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124話 卵の中身と浮気者

 

 フェインが明日の計画を練るべく、ターミガンとレシャを連れて部屋を立ち去ったその後。


 残されたブレスたちは、それぞれ物思いに沈みながら、共に時を過ごしている。


 マリーとリリカルは葡萄酒を飲みながら低く語りあい、エチカは不安げに彼女たちの話に耳を傾ける。

 ブレスは椅子に肘をついてぼんやりと暖炉の火を見つめながら、明日を想った。


「上手くいく」


 物静かなイルダの励ましに、ああ、と頷く。

 膝の上のミシェリーの喉を撫でながら、ブレスは苦く微笑した。


「……問題が増えていくな。国境を越えて彼らと合流して、ひとつ乗り越えたと思ったら、今度はテンテラか」


「貴方はあの竜とも親交があったのか」


「親交とは、少し違うと思う。でもテンテラが産まれたのは、かつて俺が暮らしていた町だった。その町で先生がテンテラを拾って、成り行きで一緒に旅をすることになって……ずっと一緒だったんだ」


 幼い頃から知っていた。その成長を、カナンの隣で見てきた。

 片手で顔を覆ってため息を吐く。


 あの竜の子が、我を忘れるほど嘆き悲しむ理由はなんなのか。

 マリーに聞かずとも、解るような気がした。


「フィー、何か食べにいこう」


 声をかけられて顔を上げれば、マリーたちがブレスを見ていた。


「あたしたち、朝からなんにも食べてないじゃない。明日は大変になるんだから、今の内に食べておかなきゃ。そんで、寝れるだけ寝とこうよ。体力勝負なんだからさ」


「……そうですね」


 促されて立ち上がり、よろめいてイルダに支えられる。

 たしかに疲れている。

 マリーの言うとおり、補給と休息が必要だ。


「ああ……あと着替えが欲しいな。イルダが言うにはこの服の銀孔雀、王家の徴らしいですから。兄さんと間違えられて着せられたんだろうけど、いまは目立ちたくない。あとで着替えを頼めるか、イルダ」

