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127話 変装と脱走と交友

 

 ルーチェを探しに行かなければ。


 とは思ったものの、寝台から出ようとすると「馬鹿を言うな」とイルダに止められてしまった。


「無茶だ、その身体で。歩くことも障るだろう!」

「解ってる、でもだめだ、放っておくことなんか出来──」


 押さえ込もうとするイルダの手を振り払おうと身体を動かした瞬間、喉を何かがせり上がった。

 口を押さえて床に倒れ込む。


 うずくまってせき込み、なんとか顔を上げると、敷物がどす黒い血で染まっていた。呆然とした。


「……なん……だ、これは……」

「オリビア様!」


 貧血だ。視界が暗い。これはだめだ。

 イルダの言うとおりだった。歩き回ることの出来る体調ではなかったようだ。


(そうか、そうだったな。生き返ったときも、すぐに動けたわけじゃなかったっけ)


 回復には時間がかかるのだ。

 イルダの声を聞いた誰かが、部屋のなかに駆け込んでくる。


(まったく、これじゃネモ様と一緒じゃないか)


 そう呆れたのを最後に、ブレスの意識は飛んだ。




 再び目覚めたのは三日後だった。夢も見ずに眠っていたようだ。


 ミシェリーのもたらす強制的な眠りには回復作用がある。

 宿主を癒すことにおいて、妖精の癒しの力は特効薬のようなものだ。


『従者の言うことを聞かないから、こういうことになるのよ』


 枕元で聞こえたお叱りに苦笑する。

 ぐうの音もでない。


「それで、どうかな。動いても良いと思う?」

『ゆっくり歩く程度だったら大丈夫なんじゃニャいの。走るのはだめ。馬で駆けるのも駄目よ、もちろん』

「そっか。魔術は?」

『魔力痛が収まっていれば大丈夫。でも飛ぶのは駄目』


 身体を動かさないような魔術であれば大丈夫、ということか。

 ゆっくりと身体を起こし、寝台の背もたれにクッションを当てて寄りかかる。


 視界が眩むこともない。気分も悪くない。

 これならば、大丈夫そうだ。


「……状勢はどうなっているんだろう」


 天井を見上げながらぼんやりと思いを巡らせる。

 数日前まで災害に見舞われていた帝都。

 必要なことだったとはいえ、その災害をブレスたちは取り除いてしまったことになる。


『そうすぐに行動を起こせるような状態でもないでしょうよ。今すぐ戦争が始まるわけでもなし』

「ああ。だけどネモ様たちの……エトルリアの船だって、いつまでも食糧が持つわけじゃない。動くんだったら、早く動かないとだめだ」


 とはいえ。

 今はルーチェを見つけないことには安心出来ない。


 そろそろと身体を動かし、ゆっくりと立ち上がり、試しに部屋を往復して体調を確認する。

 歩くぶんには問題なし。


「さて、着替えはどこかな」


 最近やたらと失神しているせいで、他人の手で着替えさせられることにすっかり抵抗がなくなってしまった。

 おかげでどこに着替えが置いてあるのかさっぱりわからない。


 あちこちの戸棚を開け、かごをのぞき込み、うろうろと部屋を物色していると、背後でドアが開いた。


 いたずらがバレた子供のように硬直する。


「……オリビア様」

「イ、イルダ、顔が怖いよ?」


 イルダのこめかみに青筋が立っているのを見てしまった。

 この従者を怒らせてはいけない。


「そろそろ目覚める頃かと来てみれば、油断も隙もない。いい加減にしてください。ご自分の立場を弁えて下さらなければ」


「えー、その、前回のことは悪かったとは思っている……だから敬語はやめるんだ。イルダに敬語を使われると距離を感じるし怒られている気分になるじゃないか」


「怒っているのだが?」


「ですよね。すまない……というか、立場? なんの立場?」


 沈黙したままじっと見つめること数秒、イルダは黙ったまま立ち上がり、ブレスに着いてこいと示して扉を開けた。


 両開きの扉の前には、魔術師らしき十数名の男たちがきっちりと廊下に並んで立っていた。

 彼らはブレスの姿を見るなりその場にざっとひざまずいた。一糸乱れぬ動作だった。


 そっとドアを閉める。


「これは夢だ」

「もういい加減、夢に逃げるのはやめろ」


 ごもっともなお言葉。

 はああ、とため息を付き、ブレスは顔を覆った。


「……バレたんだな。弟だってことが」

「あれだけ大立ち回りをすれば、素性を探られるのは当然だ」

「それもそうだね……」


 なんてことだ。ますます動きにくくなってしまった。

 まったく、言葉もろくに話せないのに、地位だけ無条件に上がるだなんて。


「そうだ。いっそのこと、王弟オリビアは死んだことにしないか。俺は先生を止めるために必要だっただけだろう。もう役目は果たしたじゃないか。あとは魔術師エミスフィリオとして、影ながら兄さんを支え……」


