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118話 意外な案内人

 

 海岸沿いの森のなかで一晩身を隠し、迎えた翌朝。


 マリーは斜めがけの皮の鞄から地図を取りだし、くるくると広げてみせる。


「いまここ。ここから南の方向に進み続ければ帝国ね。この大きい国が帝国。海に突き出すみたいな土地の形をしている。だから海側は高い高い城壁で覆われている。この壁はそう簡単には壊せない」


 海側から囲めばいいというわけでもないようだ。

 では内陸地のほうはどうか、というと。


「帝国は十二年前にウォルグランドを手に入れてから、国土を広げることはやめたんだよね。さすがに管理しきれなくなったんだろう。

 だけど、攻めたり脅したりして周辺の国々を従属国として取り込んでいる。その国々は帝国の支配下にあって、実質帝国の一部みたいなもんだから、敵だと思っておいたほうがいい」


「この地図をみる限り、帝国と国境が接している国は三国でしょうか。ええと、バドリアとトルシアと……あ……」


 ウォルグランド。

 故郷の名を見つけ、ブレスは言葉を失った。


「そう、この地図、最新じゃないの。当時の地図なんだ。こっちのほうがわかりやすいかと思って……ウォルグランドの人たちもね、今は帝国人なんだ。少なくとも表向きはそう」


「バドリアとトルシアも帝国の属国だ。属国の関所には少なからず帝国の息のかかった役人が常在している。我々が祖国に帰るためには、まず関所を突破しなければならない」


 フェインの冷静な言葉に、ブレスはゆっくりと頷いた。


「正体がばれないように、ですね」

「そうだ。だが、帝国は現在入国も出国も厳しく取り締まられている。そこで、イルダの力を借りたい」

「ああ……〈変貌〉の魔術で、顔を変えるのだな。アスラシオンの一行に」

「……ええぇ?」


 あからさまに嫌な声が出てしまった。

 なにしろブレスにとって、アスラシオンは己を殺した男だ。


 それを言ってしまったらこのイルダもそうだし、もっと(さかのぼ)ればエチカもそうだったが、アスラシオンはとにかく別格で下衆(げす)だった。


 ブレスの反応を見たイルダが、思い詰めた様子でうつむく。

 エチカが冷ややかな目でブレスを睨んだ。


「……いや、イルダはいいんだ。別にもう何とも思ってない。ただアスラシオン……アスラシオンかぁ……誰がなるんです? 姿を変えるのは、マリー様とエチカと俺……じゃない、私か」


 アスラシオンに化けるからには、それらしい振る舞いを演じなければならないだろう。

 エチカやブレスには出来そうもない。


 やや首を傾げて考えていたマリーが、人差し指をぴんと立てて提案する。


「んー、いや、それだと怪しまれると思うな。アスラシオンは居てもいい、あいつの顔は関所で役に立つだろう。

 でも双子、お前たちのどっちかは居ない方がいい。ウォルグランド組がみんな揃って帰ってくるんじゃ都合が良すぎるだろ?

 フェインはいたほうがいいか。ただし怪我をして、弱っている感じに演出しよう。アスラシオンは双子の片方と部下のほとんどを失ったけど、なんとか遠征から命からがら戻ってきた。そんな感じ」


「な、なるほど……」


 たしかにマリーの言うとおり、そちらの方が現実味のある印象を受ける。


「ただ問題はさ、カナンが……ひと月半前に竜の子に乗って行ってしまったカナンが、どうしているかってことなんだよね。

 カナンが帝国に来ている以上、アスラシオンは任務を失敗したってことになるでしょう。どう考えたって罰を受けると思うんだよ。

 だから奴に化けるのは、ちょっと危険を伴う。関所を通過する間だけのことだけどさ」


「では私が演じます」


 イルダが即決した。一切の迷いもなかった。


「イルダ、でも……」

「オリビア様。あの男の一番近くにいたのは私です。動作の癖や表情や話し方を、私ならば演じることが出来る。秋のお方もそう思われたのではありませんか」

「まあ、それが一番無難だろうとは思うよ」


 マリーはつまらなそうに肩を竦める。

 フェインもレシャも、異を唱える様子はない。


「フィー、とりあえずはそれでいくしかないよ。実際のところは国境まで行ってみないとわからない。それに案外、国境に着くまでに状況が変わるかもしれないしねぇ」

「……わかりました」


 本人が決めたことだ。皆も同意している。

 ブレスだって、頭ではそれが一番妥当な人選であることは解っている。


「でもイルダ、無理はするな。従者になったのだから、俺には君を生かす義務があるんだ」

「オリビア様、逆です」


 イルダの真顔の突っ込みを聞き、マリーが吹き出した。

 フェインは相変わらず苦笑を浮かべているし、レシャは後ろを向いて笑いの発作を耐えている。


「あれ、おかしいな。だってネモ様は弟子も側仕えもすごく大切にしていたでしょう。あれが主従の正しい在り方なんじゃないんですか」

「フィル……ネモ様は中間管理職なのよ。王族とは違うわ……」


 あきれ果てたエチカの言葉に一同が揃って頷いた。

 解せぬ。


 昼頃、お使いに出ていたマリーのワタリガラスが大きな荷物を持って戻ってきた。


 袋の中身は衣服である。

 西大陸では大きな一枚布をひだを寄せて体に纏い、腰帯を締め、肩をピンで留め、これまた一枚布の外套を羽織る独特な着物が主流だ。


 多少の着こなしの差はあれど、男も女も関係なくこれを着る。


 普段は肌にそったラインのズボンを履いているブレスは、下半身がすうすうして落ち着かないが、フェインや双子は西の暮らしが長かったために慣れきっていた。


「子供の頃、こんな服を着ていた覚えは無いんですが。しかし少し走ったら脱げそうですね……」


「ああ、足首まで丈のある衣を着る男性は基本的に身分の高い者ばかりだから、走ることはない。それに魔術師たちは中央と同じような格好をしているよ。この衣では障りがあるからね」