「はい」

「お風呂も入りたいよねぇ。けどま、それは冬を片付けてからかな。いまは食べて寝るのが先。ちょっと、そこのお姉さん」


 通りがかりの使用人に声をかけたマリーは、西の言葉で道案内を頼んたようだ。


 厨房近くの小部屋は、本来使用人たちが食事をとる休憩所のような場所だったが、堅苦しいのが苦手なブレスたちにとっては居心地のいい部屋だった。


 この状況では、生き物の命を摘み取る習慣がどうだのとは言ってもいられない。


 賄いの温かな野菜と鶏のミルク煮を食べて、内側から温まると、少しだけ元気を取り戻せた気がした。


 もう休もうとイルダに促されて立ち上がると、その時暖炉の炎がぱっと大きく燃え上がって派手に火の粉が散った。


 マリーの杯に葡萄酒を注いでいた女が仰天して声を上げる。

 蜂のようにぐるぐると飛び回るそれは、火の微精霊だった。


「ああ。そっか、足りなくなったら戻っておいでと言ったっけ。ナイフは……没収されたままか。だれかハサミとかナイフとか持ってません?」

「あるよ。ほれ」


 さやに収まった小さな短剣を、マリーが投げて寄越した。


 適当にひとつ結びにしてあった赤毛を切って差し出すと、火の微精霊たちは奪い合うようにブレスの髪に群がり、燃やし尽くして、再び暖炉に戻っていった。


 給仕をしていた女が、ぽかんと口を開けて薪を見つめている。


「……もう行こう、エミスフィリオ」

「そうだね。じゃあマリー様、エチカ、リリカル。また明日」

「おやすみフィー、眠れなかったら子守歌でも歌ってもらえばいいよ。ローレライにさ」


 なるほど、それは名案だ。


 頷いてドアに向かうと、心配そうに眉を寄せたイルダが、木製のドアを押さえてブレスを待っていた。


「イルダ、大丈夫だよ。そんな顔をするな。なにも死にに行くんじゃないんだから」

「ああ、解っている。私は……腹立たしいだけだ。仕える身でありながら側にいられない、己の無力さが」

「イルダにはイルダの役割がある。明日はレシャたちと共に、結界を張って皆を守ってくれ」

「……そのように」


 俯くイルダの肩に触れ、寝室に向かう。

 水桶に水を呼び、〈加温〉で温めてお湯にして、身体を拭うとベッドに潜り込んだ。


「やっぱりこの屋敷、いい寝具使ってるよなぁ」


 ふかふかで温かい。羽布団に潜り込んできたミシェリーが、いつも通り腹のあたりで丸くなる。

 イルダが影からスピカを呼び、歌を頼んだ。


「あら……まあ、お前ならいいわ。でも誰のためにでも歌う安い女だとは思わないことね」

「解ってるよ。助かる、ありがとうローレライ」

「スピカよ」


 困り顔のイルダの影から顔だけ出してそう言った彼女は、再び影に戻ると静かに歌い始めた。


 やさしい歌だ。

 人間の言葉ではないけれど、音に込められた想いは伝わってくる。


 いつのまにか落ちていった深い眠りの底で、ブレスは不思議な夢を見た。


 海のなか、こぽこぽと音を立てて湧き出る水泡を纏いながら、海の目をもつなにかがじっとブレスを見つめているのだ。


「君は何者だ……?」


 問いかければ、その生き物は不思議そうに首を傾げる。


『海のけもの。あなたといつも一緒にいる』

「一緒にいる?」

『近い内に生まれる。からをやぶって。あなたが海にいないのなら、しばらく影に匿ってほしい』

「……ああ、わかった」


 卵の子だ。白人魚マルガリーテースから約束の証に預けられた、あの白い卵。


 何の卵かは教えてくれなかったけれど、生まれた後は海に返すように言われている。


「海に返すまでの間だけ、影に隠れているといい」

『ありがとう』


 その生き物は海の目を瞬いて、しゅるりと長い身体をうねらせて夢の奥へと泳いでいく。


『お返しに、あなたを守ってあげる。影を借りる間の、少しだけ』


 生まれたての海のけものに、何が出来るというのだろうか。

 それでもその律儀さは好ましい。


 ああ、と呟くと、夢の中の海のけものは低く高く、クルルルと鯨のように歌った。




 またおかしな夢を見てしまった。

 夢を通じて接触されると疲れるのだ。


 ため息をつきながらぐるりと寝返りを打つと、黒猫が金色の目でじっとりとブレスを睨んでいた。

 どこからどう見てもお怒りの様子である。


「え……っと、なに? ミッチェ」

『お前を盗られたわ』

「はい?」

『お前を盗られたのよ! この浮気者!!』


 誰が何だって? ブレスは呆然とした。

 もしかしてこれは夢の続きなのではないだろうか。

 そうだ、そうに決まっている。


 大好きなミシェリーに浮気者だなんて不名誉な罵りを受けるだなんて、なんて悪夢だ。これはひどい。


 ブレスは見なかったことにして毛布をかぶった。

 きっともう一度目覚めれば、すがすがしい朝が──


「誤魔化さないで説明して!!」


 来なかった。

 人型をとったミシェリーに、容赦なく毛布をはぎ取られてブレスは呻く。


「なんてことだ……これは現実だったのか」

「それはこっちの台詞よ! わたしというものがありながら他の神聖な生き物の宿主になるなんて、いったいどういうつもり!?」


 猫の時と同じように腹の上に上られて、ぐはっと苦しい息を吐くが、黒髪を逆立てて怒っているミシェリーの意には介さなかった。


「おち、落ち着くんだ、俺はただ寝てただけじゃないか! この一晩の間に何が出来たって言うんだ?」


「わたしが知りたいわよ! ひどいわ、ずっと一緒にいるって言ったのに、どうしてよ! な・ん・で・な・の・よ!!」


 ミシェリーは一音ごとに、羽枕でばしんばしんとブレスを叩く。


 苦しいやら痛いやらわけが分からないやらで、腕で枕を防御していると、ドアがノックされてイルダが現れた。


「おは──……」


 尖った八重歯をむき出しにしたミシェリーに、のし掛かられているブレス。

 朝の挨拶の途中で固まったイルダは、はっと何かを察した様子で慌てて後ろを向いた。


「お、お邪魔しました、一時間後に来ます」

「違う!! 違うからイルダ、それは誤解だ!!」


 助けてくれ、と叫びながら必死に腕をのばすと、微妙に赤くなったイルダがものすごく困った顔で床を見つめながら振り返る。


「とにかくミシェリーをどかしてくれ!」

「あ、ああ……」

「触らないでっ! ふーっ、ふー……解ったわ、落ち着くわ、落ち着けばいいんでしょう、ふんっ」


