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120話 真名の護り

 

(これは怒っているなぁ……)


 振り返ってもくれないエルシェマリアを前に、ブレスは途方にくれた。


 この妹は怒りをため込むと、たとえ相手がフェインであろうとも容赦なくひとを呪う。


 ここが夢の世界でよかった、と思いつつ、ブレスはゆっくりと妹の夢の扉を閉めた。


「ごめんね、エル。忙しくて会いに来られなかったんだ」

「本当にそれだけ?」

「……えー、うん、そうだよ」


 嘘である。

 忙しかったことは事実だが、この妹の存在を忘れてしまっていたこともまた事実。

 多忙だけが理由ではない。とは言え。


「エルだって来てくれなかったじゃないか」


 ブレスがエルシェマリアの夢を訪問したあの日、彼女は言ったはずだ。

 来てくれなかったら、わたしから行く、と。


 苦し紛れにそれを指摘すると、エルはぴたりと動きを止めた。

 (まき)の上を駆け回っていた三羽のウサギが、弾け散って炎に戻る。


「行ったわ」


 やがてエルは小さな声でそう言った。


「わたし、ちゃんと行った。でもドアは無かった。在ったのは、死んだひとのドア枠だけ」


「死んだひとのドア枠……?」


「そうよ。夢の扉は、所有者が死ぬと消えてしまうの。ドアが消えて、からっぽのドア枠だけ残って、そのうち誰か別のひとのドアになるの。わたし、それでも諦めないで一週間くらい通ったわ。でも、ドアは現れなかった」


 魂が体に収まっていない状態では夢は見れない。

 ブレスはエトルリアで死に、カナンの血の作用で肉体が蘇った。


 そして根の国で動けなくなっていたブレスの魂をミシェリーが連れ戻してくれたのがその二十日後であったというから、妹はその二十日の間に訪ねてきた、ということだ。


 なんとも間の悪いことである。


「あなた、誰なの?」


 相変わらず振り返らないエルシェマリアが、感情のない声で問う。


「死んだ人間は生き返らないのよ。あなた、わたしの知っているフィルじゃないんでしょう?」


 まさか死んで蘇ったとは言えない。

 カナンの血の秘密に触れることは禁忌なのだ。


 困り果てたブレスが言葉を探して黙り込むと、エルの波打つ赤毛がざわりと蠢いた。

 これは相当に機嫌が悪い。


「誰なの。あの男が寄越した、にせもの? わたしを騙そうとしているの? ねえ、あなた、わたしを殺しにきたの?」


 既視感だ。以前にもまったく同じ事を言われた気がする。

 場違いに懐かしさを覚えて、思わず苦笑が浮かんだ。


 あの時はそう、たしかこう答えたのだ。


「どうして?」


 怒ったミシェリーのように膨らんでいた赤毛が大きく揺れ、エルはやっと振り向いてくれた。


 フェインと同じ水色の目に涙をためて、エルが毛布を脱ぎ捨てて飛び込んでくる。


「なんで死んだの。どうして生き返ったの。生き返ったのだったらどうして訪ねてきてくれなかったの。フィルのばか。いじわる、最低」


「……ごめんね、エル。君が無事でよかった」


「うるさい。わたし、ずっと待ってたのに。言われたとおりに、兄様の邪魔にならないように、ずっとひとりで我慢してたのに。いつかフィルが助けに来てくれるって信じてたから、待ってたのに。なのに死んじゃった……フィルが死んじゃった……」


 雨に打たれて弱った子猫のような、弱々しい妹の泣き声にたまらなくなった。


 必死にしがみついてくるエルの薄い背中を撫でる。

 罪悪感と愛しさが同時に溢れかえって、なにも言葉にならなかった。


 しばらくそうして泣きじゃくっていたエルは、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら赤い目でブレスを見上げた。


