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148話 途絶えたもの

 

 疲労困憊で戻ってきたイルダを屋敷の門まで迎えに現れたのはレシャだった。

 険しい顔で大股にやってきたレシャは、イルダの肩を掴むなり叫ぶ。


「三日もどこへ行っていた! なんの連絡も言伝もなく!」


 これ見よがしに、よく響くように。

 勝手な行動をしたイルダを黙って許しては、屋敷の者達に示しがつかない。


「出て行くならせめて〈耳〉くらい持って行け、イルダ」

「……ああ……気が回らなかった、すまない……」


 よろめいて門に手をつき、しっかりしなければときつく首を振る。

 眠らず、飲まず食わずの三日だった。

 弟の顔を見て気が抜けそうになる。


 声を潜め、しかし厳しい語気のまま、レシャはイルダの耳元で状況を告げた。


「危うく誘拐犯にされるところだったのだぞ。侍女が、お前が血相を変えて飛び出して行ったと証言したから良かったものの」

「誘拐……やはり戻らなかったのか……」


 心配と焦燥の入り混じったレシャの言葉に、落胆に襲われて膝をつく。


 呻き声を上げて拳に額を押し付けていると、今度は痩せたカラスのような風体の男がのそのそとやって来る。ネモだ。


 ネモはイルダを見下ろすなり眉間を寄せて「寝なさい」と言い放ち、そのまま踵を返して屋敷へ戻って行く。


 何をしにきたのかと過ぎった疑問について考える前に、レシャに腕を取られた。


「とにかく一度フェイン様に報告すべきだ。みなオリビア様の失踪に動揺している」

「ああ……」

「それからネモ殿の言ったとおり、無理にでも寝た方がいい。ひどい顔だ。大丈夫……ではないな、くだらないことを言った。行こう」


 立ち上がり、せめて見苦しくないように髪を縛りなおして、イルダはフェインの執務室に連行された。


「その様子だと、私の弟は見つからなかったようだね」


 顔を見るなりフェインは言う。

 その場にひざまずき、無断で行動したことを謝罪するが、フェインは答えなかった。

 イルダは続ける。


「三日前の朝、部屋を訪ねた時には既にお姿はありませんでした。部屋を荒らした様子もなく、ただオリビア様のみを連れ去ったかのような」


「連れ去った。自力で出ていった可能性は無いのか」


「有り得ません叔父上! 例え眠りから目覚めたとしても自力で歩く事も出来ないのです。それに、肺の呪いをお忘れですか。血の一滴だって残されてはいなかった」


 だろうな、と唸るターミガンの表情も厳しい。

 ターミガンとてただ念押しのために訊ねたのであって、それが有り得ない事は解っているのだ。

 フェインは冷めた表情のまま呟く。


「可能性は三通りだ。他国に奪われた。此度の戦で彼に恨みを持つものが拐って(さら   )行った。或いはそのどちらでもないものが連れ去った」


「どちらでもないもの……?」


「判らないということだ。どのような意図があったのかさえ……それでも前者ふたつの可能性よりはましだが」


 立ち上がったフェインは窓を向いて感情を殺していた。

 声は淡々としているが拳を固く握りしめている。


「オリビアは強い。ウォルグランドの刻印の魔術師の知名度はガヌロン帝処刑日の一件で跳ね上がった。それを知った近隣の国に彼の身柄を奪われた可能性がひとつ」


 近隣諸国が彼を脅威と見なして奪った。

 ありえない話ではない。


「ふたつめはあのラミアのような……戦の生き残りが恨みを晴らすために拐ったという可能性だ。だが」


 フェインは一度言葉を区切った。


「そうだった場合、わざわざ拐っていく理由が解らない。個人的な恨みを晴らすだけならば、寝台で殺してしまえたはずだ。生かしたまま連れ去り、我々に追われる危険を犯すなど愚か過ぎる」


 実際には死なないとはいえ、それを知っている者はほんのわずかだ。

 殺してしまえたはず、というフェインの言葉に、イルダは震えた。

 抵抗の出来ない主人があれ以上痛めつけられるだなんて考えたくもない。


「イルダ、このような事は言いたくないが、エトルリアのネモ殿も疑われている」

「……は……?」


 一瞬何を言われたのかわからなかった。


「ネモ殿はあの日以来ずっとオリビアの寝室に出入りしているし、オリビアが刻印の魔術師であることも知っている。そして他国の人間で、その上〈何者でもない者(ネモ)〉だ。暗躍が仕事のような立場だろう」


「しかしネモ殿は他国の者のなかでは誰よりもオリビア様と親しく、そのうえ此度の戦の功労者ではありませんか。フェイン様もご存知のはず」


「私とてそう信じているが、私情を抜いた可能性の上ではありうる話だ。それに屋敷のもの達が彼を疑っていることは動かしようのない事実。みな、私を含めて冷静ではないのだ。

