122話 手荒い歓迎
風の精霊に呼びかけて魔力の糸を辿る。
エチカやフェインたちの身体にはいま、ブレスの〈加温〉の刻印が残っている。
自分の魔力を辿ることはそう難しいことではない。
行く手を阻む者が、居なければの話だが。
「邪魔しないでください。手を……手を離せ!」
部屋を抜け出すなり扉を護っていた男に引き留められ、振り払い、廊下を歩いていると「なぜここに?」という顔の男たちに引き留められ、振り払う。
言葉が通じないので話が出来ない。不便だ。
だれか中央の言葉が解る者はいないのか。
群がってくる人々は口をそろえてブレスにフェインと呼びかけてくる。
本物のフェインはアスラシオンの部下に化けていたから、間違いなく運ばれて来たはずなのに、どうして姿が見えないのか。
ブレスの変装が解けているのだからフェインの変装だって解けているはずだ。
「だから私は、フェインじゃないんですってば!」
「正直で結構。それとも愚かと言うべきか」
聞き覚えのある声が背後に立った。
反射的に跳びすさって手のひらに魔力を構える。あの時、壁際でじっとブレスたちを見つめていた、暗緑色の鋭い目の男が立っていた。
「……中央の言葉がおわかりになるのですね」
「王家に仕える者として、その程度の教養はある」
「王家に仕える者……? では貴方は、ウォルグリア家の方ですか?」
剣呑に細められる男の目。
「それを知っている貴様は何者だ?」
「ついさっき首を刎ねようとした貴方を信用して、こちらの身の上を明かせと?」
「……なに?」
初めて男の目が揺らぎ、疑い以外の感情が映った。
慎重に距離をはかりながら、ブレスは尚も周囲に視線を走らせつつ、逃げ道を探す。
「国境の関所にいたでしょう。貴方が真っ先に剣を向けたあの時の帝国人が、私です。水鏡の魔術師イルダの力で変装して、なるべくことを荒立てずに帝国に侵入する予定だったんですよ。貴方が暴れ始めたせいで、こちらの計画はめちゃくちゃだ」
半分くらい嘘だ。揉めることも考慮していた。
とはいえ強行突破は最終手段だったので、半分くらいは真実とも言える。
「……水鏡の魔術師イルダ。レイダの息子か」
「ええ」
「どれが、そうだった?」
「アスラシオンが彼でした」
男は沈黙した。
数秒の間を開けて、やがて男はくつくつと笑い始める。
してやられた、という表情で額を押さえ、最後には心底愉快そうに笑い声を上げる男を前に、ブレスは顔をしかめた。
何がおかしいというのだ、何が。
「そうか、それは申し訳なかった。まさかそんなことが……あれがイルダだったか。なにか妙だとは思っていたが、そうか」
「……あそこにいたのは、みな仲間です。彼らはどこですか」
「ああ、案内しよう」
突然ものわかりが良くなった相手に面食らいつつ、男について屋敷を歩く。
ウォルグリア家の人間であるのならば、信用してもいいのだろうか。
いいや、迷うくらいならば疑っておこう。
やがてたどり着いたのは地下牢だった。
よりによってこんな冷え切った場所に閉じこめられていただなんて、腹が立って仕方がない。
全員魔術が使えるからいいものの、一般人だったら凍えてしまうだろうに。
「……あ」
奥にぼんやりと灯った明かりを見つけて、ブレスは駆けだした。
小声で話しているエチカと嵐の魔女リリカルの声が聞こえる。
元気そうだ。
「待って、誰か来たみたい……え? あ、フィル!?」
「フィー! 助けにきてくれたんだね!」
ぽかんと口を開けたエチカと、鉄格子を掴んで囚人のポーズをしているリリカル。
その奥の壁際で、腕を組んで壁に凭れたフェインが、苦笑を浮かべて佇んでいた。
ああ、無事だったのか。
ほんとうによかった。
「嵐の魔女、すみませんがちょっと離れてください」
「はーい」
気の抜けた返事とともにリリカルが下がる。
触れた鉄格子に〈腐食〉を刻印すると、鉄格子は自重に耐えきれずにかってに崩れ落ちた。