「生きてるの。ほんとうに、ちゃんと生きてるの?」

「うん。大丈夫だよ、安心して」

「どうして?」

「うーん……それはちょっと、言えないんだけど」


 うっかりばらしてしまったらサタナキアに消されてしまうかもしれない、世界の秘密だ。


「でも、今日はいいことを話すためにここに来たんだ」

「いいこと?」

「ああ。絶対に誰にも言ってはいけないよ」

「わかったわ」


 毛皮の敷物に膝をつき、ブレスは妹と視線を合わせる。


「近々、君を助けに行く。君の兄さんたちと一緒に」

「本当に?」


 エルの瞳がきらきらと輝く。頷きながら、ブレスは続ける。


「でも、とても危険だ。戦いになると思う。それにエルは、皇帝に名前を知られているだろう? 真名を知っている魔術師に呪いをかけられると、最悪の場合……」

「死ぬのよ。知ってる」


 言葉を選んでいるうちに、当たり前のように言ってのけた妹に、ブレスは思わず笑ってしまった。

 さすがウォルグランドの王女だ。強い子だ。


「じゃあわたし、フィルに助けてもらえるけど、呪われて死ぬってこと?」

「エル、そうならないように君を訪ねて来たんだ。君の名前のすべてを教えてくれたら、君を真名の呪いから守ってあげられる。もし君が、俺のことを信じてくれるのなら」

「シャウラよ」


 エルシェマリアは即答した。


「わたしの隠し名はシャウラ。名前はシャウラ・エルシェマリア・ウォルグリシア。これでいい?」

「……全然迷わないんだね?」

「だって約束したもの。守ってくれる、助けにきてくれるって」


 ひとかけらの疑いもない水色の目。この目に見つめられると、何が何でも助け出さなければ、という気になってくる。


 シャウラ・エルシェマリア・ウォルグリシア。

 エルの真名を呟き、ブレスは目を閉じて己の胸の金色の星に触れる。


「いまから君の魂に直接、護りの魔術の刻印を施す。目を閉じてじっとしていて。いいね」


 こくんと従順に頷く妹の額に右手をあて、左手でエルの手を握る。


 きゅっと握り替えしてくる妹の指先の熱を感じながら、ブレスはできる限りゆっくりと、己の魔力をエルに流した。


 魂への直接の刻印は初めてだ。

 そもそもそんなことが出来るのかさえ、定かではない。


 けれど、マリーは出来ると言っていた。

 そしてカナンや魔女たちの話を聞いたブレスは、魔術の発動条件を知っている。


 どれだけ信じ込めるか。

 どれだけ鮮明にイメージを描けるか。

 どれだけ必要としているか。

 そして、世界を従わせて作り替えるだけの力と意志が、己に在るか。


(……出来る)


