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151話 時が満ちるまで

 

 生まれ直したミシェリーが妖精として安定するまで、しばし待つことになった。


 本来妖精というものは自然のなかで発生し、自然のなかで生きるもの。

 そこから抜け出しても存在を保っていられるようになるためには、成長して力をつけなければいけない。


 都合のいいことに、この場には育む者であるヘリオエッタがいる。

 彼の権能によって、ミシェリーはすくすくと育っている。


 ブレスは何をして過ごしているかというと、弱った身体の回復だ。

 せめてまともに歩けるようにならなくてはならないし、そのためには食べなくてはいけない。


 不思議なことに、この森には夜が訪れない。

 ブレスは歩いては休み、疲れては眠り、野いちごを摘んで食べ、そしてまた歩いた。


 何度か迷子になったが、探索して過ごしているうちに何となく居場所がわかるようになった。

 夜が来ないので時間の感覚もなく、月も太陽も星も変わらないので、季節も知りようがなかった。


「この森は閉ざされているのか……や、護られているのかな。そういえばウォルグランドには精霊がいるんだっけ」


 その精霊の血が長きに渡りウォルグランドの民と交わったことによって、ウォルグランドには異能力や並々ならぬ魔力を持つものが多いのだと、かつてシルヴェストリは言っていた。


「……そっか、じゃあきっとここは精霊様のすみかなんだ。今更ですが、お邪魔します」


 大木に触れ、目を閉じて呟くと、つむじ風が吹いてさわさわと木々が揺れた。

 森が笑っている。


 歩くことに慣れると水浴びをした。澄みきった大きな泉や、川や滝つぼがあるのだ。

 水は冷たいが何故か凍えない。

 体の感覚はあるのに、森の影響を受けない。


 溺れないので水底に沈んでじっと水の生き物を眺めたり、見たことも無いような古代魚と泳いだりして過ごすうちに、自分が人間であることを忘れそうになった。


 水棲馬(ケルピー)を見て影の中の使役たちの存在を思い出し、陸に上がって二本角の馬の魔獣の群れを解放すると、彼らは大自然に大喜びして駆けていった。


「ルーチェも走ってきていいよ」


 擦り寄ってくる真っ白な二角獣の首を抱きしめながら呟くが、ルーチェは離れようとはしない。


 不安と悲哀の感情が触れている肌から伝わってきた。

 長い間瀕死だったので、心配してくれているのだろう。


「もう大丈夫だから……」


 いくら言ってもルーチェは離れなかった。

 ルーチェの存在がブレスに状況を思い出させた。

 これだけ動けるようになったのだから、帰らなければいけない。


 精霊の森の満ち満ちた力を吸って伸びすぎた赤毛を絞り、濡れたそれを引きずらないように肩に引っ掛けて歩いていくと、カナンと出会った。


「この森の住人になるのかと思っていたところだった」

「はは……なりませんよ、ここは好きですが」


 また来れるだろうか。

 名残惜しく振り返ると、ルーチェがブレスの袖を噛んで引っ張る。


「わかった、わかった。大丈夫、ちゃんと帰るよ──ん?」


 引っ張られた左手を目の前に掲げて、ブレスは首を傾げる。

 なにか足りない。

 約束の指に絡みついていた、あの黒い朝顔の蔓模様が消えている。

 気づいた瞬間に血の気が引いた。


「……嘘だろ、なんで……」


 あれは一度結べば決して破ることが出来ない誓約の証だ。

 それが消えている。フェインになにかあったのだろうか。

 いつ消えた。どうして今まで気づかなかったのだろう。


 力が抜けてよろめいたブレスの腕をカナンが掴んだ。

 怪訝に眉を寄せるカナンを見上げ、ブレスはほとんど泣きそうになりながら恐る恐る問う。


「先生……兄さんは生きていますよね?」

「は? なぜそんな事を僕に訊くのです」

「だって消えてしまったんです、血の誓約の印が。この薬指に、黒い蔦がぐるぐる巻きついていたでしょう? それとも先生が起きてきた時には、もう無かったんですか……?」


 カナンは「薬指?」 と首を傾げ、記憶を遡ってしばし沈黙し、やがて「ああ」と頷いた。


「あの妙な呪いなら、君の肺の呪いをとる時に一緒に終わらせたよ」

「──な……」


 なんてことを!? 犯人はあんただったのか!