「待たせてしまってすみません、兄さん」
「いいや。想定よりも、ずっと早かったとも」
フェインは柔和な笑みを浮かべて答えた。
ほっとして力が抜けたブレスの背後に、水色の両眼がつと動く。
「やあ、ターミガン。まさかお前の屋敷の地下牢に閉じこめられる日が来ようとは、思いもしなかったよ」
「……フェイン殿下。申し開きもございませぬ」
その場でひざまずいて首を垂れる男を見下ろし、フェインは可笑しそうに笑った。
知り合いだったらしい。
暗緑色の目に、くすんだ金髪。上背があり、年齢は四十をこえた程度に見える。
猛禽類を思わせる鋭い目つき。その男の呼び名は、白雷の魔術師ターミガン。
話を聞いてみればレイダ・ウォルグリアの実の弟で、イルダとレシャの叔父だった。
現ウォルグリア家の当主であり、鉄壁の男として恐れられているらしい。
だとすれば何故あの場にいた双子やフェインは、この男の存在に気づかなかったのか。
地下牢を出、彼らと共に屋敷の廊下を歩いていると、すれ違う人々がそろって首を垂れて道を開けた。
ブレスは猫のミシェリーを抱いて歩きつつも不機嫌である。
関所での騒ぎに加担した魔術師によって「不審物」扱いされたミシェリーは、魔術具〈封じの鳥かご〉に閉じ込められる際に相当抵抗したらしく、毛並みがボサボサになっていた。
まったくもって許し難いことだ。
「すぐに客間を用意させます故、ひとまず応接間でお寛ぎ下さい」
ターミガンはそう言うが、ブレスには寛いでいる暇などない。
フェインも同意見だったようだ。ターミガンの言葉を遮り、いや、と首を振る。
「それよりも状況を把握したい。なぜお前が国境門にいた」
「それは勿論、殿下の帰還を見逃さずに待つためです。ひと月半程前でしょうか、あの漆黒の竜が帝都に現れ、帝国が恐慌に陥ったのは」
ターミガンはその混乱に気づくやすぐさま事に乗じて、国境警備の兵を全て己の手の内の者にすげ替えた。
レイダと違い、表向きは帝国に従順であったターミガンだからこそ出来た暴挙である。
後に、兵の遁走を防ぐために皇帝か人材を寄越したが、ターミガンは寄越された兵士達の顔を〈変貌〉で写し取り、己の手の者の顔を変えた。
本来国境警備の任に着くはずであった帝国の兵は、逃げたいものは記憶を改ざんして逃がし、刃向かったものは処分したという。
つまるところ、あの場にいた国境警備兵はすべて同胞だったのだ。
〈変貌〉の魔術で、互いに化かしあいをしていたのである。
道理でアスラシオンの正体を知ったターミガンが笑うわけだ。
「殿下は帰って来られた。しかし、あの姿を目にした時には肝が冷えましたぞ。甥に支えられ、立つのもやっとの様子で……正気すら失っているように見えた。みな、生きた心地がしませんでした」
「ああ。あれは、そういう演出をした方が真実味が出るだろうと、秋の──……」
話しているうちにやっと思い出してくれたらしいフェインの後頭部を、ブレスはじっとりと睨む。
帝国人の捕虜として攫われたブレスたちはまだ良いとして、アスラシオンに化けたイルダは魔術師たちに捕まっていた。
そしてあの時、傷ついたフェインに化けていたのはマリーである。
どこからどう見ても死にかけのフェインを見事に演じて見せたマリーの行方も、知れぬままだ。
「……ターミガン、あの時私とアスラシオンに化けていた者たちは、どうなった?」
恐る恐るといった様子でフェインが問う。
ターミガンは遠い目をした。
「変装しておられた事を聞くまで、全く訳が分からなかったのですが。あの国境門でアスラシオンを取り押さえ、フェイン殿下の身柄を保護したかと思いきや、そのお姿が突如として巨大な赤い熊に変わり……」
嵐の魔女が吹き出して笑い、気まずげにげふんげふんと咳払いをして誤魔化した。
「なにかの呪いでも受けていたのかと騒然となった隙をついて、巨大な熊にアスラシオンが跨って逃げて行きました」
「……なるほど」
微妙な間を開けてフェインが頷く。