 不敵な笑みを浮かべて、イルダが左薬指を指した。

 指の根本から爪に向かって、ぐるぐると巻き付く朝顔の蔦の模様の刻まれたブレスの薬指だ。


 言わんとすることを察し、ブレスはひくひくと頬をひきつらせる。


「イルダお前! 兄弟で誓い合えって、俺を縛るためでもあったのか!!」

「当然だ。蔓の戒めを忘れるなと秋のお方も言っておられただろう」

「この腹黒っ、げほ、……」

『あんまり興奮するとまた吐血するわよ』


 あきれ果てたミシェリーの声に、ブレスは黙った。


 座り込んでせき込む背中をさすってくれるその気遣いはありがたいが、素直に喜べそうにない。


「……最悪だ、騙された気分だ……おかしいな、ちゃんと納得して血の誓いを結んだつもりだったのに。いや、でも俺が考え無しだったのか?」


「貴方は他者のこととなれば良く考えるが、己の身となるとあまり顧みないでしょう。それでは今後足下を掬われますよ」


「お前にだけは言われたくない。あと敬語はやめろって言ってるだろう」


 呼吸を整え、扉に凭れる。

 少々茫然としてしまったが、前向きに考えよう。


 解っていなかったことが解ったのだ。

 遅すぎたのかもしれないが。


「あー……まあいいや。使い分ければいいんだ。そのために名前が沢山あるんだから」


 気を取り直しつつ、立ち上がる。


「着替える。目立たない服にしてくれ。ルーチェを探しに行く」

「馬鹿は休み休み言え」


 呆れて取り合ってもくれないが、ブレスは本気だ。

 水桶に水を呼び、身支度を始めながら、振り返りもせずに話しかける。


「解っていないなイルダ。俺はルーチェが見つかるまで毎日でも脱走を計るぞ。さっさと用件を片づけてしまったほうが楽なのは、イルダだよ」


 もの言いたげな視線が後頭部に突き刺さるのを感じつつも、ブレスは引かない。ここで引いたら負けだ。


 イルダには悪いけれど、フェインではなくブレスに仕えるのならば、こういうことにも協力してもらわなければ。


 やがて諦めのため息が聞こえ、イルダが着替えを見繕い始めた。

 ブレスは勝ったのである。




 目立たない衣服に着替え、〈変貌〉の魔術で顔を変え、ふたりは窓から脱走した。

 扉を通過すればあの大勢の見張り兼護衛の魔術師たちに動向がバレてしまう。


 飛行は禁止だが、一時的に落下の速度を落とす程度ならば、さほど負担はない。


 もちろん、ベッドにはオリビアが眠っている。

 オリビアに扮したミシェリーである。


 置いて行かれることを渋った彼女だったが、結局はイルダを信用してブレスを任せることに決めてくれた。


 見る者が見れば一瞬で偽物だとバレてしまうが(なにしろ片時もブレスから離れない黒猫がいないのだから)、扉を護っているだけの護衛たち程度は誤魔化せるだろう。


 数日ぶりの外の空気を感じた。

 カナンが眠りについたためか、雪は溶け始めている。


 秋を終えて冬にはいったばかりのこの季節は、空気は冷たいけれど、空はまだ明るくて気持ちがいい。


「探すと言って、どう探すのだ」


 イルダが厩からきれいな栗毛の馬を引いて歩きながら問う。

 長時間歩くと調子を崩すだろうからと、ブレスを乗せて手綱を引いてくれるらしい。


「そりゃあルーチェと走った道を辿りながら、呼ぶんだよ。ルーチェは人探しが得意だから、たぶん近くにいれば気づいてくれるはずだ」


「貴方が探すのではなく、バイコーンに探させるのか……」


「ルーチェに戻る気があるのなら戻ってくる。というか、イルダも騎乗すればいいのに。常歩(なみあし)でゆっくり進むのなら、隣で馬に乗っていてもいいじゃないか」


「駄目だ」「ええー?」


 おしゃべりにつき合ってもらいつつ、道なき道を辿る。


 国境を抜けた後に離ればなれになったマリーとイルダを探すため、ルーチェと駆けた道だ。


「ルーチェー! いたら返事してくれー! けほっ」

「おい……」

「空気が冷えているせいだよ。ルーチェー!」


 呼べども呼べどもルーチェの姿は見えない。

 もしや戻る気がないのだろうか。


 この雪原に心を奪われて、自由の身になりたいと、思ってしまったのだろうか。


「少し休もう」


 ブレスを見上げてイルダが言う。従者の言うことは素直に聴いておいた方が身のためだ。

 大人しく頷き、栗毛の馬を降りる。


