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131話 無音の都 

※ この章は流血や殺人など、残酷な描写を多く含みます。

 

 帝都の中央には宮殿がある。

 宮殿から西の海側には神殿、陸側には帝国貴族たちの暮らす家々、そしてさらにその外側には町が広がっている。


 妹のエルシェマリアが閉じこめられている場所は、宮殿からやや離れた北側の幽閉塔であるらしい。

 夢渡りで見たあの寒々しい小部屋の風景から察するに、間違いないとイルダは言う。


「私も何度か閉じこめられたことがある。幽閉塔は城の北側、幸いここからそう遠くはない」

「そうか。だとすれば問題は……」


 その塔が無事か否か、だ。

 カナンとテンテラが破壊し、レヴィアタンの出現によって押しつぶされた帝都は、半分以上が瓦礫の山と化していた。


 宮殿は帝国の魔術師と魔女たちによって守られているというが、エルの閉じこめられている塔はどうなのだろう。


「強力な護りの魔術をかけたから、無事だとは思うけど……」


 〈遮断の腕輪〉で気配を絶ち、上空を飛びながらブレスは帝都を見下ろす。


 町の残骸が溶けかけの雪に埋もれている。

 この雪と瓦礫の下で、どれだけの人々が死んでいるのかを思うと、身体が震えた。


「ああ……しまったなぁ。こんなに不安になるんだったら、昨晩のうちにエルの夢を訪ねて置けばよかった」

「夢渡りは消耗する。これからなにが起こるか判らない以上、魔力は温存しておくべきだった。貴方の判断は正しい」

「……ああ。そうだね」


 黒面の向こう側の風景を〈透視〉で見透かしながら、ブレスはちらりとイルダの手首に視線を向ける。

 様々な護りの印を刻んだ腕輪は、きちんとイルダの手首にはめられていた。


 エミスフィリオという黒面を得て数日、ブレスは護りの魔術具を作り続けていた。

 なるべく多くのひとの手に渡るように、そして戦いの妨げにならないように、指輪やペンダントなどの小振りなものを選んだ。


 魔術師は約五百、騎馬や歩兵は約五千。

 手のひらで数個ずつ転がして刻印するには、時間がかかり過ぎる数だ。


 そこでブレスは壁の外で〈加温〉の刻印を流した時と同様に、護りの刻印を大地を通じて人々に直接流すことにした。

 これが昨日のことである。


 余りに膨大な数だったためか、魔力を使いすぎて結局一日役立たずになってしまったが、今朝にはすっかり回復していたので問題はない。


 レヴィアタンを影から引っ張り出して以来、ちょっとやそっとでは魔力痛に苦しむこともなくなった。

 大量の魔力を使うことに、肉体が慣れたのだろう。


「水鏡の魔術師、塔の位置は判りそうか?」

「待ってくれ。もうすぐ、この辺り……あそこだ」


 イルダが示したのは灰色の石積みの塔だった。半分ほど崩壊しているが、まだ残っている。


「エル……!」

「待て。我々がここに来ることを予測されていたらどうする。迂闊に近寄るな」

「腕輪で気配は消してるじゃないか」

「魔術具を持っているのは相手も同じだ」

「そうか」


 これからやり合わなければいけないのはただの人間ではない。

 魔術師や魔女なのだ。こちらと同じように魔術を使い、道具で身を護っている。


 隠れている可能性もある。

 こちらの姿が見えている可能性だってある。


「水鏡の魔術師、〈遮断〉には効かないかもしれないけど〈姿隠し〉だったら〈透視〉で見破れるかな」

「ああ。恐らくは。敵の魔術師が貴方よりも強いということが無い限りは」

「怖いこと言うなよ……」

「魔術の効力は相対的なものだ」

「わかってるけどさ」


 ぼやきつつもイルダの正面にまわり、瞼に触れて眼球に〈透視〉を刻印する。

 まぶしそうに目を瞬いたイルダは、「これは便利だ」と呟いて周囲を見回した。


「……おかげで見えなかったものが見えたぞ、刻印の魔術師」

「なにがどこに」

「塔の周囲、五馬身ほどの距離をなにかに囲まれている」

「人間か?」

「さあ。それは近づいてみないことには判らない」

「そっか。じゃあちょっと脅かしてみよう」


 正体不明のものに近づくのは危険すぎる。


 眉間を寄せて目を凝らすと、たしかにイルダの言うとおり、何かが瓦礫に隠れてぐるりと塔を取り囲んでいた。


「ええと、円の内側に逃げ込まれたら困るから……」


 ぶつぶつと言いながら風を呼ぶブレスを、イルダは怪訝に見つめている。


 悪戯好きの風の微精霊に切った赤毛を支払い、ブレスは己の魔力を運んでもらった。

 何かが潜んでいる塔の周囲に、魔力の糸が円を描いた。