 実際にはネモ殿は疑われた時点でエトルリアの船を全艦調べさせ無実を証明したが、それでもまだ彼ではないかと疑う声は聞こえてくる」


「有り得ない……有り得ません。ネモ殿ではない……皆、解りやすい答えを得て何者かに感情をぶつけたいだけだ……」


 跪いたまま片手で顔を覆い、イルダは首を振る。


「フェイン様、責任を問うべき者は私です。あの方に仕える身でありながら何も気づかなかった、この役立たずを罰してください」


「お前を罰すれば、私はあの夜に彼の寝室の扉を守っていた魔術師をさらに厳しく罰せねばならなくなる。屋敷の者に罪を着せるつもりは無い」


 抑えきれなかった激情がため息となってフェインの口からこぼれた。

 苛立ちや焦燥や不安の入り交じったそれに、イルダはギリギリと歯を食いしばる。

 お前のせいだと詰られた方が、まだましだ。


 とにかく、と厳しい口調で呟き、フェインは窓から顔を背けて振り返った。


「ターミガン、引き続き捜索隊を回せ。見つかるまで探し続けろ。私の弟を必……ず……」


 不自然に言葉が途切れた。

 ターミガンが息を飲み、レシャが動揺の声をあげた。

 イルダはのろのろと顔を上げる。


 茫然と立ち尽くすフェインの横顔が凝視していたもの。

 それは青い燐光を散らして消えていく、薬指に巻き付いた朝顔の蔓の模様だった。


 血の誓約の繋がりが断ち切られた。

 一度結べば決して反故(ほご)には出来ないはずの、誓約のしるしが。


「……出ていけ」


 目の前の現実を受け入れられないでいるイルダの耳に、低く掠れたフェインの声が微かに届く。


「私をひとりにしてくれ」




 どう私室に戻ったのか、覚えていない。


 気づけば、壊れた私物が散乱した暗闇のなかで座り込んでいた。

 血の匂いがした。手のひらが切れている。


 レシャの嗚咽が聞こえた。

 オリビア様、と嘆くその声を聞いて、悪夢のような光景が鮮明に蘇った。

 青く分解されて消えていく、血の蔓に込められた主人の魔力。


 あれは生涯を通した誓いの証だ。

 消えるだなんて有り得ない。

 誓った相手の生涯が、終わりでもしない限りは。


「……オリビアが死んだ……? まさか……馬鹿な……そんなはずがない……」


 口元が笑う。頬が濡れる。

 イルダは慟哭(どうこく)した。




 胸の内で荒れ狂うものをとり繕えるようになるまで、一週間はかかった。

 整理が着いたわけではない。

 むしろ片付けて受け入れてしまおうなどとは到底思えなかった。


 身体を清め、身支度を整え、イルダはレシャに置き手紙を残して外へ出る。

 今度は〈耳〉も忘れずに持っていく。


 よろめきながら飛んで目指すは、ここ数日ネモが寝泊まりしているエトルリアの船シルバーホース号だ。


 降り立ったイルダを見るネモの側近たちの表情は剣呑だった。

 当然だ。親身になって看病し続けた主人が誘拐の濡れ衣を着せられれば、腹も煮えるに決まっている。


 船室から現れたネモは相変わらず不健康そうな顔で、イルダを眺めて目を瞬く。


「おや、イルダ。あなた、こんな所へ何をしにいらしたのですか。あー……もしや報復でしょうか。私を殺しに?」

「くだらぬ冗談はよせ」


 殺気立つ側近たちに同じく殺気立った視線をくれて黙らせ、イルダはネモに向かい立つ。


「えー……それでは、屋敷の寝具をちょろまかしたのがばれたとか? それくらい多目に見て欲しいものですねぇ、この真冬ですよ」

「ネモ殿」


 イルダは一歩進み出る。同じ歩幅でネモは遠ざかる。

 側近のひとりが剣の柄に手をかけた。

 よしなさいノーラルド、とネモはそれを制する。


「それで、ご要件は」

「話がある」

「ほう」


 薄笑いの下で油断なくイルダを観察するネモの目と、睨み合うこと数秒。

 いいでしょうと呟き、ネモはぱんぱんと手のひらを叩いた。


「お前たち、お茶を入れてください。それから甘味も欲しいですね。適当でいいので」

「甘味など……」

「倒れますよ、イルダ。それに、側近がいては内緒話も出来ませんから」


 ひそひそと囁かれた後半の言葉に、イルダは目を見開く。

 やはりこの男には、何か考えがあるのだ。


「さあどうぞ、船室へ。冷えますから」

「……ご配慮、感謝する。申し訳もない……何から何まで」

「お気になさらず」


 頭を下げたイルダを見、側近たちの溜飲もいくらかは下がったようだった。

 ぱたんと閉めたドアに盗聴防止の印を描き、イルダに椅子を勧めながら、ネモは問うた。


「それで、話とは?」

「オリビアのことだ。ネモ殿は、オリビアとフェイン様が血の制約を結ばれていた事はご存じだろうか」

「えー……そうですね。知っていました」

