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130話 赤毛と黒面


 時は流れる。決戦の日が訪れた。

 屋敷の中では夜明け前から魔術師たちが影のように主人に付き従い、騎士たちは戦準備に余念がない。


 諸侯は所有する私兵を揃え、また自らも鎧を纏う。

 ウォルグランドの民は、手先に戦わせて主人が隠れるような真似はしない。


 小国故だろうか。

 それとも精霊の民である彼らの矜持が、それを許さないのか。


 未来の王であるフェインも自ら指揮を取る。全体を俯瞰して戦力を動かすことが王の役割である。


 帝都を囲む城壁は、黒き竜の息吹とレヴィアタンの出現によってほとんどが崩れ落ちている。

 フェインはその僅かに残った城壁に立ち、じっと王城を見上げていた。


 左右は宮廷魔術師であるターミガンと、その後継のレシャが守っている。


 ターミガンが空中に出現させた複数の〈遠視の水鏡〉には、各隊の騎士の鎧に刻まれた〈目〉から届く映像が、次から次へと過ぎっていく。


「水鏡は問題なく作動するか、白雷(はくらい)の魔術師」

「ええ、陛下。妨害はされておらぬ様です。今のところは」


 名にかけて呪いを受けると面倒だ。

 それを身に染みて解ってるウォルグランドの魔術師たちは、例え真名ではない呼び名のひとつであろうとも、重要な局面では呼び合わない。


 崩れた城壁の残骸の上には、幾人もの魔術師たちが結界を張るために待機していた。

 入ることは容易だが、無断で出ることはけして叶わぬ結界だ。


 その城壁の一角、フェインからさほど離れていない場所に、黒ローブを着て黒い面をつけた怪しげな魔術師が、長い赤毛を風に巻かれながら立っていた。


 妙な面である。黒塗りの凹凸のないなめらかな表面に、筆で引いたような切れ長の目が銀色で描かれている。


 そう、描かれているのだ。視界を確保するための穴が開いていないのである。


 フェインは苦笑を浮かべる。その異彩を放つ魔術師の隣には、見慣れた水鏡の魔術師イルダが控えている。


 ときおりコンコンと咳込む黒仮面の魔術師を、イルダは眉間を寄せて守っていた。

 どう見ても納得している顔ではない。


「……まったく、私の弟は……」


 思わずため息をこぼすフェインの両隣で、ターミガンとレシャが揃って失笑する。


 咳払いをして気を取り直す白雷のターミガン。本当によろしいのですか、と問うは水蝕のレシャ。

 フェインは諦め顔でゆるやかに笑む。


「言って聞く子ではなくなってしまった。昔はあんなに素直だったのに」

「過去を懐かしむのは戦に勝利したのちに致しましょうぞ。あのお方の身を案じるお気持ちはわかりますが、それは杞憂というもの」


 そうだね、とフェインは答える。刻印の魔術師は強い。


 しかし不気味だ。これから攻め入ろうというのに、帝都は静まりかえっている。

 冬のカナリアと漆黒の竜のもたらした災害によって、帝国は完全に瓦解したのだろうか。


 いいやとフェインはその考えを否定した。

 その割には嫌な気が渦巻いている。魔女がいるのだ。おぞましい魔女が。


(一刻も早く彼らを解放してやらなければ、西は魔女の狂気に飲み込まれる)


 フェインはそっと己の耳飾りの翡翠に触れた。

 翡翠に描かれた〈耳〉を通して、フェインは戦に向かい立つ己の民に語りかける。


「多くは言わぬ。生きて戻ろう」


 ターミガンの指笛が響きわたる。

 高らかに鳴ったその音を合図に、魔術師たちは結界を展開した。


 長い赤毛を靡かせ、黒仮面の魔術師が風とともに城壁を滑り降りる。

 イルダが後を追って結界の中へ飛び込んだ。


 城壁の外で待機していた騎馬隊と歩兵が足並みを揃えて敵地へと踏み入る。

 こうして戦は幕を開ける。


 とうの昔に滅び去ったと思われていた精霊の民が、西の帝国に牙を剥いて襲いかかった。



 ⌘



 時は二日前に遡る。


 ブレスは肩で風を切って屋敷の廊下を歩いていた。姿を見た人々がぎょっとした様子で道を開ける。


 以前であれば、そんな人々の反応にもいちいち居心地の悪さを感じたことだろう。

 だがしかし、今日のブレスはひと味違うのである。


 割れる人並みを突っ切ってブレスは兄を訪ねる。

 堂々と顔を上げて、もはや人目に怯えることもない。


 苦々しい顔で追従しているイルダが朝一番にお伺いを立ててくれたので、ターミガンはすんなりと──すんなりとふたりを迎え入れてくれる筈だったのだが、実際はそうもいかなかった。


