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135話 魔女メロエの確執

 

 王女エルシェマリアを救出した。

 フェインへの報告を済ませ、イルダは油断なく周囲を見回しながら低く呟く。


「早くこの場を離れよう。貴方の言うとおり、部屋が破られたことを知って何者かが現れぬとも限らない」

「ああ。エル、おいで」


 表情の乏しい妹の顔のなかで、目だけが強い意志を宿してブレスを見上げている。


「宮殿から逃げるの?」

「ひとまずは、君を安全な場所へ連れて行かないといけないとね」

「わたし、守られるだけの女の子じゃないわ。逃げるなんて絶対に嫌」


 ああそうだったな、とブレスは苦笑を浮かべる。エルにそう言ったのはブレスだ。

 外していた黒面を付けて、ブレスは影から額に白い星のある艶やかな栗毛の二角獣を呼び出した。


「エル、この二角獣に乗って。君は裸足だから。一緒に行こう」

「刻印の魔術師、本気で言っているのか?」

「見ての通りだよ」


 ひたひたと栗毛の二角獣の前に立ったエルシェマリアは「きれいね」と呟いて滑らかな鼻面に手を伸ばした。


 嫌がって歯を剥きだしにしたその二角獣に、エルは怯まなかった。

 それどころか無言のままじっと二角獣を見上げ、「ひざまずきなさい」と命令している。


「わたしに服従するのよ。落としたら許さないから」


 たじろいで仰け反っていた二角獣は、やがて大人しく首を垂れた。

 そのまま脚を折って姿勢を屈めた栗毛をひと撫でし、エルはすっと騎乗する。


「ほらね」

「……なるほど」


 イルダは苦笑を浮かべて頷いた。


「貴方のほうがよほど危なっかしい」

「ええ、それは言い過ぎなんじゃない?」


 ひどい言いぐさだ。エルは弱くなんかないけどブレスだって弱くはないはずだ。

 そう思いたい。

 とにかく、と気を取り直してブレスは黒ローブの埃を払う。


「行こう。予定通りマリー様を探して合流する。皇帝に魔女がついているんだったら、魔女のほうを叩かなきゃだめだ。戦いが長引く」

「ああ。王女殿下、我々の同胞が囚われているはずです。居場所に心当たりは?」


 早足に歩き出しながらイルダが問う。

 エルは不思議そうに首を傾けてイルダを見下ろし、つとブレスを見つめた。


「ねえ、どうして彼があなたといるの? 彼はわたしや兄様のために動いてくれるような者ではないわ。彼の兄弟は献身的だったけれど、わたし、覚えている。彼は怖い目でわたしを睨んでいた」


 そうか、エルはウォルグリア家と王家に鬱屈を募らせていたイルダしか知らないのだ。

 エルの言葉を聞いたイルダが目を伏せて口を噤んだ。

 イルダの肩にそっと触れて、ブレスは妹を見上げる。


「もう違う。今となっては、彼は俺が一番信頼しているウォルグランドの魔術師だ」

「ほんとうに?」

「本当に。それに彼の顔が怖いのは、いつものことだし」

「……ほんとうに?」

「本当に」


 疑わしげなエルの問いにきっぱりと答える。

 ちらりと従者の横顔を盗み見ると、なんとも複雑げな顔をして眉間を寄せている。

 言いたいことが山ほどあるけれど、王女の前では口には出せないといったところか。


 いまいち信用されていないらしいイルダのひととなりを教えようとブレスが口を開き掛けたその時、イルダはすっと腕を出してブレスの行く手を遮った。

 立ち止まった主人に同調し、二角獣もぴたりと脚を止める。


「なにか居る。何者だ!」


 人気のない廊下にイルダの声が鋭く響き渡る。

 いつでも使役の鳥を呼び出せるように指を唇に当てながら、イルダは一歩、前に出た。


 ずる、と靴を引きずるような音を立てながら、男がひとり現れる。

 金髪に青い目、イルダと似た顔立ちの青年。

 レシャだった。


 レシャが千切れかけた片足を引きずりながら、虚ろな目でイルダに手を伸ばした。

 思わず凍り付いたブレスを背に、イルダは黙ってそれを見つめている。


「たすけ……助けてくれ……」

「は。下手な芝居を」


 怒気をはらんだ低い声。イルダは指笛を吹いた。

 影から飛び出したステュムパーロスの鳥が列をなして一斉にレシャに襲いかかる。


 すさまじい悲鳴を上げてレシャが腕を振り上げる。その腕を鳥の翼が切り落とした。

 落ちた腕が青白い鱗に覆われた異形のものに変化する。


「あれは……ラミアなのか?」

「ああ。ラミアは幻を見せる魔物だからな」


 冷めた目で切り裂かれるレシャを見つめながら、イルダはさらに指笛を吹いて鳥を操る。

 体中のあちこちを切り裂かれ、はね飛ばされ、最後に首が落ちた。


 飛び散った血しぶきを風の盾で吹き飛ばし、イルダは細切れになったラミアの死骸を見下ろした。

 ぴくりとも動かない表情で振り向き、イルダは告げる。


「刻印の魔術師、問題が発生した。ラミアが同胞に扮して近づいて来た場合、親しい者でもない限りそれを見破ることは困難だ。変貌のように姿を変えるのみならず、服装や状態まで偽装出来る。これはラミアだと思って斬った者が本物だった、という惨事にも繋がりかねない」


