だったレシャは変わった。


 最近は一昔前のイルダのように爆発する。

 それを宥める役目にもすっかり慣れてしまったが、今日はそういうわけにもいかない。


「レシャ、顔に出すな。宮廷魔術師がそんな有様ではフェイン様の品位まで疑われる」

「……解っている」


 怒りを押し殺した横顔にため息を堪える。

 レシャは絶望しきれないでいるのだ。だからこそかえってつらい思いをしている。

 なぜ平然としていられる、と怒鳴られたことがある。先週のことだ。


 その時は反発して「そんなはずがないだろう」と怒鳴り返してしまったが、確かに今思えばイルダはレシャよりは落ち着いている。


 オリビアが戻ることを信じているからだ。

 しかしレシャは違う。

 彼の秘密を知らないレシャにとって、オリビアはもう帰る見込みのない存在になり果てている。


 それなのにフェインやイルダが諦めないために、いつまでも整理がつかず不安定に揺れたままだ。


 レシャのように不安定な気持ちで日々を過ごしている者は、ウォルグランドには大勢いる。

 彼と共に戦い、彼に守られた兵や騎士や魔術師たち、それにあの処刑の場にいた民たちも。


(春か……)


 晴れ渡る空を窓から見上げ、イルダは思う。

 本当なら今頃は、主人も肺の呪いから回復して、フェインの即位を共に祝っているはずだった。


 それを思うと、どうしようもなく虚しくなる。


 そうこう考えているうちに、王城に新しく誂られたフェインの執務室に到着した。

 音を立てないまま息を吐き、雑念を削ぎ落とし、扉を開ける。


 銀孔雀を纏った国王が、長い赤毛を背に流して茫洋と窓の外を眺めていた。

 その横顔には喜びの欠片もない。


 椅子に座る王女エルシェマリアも、退屈そうだ。

 今日の主役がこれでは、客人たちも困るだろう。


「ああ。解っているとも」


 イルダを振り返り、フェインは静かに微笑してみせた。

 口元だけの表面的な笑みには、かつては満ちていた覇気がすっかり失せてしまっている。


「今日は一日、笑んでいるよ」

「馬鹿げているわ」


 理性的な兄の言葉を一蹴したのは言うまでもない、王女エルシェマリアだ。


「本当はみんなフィル兄様を心配しているのに、嬉しいふりをしなくてはいけない。どうしてなの。こんなのおかしい」


 誰もが思っていて、誰もが口に出せないでいたことだ。

 きっぱりと言い切ったエルシェマリアに、フェインは優しい苦笑を滲ませた。


「ああ、まったくだ。けれど、今日一日だけは皆で芝居を演じなければいけない。わかるね、エルシェマリア」


 わかりたくない、と呟いてエルシェマリアは顔を背ける。

 扉が開き、皆と同じように表情を取り繕ったターミガンが現れ、時を告げた。


「では行こうか」


 フェインが沈んだ声音で呟いた直後、大地が震える程の轟音が鳴った。

 それは雷鳴だった。

 雲ひとつない晴れ渡った青空に、電光が走ったのだ。


 天変地異かとにわかに騒がしくなった城中で、国王の執務室だけは様子が違った。

 並々ならぬ気配が現れたことを誰もが感じ取った。


 エルシェマリアがぱっと立ち上がって窓に駆け寄り、空を見上げる。


 空を大蛇が泳いでいる。あれは(タツ)か。

 白く長い尾の四足の獣がその隣を跳ね、そして。


 それを捉えたフェインの目が見開かれた。

 漆黒の竜だった。まさか辺り一帯に滅びの危機を齎したあの竜を見て、歓喜に震える日が来ようとは。


 目を細めて竜を見上げていたイルダは、迎えに行かなくては、と呟くなりそのまま窓を開けて飛び立った。


 国王の執務室の窓から無断で出ていくという狼藉を咎める者は、今は誰ひとりとしていない。

 礼節にうるさいターミガンですら笑って許した。


 オリビアが帰ってきたのだから。




 急く気持ちのままイルダは飛んだ。

 あの龍の撒き散らしている気配を追うことは、そう難しいことではなかった。


 行き先は帝都の神殿だろうか。

 あの海側に面した神殿は、サタナキアの第二子ヘリオエッタを祀る神殿だ。

 海沿いの国々は、海の王であるヘリオエッタへの信仰が篤いのである。


 神殿に近づくに連れて強まる息苦しいほどの威圧感に、身体が震えた。

 動物的な本能が逃げ出したいと叫んでいる。しかしそれを無視して、イルダは飛ぶ。


 ある時、その圧力がふっと軽くなった。

 冷や汗の滲んでいた肉体が楽になり、同時に何か起こったのかと不安を覚える。


 速度を上げて帝都宮殿跡を突っ切り、神殿の前で降り立ち、膝をついて息を整えていると、真紅の眼の秋女神が現れた。


「おやまあ。誰かと思ったらイルダじゃないの」


 緊張していたのが馬鹿らしくなるような、気の抜けた声音だった。


「ごめんねぇ、兄上ったら人間に配慮しないからさ。神気を浴びてきつかっただろう。立てる?」


 差し出された手。それを取って良いものかと迷っていると、今度は白髪を引きずって冬の神が現れる。

 カナリアはイルダを見るなりすっと目を眇めた。


 突き刺さるような敵意を感じた。

 当然だ。この神とイルダが顔を合わせたのは、オリビアを手にかけた夜以来のこと。


「あれ? なんでそんな険悪……あ、そっか。あのねカナン、この子はいまフィーの友達なんだよ」