「なにをする気だ?」

「脅かすんだよ。こうやって……見てて」


 コンコンとこみ上げる咳が収まるのを待って、ブレスは呟く。


「膨張せよ」


 魔力の糸を喰った大気がブレスの言霊を受け、暴風となって塔の周辺の瓦礫を吹き飛ばした。


 塔の周辺、一定の距離から外側の瓦礫が雪や泥とともに吹きとんだ。

 地面が露出して瓦礫の下にいたものが姿を現す。


 脅かすつもりだったがそうはいかなかった。


 それは死体だった。

 塔を囲うようにぐるりと並べられた十数の死体だ。

 ブレスは思わず身を強ばらせて口元を押さえる。


 イルダは動揺ひとつ見せなかった。ただ思い当たる事があったのか、彼の表情は険しく変わっていく。


「嫌な予感がする。早く王女殿下を救出して騎士隊と合流しよう」

「けど、マリー様たちを追う手はずだろう」

「それどころではないかも知れないぞ。あの死体は意図的に並べられている。贄か、さもなくば操るつもりか」

「……まさか」


 背筋を悪寒が駆け上がる。生理的な嫌悪感と恐怖。

 しかし考えてみれば十分にあり得る話だ。

 影の魔女は魂を人形に詰める。


 魔術師たちが死霊を扱うことは掟の書に背く禁忌とされているけれど、アリエスの石の呪縛から外れた魔女にはそれが出来る。


 エチカの首の後ろに刻まれている魔女の魔法陣もその応用だ。


 禁術、一般的には黒魔術とされる死霊魔術。

 それを行う者を、ネクロマンサーと呼ぶ。


 慎重に大地に降り立ったイルダが死体を調べる。彼らは凍って死んでいたためか、さほど腐敗もしていない。


「……やはり」


 イルダが暗く呟く。

 衣服の下、死体の胸部には、エチカの首に刻まれたものと同じ、〈憑依〉と〈乖離〉の魔法陣が刻まれていた。


 イルダは直ぐにフェインに通じる〈耳〉の石で状況を報告した。

 魔法陣がある限り、いつ死体が動き出すとも限らない。


 ブレスは一体ずつ死体の魔法陣に切れ込みをいれて、作動しないように処理を始める。


 魔法陣さえ不完全ならば、いくら死霊が放たれたとしても死体に憑依することは出来ない。


 影の魔女エリスバンシーは、マリーの影だ。

 マリーの影ならば解りあえるはずだと、心のどこかで思っていた。


 死なない子供を望んで、人間の魂を人形に詰めた彼女。

 エチカの魂を引き裂いて、人形に詰めた彼女。


 そして今度は、死体があることを利用して、彼女はそれにさえも魂を詰めようというのか。


(人の生き死にを踏み躙っている……)


 魂は「誰か」だった。死体だって「誰か」だった。

 それを手中に納め、意のままに操るだなんて、魔女の領分を越えた行いだろうに。


「……刻印の魔術師」


 俯いたままじっと感情を押し込めていたブレスの背に、イルダが気遣わしげに声をかける。


 無言で頷き、ブレスは立ち上がる。悲しいと思う。非道だと思う。

 だがそれ以上に、許せないと思う。


「なんだかうまれて初めて、心の底から怒っている気がするよ」


 マリーの言うとおりだった。

 影の魔女は、この世に存在してはいけない存在だ。


 崩れかけの塔をイルダと共に探したが、結局エルシェマリアは見つからなかった。

 瓦礫から出てきた見覚えのある毛皮の敷物と毛布に触れ、ブレスは奥歯を噛みしめる。


 確かにここにいたのだ。

 この死体を並べた者が、妹を連れ去ったのだろう。


「死体はない。エルは生きている」

「だとすればおそらく、宮殿に浚われたのだと思う」

「そうだね。助けに来ることを予想していたのだから、奴らはエルを手元に置いておきたいはずだ。人質として」


 冷静にならなければ。心を乱しては敵の思うつぼじゃないか。

 長く細く息を吐き、ブレスはイルダを振り向いた。


「死体の魔法陣を壊して回らないと。君の言うとおり、一度皆と合流しよう。弔われないままの肉体がこんなにたくさんあっては、障気がたまって怪異が起こるかもしれない」


 帝都はもう、何が起こってもおかしくはない。




 これは果たして戦争なのだろうか。


 不気味なほどに静まり返った帝都、城壁の手前で、ブレスは空からじっと宮殿を見下ろしていた。


 宮殿は強い結界に守られている。

 人間の魔術師にはとて破れそうにない、強固な結界だ。


 陣形でフェインを守ったまま、ターミガンが率いる魔術師たちも進軍して来ている。


「問題は夜だね、ミッチェ」

『そうね……』


 眼下を見据えながらブレスは呟く。魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)する時刻は夜だと決まっている。