 衝撃に絶句して膝を着き、ブレスは項垂れた。

 カナンは本当にろくなことをしない。

 いや、それはもう今更だ、このひとはずっとそうだった。

 問題は証が消えたことだ。


 この証は互いを縛り合う(つい)のものなので、片方が消えればもう片方も消えてしまう。

 ほぼ間違いなくフェインの指の蔓も消えているということだ。


 つまりあちらの世界で王弟オリビアは既に死んでいる。

 そういうことになっている可能性が極めて高い。


「あああ……」


 頭を抱えるブレスを、カナンが不可解そうに覗き込む。

 地面についた赤毛をルーチェがもしゃもしゃと食べる。


 するとマリーがやってきた。「なにやってんの?」と深紅の目を可笑しそうに瞬く彼女は、あの誓いの立ち合い人だ。


 切々と事情を訴えると、カナンは気まずそうに目を泳がせて、マリーはそんなカナンの白い頭を「馬鹿!」とキレよく叩いた。


 気持ちを代弁して下さってありがとう。


「あんな一生を束縛する厄介な呪いを、わざわざ望んで自らに掛けたというのか? 理解できない」

「先生ってそういうところ本当に鈍いですよね……」

「よりにもよってフィーに鈍いって言われるなんて! カナンお前、アハハハ!」


 大笑いする彼女の声を聞いたのだろう、狐に乗ったプライラルムとヘリオエッタが現れる。

 このふたりはいつも一緒にいる。女王と騎士のようだ。


「サハナ、お行儀が悪いですよ。人の子の前で」

「だって聞いてよ姉様、カナンったらさぁ」


 お喋りをする彼女たちからそっと離れ、ブレスは用心棒のように立っているヘリオエッタに向き直った。

 正確に言えば、彼の腕に抱かれている綺麗な長毛の黒猫へ。


「ミシェリー? おはよう、喋れるようになった?」


 腰を屈めて視線を合わせると、すっかり金色に染まった不機嫌な半眼が見つめ返してきた。

 生まれ直して以来、どうも彼女は機嫌が悪い。

 今日も答えてくれないのかと寂しく思いながら、今度はヘリオエッタを見上げる。


「彼女を外に連れ出しても大丈夫でしょうか」

「ああ。障り無かろう」


 いつも通りの平坦な答えだ。彼とは率直にやり取りするのがいちばん良い。

 ありがとうございますと礼を言い、ブレスはミシェリーに両手を伸ばす。

 黒猫はちらりとブレスを見、フンと顔を背けて夏の神の白い衣に顔を埋める。


「ミシェリー……?」


 芳しくない反応に眉が下がった。

 彼女は生まれ直しを望んでいなかったのだろうか。

 ずっと一緒にいたいという気持ちは一方通行になってしまったのか。


 むしゃむしゃとブレスの髪を食べていたルーチェがやってきて、隣に並んだ。

 いつもより遠慮なく擦り寄ってくる白馬を無意識に撫でていると、黒猫はばっと振り返ってわなわなと毛を逆立てた。


 何やら二角獣(バイコーン)猫妖精(ケットシー)の間で無言のやりとりが行われているらしいが、ブレスにはさっぱり聞こえて来ない──と思いきや。


(嫌!!)


 ばちんとこめかみを殴られたような衝撃と共に、ミシェリーの思念が流れ込んできた。


(駄目よ、これはわたしのなんだから!!)


 どこかで聞いたような言葉だ。いいや、覚えている。

 船の上で、ミシェリーが言ったのだ。

 ローレライがスピカとなったあの日に。

 思念が通じたということは、ブレスを宿主に選んでくれたと思っていいのだろうか。


 大好きだよ、ミシェリー。

 試しに心の中で呟いてみる。

 逆立っていた毛並みがやや落ち着き、ミシェリーはフスンと鼻を鳴らした。


 しょうがないわねといった様子で、わざとらしいほど渋々と、彼女はブレスに向き直る。

 どうやらお話があるらしい。


『わたし、生まれてから人型を取れるようになるまで、百年くらいかかったのよ』


 いきなり何を言い出すのだろう。

 わけがわからずに首を捻るブレスに、ミシェリーは続ける。


『それで、ヘリオエッタの権能で妖精としては安定したけど、守護妖精としては若すぎて全然だめなの』

「あのねミッチェ、俺は別に守って欲しくて君に選ばれたいわけじゃないんだけど」


 なんだそんなことかと肩透かしを食らっていると、違うの、とミシェリーは呟く。


『百年経ってようやく人型になれたって、最初は十歳くらいの子供の姿だったの』


 幼いミシェリー。さぞかし可愛かったことだろう。

 一瞬頭を過ぎった妄想を頭の外に追い出して、ブレスは真顔を取り繕って続きを聞く。

 取り繕ったところで思念が繋がっているので、だだ漏れだが。


『だ、だからね、お前が好きになったわたしの姿に成長するまで、何百年かかるかわからないって言ってるのよ』

「姿って……ミッチェ」

『お前、何百年も待てるの? あの姿に成長するまで、他を見ないでいられるの?』


 切実なその声の響きに、ブレスはいっとき口をつぐんだ。

 ふう、とこぼれたため息を聞いたミシェリーが、悲しげに項垂れる。


『そうよね……人間は変わるもの』


 違う。そうじゃない。なにバカなこと言ってるんだ。

 呆れ混じりの思念を感じ取ったミシェリーが、バカ、と呟いて牙を剥いた。


『バカ!? バカってなによ! わたしは真剣に言っているのよ!』


 ミシェリーは怒っている。

 しかしブレスにだって言い分がある。


「俺だって心外だよ! だいたい猫の姿で何を言ってるんだ! 俺が猫の君を好きじゃないとでも思ってるのか!? 一回好きになったら猫だろうが人だろうがミッチェはミッチェだ、小さかろうが大きかろうがどうだっていい!」