「なに? いくらなんでも有り得ないだろう、それは」

「なんでよ。うちのエチカだってそうだったんでしょ。フィーはそういう子じゃん」


 だからと言って、と眉を寄せて反論するカナリアの刺々しい視線に再び冷や汗を流しながら、イルダは立ち上がる。

 無事を確かめなければ、居ても立っても居られない。


 ご機嫌なサハナドールに手を取られ、不機嫌なカナリアに背後を取られたイルダは、天窓のある祭事の間へ導かれた。


 そこには月の目の男神と眩いほどの金色の髪の女神が、座り込んだ赤毛の青年を見下ろしている。


「オリビア」


 神殿にイルダの声だけが響いた。

 ぴくりと肩が動き、ややゆっくりと主人は顔を上げた。

 明るい緑色の目には、困惑が浮かんでいる。


「……やあ。あの……色々と言い訳はあるんだけど、とりあえず教えて欲しいことがあるんだ」


 ああ、よかった。元気そうだ。

 ひとり座り込んでいたから、またどこか具合が悪いのかと思った。


「理由はちょっと言えないんだけど、兄さんとの約束の証が消えてしまってさ。俺のが消えたってことは、兄さんのも消えただろう?」

「ああ、そうだな」

「やっぱり……」


 疲れた様子で顔を覆い、はあ、とため息をつく。

 あれは最悪の一日だった。もう既に懐かしい。


「それでその……どうなった?」

「どう、とは」

「だから、俺は死んだのか? もうお葬式やっちゃった? 墓とかたてられちゃったりしてる? なあイルダ、俺、どんな顔して帰ったらいいんだろう」


 困り果てたその顔に、イルダは思わず笑ってしまった。

 ふっと吹き出し、拳を口元に当てる。

 ぽかんと見上げる主人に向かって歩き、膝をついて視線を合わせた。


 瞬いた主人の目が上から下までイルダを見て、「なんで正装なんだ」と怪訝に呟く。


「良い時期に帰ってきたな、オリビア。今日はフェイン様の戴冠式だ」

「えっ! そうなの」

「ああ。みな、貴方の帰りを心待ちにしている。誓いならまた結び直せば良い。今日ほど相応しい日はないだろう」

「そうか、良かった、それじゃあ早く帰らないと……!」


 と言って立ち上がりかけ、また座り込む。やはりどこか悪いのだろうか。

 あーと呻きながら頭を押さえているオリビアの上で、大きな狐に乗った女神が困った様子で甘く微笑む。


「急に動いてはいけませんと、言ったでしょう? あちらとこちらでは、空気が違うのですから」

「はい……そうでした、プライラルム様……でもどうしよう、兄さんの大事な日に……」

「仕方ありませんねぇ。エッタ、治してあげなさい」

「姉上がそう仰るのならば」


 そういうなり主人の頭を鷲掴みにした男神、ヘリオエッタの動きに、イルダは思わずはっと身を乗り出した。


 その腕をサハナドールが掴んで止める。よくよく見てみれば主人も無抵抗だった。

 これが初めてではないのかもしれない。


「……あ、目が回らなくなった。重ね重ねありがとうございます」

「いい。構わぬ」


 素気ない返答だ。

 それとて慣れたものなのか、オリビアは立ち上がって一礼し、そのまま神殿の出口へ向けて歩いて行く。


 神々に対してずいぶん気やすいが大丈夫なのだろうかと振り向くと、プライラルムもヘリオエッタも静かに去っていく主人の後ろ姿を眺めるばかりだった。


 きっと特別になったのだろう。

 イルダたちにとって、オリビアがそうであるように。


「オリビア」


 隣に並んで呼びかける。

 ん、と振り向く主人の目は以前と同じように明るく澄んでいるが、ずっと静かだ。


「もうどこも悪くはないのか」

「あー……うん、とりあえずは。十年くらいは大丈夫なんじゃない?」


 すたすたと神殿を歩く主人の煮え切らない返事に、イルダは目を伏せる。

 そんなイルダを見て、仕方がないよとオリビアは笑う。


「カナン先生が言うには、呪いが魂に癒着してしまったんだって。そういうのって、一度終わらせても再燃することがあるみたいで……でも、ひどくなる前に先生が呪いをその都度終わらせてくれるって言うから、イルダが心配することは何もないよ」


 そうか。それならば良かった。

 安堵の息を吐くイルダを困ったように覗き込み、主人はそっと肩に触れた。


「心配かけてごめん。もう大丈夫だから、そんな泣きそうな顔しないでくれよ」

「ああ」

「ああって、お前……」


 安堵で視界が滲んでいるだけだ。

 別に泣き喚くつもりなんかない。


 神殿から出ると、秋女神と冬の神が左右の柱にそれぞれ凭れて立っていた。

 テンテラ、と呟いた冬の神の呼びかけに応じて、すっかり大人しくなった大きな漆黒の竜が現れる。


「城まで乗っていきますか」

「あ、はい。でもゆっくりでお願いします、ちょっとまだふらつくので」

「あの森と比べたら、外界は空気が薄いもんね。暫くすれば慣れるよ」

「ええ」


 カナリアが乗り、サハナドールが乗り、オリビアが乗る。

 見上げるイルダへ手を差し伸べて、主人は笑う。


「ただいま、イルダ」


 暖かな陽だまりを眩しく見つめ、イルダは手を伸ばした。

 おかえり、と泣き笑いで呟きながら。


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