 幼いブレスが育った離宮は、本当に狭く閉ざされた世界だったのだ。

 フェインの解説にカルチャーショックを受けつつどうにか着替えを終えて、一行は森の外へ出る。


 赤毛や金髪は目立ちすぎるため、黒茶の髪紐を編み込んで色と長さを誤魔化して地元民に変装すると、マリーを先頭に歩き始めた。





 海岸沿いには残っていた樹木も、道に出るとほとんど伐採されていた。


 魔術師が多い中央大陸はそのあたりのことを考慮して、森林や山々を保護しているけれど、少なくともこのあたりの地域ではそういった配慮はされていないようだ。


 ブレスには忘れられない森がある。

 ルシアナが夢に現れたあの日に見た、原生林だ。


 ひとの領域ではないあの森は、恐らく昔のシルヴェストリが慕っていた、緑の精霊の棲まう森。


 あの森はいまもまだ、ウォルグランドに残っているのだろうか。


 白く四角い人家がまばらに立ち並ぶ道を歩いて行くと、やがて町にたどり着いた。


 朝市が開かれている。

 色つやのよい葡萄やイチジクが朝日をよく反射する白い建造物のおかげで輝いて見える。


「ちょっと食べておこうか。次にいつ休憩出来るかわからないからさ」


 マリーが市場に立ち寄って、果物を並べていた若い男に気さくに話しかけた。

 なんとなしに果物を選んでいると、知らない言語が聞こえていた。


「……ん?」

「ああっ!」


 エチカと顔を見合わせ、ようやく気づいた。

 ふたりは西の言葉を話すことが出来ない。


「言語かぁ。そういやそうだよね、ごめん、すっかり忘れてたよ……」


 さすがのマリーもこれには困った顔をした。


 女神であるマリーはそもそも言葉には困らないし、旅をしていた時期も長かったので各地の微妙な訛りも知っている。


 フェインと双子はそもそもが西育ちだ。

 逆に彼らが中央の言葉を話せるのは、海をまたいだ各地への遠征任務を命じられた時に現地で困らないよう、徹底的に叩き込まれたためであると言う。


「毎日の試験で間違えれば、鞭で打たれたり食事を抜かれたりしたものだ。ああ、懐かしい……」


 イルダが遠い目で過去を振り返っている。

 そんな教育を受ければ、そりゃあ嫌でも話せるようになるだろう。

 ついでに性格も歪むだろうけれど。


「というかフィルは子供のころこっちで暮らしていたんでしょ? 少しくらい覚えてないわけ?」

「あー……どうだろう、わからない。聞いているうちにぼんやり思い出すかなぁ」


 なんとも言えない。なにしろ幼児の頃に中央に移り済んで以来、こちらでの記憶をずっと失ったまま暮らしていたのだ。


 こればかりは覚え直すつもりで勉強しつつ、感覚を取り戻していくしかないだろう。


「仕方がない。一緒に勉強しよう、エチカ」

「そうね……」


 ふたりで肩を落としつつため息をついていると、半分に割ったイチジクを食べながらマリーがのんびりと言った。


「とりあえずはさ、話せなくとも聞き取りが出来るようになればいいよ。聞き取りができればエチカの人形も情報収集に使えるようになるわけだし」

「ええ、そうよね。そのために着いてきたんだもの、わたし頑張らなきゃ」

「ありゃ? 気楽にやったらいいよって意味だったんだけど……まあいいか。エチカは頑張りやさんだね」

「情報収集を怠ると死ぬもの」


 さすが元暗殺者(プロ)の言葉は重みが違う。


 顔をひきつらせつつ、日常会話あたりからイルダに教えてもらおうと思っていたブレスは、意識を改めることにした。


 聞こえてきたらまずい言葉を先に、覚えることにしよう。

 これは生き延びるための言語拾得である。


 こうして物騒な単語から準に言葉を学び始め、徒歩で進み初めて二日後。


 素性を隠しての道中なので飛行やら使役の召還やらが出来ず、もどかしい思いをしていた一行の前に、ひとりの女が現れた。


 外套の一枚布をフードのようにかぶって髪を隠したその女は、マリーの姿を見て飛び跳ねるように道ばたから立ち上がり、子犬のように駆け寄ってきた。


「遅い! いつまで待たせるのさ、マリダスピル!」

「あはは、ごめんねぇ。なにしろずーっと歩きだったからね。まあまあ、許しておくれよ。ほら、お前のだぁい好きな子を連れて来たんだからさ」

「大好きな子? なにさ、そんなの……」


 ひょいと体を傾けたその女の顔を見て、ブレスは目を瞬いた。

 知っている顔だ。

 そばかすに短い前髪、明るい栗色の髪の三つ編みを左肩に垂らした、若い外見の魔女。


「えっ、あっ!? 嘘、じゃあマリダスピルが連れてくる例の子って……!」

「そうさぁ。っていうか、本命はこの子のお兄ちゃんのほうだけどね。ふふん、よかったねぇ嵐の魔女。改名祝いで泣くほど別れを惜しんだ若いオトコと再会できて、うれしかった?」


 にまにまと笑うマリーの横を素通りした嵐の魔女は、ブレスに飛びついて抱擁をかましながら、子供のように無邪気に笑った。


「会いたかったよ、フィー! このあたし、嵐の魔女リリカルがあんたたちの道案内に来たよ!」


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