 変なにおいを嗅いでしまった時のようにぽかんと口を開けるミシェリーに、ブレスはまくし立てた。


「それに時間がなんだって言うんだ! そりゃ普通の人間だったら問題だろうけど、俺はそこの先生の血のおかげでそう簡単には死ねないんだぞ!」


 ばしっと指をさされたカナンがたじろいで仰け反った。


「ミッチェが一緒にいてくれるって言うからなんとかなりそうかなって思ってたのに、今更そんなことを疑われるなんてあんまりだ! ミッチェじゃなかったら誰がそばにいてくれるって言うんだ! 代わりがいると思っているなら大間違いだよ!!」


 言いたいことを言い切り、肩で息をするブレス。

 口を開けたまま硬直するミシェリー。

 さあどうだ何か反論はあるかと黒猫を見つめているうちに、微妙な沈黙が場に流れている事に気がついた。


(……あれ?)


 たらりと嫌な汗が流れた。いったい自分は何を叫んでいるのだろう。

 この神聖な森で。この四柱の神々の前で。

 我に返った途端に羞恥心が込み上げてきて、居た堪れなくてその場で顔を覆った。


 顔が熱い。耳も熱い。もう駄目だ。

 誰か息の根を止めてくれ。

 うずくまって呻くブレスをツンツンとマリーが突つく。


「んふふ、フィー、穴掘って埋めてあげよっかぁ?」


 顔を見なくともわかる。彼女は絶対ににやけている。

 くす、くすくす、と控えめな笑い声が聞こえてきた。春の乙女にまで笑われていた。


「ですって、ミシェリー。いい加減お諦めなさいな」


 微笑ましそうな声音だった。ヘリオエッタが無言のまま、ミシェリーをブレスの丸められた背に乗せる。


 当の彼女はうんともすんともニャーとも言わないが、繋がっている思念からごちゃごちゃになった感情が流れ込んでくるので、少なくとも気持ちは解った。


 嫌われてはいない。それだけわかれば今はもう十分だ。

 感情がいっぱいいっぱいでもう何も入らない。


 ミシェリーを失って空いた胸の穴は結局ミシェリーでいっぱいになった。

 元通りだ。


「……ちょっと、すみません……もう一回水浴びしてきます……」


 恥ずかしくて顔を上げられないまま後ずさるブレスを、引き止めるものは誰もいなかった。

 神々にも情けはあるらしい。




 拐われて来た時の白い夜着のまま、冷たい水に飛び込む。

 熱くなった頭と身体を冷ますと、いくらか落ち着きを取り戻した。


 水底に沈んで目を開ける。

 静かで、ほの明るい水の中は、考え事をするには最適な場所だ。


(帰る、か……)


 蔓の消えてしまった左手を眺める。

 死んだことになっていたとしたら、どんな顔で出ていけばいいだろう。


(ああ、黒面が欲しいな)


 ふと過ぎった視線を遮るための面を思い浮かべ、ブレスは苦笑する。

 イルダはあれを、まだ持っているだろうかと。


 気配を感じて水から上がると、カナンが立っていた。

 なんだか迷子の子供のような顔でブレスを見ていた。


「どうしたんですか、先生」


 風を呼んで裾の長い衣と髪を乾かしながら訊ねると、カナンは躊躇いがちに言った。


「僕を憎んだか。君を勝手に、そんな身体にした僕を」

「……ああ。いいえ、私はシャファク様とは違って、死を望んでいたわけではなかったですから」


 ミシェリーを抱き上げ、ブレスは苦笑する。


「どのみち長生きして〈古きもの〉となるつもりだったんです。兄さんの国も守らなきゃいけなくなったし……なんというか、丁度よかったのかなって思っていますよ。死なないおかげで無茶が出来て、戦の人員の損害を減らせた。役に立てたんです。だから、その」


 ちょっと照れくさくなって首を撫でる。


「救ってくださって、ありがとうございました。悪いことも色々ありましたけど、今は感謝しています、先生」


 カナンはほっとしたような微笑を浮かべた。

 あの無表情な作り笑いではない、本物の微笑だった。


「では、帰ろうか。君の居場所へ」

「はい」


 歩み出したカナンに着いて歩きながら、顔を上げる。


 墓でも作られていたらどうしたものかなぁと考えながら、ブレスは森が開いた光の扉を抜けて、外界へと戻った。


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