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142話︎ 帝都へ

 

 兄妹とはほんの数日会っていなかっただけなのに、ずいぶんと久しぶりな気がする。

 きれいに髪を結い、貴人らしい衣服に身を包み、日差しの差し込む中庭で穏やかに話している兄妹の光景を前にブレスは目を細めた。


 ──やっとここまで来た。


 色々なことがあった。

 つらいことも痛いことも悲しいことも。

 それでも、フェインが玉座につくまであと一歩だ。

 ならば、それらも報われるだろうか。


 立ち止まったブレスの背に、イルダがそっと触れて促した。

 せめてもう少しだけこの幸せな光景を見つめていたかったけれど、残念ながら時間がない。


 銀孔雀の上衣をひき、ゆっくりと歩み出したブレスをエルシェマリアが振り返った。


 大きな目を零れそうに見開いた妹は、首の痣を隠す包帯を見つめて「痛い?」とか細い指先を伸ばす。


「大丈夫。ちょっと痣になってしまったから、隠しているだけだよ。みなを驚かせないように」

「お見舞いに行きたかったのよ。でもフィル兄様が疲れてしまうから駄目だと言われて、行けなくて」

「オリビア……起きていていいのか。身体は……」


 痛ましげに眉を寄せるフェインに笑みを向け、大切な日ですから、と目を伏せる。

 ひとりの男の人生が終わる日だ。


 ブレスは兄が賢王となることを信じているが、道を誤ればフェインもまたこの結末を迎えるのだという事を、記憶に焼き付けておきたかった。


「それに実は、お願いがあるんです」

「お願い? ……オリビア、ガヌロン帝の死は避けられないことだよ」

「それは解っています。私が頼みたいのは──」


 言葉を聞いたフェインはそうかと呟き、やがて微笑を浮かべて首肯した。


「いいだろう。彼もうかばれることだろう」

「よかった。ありがとうございます」

「段取りは私が指示を出すから、君は今日は大人しく席に座っていなさい。調子が悪ければ中座して。けして無理をしてはいけないよ」

「大人しくって……兄さんは私を聞き分けのない子供か何かだと思っているんですか?」

「魔術師としては頼りになるが、少なくとも王族の自覚は足りていないように思うね。イルダ、きちんと彼を見張っているように」


 はい、と真顔で答えるイルダに眉を下げ、はあと情けなさにため息を零すと、話を聞いていた妹がくすくすと笑った。


 感情に乏しいエルシェマリアが。

 悪鬼のようだったあの妹が。


「エル……」


 たったそれだけのことにすら救われた。

 つまらない感傷なのかもしれない。

 けれど、感慨を抱かずにはいられない。


 失ったものも多いけれど、得たものや残ったものもちゃんとここにあるのだ。


 複雑に結われている妹の髪をそっと撫でていると、迎えに現れたターミガンがブレスの姿を捉えて膝を着いた。

 何事かと驚いていると、彼は頭を下げ、厳かに述べた。


「オリビア殿下。此度の戦、殿下の犠牲と力添え無くして勝利を得ることは叶わなかったでしょう。ウォルグリア家当主として深謝申し上げます」


「あのねぇターミガン、犠牲ってなんだよ。ひとを死んだみたく言うんじゃないよ」


 くすんだ金髪を見下ろして辟易しながら文句を言うが、ターミガンは動かない。


 困って視線をさ迷わせると、控えていた魔術師たちや屋敷の住人たちが、あちらこちらでひざまずき、こうべを垂れていた。


 イルダやレシャまでもが。

 これは居心地が悪すぎる。


「……うぐぅ……」

「ほら、君は王族としての自覚が足りない」


 平然としている兄と妹の面白がるような目を受けて、「兄さんの意地悪」と苦々しく呟くと、それを聞いたエルシェマリアがまたくすくすと笑い声を立てた。


 浮かべていた苦笑を払拭し、フェインはよく通る声音で告げる。


「それでは行こうか」


 静かな兄の顔を見つめる。

 その横顔は王の顔をしていた。




 ガヌロンの処刑場は帝都に(あつら)えられた。

 それが当人の希望であったという。

 結界から開放された帝都には、炎帝の処刑を見ようと集った人々が溢れていた。


 恨みを持つもの。

 嘲笑うもの。

 好奇心から来たもの。

 人に巻かれたもの。

 時代の節目を見るために訪れたもの。

 そして国を失った帝国人たち。


 先を憂いる彼らは、フェインの言葉を聞くために集っている。

 敗戦国民となった自らの、今後の処遇を知るためだ。


 帝都は死に絶えたが、帝国は広い。

 残された国土は周辺諸国で分配することになるだろう、と道すがら馬車の中でフェインは語った。


「それは……帝国の名が地図から消えるということですか? でも、帝都に出仕していた王侯貴族たちは亡くなりましたけど、他の領地を治める貴族たちはまだ生き残っていますよね?」


 彼らに自治させるのではいけないのだろうか。

 他国だってその方が、変化のための労力を割かずにすむだろうに。


 フェインは冷めた目で馬車の窓に頬杖をつきながら、ゆるりと首を否定に振った。


「生き残った家系が複数。それに対し、空いた椅子はひとつしかない」


「……兄さんは内乱をあんじているのですね」


「それに……やはり、ウォルグランドにとって良くないのだ。国という形で帝国を残すことは、みなが拒んだ。心情の問題でもあるが、なにより内政に踏み入れなくなるという障りもある。国と国では雲行きがあやしくなった時に干渉が出来ない」