 確信が形となり、流れていった魔力が刻印となる。


 手を触れている額と指先から、護りの印が流線形の模様となってエルシェマリアの体中に広がっていった。


 とぎれることのない刻印の線が少女の体を一巡りして、最後に額で結びつく。

 ひと繋ぎとなった淡い金色の光を放ち、その刻印は完成した。


 魔力の流れが止まったことを感じ取ったエルが、目を開けて呟く。


「きれい……」

「うん。会心の出来だ。もしかしたら、エルの印が俺の最高傑作になるかもね」


 必ず助けに行くから、と約束をして、ブレスは己の肉体に戻った。




 ふっと息を吸い込む。


 夢渡りの後の倦怠感は相変わらずだ。

 この魔術は、ブレスにはあまり向いていないのかもしれない。


「……ああ……」


 凝り固まった背中と肩と首をのばし、ため息をひとつ。

 タイミングを見計らったかのように、大きくてもふもふであたたかい黒猫が、ブレスの膝の上に乗る。


『抱き枕にしていいわよ』

「ありがと」


 甘やかしてくれるひとがいるということは、幸せだ。

 夜明けまで、あと数時間は眠れるだろうか。


 魔術師の黒ローブを毛布代わりにしてくるまり、黒猫を胸のあたりに抱え込んで、皮鞄を枕にごろりとその場に横になる。


 妖精の癒しの力のおかげか、それともミシェリーに対する安心感のためだろうか。

 夢渡りの後にしては、満ち足りた眠りとなった。




 翌朝、ミシェリーの肉球に頬をたたかれて目覚めると、なぜかイルダにのぞき込まれていた。


「──ッ!」


 大地に倒れたブレスを血走った暗い目で見下ろしていたあの時のイルダが重なり、反射的にのけぞったところを、石の壁に後頭部を打ち付けて悶絶する。


「いッ……たぁあ……っ」

「フィー、なにやってんの?」


 涙で滲んだあきれ顔のマリーの顔を見上げ、なんでもないです、とブレスは誤魔化し笑いを浮かべた。


「すみません、寝過ごしました?」

「ううん、大丈夫。いつも早起きなのになかなか起きないから、どうしたのかなって思っただけ。ね、イルダ」

「……そうですね」


 なんてことだ、イルダが落ち込んでいる。


 ぶつけた頭をさすりながら起き上がり、おはようとイルダの肩を叩く。

 やや強ばりの解けたイルダを横に、ブレスは夢渡りのことを報告した。


「というわけで、エルは真名で呪いを受けてもひとまず大丈夫になりました。これで遠慮なく攻め入れますよ」

「君はすごいな」


 身支度を整えながら話を聞いていたフェインが、感心した風に呟いた。


「女性の魔術師は簡単に拾得してしまうことも多いが、夢渡りが出来る男性の魔術師は希少なんだ。レイダでさえ、夢渡りは出来なかった」

「あぁ、陰陽の関係でね。夜とか夢とか月とかってのは、本来女の領分なのさ」


 そうだったのか。けれど。


「……私の場合、教えてくれた先生が良かったのでしょう。それにやっぱり疲れますよ、他の魔術と比べると、だいぶ」

「それでおねむだったんだ」


 と言ったのは嵐の魔女リリカル。

 子供相手の言葉使いに苦笑しつつ、ブレスは水桶に水を満たして身支度を始めた。


 脚の付け根あたりまでのびたくせっ毛をイルダにとかしてもらいながら顔を拭いていると、ブレスにしか聞こえない音量でイルダが言った。


「先ほどはすまなかった」

「いや。こちらこそ……その、寝起きだったからであって、イルダのことを信じていないわけじゃないから」

「すまない……」


 そんなに何度も謝らなくったっていいのに、と思う。

 従者が自責にかられている時、どう振る舞うことが主人として正解なのだろうか。


 主従は難しい。


 昨夜のスープの残りを温めながら、マリーはリリカルに関所を通過するための作戦を話した。


 一通り聞き終えた彼女は、うーん、と腕を組んで首を傾ける。


「そのアスラシオンとかいう帝国の将軍の一行に化けるのは良いとしてお兄ちゃん、あー違った、フェイン……様? 殿下?」


「好きに呼んでくれて構わない」


「じゃあフェイン様ね。怪我をおって弱ったフェイン様の役を、御本人がやるってのは止めた方がいいかも知んないよ」


「なんでさ」


 湯気のたつスープをふちの欠けた器に掬いながら、マリーが問う。


「帝都があんなことになって、帝国の軍も揺らいだんだ。ちょっと前に脱走兵が続出して、それをとっ捕まえるために国境の警備はますます固くなった。いまや関所につめているのは殆どが帝国人だ。そんな場所に弱ったフェイン様がやって来たら、奴ら、絶対大人しく通しちゃくれないだろ?」


「脱走兵かぁ。そりゃ関所を破られて責任を問われた国境警備の連中にとっちゃ、フェインは皇帝へのいいお土産になるねぇ」


「アスラシオンが連行される危険性はもともとありましたけど、関所の人間がほとんど敵となると……さすがに国境を超えて逃げ果せるかは、だいぶ微妙ですよね……」


 強行突破は難しそうだ。

 ブレスは白湯を啜りながら、じゃあ、と提案した。


「怪我した兄さんの役は私が引き受けます。イルダがアスラシオン役をやるんだったら、ふたりまとめて連行されてもペアを組めますし」


 イルダが「いけません」と険しい声で言うのと、フェインが「だめだ」と言うのは同時だった。


「危険すぎる。私の身に降りかかるべきものを君に押し付ける気は無い」


 断固とした厳しい口調でフェインが言う。

 しかしブレスは反論した。


「だからって兄さんが捕まったら、ネモ様の計画はどうなるんです。兄さんは是が非でも国境を通過して、ウォルグランドの民と合流しなければいけないんです」


「……最悪、どちらか片方でもとネモ殿は」


「本気で言っているんですか?」


 膨らみつつある怒りを押さえ込みながら、ブレスは低い声で問った。


「なんのために……今まで、生きてきたんですか。それを忘れて、民を忘れて俺のほうを優先すると言うのなら、俺は兄さんの足枷になる前に死にます」


「バカなこと言うんじゃないよ」


 絶句したフェインと怒り心頭のブレス、その両方の頭をポンポンと丸めた地図で叩きながら、マリーが凍りついた空気を溶かした。


「兄弟そろって死にたがりか。まったく、いーい? フェインはさっさとお国に帰らなきゃなんないし、フィーはカナンを止めなきゃなんないの。どっちも死んだらダメなの。お前たちが二人揃ってないと、西は終わりなんだよ、わかった?」


 マリーのあきれ声に頭が冷えた。

 大人しく項垂れたブレスの横で、イルダが詰めていた息を細く吐く。


「……そうですよね。すみません、マリー様、兄さん」

「いや……私の方こそ、すまなかった」


 お互いに落ち込みながら謝り合うブレスとフェインを眺め、嵐の魔女リリカルが腕を組みつつ呟く。


「えーと、じゃあ結局誰がフェイン様になるの?」

「んー? それはもちろん──」


 にまにまと笑うマリーが出した答えを聞き、一同はそろって納得した。


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