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119話 吉報と凶報

 

 嵐の魔女。

 彼女と出会ったのは、マリーに招かれた改名祝いの宴がきっかけだった。


 ブレスがマリーの正体をまだ知らなかったあの当時、宴の招待状を受け取った魔女たちが続々と訪ねてきたそのうちのひとりが、彼女である。


 炎の魔女と獣の魔女、水晶の魔女とつるんでいたことが多かっただろうか。

 魔女会のなかでは比較的若い魔女である、ように見える。


 懐かしい思い出だ。若い魔術師にちょっかいをかけようとした嵐の魔女は、かつてブレスを口説いている。

 からかって遊ぶつもりだった、と言った方が正しいだろうか。


 ところが、カナンの上辺だけの人当たりの良さを見て旅をしてきたブレスは、するりと彼女の誘惑をかわしてしまった。


 それ以来どういうわけか、嵐の魔女のなかのブレスの価値がちょっとだけ上がったようだ。


 豊穣の魔女マリダスピルの改名祝いの終わりに、〈呪い返し〉のお守りのペンダントをくれたのも彼女である。


 彼女の贈り物をきっかけに、他の魔女たちも様々なお守りをブレスに贈ってくれた。


 そのおかげで、賢者の都エルシオンでエチカに刺された時も生き残る事が出来たので、ブレスにとっては命の恩人にも等しい。


「……嵐の魔女。こんなところでお会いできるなんて、思ってもいませんでした」


 ブレスの声を聞いた嵐の魔女は、びくりと肩を跳ね上げて胸のあたりで顔を上げた。

 見上げる頬がみるみるうちに赤く染まって、彼女はしどろもどろになりながら後ずさる。


「なっ、なっ、なに、なにアレ、どういうこと!?」

「どうよ。うちのフィー、ずいぶん大人っぽくなっただろ? オトコとしちゃあまだまだだけどさ、魔女的にはいまが食べ頃だと思うよぉ」

「そうか、成長期か、成長期こわいな!? あんなに坊やだったのにな!?」


 魔女たちの繰り広げる会話を前に、ブレスはそっと目をそらした。


 彼女たちはなぜか盛り上がっているが、男としてまだまだだの、坊やだのと言われると、胸にグサグサと突き刺さるものがある。


『落ち込むことないわよ。アレ、ほめ言葉よ』


 猫のミシェリーが皮袋から顔を出してつまらなそうに言った。

 そうだったのか。魔女のほめ言葉は変わっている。


 お喋りして気が済んだらしい彼女たちは、微妙な表情で佇む男たちをくるりと振り向いた。


 反射的に目を逸らしたフェインと双子を横目に、そういえば男魔術師が最も近づいてはいけない生き物が魔女だったなぁ、と今更のように思い出す。


「じゃあ、行こう。話しとかなきゃいけないことが沢山あるんだけど、とにかく時間が惜しいんだ。来てくれたからにはなんとかしてもらわないとね。相当まずいことになってるからさ」


 真剣な面持ちでそう告げた嵐の魔女リリカルに促され、一行は再び歩き始めた。


 話さなければいけない、と言っても、最後尾まで聞こえる音量で話すわけにもいかない。


 そこでリリカルは道ばたの石を人数分拾って〈耳〉の印を描き、それぞれに配った。


 これならば、リリカルの〈耳〉を襟元か耳元にでも隠しておけば、彼女がひそひそ声で話したとしてもきちんと言葉を聞き取ることが出来る。


「まず最初に知っておいて欲しい。冬のお方はいま、制御を失って止まれなくなってしまっている」

「……そうか。やっぱり」


 マリーの〈耳〉から流れてくるくる悲しげな声は、それを予測していたように聞こえた。


「その上たちの悪いことに、冬のお方は竜に乗っている。制御を失った主人の影響を受けて、竜のほうも我を失ってしまっている。

 正直言って、帝国には同情するよ。あんな恐ろしいものが力をまき散らしながら暴れ回ってたんじゃ、夜も眠れやしない」


「カナンが父上に神格を剥奪されていなかったら、帝国はとっくに滅びていただろうね。いや、その場合、帝国だけじゃ済まないか。たぶんこの大陸ごと凍り付いてしまっていただろう」


「うん。冬のお方は弱っている……弱っているから力の制御が出来なくなっているし、竜を抑えることも出来なくなってる。でも、弱っているおかげで冬の被害はだいぶ抑えられているとも言えるかな。それでも人間にとっちゃ、大災害だけどね」


(災害か……)


 病を作り、死を作り、夜を作り、冬を作ったカナリアが、自己制御を失ってその力をまき散らしている。


 主神サタナキアに神格を剥奪されているとはいえ、それがどれほど甚大な被害をもたらすかなんて、考えずとも解る。


「けどリリカル、その割にはこのあたりは全然平穏じゃない。いくらカナンが父上に力を奪われていたとしても、被害範囲が狭すぎるだろ? それはどういうことなんだよ」


 責任を感じてうつむいていたブレスは、その言葉で我に返った。

 たしかにその通りだ。


「なんかね、それは……あたしもよくわかんないんだけど、変な魔術師たちが冬のお方を閉じこめているみたいなんだ。

 大勢で何重にも結界を張って、帝都周辺を囲ってるの。あたしも遠くから見ただけなんだけど……」


「ウォルグランドの魔術師たちだ」


 隣を歩くフェインが、押し殺した声で呟いた。


「そうか……皆、もう戦っていたのか。そうか……」


「お前の民は気概があるね、フェイン。やるじゃないか。ということは、カナンはいま帝都周辺っていう限られた場所で竜の子と一緒に暴れているのか。へえぇ、これはネモが知ったら大喜びするだろうねぇ」