「その誓約のしるしがフェイン様の指から消えた」

「……なるほど」


 これは内密にされている事柄だ。

 一週間前のフェインとウォルグリア家代表三名の動揺から、良くないことが起こった事は噂となっているが、具体的な話はフェインが口止めをしている。


「それであの冷静沈着なフェイン陛下が、あれほど思い詰めたお顔をなさっていたのですか」

「ネモ殿は此度の一件についてどうお考えか」

「どう、とは?」

「主人を連れ去った者に心当たりがあるのではないか?」


 ピクリとネモの眉が動く。

 骨張った指先でくるくるともつれた黒髪を弄りながら、ネモは肯定とも否定とも取れない微妙な面持ちで、無言のまま机を見つめた。


「……まぁ……無くはない。が、それについては明言出来ませんね」

「では質問を変える。オリビアは生きていると思うか」

「彼は死ねません。お忘れですか、イルダ」


 忘れてはいない。

 そんなことは解っている。


「青年を……おっと失礼、オリビア殿下をどうこう出来るものがいるとすれば、それは神々とそれに親しい存在のみでしょう。その誓約のしるしの件は今知ったばかりですからなんとも言えませんが、彼を連れ去ったものについては私もずっと考えています」


 自らも椅子に座り、ネモはじっと青混じりの灰色の目でイルダを見つめた。


「口外しないと誓ってください」

「……何をだ」

「ここで話したこと全てです。これで人々をぬか喜びさせては、余りにも憐れというもの」


 イルダはいっとき気圧され、しかし承諾した。

 淡々と状況と情報を述べて、最後に話の内容が憶測へ踏み入った時、イルダは全く予想外なその話に混乱した。


 あり得るのだろうか。そんなことが。

 半信半疑だった。


 だが、ネモの話を聞いて、今朝よりずっとましな精神状態に戻った事は間違いない。


「我々に出来ることは、信じ、祈り、待つことのみです」

「ネモ殿……」

「危惧すべきはフェイン陛下ですねぇ。いまここで彼の意志に影差すようなことがあれば、ウォルグランドの今後に差し支えます。支えて差し上げなさい」


 運び込まれた果物の蜂蜜漬けと、熱いハーブティーを口に運ぶ。

 いかに己が飢えて渇いていたのかを、イルダはようやく思い出した。


「ネモ殿、エトルリアではなくウォルグランドの王家に仕える気はないか」


 帰り際に親しみを込めて勧誘すると、側近三人がぎょっとした様子で目を剥いた。

 ネモはしばし考え、いつも通りの悪人じみた薄笑いを浮かべ、こう答えた。


「まぁ、エトルリアが傾き始めた頃合いを見計らって、西に移住するのも悪くないかもしれません。我が主人、アナクサゴラス様が人生を全うされた後ならば。もちろん、いろいろと優遇なさって下さるのでしょう?」


 食えない男だ。

 イルダは苦笑し、一礼して屋敷へ戻った。




 王弟オリビアの姿がないまま、日々は過ぎて行った。


 援軍と言うには余りにも遅過ぎたが、中央三大国であるシーラ王国とエトルリア王国とカルパント王国から、人材と物資も到着した。


 ウォルグランドの崩れた王宮の補修や家々の建て直しや道の整備が行われ、調度品も運び込まれた。

 人を雇用し、使用人を揃え、王を迎えるばかりとなった城を見るフェインの目は、しかし暗く沈んでいる。


「私は弟を犠牲にして王となるのか。この戦は正しかったのだろうか……どこで間違って……」


 覇気のないフェインの言葉を聞いたターミガンが、厳しい口調でフェインを叱りつける。


「陛下、誰が何を言おうとも、陛下だけはそれを疑ってはなりませぬ」

「……そうか。それもそうだな……」


 乾いた笑みを浮かべるフェインの危うい横顔に向けて、イルダはいつも通りに淡々と外出を申し出た。


「失礼、フェイン様。オリビア様を探して参ります」

「イルダ……其方、まだ諦めておらぬのか」

「私の主人ですから。見つかるまで探し続けますよ、叔父上」


 ターミガンとレシャの目が、痛々しいものを見たように背けられる。

 フェインだけが仄かに目を細め、傷ついた顔で笑んでいた。


 本当はフェインだってオリビアを探しに行きたいのだ。

 彼の立場がそれを許さないだけで。


 一礼して下がると、廊下でエルシェマリアと鉢合わせた。

 端によけて首を垂れるイルダの前で立ち止まったエルシェマリアは、相変わらず表情の乏しい顔でじっとイルダを見上げる。


「わたしも諦めていないわ。フィル兄様の夢の扉はまだあるもの」

「……ええ。もちろん」


 大きな水色の目に微笑みかけて、イルダは屋敷を出る。

 石畳の合間から緑が芽吹き始めている。

 いつしか春が訪れていた。


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