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123話 竜の嘆き

 

 すべての話を聞き終わったふたりは、呆気にとられて固まってしまった。


「え、じゃあなによ。全然逃げる必要なんか無かったってこと?」

「いえ、あの状況では逃げて正解でした。彼らは完全に、アスラシオンを本物だと思っていましたから」


 逃げなければイルダが殺されていた。フェインに化けていたのがマリーで、本当に良かったと思う。


「イルダはターミガンと親戚なんだろ。剣を合わせて彼と向き合った時に気づかなかったのか?」

「いいえ。あれが叔父だったのなら、叔父も顔を変えていましたから。私には帝国の武人にしか見えませんでした」

「てかさ、フィーはなんでその男と屋敷で会った男が同一人物だってわかったわけ?」


 言われてみればその通りだ。帝国人はみな黒髪か焦げ茶色の髪をしている。

 骨格も違うし、顔立ちだって違う。


 あの場にいたターミガンがあのくすんだ金髪で立っていたのなら、さぞし目立つだろう。

 本人も言っていた。〈変貌〉の魔術で顔を変えていたと。


「……なんだろう。目かな。目が同じだったから……それに壁際に妙な男がいると思ってずっと気にしていたから、印象に残っていたのかもしれません。逆に目以外の印象があんまり残ってないですね。だから判ったのかも。勘かな」

「ふうん……」


 マリーが首を傾げながら思案げに相槌を打つ。

 なんにせよ、とイルダは言った。


「叔父とフェイン殿下が合流できたのならば、何よりです。これでエトルリアのネモ殿も、ひとまず安堵できることでしょう」


「ああ、そうだね。そういやぁ今日の定時連絡してなかったや。今のうちに済ませてしまおう」


 それはさぞかし胃の痛い思いをしていることだろう。

 ネモを気の毒に思いつつ、ブレスは自分の腕輪をひとつ外した。


 懐から顔をだしたミシェリーが、服のなかから抜け出して伸びをする。


 手のひらの腕輪をじっと見つめながら少しの間考えて、〈遮断〉と〈目眩まし〉と〈呪い返し〉、それから〈目〉と〈耳〉、〈治癒〉と〈蘇生〉を次々に横並びに刻印していく。


 仕上げに「絶対に見つからない」と言霊を吹き込んで、刻印が金色に染まったその腕輪を、イルダに差し出す。


「身につけていてくれ。護りの魔術具があれば、離れていても少しは安心できる」

「オリビア様……」

「あ、あとオリビアの名は伏せておいて欲しいんだ。いま兄さんの弟だってバレるとさ、自由に動けなくなっちゃうから」

「では、なんと?」

「行き倒れていたところをフェイン様に助けてもらった雇われの魔術師、エミスフィリオ」

「……一族の者がそれを信じるとは思えないが、わかった」

「助かる」


 顔を見合わせて互いに苦笑を浮かべ、ふたりでマリーとネモのやりとりが終わるのを待つ。


 〈耳〉の向こう側のネモは、状況を把握して心の底から安心したようだった。


 国境を越えることを伝えたのを最後に連絡が途絶え、もしや全滅したのではないかと気を揉んでいた彼は、生きた心地がしなかったと言う。


「トラブルはあったようですが、なにはともあれ……えー、ご帰還おめでとうございます、青年」

「……問題はこれからですけどね」

「ええ。ですが、ひとつめの課題を乗り越えられたことを、まずは喜びましょう」

「はい、ネモ様」


 敬称(さま)はつけずとも結構、と言ってネモは通信を切った。

 そう言われてもブレスにとって、ネモ様はネモ様だ。


「じゃあ行こっか。その、えーと誰だっけ? ナントカっていうイルダの親戚の屋敷に」

「ターミガンですよ、マリー様」

「そうだったねぇ。ああそうだ、ねえイルダ」


 外套を着込み、家のドアを開けたイルダが振り向く。


「そのナントカさんに何を言われても、イルダの今の主人はフィーだってことを忘れちゃだめだよ」


 だからターミガンですって、とぼやきながら再び外套を着込み、ミシェリーをしまう。


 イルダは考え込んだ様子でしばらく立ち止まっていたが、やがて「はい」と頷いて外に出た。


「……なんです? 今の」

「んーん、なんでもない。こっちの話」


 釈然としない。「早く案内してよぉ」というマリーの声に急かされて外に出てみれば、雪は激しさを増していた。


 強風に混じって悲しげな竜の鳴き声が耳を掠めていく。

 背後を振り向いたマリーが、ああ、と寂しそうに呟いた。


「そっか……あの子、知ってしまったんだ」

「……行きますよ、マリー様」


 なにをと訊ねたところで、いまは答えてはくれないだろう。




 屋敷に戻った時には、三人とも外套に雪が積もっていた。


 出た時のように窓から入ろうか、それもと門から入るべきかと迷っていると、見張りをしていたらしい魔術師が降りたって、ブレスの赤毛とイルダの顔を確認すると門を開けて通してくれた。