「オ……オリビア殿下、ですか? いったいそのお姿は……」


 鉄壁の男と恐れられるターミガンが、出会い頭に動揺を浮かべた。

 王弟オリビアが西の言葉を話せないことも忘れて、母国の言葉でたじたじとそう呟いたのだから、相当である。


 無理もないと渋面を浮かべるイルダ。

 一方ブレスは、平然と顔を上げて片言の母国語で「私はオリビアではありません。エミスフィリオです」と言い切った。


 何事かと遠巻きにそれを見つめていた人々は思った。

 なんてひどい嘘だろうかと。

 嘘をつくのならばもっとマシな嘘をつけと。


 だがしかし口には出さない。

 なぜならばオリビアは王弟であるからだ。


 唖然と立ち尽くしていたターミガンは、コンコンと咳込む音に我に返った。彼は思った。


 戦いで傷を負い、呪いまで受けて心身共に弱っているこの健気な王弟を、いつまでもこんな冷えた廊下に立たせておくわけにはいかない。


 ターミガンは一度認めた人物に対して忠実だった。

 すっと身を引いたその隙間をするりと通り抜け、ブレスは執務机で帝都の地図を確認していたフェインの前に立つ。


「兄さん。お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます」

「いいや。今日は調子が良さそうで何よりだ、オリ──」


 穏やかに答えながら顔を上げたフェインは、そのまま「ビ」の口のまま固まった。イルダがその場にひざまずく。


「申し訳ございません、フェイン様。どれだけ諫めても耳を貸して下さらなかったのです」

「……ええと……そうだね。とりあえず落ち着いて話をしよう。そこの者、暖炉のそばに席を。それから熱い茶をいれてくれ。身体を冷やしては咳がつらいだろう」

「お心遣い感謝いたします」


 すっと一礼し、ブレスは勧められるままに使用人が動かしてくれた椅子に腰を下ろした。

 フェインが執務机から立ち上がり、ブレスと向かい合って座る。


 間に置かれた小さなテーブルに、ミルクで煮出したハーブティーと温室で育てられた苺が並べられた。


「それで?」


 ティーカップを前に、ようやく仮面を外したブレスに困惑ぎみの苦笑を向けて、フェインは訊ねる。

 光沢のない、平面的な黒い面。銀色で描かれた切れ長な目が、不気味に笑んでいる。


 話し出そうと口を開くなり咳込んだブレスの背に、心配そうにイルダが手を当てる。

「失礼」と呟き、口元を覆いながら、ブレスは話し始める。


「兄さん。私は兄さんのような立派な王族にはなれません」


 感じていたことの全てをありのままの言葉でブレスは話した。


 人々にかしずかれることの憂鬱。

 一挙一動を追われることの息苦しさ。

 期待と崇敬の重圧。

 そして彼らの目に宿るものの恐ろしさ。


「どうしても……私にはどうしても、それらが受け入れられないのです。身が竦みます。気が塞いで、恐ろしくて堪らないのです。私の役目は、祖国を守る為の盾であり剣であること。ですがこの状態では、私は力を発揮することが出来ません。王弟としても、魔術師としても、このままでは役に立てないのです」


 咳込みながらも必死に訴えるブレスの言葉を、フェインは黙して聞いていた。

 うん、とフェインは頷く。


「そうだったか。君の気持ちに気づいてやれなくてすまなかった。私は駄目な兄だ。いつも妹や弟の気持ちに、気づいてやれない」

「いいえ! 兄さんはそのままでいいんだ。前だけを見て進んで下さい。後ろを振り返る役目は、私が引き受けます。ですが……」


 ティーカップを優雅に傾けながら、フェインはブレスの言わんとすることを察して苦笑する。


「なるほどね。そのために魔術師エミスフィリオの顔が必要なのか」

「はい」

「オリビアのままでは、出来ないのだね」

「人目が気になりすぎて無理です」


 壁際で腕を組んで話を聞いていたターミガンが、「それで人目を遮るための仮面なのか」と呟いた。その通りだ。

 フェインはしばし沈黙し、思考を巡らせる。


「王弟オリビアの存在は必要だ。だが、刻印の魔術師の力も必要だ。いまのままではどちらの役割もこなせないが、それが仮面ひとつで解決するというのなら……そうだね、仕方がない。今後王宮に出入りする者には箝口令を敷き、仮面の魔術師の存在に慣れてもらうほかあるまいよ」


「では……!」


「ただし、オリビア。君はそのわがままを通すのだから、徹底的にその力をみなに認めさせなければならない。誰ひとりとして、文句のひとつも言えないほどに。いいや、誰もが刻印の魔術師を崇敬するほどに」


 崇敬、という言葉にブレスは怯んだ。

 けれどそれも一瞬のこと。


「わかりました。やります。オリビアには出来ないけれど、エミスフィリオには出来る。だってエミスフィリオは、冬のカナリアの弟子ですから」


 なによりも仮面をつけていれば、人目を気にせずとも良くなるのだ。

 目が合うから恐ろしいのである。


 穴の開いていない仮面をつけていれば、人の目も獣の目も同じだ。風のように受け流すことが出来る。


 こうしてその日、ブレスはもうひとつの顔を手に入れた。

 冬のカナリアの弟子にしてフェイン王の懐刀、刻印の魔術師エミスフィリオという名の正式な立場だ。


 王族の銀孔雀を纏わず、黒仮面をつけている時は、オリビアではなくエミスフィリオとして扱うこと。


 これが暗黙の了解となり、当初は戸惑いを隠せなかった人々も、次第にそれを受け入れた。


 なぜならば未来の王であるフェインが、徹底してそのように振る舞っていたからである。




 そして迎えたこの決戦の日。

 ブレスはエミスフィリオとして、イルダと共に立っている。


 ネモにはマリーを通じて連絡がいった。

 彼らはもうじき、船上から破城鎚と大砲を飛ばして海岸沿いの城壁を破壊し、帝国に乗り込んでくる頃だろう。


 ブレスの目下の目的は、妹のエルシェマリアの救出。

 そしてそれを成し遂げた後は、マリーたちと合流して、影の魔女エリスバンシーに立ち向かわなければならない。


「行くよ、イルダ」

「ああ」


 高く鳴り響くターミガンの指笛の音を皮切りに、ふたりは黒ローブを翻して飛び降りた。


10 使徒の帰還 終わり

 次話から11章に突入。戦争の始まりです。

 11章はお話の展開上、残酷な描写が多めになりますのでご注意下さい。


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