 ネモはきっと、すさまじく悪そうな顔で二タァと笑うだろう。

 しかしそうなれば、囚われている妹の身が心配だ。


 面白がるマリーの一方で、深刻そうにリリカルは首を振る。


「けど、さすがにもう保ちそうにない。魔術師たちは頑張ってるけど、たぶんもう限界だと思う。すこしずつだけど、結界が薄くなってあのお方の力が漏れ出してる。早く止めないと……たぶん、千三百年まえみたいになるって、(かお)の魔女が言ってた」


「──ああ。そうだろうね」


 すっと冷たくなったマリーの声に、皆が息を詰める。


 千三百年前、大切な家族を皆殺しにされて魔女に落ちたサハナドールは、百年をかけて大陸ひとつを瓦礫の山にした。


 父神サタナキアが第二子ヘリオエッタを遣わして無理矢理抑え込むまで、自己制御を失ったマリーは止まることが出来なかったのだ。


 此度はカナンの堕天によって、そしてウォルグランドの魔術師たちの力によって、なんとか期日が延びているに過ぎない。


 その上、もうじき秋が終わる。

 冬が訪れるまえに、カナンは眠りにつかなければならないのだ。


 早急にカナンを止めなければ、西大陸全土はいずれ凍り付く事になるだろう。




 その日の晩は、住人が居なくなって久しいであろう埃っぽい小さな住居で風を凌ぐことになった。


 日中は過ごしやすく快適だが、夜から朝方にかけては冷え込むのだ。

 そろそろ野宿は厳しい。


 ずいぶん肌寒くなった。時間が迫っていることを実感する。

 火にかけた野菜のスープをかき混ぜながら、ブレスはカナンを思う。


 カナンを止めなければ。だが、出来るのだろうか。


 魔力を扱う者が自己制御を失う状態に陥ることは、実のところさほど珍しいことではない。


 己の限界を知らない若い魔術師ほどよく暴走する。

 熟練の魔術師であったとしても、命の危機に瀕した時などは制御を失いやすいと云われている。


 いま思えば、ブレスも一度、その状態に陥りかけたことがある。

 エトルリア王国でのことだ。


 帝国に占拠されたレーテ領の都市リーディア奪還のおり、双子に化けた男たちがフェインを背後から殺そうとしたあの時。


 怒りのままにひとりを吹き飛ばし、もうひとりに向かって強い魔術を放とうとしたブレスは、カナンに止められるまで完全に判断力を失っていた。


 魔術師たちの間では「過集中(フロー)」と呼ばれている。

 この過集中を通り越してしまうと、魔術師は我を失い、魔力をまき散らすだけの獣となる。


 そうなってしまえば、その魔術師の末路は魔力枯渇による死だ。


 魔力がつきる前に誰かに止めてもらわない限り、その結果は避けられない。


 今のカナンは神格を剥奪されているとマリーは云う。

 神ではないカナンは、死ぬのだろうか。


 考えて答えがわかる問題ではない。


 カナンが今後どうなるかなんて、きっと世界の外でこちらを見つめている父神サタナキアにしかわからないだろう。


 気づけば止まっていた鍋をかき混ぜる手に、すっと赤い爪の手が重なった。

 マリーだ。


「大丈夫。みんなついてる」


「……ええ」


「それに、いざとなったら体張ってでもあたしがカナンを止めてやる。秋である今だったら、この世界で一番強いのはあたしだからね。

 ……ま、あたしたちが本気で喧嘩なんかしたら、それこそ大陸が滅びちゃうかもしれないけど」


「意味ないじゃないですか……」


 力なく笑うブレスの隣で、マリーが「まあね?」と肩を竦めた。




 スープの鍋を皆で囲みながら夕食をすませ、各々が眠りについたころ、静まりかえった壁の内側でブレスは深く息を吐く。


 かつてカナンに教えてもらったように、呼吸を整え、視界を閉ざし、音を追い出す。


 ゆっくりと数を数えて意識を閉ざし、再び目を開けると、数千数万の扉とめちゃくちゃな階段の世界に立っていた。夢の回廊。


「……よし。エルに会いに行こう」


 ドアノブに止まった金色の蝶に導かれ、ブレスは階段を登り始めた。


 かつて訪れた時と同じように、相変わらずエルシェマリアの夢の扉には冷たい格子窓がはめられていた。


 独房のようなその格子窓からは、微かに明かりが漏れている。


 よかった。エルはちゃんと、生きている。

 信じていたとはいえ、フェインが不穏なことを言っていたので心配していたのだ。


 ましてや妹のいるであろう帝都は、カナンとテンテラの暴走でとんでもないことになっている、とのこと。


 ドアを開けると、そこに広がっていた風景は月光の庭ではなくなっていた。


 あの庭は冷たかったけれど、美しかった。

 しかし、今はどうか。


 四方が白い石の壁に覆われた、殺風景な一室。

 暖炉にくべられた薪の炎が、唯一の明かりだ。


 毛皮の敷物と毛布があるのがせめてもの救いだろうか。


 その毛布にくるまったやせっぽちの少女が、暖炉の炎を馬やウサギの形に変えて、孤独に遊んでいる。


「……遅かったじゃない。嘘つき。会いに来てくれるって、言ったのに」


 振り返りもせずに恨み言を言う妹を前に、ブレスはやれやれと苦笑する。

 エルシェマリアは相変わらずだ。



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