 〈変貌〉の魔術が使える者が溢れかえっているこの国にしては、警備が甘すぎるのではないだろうか。


 思わず懸念を口に出すと、それを聞いたイルダはいいえと首を振る。


「あの者はオリ──エミスフィリオの服装も見ていた。王族に近い者のみが身につけることを許される銀刺繍の孔雀を見て判断したのだろう。顔を変えることは出来ても、服を変えることは出来ない」


「へえ。ってことは俺に完全に成りすますには、俺を殺して服を奪わなきゃいけないのか。なにそれ、つまり裸で死ぬってこと? うわぁ、それはいやだなぁ」


「あのさぁ、どうでもいいんだけど、そういう問題?」


 にへらっと半笑いを浮かべるマリーに、「万が一そうなった場合は私が脱ぎますので」と言ったイルダは本当に真面目だと思う。


 妙な会話を聞いてしまったらしい案内人の若者が、一瞬だけ変人を見る目で振り返った。

 気持ちは解る。


 気づかなかったふりをしつつ、カナンの血の作用で不老不死になってしまった可能性があることを今更のように思い出した。


(……本当に死なないんだったら、無茶できるけど……)


 こればかりは一度致命傷を負ってみない限りは、判らないだろう。

 軽率に試して、今度こそ死んでしまったら、目も当てられない。




 案内人の男に導かれ、フェインたちと再会した。


 応接間らしきその部屋には、レシャもいる。

 一瞬本物だろうかと疑ったが、イルダを見つけた時に浮かんだ安堵の表情を見て、すぐに本物だと判った。


 共に旅をしてきた仲間たちのなかにターミガンが混じっている。

 この男はお目付役かなにかなのだろうか。


 ウォルグリア家は王家に仕える宮廷魔術師の家系だから、フェインに次いで地位のある人物ではあるのだろう。


「イルダ」


 ターミガンが甥に呼びかける。

 イルダは目を伏せたまま歩み寄り、ひざまずいて低く告げた。


「ただいま戻りました、叔父上。国境門での件は、なんとお詫び申し上げれば良いか」

「よい。立て、イルダ。私は甥の成長を喜んでいるのだ。よくぞ無事に戻り、フェイン殿下を連れ戻してくれた」

「……いえ。私は……」


 苦しげな声だった。ブレスははっとして顔を上げる。

 先ほどマリーがイルダに掛けていた言葉の意味は、これか。


 一度は闇に落ち、フェインを裏切ったイルダにとって、ターミガンの言葉は古傷に障る。

 けれど、罪悪感に負けて裏切りを告白してしまえば、ターミガンはイルダを許さないだろう。


 今の主人であるブレスに仕え続けるために、己の葛藤を殺せるか。


 イルダは一度目を閉じ、ふっと息を吐いた。

 背筋を伸ばして立ち上がり、いつも通りの静かな表情でまっすぐに己の叔父を見つめ返した。


「父上の意志をレシャと共に受け継ぎ、戻って参りました」

「それでこそウォルグリア家の者。誇りに思うぞ」


 満足げなターミガンの声に、イルダは黙礼する。


 ブレスは目を伏せた。イルダは押し殺したのだ。

 どうしていつも彼ばかりが、心を殺さなければならないのだろうか。


 皆が椅子に腰を下ろすと、使用人が外から戻ってきたブレスたちのために熱いお茶を淹れてくれた。


 相変わらず部屋全体を見渡せる位置に立っているターミガンが気になって仕方がないが、とにもかくにも明日のことは話し合わなければならない。


 やれやれ、と脚を組んだマリーは佇む男を居ないことにして、「それじゃあ明日の話をしようか」と気怠げに言った。


「明日、カナンを止める。もうこれ以上あいつを暴走させておくわけにはいかない。たぶんカナンを止めるのはなんとかなると思う、あたしとフィーがめちゃくちゃ頑張ればね。ただ、あの子……竜の子は、もしかしたら駄目かもしれない」