笑いを堪えているらしく、肩が小刻みに震えている。
「マリー様が一緒に居るのならばひとまず安心ですね。ですが、イルダを探さなければ」
ミシェリーの毛並みを整えながら、ブレスは低く呟く。
ちらりと振り返ったターミガンが、「失礼ですが、そちらの方は?」とフェインに訊ねる。
「ああ、彼は私の……」
「雇われの魔術師です。道中、縁あって拾っていただきました」
フェインの言葉をさえぎってブレスは言い張る。
振り向いたフェインが物言いたげに眉を下げるが、「今はそういう事にしておいて下さい」と頼み込むと、仕方なさそうに頷いてくれた。
ターミガンが納得したかどうかは、さて置き。
「イルダとマリー様を探してきます。彼らは事情を知らない」
この極寒の冬の世界に、あのふたりを放り出しておく訳にはいかない。
通信手段である〈耳〉の石は、捕まった際にすべて取り上げられて処分されてしまった。
「……そうか、わかった。気をつけるのだよ、エミスフィリオ」
「はい、フェイン様」
意を汲んでくれた兄に微笑し、ブレスはミシェリーを懐にしまい、窓を開ける。
王族の生き残りであると知れれば、ターミガンはブレスを外に出してはくれないだろう。
「フィル、そのまま飛んだら目立つし寒いでしょう。わたしの外套で良ければ使って」
「ありがと、エチカ」
毛織物の外套を頭から被り、脱げないようにピンで止めると、ちょうどいい雪避けになった。
「見つけられなくとも、夜には一度戻ります」
言い残して、ブレスは窓から飛び立った。
〈防水〉に〈加温〉、風の盾で正面の雪を防ぎつつ、二角獣ルーチェに跨って雪の中を駆ける。
魔獣であるルーチェは極寒の冬でもへっちゃららしく、備え持った謎の探知能力を頼りに元気に雪原を走っている。
キュルルルル、と聞きなれない獣の鳴き声が響き、ブレスは頭上を見上げた。
竜の影はない。姿は見えないけれど、テンテラのその鳴き声はどこか悲痛で、なにかを嘆いて泣いているように聞こえる。
「……どこにいるんですか、先生」
本当ならば、今すぐにでも探しに行きたい。
けれど、無策では敵うまい。
不用意に制御を失ったカナンとテンテラに近づけばどうなるかなど、火を見るより明らかだ。
マリーと合流し、策をねらなければいけない。挑むのは明日以降になるだろう。
ルーチェが足を止めたのは雪にうずもれた小さな家だった。閉められたカーテンの隙間から僅かにあかりが漏れている。
「オリビア様!!」
ドアを叩く前にイルダが飛び出してきて、ブレスの両肩を掴んだ。
心配してくれていたことが一目で判る必死な様子に、ブレスは「怪我はないか」と安心させるように笑ってみせる。
「は……刃を受ける前に秋のお方が助けて下さったので、肩の脱臼くらいで済みました」
「それを怪我がないとは、言えないな」
「貴方が無事でよかった。なんとか貴方の変装だけでも解こうと腕を伸ばして魔力を流したのだ。赤毛だとわかれば、殺されはしないだろうと思い……」
そうか、それで皆より先に変装が解けたブレスの赤毛を見て、彼らはブレスがフェインであると勘違いをしたのだ。
それにしても、イルダには本当に損な役割を押し付けてしまった。
とにかく大怪我をしていなくてよかった、と安堵の息を吐いていると、イルダの背後から不機嫌そうにマリーが顔を出した。
「なにさぁ。アスラシオンは処刑一歩手間だったんだからね。首を刎ねられるのに比べたら、肩が外れるくらい無傷みたいなもんだろ」
「でもマリー様、兄さんから熊に変身したって聞きましたよ。実はタイミングを見計らっていたんでしょう?」
「…………まぁね?」
ペロッと蛇舌を出しておどけるマリーに苦笑が浮かぶ。
奴らめちゃくちゃ驚いててすごい面白かったよ、ていうかなんでそれ知ってんの、と騒ぐいつも通りにお喋りなマリーに笑いながら、ブレスは小さな家のドアを閉めた。
何も知らないふたりに、事情を話さなければなるまい。