「……それは確かに問題だな。〈透視〉の印も役には立たなかった」


「あれは化けているのではないからな。幻……ラミアの魔力は我々の認知に干渉するのだ」


「よくご存じだこと」


 背筋を這い上がるような、ぞっとする女の声が囁いた。

 さっと身を翻したイルダが、飛んできた獣を風の盾で跳ね返す。

 はじかれたその獣は、有翼の蛇グイベル。


「いえ、お前が知っているのは当然かしら。あぁイルダ……わたくしの可愛い手駒だったのに、結局そちらに戻ってしまったの? よくもまぁ、裏切り者のお前を受け入れてくれたこと、あのご立派なカトリシアの息子が。それとも」


 老婆のような灰色の髪に、不自然に若々しい容姿の女が赤く塗った唇で歪に笑う。


「そちらに鞍替えしたのかしら。お前……ルシアナの息子。オリビア」


 鮮やかな青色の西の衣を纏い、金銀宝石で着飾り、首から腕にかけて有翼の蛇を巻き付けた女。

 冬の冷気など感じてさえいないような薄衣を纏い、毒々しくも艶めかしい姿で立っている。


 ブレスの名を知っていて、その上そんな呼び方をする魔女などひとりしかいない。

 皇女メロエは淀んだ黒い目で舐るようにブレスを眺め、頬に手を当てにぃと唇を釣り上げた。


「ああ……お前がわたくしの手に掛かって死んだと知れば、ルシアナはどんな顔をするでしょう」


 憎悪の渦巻くその目は、心を見透かそうとでもいうかのように、ブレスの目を深く覗き込んでくる。

 これが魔女なのだ。


 闇に落ちた女。闇のなかで立ち止まってしまった女。

 誰にも手を差し伸べて貰えず、抱えきれない不幸を周囲にまき散らしている。


「うふふ。でも、まだよ。どうせ殺すのならば、ルシアナに見せつけてやらなくては。そうでなければ、わたくしの気が済まないもの。だから、さあお前たち」


 メロエの声に誘われ、その影から無数の魔物が現れた。

 ラミアに人面鳥。醜い女の顔を持つ怪物ばかりだった。


 影のみではない。廊下の向こう側から、背後から、傷ついた魔術師たちがぞろぞろとこちらへ向かって歩いてくる。数十か、百か。


「赤毛の男は殺しては駄目よ。それから、ねえイルダ。これはほとんど幻だけど、中にはわたくしの玩具となった、お前たちの同胞が混ざっている……と言ったら、どうする? もちろん、信じなくてもよくってよ。いずれにせよ、殺してみれば、わかるでしょう?」


 イルダが呻く。数の不利を抱えた上、非道な手口に乗せられて、これでは動くに動けない。


「それではまた会いましょう。ルシアナの息子。お前の大切なものをみんな殺してしまった後で、最後に醜く歪んだ母の泣き顔を見るがいい」


 メロエは青い衣を翻した。

 待てと叫ぶイルダの怒号を高らかに嘲笑いながら、悪魔の開いた闇の中へと消えていく。

 ステュムパーロスの鳥が彼女を追うが、人面鳥が奇声を発して鳥の平衡感覚を狂わせてしまった。


 墜落した一羽の鳥が瞬く間にラミアの爪に切り裂かれる。

 イルダが苦しげに息を吐き、胸を抑えて膝をつく。


 使役が死ねばその感覚を魔術師は共有するのだ。

 青ざめた横顔に冷や汗を流すイルダを見下ろし、ブレスは虚しく立ち尽くした。


 憎しみ。恨み。嫉妬。

 なんて厄介な感情だろう。


 じりじりと距離を詰めてくる敵に囲まれながら、やはりどこか遠い出来事のように感じられる。

 現実逃避とは違う。目の前の怪物を、どういうわけか敵と認識出来ないのだ。


 ただ命じられているだけだからだろうか。

 昨夜の死人たちのように?


 使役の鳥を失った痛みからなんとか立ち直り、イルダは尚も鳥を操ろうと唇に指を当てる。

 ブレスはそっとイルダの手を押さえた。


「水鏡の魔術師。使役を影に戻せ」

「な──なにを……」


「君には悪いけど、俺にとっては顔も知らない同郷の魔術師たちより君と妹の方がずっと大事だ。だから纏めて吹き飛ばす。この数をひとりひとり構っていたら、体力が尽きて負ける。君だってわかっているだろう」