「駄目? テンテラが駄目って、どういう意味ですか?」


 ブレスはテンテラが幼体だったころから知っている。

 カナンと旅を始めたころから、あの竜の子供ともずっと一緒だった。


「あの子はね、きっと二度目の脱皮をしたときに、未来を知る力を授かってしまったんだろう。ずっと泣いているんだ。

 見たくなかった、知りたくなかったことを知ってしまって、あの子はいま絶望してる。

 力尽きるまで、死に絶えるまで、きっとあの子は止まれない。絶望を帳消しに出来るような奇跡でも起こらない限りはね」


「よろしいか」


 ターミガンが口を挟んだ。


「話を聞くに、あなた方は西を滅ぼさんとするあの白髪の男と竜が、何者であるかを知っておられると?」


「ああそうだ。悪いんだけどさ、話の邪魔しないでくれないかな」


 ちらりと億劫そうに金色の目を向けて、マリーがおざなりに答える。

 フェインが困った様子で「ターミガン」と呼びかけるが、男は耳を貸さなかった。


「それは承服しかねる。あの生き物は我々の国土を脅かしているのだ。帝都を滅ぼすならばまだしも、被害は広がり続けている。私は責任者として真実を知る権利がある」


「……おい、人間」


 マリーの纏う空気が変わった。

 金色の両眼が爛々と輝き、獲物を見つけた肉食獣のようにターミガンを凝視している。


 フェインと双子は身体を強ばらせた。エチカとリリカルは心配そうにマリーを見つめている。ブレスは黙って茶を啜った。慣れの差だ。


「邪魔をするなと言っているのが解らないのか。もはやいち個人の権利がどうだのと言っていられる段階じゃあないんだ。こんど話の邪魔をしたら、お前の首を食いちぎるよ」


 その言葉に、僅かにターミガンの顔色が変わった。

 きっと彼はフェインに化けていた巨大な熊が誰であったのかを察したのだろう。


 押し黙ったターミガンから目を背け、マリーは豪奢な赤毛をかきあげて不機嫌そうにため息をついた。


「どこまで話したっけ?」

「テンテラが見たくない未来を見てしまって絶望した、ってところまでです」

「ああ、そうだったね」


 マリーは気を取り直してお茶を一気飲みし、からのカップをコンと置いて話を続ける。


「あの子が何を見てしまったのかは、思念が繋がっているカナンを引きずりおろしてからじゃないと解らない。まぁだいたい察しはつくけど……とにかく、明日はカナンをテンテラから引き剥がすことだけ考えよう。

 テンテラを止めるのはカナンを正気に戻してからだ。じゃないと人死にが出る。さすがにあたしも、地上の被害を気に掛けながらあいつと竜の子をいっぺんに相手にするなんて、器用なことは出来ないからね」


 はあ、とため息をつき、マリーは目を閉じた。


「フィーには悪いけど、一緒にいてもらうよ。フィーの声だったら届くかもしれない。ちゃんと生きてるって、少しでも伝われば……」

「もちろんです」


 カナンはブレスを助けるために堕天し、翼をもがれ、力の制御を失った。

 助けてもらったのだから、今度はブレスがカナンを助けなければ。


 迷いなく頷いたブレスにちょっと微笑みかけて、マリーはくるりとフェインに顔を向けた。


「フェイン。お前たちウォルグランドの魔術師は、もういっかい強い結界を張ってなるべく狭い範囲にカナンたちを閉じこめておいて。

 あといまさらだけど、あの辺りにもし人間がまだ残っているんだったら、なるべく壁の外に逃がしてやって。

 てかさぁ、帝都の宮殿はなんで無事なわけ? おかしいだろ、どんな石で城を建てたら竜の息吹に耐えうる仕上がりになんの?」


 視界の端で、ターミガンが無言のまま人差し指を上げた。発言の許可を求めている。


 じろりとそちらを睨んだマリーは、仕方がなさそうに「許す」と答え、仏頂面で頬杖をつく。


「帝都の城は内側から強力な魔術によって護られている。囚われた我々の血縁者と、他国の有力な魔術師、それから魔女」


 魔女、と聞いてエチカがはっと顔を上げた。


「マリー様、もしかしたら……」

「そうだね。そうだったよ。そっちも居たんだった。あああ、もう!」


 やけになったマリーがイルダの茶を奪って一息に飲み干し、「お茶じゃだめだ、酒もってこい!」と女神らしからぬことを言った。


 事情を知らないターミガンは、見てはいけないものを見てしまったような顔でそっと床を見つめている。


 きっと彼の周囲には、お行儀のいい女たちしか居なかったのだろう。


 帝都の宮殿には、影の魔女がいる。

 エチカの育ての親であり、マリーの闇でもある影の魔女は、マリーが向き合わなければいけないもうひとつの脅威なのだ。


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