 本来ならばフェインにはもっと後陣にいて欲しいけれど、これはもはやそういう戦いではない。


 魔術師がひとりでも多く必要だ。

 敵は帝国ではない、影の魔女なのだから。


「刻印の魔術師。情報の擦り合わせをしたい。降りて来てくれないか」


 耳飾りの石からフェインの声がブレスを呼んだ。

 はい、と答えて黒ローブを翻し、ブレスは地上へ戻る。


 周囲を〈透視〉の目の魔術師たちに見張らせて、ブレスとフェイン、宮殿魔術師の一族は円になって座った。


 フェインの表情は硬い。

 死霊魔術は魔術師にとって、それほど忌み嫌われるものなのだ。


「まずは帝都の現状について言わねばならぬことがある。帝都に住まう市民や貴族たちに生存者はいない。皆、凍りついて死んでいた」

「……カナン先生の暴走のせいですか」

「それもある。しかし……」

「門が閉ざされていたのだ」


 フェインの言葉を引き継いで、ターミガンが告げる。


「門兵が門を閉ざしたまま逃げ出したのか、そのような指示があったのかは定かではない。しかし城壁に囲われた帝都の門は全て閉ざされたままだった。帝都の民は皆、城壁に閉じ込められて死んだ。逃げることも叶わず……」


 苦々しい顔でターミガンが言葉を区切る。

 よほどひどい光景を見たのだろう。


「問題はその全てに、魔女の魔法陣が刻まれていたことだ」


 暗澹と目を伏せ、フェインは続ける。


「あの死体の山のひとりひとりに、魔法陣を刻みつけたわけではあるまい。恐らく敵は、直接手を触れずとも刻印できるのだろう。君のように、大地を伝って」


「……では、魔術を使えない騎士たちは立ち退かせるべきです。こちらに死者が出れば、敵は必ずそれを利用する」


 命を落とした同胞を相手に剣を向けることなど、彼らには出来ないだろう。


 十二年の支配を共に支え合って乗り越えて来た仲間だ。

 ウォルグランドの民の結束は固い。


 ブレスの言葉に、けれどフェインは首を振った。

 苦悩を浮かべ、それでも兄は兵を残すと言ったのだ。


「なぜ!……なぜです、兄さん。酷なことになるのは、わかりきっているでしょう」

「あの宮殿は、地下空間と繋がっているのだ」


 答えたのはターミガンだった。


「レイダが生きていた時分、奴からそう聞いた。実際私もこの目で確認している。兵を宮殿の地下に隠そうと思えば、いくらでも隠せる」


「……戦に勝つには、数が必要なのだよ。故に引かせる事はできない。どうしても」


「では帝国は自国の民を見捨てておいて、自分達は戦力を確保したまま宮殿に篭っているというのか? 一体何のために!」


 黒面の奥で顔を歪めて叫ぶブレスの言葉を受け、フェインは目を閉じた。


 再び開目した時には、その面には静寂が浮かんでいた。

 ブレスは気圧されて口を噤む。


「かつて君は言ったね。海の上、甲板の下で。この血の蔦の誓いの前に。私が君たちに、隠し事をしているのではないかと」


 そうだ。確かにブレスは言った。あの時のフェインの言動は不自然だった。

 敵であるはずの皇帝が、残酷に聞こえる命令の裏側で、レイダの力を双子に継承させたのだと。


「時が来れば話すと、私は君と約束した」

「……いま、それを話して下さるということですか?」

「まだだ。だが、もうじきだろう。どうかそれまで、待ってはくれないだろうか。真実を明かす時を誤れば、我が軍は負ける」


 確信に満ちた冷静なその兄の言葉に、反論は出来なかった。




 その日の昼過ぎ。

 宮殿の結界を壊そうと調べ回っている魔術師たちを背に、ブレスはイルダと共に海沿いの壁を目指して飛んでいた。


 フェインの話を聞いて頭の中はこんがらがっているし、状況も悪い。

 それでもじっと考え込んでいる時間はないのだから、出来ることをやるしかない。


 今ネモたちエトルリアの軍が上陸するのは悪手だ。

 宮殿の中に人がどれだけいて、何を仕掛けようとしているのかがわからない以上、魔術師では無い兵たちは動かすべきではない。


 海岸沿いを囲う高々とした壁の上に立ち、ブレスは周囲を見下ろす。

 一部が壊され、低くなった壁に梯子がかけられていた。


「……これは遅かったかな」

「そのようだな」


 イルダもため息を抑えつつ眉間を寄せる。


「とにかく後を追って、戻ってもらおう。きっと今夜は危険だろうから」


 ふたりは黒ローブをはためかせ、再び空へ飛び立った。


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