 困惑顔で「いったい何があった?」と呟くイルダに助け起こされながら、ブレスは困り果てて首を振った。


 こっちが訊きたい。




「あのさフィー、なんで朝っぱらからそんなぼろぼろになってんの? 戦いはこれからなんだけど」

「それが解らないから、来てもらったんですよ……」


 呆れて半眼のマリーは、部屋の角でばりばりと爪を研いでいる黒猫をちらりと見、再びブレスに視線を戻した。


「で、なにやったわけ」

「何もしてません!」


 あまりにも分が悪い。マリーがはじめからミシェリーの味方だ。

 考えてみればそれはそうだろう。

 ミシェリーの前の宿主は、マリーだったのだから。


『浮気よ。浮気したのよ、サハナドール』

「……ほう?」


 ミシェリーの訴えを聞いたマリーの目が、虫けらを見る目に変わった。

 これはグサリときた。

 ヘリオエッタの三日月の徴に怯えられた時の、何倍もダメージが大きい。


「ちがう……違うんです、お願いですから話を聞いてください……」

「まあ、一応は聞いてやろう。言ってごらん。ただし、正直にね」


 全く信用が無かった。

 部屋のドアの辺りではらはらしながら見守っていたイルダが、恐る恐るといった様子で口を開く。


「あの……彼はずっと眠っていました。昨夜から今朝まで、部屋から一歩も出ていません。物理的な浮気は不可能だと思います」


 ありがとうイルダ。味方は君だけだ。でも物理的な浮気ってなんだ。限定しなくたっていいのではないだろうか。


 イルダの助け船に必死に頷きながら、ブレスはマリーを見つめる。

 冷え切った目が心に痛くてたまらない。


「イルダの言うとおりです。俺はただこの部屋で寝てただけで……」

『そうよ、寝てたのよ』

「へえぇそう。で、相手は誰?」

「寝てたってそういう意味じゃないですよ!? 文字通り、ただぐっすり熟睡してただけですってば……ただ、夢を通じて卵の生き物が話しかけてきただけで、それだけです」


 ゴミを見る目つきで話を聞いていたマリーの表情が、怪訝に変わった。


「なにそれ。卵って? あたし、そんな話きいてないけど」

「そういえばネモ様にしか話してませんでしたね……」


 激しく落ち込みながら、ブレスはマルガリーテースに託された白い卵の話をする。


 約束の証に預けられたこと、大切な生き物の卵であるらしいこと、孵化したら海に帰さなければならないこと。


 ふうんと話を聞いていたマリーは、「見せて」と言った。

 言われるがままに卵をしまっていた懐の袋を探る。


「……あれ?」


 卵は割れていた。つぶしてしまったのだろうか、と青ざめるも、中身らしきものはどこにもない。


 そういえば、もうじき生まれると言っていたっけ。

 ということは、あの海のけものはもう生まれてしまったということか。


 卵の殻の破片を見、触れて、すんすんとにおいを嗅いだマリーは、ひくりと顔をひきつらせた。


「……フィー……この生き物の宿主になったの?」

「なってません。海に返すまで影で匿ってほしいと頼まれたので、承諾しただけです」

「ってことは今、フィーの影にはこの卵の生き物が居るってこと?」

「……どうなんでしょうね?」


 試しに呼び出してみようか、と己の影を見下ろすと、マリーが大声で「やめて!」と叫んだ。


「いい、わかった、もういい。ミシェリー、これは仕方ないよ。フィーは悪くない。それにこの生き物を預かるのは一時的なことなんだろ? 海に返せばつながりは解ける。そしたらミシェリーはフィーと結び直せばいい。

 フィー、名前も血も与えてないんだよね? ぜったい名付けちゃだめだからね。ほんとに、この生き物だけは、だめ。わかった?」


「わ、わかりました。けど、結局これ、何だったんですか?」


「無理、言えない。たぶんこれ、兄上の差し金だし……下手なこと言ったらあたし……アハ、あたし今度こそ兄上に殺されるかも……」


 青ざめた顔でひきつり笑いを始めたマリーを見て、思わず唾を飲んだ。

 こんなマリーは初めてだ。


「よほどやばい生き物なんですね……?」


「うん、そうだよ。すごいやばくて、危険で、でもとても大事な生き物。フィーさ、カナンを正気に戻したらいっかい海に出てその子を放してきちゃった方がいいよ。ほんと危ないし、下手したらフィーが弾け飛んじゃうかも……あれ、でもなんで兄上はこの生き物をフィーに預けたんだ……あ……」


 怯えた顔から表情が抜け落ち、理解の色に塗り変わる。

 ばっと顔を上げたマリーは、茫然とブレスを見つめ、「助かる」と呟いた。


「フィー、助かる、助かるよ! テンテラは助かる! その子がいればあの竜の子は大丈夫だ! すごい兄上、天才! めちゃくちゃ苦手だけどすっごい頼りになる、さすが長男!」


 すごい、まったく意味がわからない。


 ひとりでなにやら感動しているマリーから疲れて視線をそらし、ブレスは部屋の隅っこの方でしっぽを膨らませているミシェリーを見つめた。


「ほらミッチェ、仕方ないってマリー様も言ってるよ……?」

『……ふんっ』

「ミシェリーさん……」


 まだ許してもらえないらしい。

 人生とは理不尽である。




 最愛の妖精に嫌われて志気はだだ下がりだが、それでも朝はやってくるし、本日の予定は変わらない。


 イルダが用意してくれた魔術師用の衣服に着替え、刺繍の入った高価そうな深緑のローブを纏い、伸びた赤毛を後頭部でひとまとめに縛る。


 落ち込んで暗い顔をしている弟の顔をみたフェインが、心配そうに「君ならばきっとやり遂げる」と励ましてくれた。


 しかし違うのだ。

 不安や緊張は今朝の事件のおかげで吹き飛んでしまった。

 それでもブレスは兄の言葉に頷く。


 好きな子に浮気者扱いされて凹んでいるだなんて、こんな大勢の魔術師の前で言えるわけがない。


「では、行くよ」


 かき集められたウォルグランドの魔術師の数はおよそ二百。

 帝都で結界を張っている魔術師や、女や子供は抜きにした、いま動ける最大数の精鋭たちだ。


 フェインは凛と顔を上げ、少しの躊躇いや戸惑いも無く飛び立った。

 次々に追従して飛びたつはためく黒ローブを見上げながら、マリーが頷く。


「さ、じゃああたしたちも行こっか、フィー」

「……はい。マリー様」



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