 たとえ個人的な恨みや憎しみが無くとも命令に従っている以上、爪や剣や魔術を振り下ろされれば傷つくのはこちらだ。


「配慮が出来る状況じゃない。仕方がないんだ」


「駄目だ! 敵には間違いなく昨夜の死人のように〈呪い返し〉を描かれた者が混じっている、これ以上身体に負担をかければいくら貴方だって無事では済まないのだぞ!」


 簡単には死なないとはいえ、〈呪い返し〉を食らえば害は受けるしダメージだって蓄積する。

 たしかに今ここで動けなくなるのはまずいだろう。

 でもだからって、他に選択肢があるのか。


「だめよ」


 すとんと二角獣から降りたエルシェマリアが、ゆらゆらとした足取りで歩み、ラミアたちに向かい立った。


「あなたが傷つくのはだめ」


 無防備に立っている妹を追おうと足を踏み出したブレスを、イルダが腕を掴んで止める。


「いけない、下がるんだエル!」

「言ったはずよ」


 裸足の足が、血で汚れた石の床を離れる。

 風を纏って宙に浮いたエルシェマリアの長い赤毛が、魔力をはらんでざわざわと波打つ。


「わたし、守られるだけの女の子じゃないと」

「な……」


 何が起こっているのだろうか。


 エルシェマリアは内側から光っていた。

 流線形の光の模様が少女の肌に浮き上がり、メロエの使役の魔物たちを照らしている。


 これは夢渡りでブレスが魂に刻印した護りの印だ。

 受けた攻撃を無効化するだけではなく、こんな風に魔力を流して印を発動させるだなんて。


 光を浴びた人面鳥たちはその眩しさに耐え切れずに目を覆い、顔を背け、地に伏せてうずくまる。

 唖然と立ち尽くすブレスとイルダを背に、エルシェマリアは言った。


「あの女は、ラミアという生き物を解っていないわ。幻惑し、男の生き血を吸い、子供を食らう。それはただの結果なの。表面的な理解で、勝手に親近感を抱いて、そのくせ醜いと見下して……お前たち、解ってもらえずにつらかったでしょうね」


 淡々とした感情に乏しいその声が、光とともに魔物たちに降り注ぐ。

 語りかけられたラミアたちは、飼い慣らされた犬のようにおとなしく光り輝く少女を見上げている。


「ラミアは本来、美人なのよ。お前たちが醜いのは、あの女の心根が醜いから。わたしだったら、お前たちをそんなふうにはさせない。だから、取引をしましょう。夜の生き物だって、主人を選ぶ権利はあるの」


 エルシェマリアはそっと片手で自らの胸元を示し、告げた。


「ひざまずいてわたしの使役に下りなさい。代わりにお前たちの望む安らかな眠りを、主人として与えてあげる」


 か細い痩せぎすの、爪の一振りで殺せてしまうであろう少女の言葉だ。

 しかしその少女の言葉に、その場にいたすべてのラミアは屈服した。


 ──その先の出来事を、なんと兄に報告すれば良いだろうか。


 血と名を与えて欲しければその不愉快な鳥を殺すのよ、というエルの一言によって、ラミアたちは先を争うように人面鳥を皆殺しにした。


 幻を解かれたウォルグランドの魔術師たちは、状況を飲み込めずに立ち尽くしている。

 イルダだってそうだ。


 いい子ね、と擦り寄ってくるラミアたちにそれぞれ血と名前を与えると、エルはすべてのラミアを影にしまってくるりと年長者たちを振り向いた。

 先程となんら変わらない、表情の薄い静かな面で。


「怪我をしている人がいるわ。手当してあげたら?」

「あ……ああ、そうだな……」

「エルはすごいなぁ」

「刻印の魔術師、あれはすごいのではない。末恐ろしいと言うのだ」

「なにを今更。それは知ってたよ、兄さんの夢に出てきたエルを君に見せてやりたい」


 血の締結が上書き出来るものだと知らなれば、ブレスも驚いただろう。

 エルシオンでカナンがレイダから夢喰いシクタムを奪い取ったように、それ自体は不可能なことではないのだ。


「なあ水鏡。あの皇女よりエルの血の方がラミアたちにとって魅力的だったんなら、皇女のほうはなんとかなるんじゃないかな。影の魔女は無理でもさ」

「可能性は無くはないとは思うが……しかし、男魔術師と魔女では相性が悪すぎる」

「それは確かにそうだけど」


 初めて顔を合わせるウォルグランドの魔術師たちに挨拶がてら〈治癒〉をかけながら、ついでに魔女の〈呪い返し〉を壊して回る。


 念のため身を守るための魔術具の類をすべて外してもらってから、ブレスは大地を伝って一息に守りの刻印を流した。

 またしても妙な生き物を見る目を向けられたが、もはや慣れたものだ。


「あ、あなたは一体……」

「私はええと、フェイン様にお仕えしている刻印の魔術師です。では、動けそうな人は戦いに協力してください。消耗が激しい方は、宮殿の外で仲間と合流して怪我人と衛生兵を守ってくださると助かります。中央からエトルリアの兵が来ていますが、彼らは味方なのでよろしく」


 イルダに西の言葉で通訳をしてもらうと、魔術師たちの面持ちが変わった。

 王家の生き残りが帝国に戦いを挑んだことを知った魔術師たちは、希望と覚悟をいっぺんにその顔に浮かべ、的確に動き始める。


 ブレスはよし頷いて、コンコンと咳き込みつつイルダに呟く。


「じゃあ進もうか」


 次の戦いへ。


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