「では……属国にしてしまうとか」


「ウォルグランドは小国だ。属国としたところで口約束のようなもの。刃向かわれてしまえば、十二年前の繰り返しになりかねない」


「……確かに、そうですね。土地を分けて、国土として管理するのが一番平和的なのか……長い目で見れば」


 うん、とフェインは頷く。


 馬車が止まった。

 帝都の前に着いたようだ。


 色々と支度があるらしいが、体力が落ちて馬車酔いをしたブレスは休憩してから行くことにした。

 この重要な日に、まさか人前で吐くわけにはいかない。


 行儀悪く座椅子に足を上げて横になり、じっと目を閉じていると、遠くに人々の歓声が聞こえてきた。

 圧政を敷いていた炎帝ガヌロンを倒したフェインは近隣住民から大人気だ。


「……ガヌロン帝はそんな人には見えなかったけどな」


 ひとりぼやきつつ身体に無痛を刻印していると、馬車に誰かが乗り込んできた。

 まずい、黒面の無いいまこんな情けない姿をひとに見せるわけにはいかない。


 取り繕って起き上がろうとしたブレスの肩を、無言のまま抑えた男。

 見上げてみればなんということは無い、いつも通りのイルダだった。


「なんだ、君か」

「気分が悪いそうだな」

「馬車酔いしただけだよ。入ってくるなら声くらいかけてくれ、誰かと思って慌てたじゃないか」


 心配性の従者は様子を見に来てくれたらしい。なんだか気が抜けてしまった。

 再び後頭部を座椅子に付けるブレスの脈を測りながら、イルダは物憂げに呟く。


「ウォルグリア家の屋敷に出入りする者で貴方の不調を知らぬ者はいない。その理由も。調子を偽る必要などない」

「……ああそう」

「吐き気止めの薬を持ってきた。飲むか」

「飲む」


 こういう時は魔術より医術の方が頼りになる。

 ウォルグランドは例外だが、西大陸は中央と比べて魔術師の数が少ないらしい。

 治癒の魔術が使えないぶん、西の医学は中央よりも進んでいるという。


 イルダが開けた小さな箱から薬を一粒摘んで口に放り込むと、飲み込む前に口に指を突っ込まれた。

 驚いてげほげほと咳き込み、涙目で「何するんだ!」と抗議をすると「私の台詞だ!」と怒られた。解せぬ。


「勝手に飲むやつがあるか! 貴方がいま飲もうとしたこれは自白剤だぞ!」

「な、なんでそんな物騒なものを薬箱に入れてるんだよ!?」

「宮廷魔術師の家系だからだ。まったく……」


 油断も隙も無い、とイルダはにがりきった顔で薬箱の中身を見せてくれた。

 入れ子人形(マトリョシカ)のように多重になっていて、その隙間にそれぞれ別の薬が入っている。


 これが吐き気止めだ、と示されたそれに手を伸ばすと、イルダはさっとその手を捕まえてじろりとブレスを見下ろした。


「うっ……落ち着け、落ち着くんだ、どうどう」


 こめかみのあたりがひくひくしている。

 元からにこやかとは言い難い従者だが、怒るとよりいっそう目つきが鋭くなって怖いのだ。

 まるでターミガンみたいだ。


 引き攣ったブレスの顔を見下ろして、やがて彼はため息をついた。

 深い深い諦めのため息だった。


「……オリビア。こういうものは毒味を済ませるまで口に入れるな。今後は他所で出された食事や飲み物も私が確認するまで触るのではない。いいな」

「わ、わかったけど……でもそれはお前が用意した薬じゃないか。毒味なんか要らないだろ?」

「習慣にしなければならない。それに、私が貴方を毒殺しようとしていたらどうする。憑依され操られでもして」

「どうするって言われても」


 それは考えたく無い状況だ。

 困り果てて黙り込んでいる間に従者は手のひらに数粒薬を乗せ、無作為にひとつ選んで噛み砕いた。


「こうして、薬は私が含んだ量だけだ。ひとつでは致死量に至らなくとも、ふたつなら死ぬという場合もあり得るからな」

「……わかったよ」


 イルダに毒味させるなんて気分が悪いし不便だが、そうすべきことだと言われては仕方がない。

 薬をひと粒受け取って今度こそ飲み込むと、ブレスはゆっくりと体を起こした。


「せめて効き始めるまで横になっていたらどうだ?」

「いや、あんまり兄さんたちを待たせるわけにはいかないし、もう行くよ」


 物言いたげな顔のまま黙り込んで、イルダは乱れたブレスの赤毛を整え始める。

 最後に咳をおさえるためのハンカチを渡してくれた。血痕が目立たない黒のハンカチだ。


 馬車を出るとフェインが残していったらしい騎士と魔術師が直立して立っていた。

 待機させてしまって申し訳ない。


「待たせてしまって悪かったね。もう大丈夫だから行こう」


 話しかけられて面食らった様子の騎士を横目に、二角獣ルーチェを呼び出す。

 イルダはどうするのだろうかと思っていると、黒鹿毛(くろかげ)の馬を引いてブレスの後ろで騎乗した。


 優しい目で擦り寄って来るルーチェを撫で、ブレスもまた馬上の人となる。


 先頭を三騎の騎士に守られ、真後ろにイルダが着き、その後ろと左右にも騎士と歩兵と魔術師がつく。

 ウォルグランドの国旗がはためくその行列を、帝都に集まった人々が物珍しげに見つめている。


 銀孔雀を着たブレスに集う好奇の目と、込み上げる咳を黒いハンカチで遮りながら、ブレスはなるべく俯かないように白馬に揺られて進んだ。


 行き先は、帝都の西方面、海側に建てられた神殿である。


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