 道ばたの広葉樹に背を預け、座り込むと、イルダが〈加温〉で温めた、ミルクで煮出したミントティーを渡してくれた。


 湯気のたつお茶を飲みながら、ぼんやりと空を見上げる。

 とても数日前まで大吹雪が続いていた空とは思えない。


「空は高いな」

「ああ」

「天国って本当にあるのかな」

「……死ぬ予定でもあるのか」

「いや、無いけど。今のところは」


 そういえば根の国は本当にあったな、とぼんやりと過去の記憶を思い返す。


 アスラシオンとイルダに殺された時の話だから、流石に彼に話すわけにはいかないだろう。

 いまはまだ、早すぎる。


 冷えるせいかやたらと空咳が出る。

 魔力痛が治まっていなかったら、さぞかし苦しいことになっていたに違いない。


「……もう戻らないか」

「ええ? 出てきたばかりじゃないか。もう少し……今日一日くらいは」


 ルーチェが自由を望んでいるのだったら、それはそれでいい。寂しいけれど、仕方がないことだ。

 でももし違ったら。


 戻りたいのに戻れないでいるのだとしたら、いま見つけてあげなければこれまでの献身を踏み躙ることになってしまう。


「もしルーチェが戻りたくないと思ってたとしてもさ、帰る場所はあるんだってことくらいは伝えてやりたい。ありがとうの代わりに」


 立ち上がり、再び栗毛の馬に騎乗したブレスを見上げ、イルダは何も言わなかった。


 ただ黙って手綱を引くイルダの肩に触れて微笑し、ブレスは再び声を張って呼び続ける。




 空の色が変わり始めた頃、前方で雪煙が上がった。


 二本角の白い馬が、白い息を吐きながら、飛ぶようにこちらへ向かって走ってくる。


「あ……!……あれ?」


 ルーチェは一頭ではなかった。どこからやってきたのか、毛色も様々な二角獣の群れを率いている。


 呆気に取られつつ栗毛の馬から降りたブレスに、擦り寄るルーチェ。

 真っ白になった芦毛の二角獣はいつぞやと同じようにブレスの擦り傷を舐め、じっと大きな目で見つめて返してきた。


「……そっか。戻ってきてくれるのか。ありがと、ルーチェ」


 二角獣に囲まれて怯える栗毛の馬を宥めながら、イルダは微かに目を細めて笑う。


「それで、どうするのだ。この群れは、貴方の二角獣に付き従っているらしいぞ」

「なんだそれ。群れのボスになったのか? ルーチェはすごいなぁ」

「新参者に居場所を奪われたので、奪い返すために仲間を集めた、と言っている」

「へえ……うん?」


 ブレスは怪訝に振り返った。


「待て、お前……二角獣の言葉が解るのか?」

「多少は。ウォルグリア家は一応、宮廷魔術師の家系だからな。脈々と受け継がれたものがある」

「なんだその羨ましい能力は……」


 習得しようとして出来るものなのだろうか、とルーチェの首に突っ伏しながら脱力していると、珍しいことにイルダが声を立てて笑った。


 じっとりと振り返って従者を見つめるも、イルダの笑いは止まらない。


「……なんだよ、言いたいことがあるのなら言えばいいじゃないか」

「いや、貴方の二角獣が……」


 片手で顔を覆って笑い続ける従者に半眼を向けていると、十数頭の二角獣たちは次々にブレスの擦り傷を勝手に舐め、ブレスの影に飛び込み始めた。

 まるでルーチェと同じような強引さに、度肝を抜かれる。


「は……ええ!? ちょっと待て、こら、お前たち!」

「くっ……はは、ははは!」

「笑ってないでなんとかしろよイルダ!」


 結局全ての二角獣を飲み込んだ己の影を疲れた顔で見下ろしつつ、一頭だけ側に残ったルーチェの首を、ブレスは叩いた。


「ええと、なんというか、良かったな。お見合い相手がたくさん出来たじゃないか」


 優しかった目元が急に険しくなり、ルーチェは荒っぽく白いたてがみを振りながらブレスを睨む。

 鼻面で押されてよろめいたところを、イルダはすかさず支えてくれた。


「通訳をしようか?」

「……いいや、なんか怒ってるのは解るし」


 だって今、足を踏まれているもの。


 答えを聞いたイルダは笑いを堪えつつ、ルーチェに「いいな。揺らさずゆっくりとだ」と優しげに声をかけると、栗毛の馬に騎乗して言った。


「戻ろう、オリビア」


 その日以来イルダは変わった。

 一言で言えば、ブレスの友人になったのである。


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