117話 作戦会議と上陸
もうじき目的地に到着する、とネモの〈耳〉から連絡が入ったのは、ローレライがスピカとなった五日後のことだった。
「各船の魔術師は船に〈目眩まし〉と〈遮断〉の印を描いてください。いつでも発動できるように交代で待機すること」
「印を描き終えた魔術師は、印を発動させて、きちんと船が隠れているか上空から確認してください」
「その後すべての魔術師は、七隻の船をまわってそれぞれの印に血を登録するように」
淡々としたネモの命令を聞きながら、ブレスは緊張に顔を強ばらせた。
ネモが本気だ。
印に血を登録しておけば、誰かひとりでも魔術師が生き残っていればまとめて船を隠せることが出来るようになる。
ただしこの大きな船を一度に隠すとなれば、術者は膨大な魔力を印に食われることになる。
魔力の上限を越えて術を発動させれば、最悪の場合、魔術師は死ぬ。
ネモは十四人の魔術師の命よりも数多の兵の命を優先した。
これはそういう命令なのだ。
「戦争なのよ。多い方を選ぶのは当たり前でしょう」
「わかってる」
ミシェリーの言葉に頷きつつ、ブレスは船の縁を蹴って飛び立つ。
せめて印の強化をしよう。
絶対に見つからない、と各船の印に言霊を吹き込み、最後にシルバーホース号に降り立つと、そこにはネモとマリー、そしてフェインが待っていた。
「青年。お話があります」
「はい」
その場に相応しい己を装っている、というネモの話を聞いていなければ、どうして平然としていられるのだろうかと思ったことだろう。
やたらと平静に見えるネモ、気怠げに船室の壁に寄りかかるマリー、そして研ぎ澄まされた表情のフェインを見回し、ブレスは静かに頷いた。
ネモの船室に集められた三名、ブレス、フェイン、マリー。
各々椅子に座り、閉めたドアに〈耳〉と〈反転〉を組み合わせたような印を描くネモを待つ。
「ああ、なるほど……盗聴防止ってことですか」
「ええ。話を聞かれてまずい相手は乗っていないと信じたいところですが、念のために」
指先で最後の線をなぞると、ネモはため息を吐いて振り返った。
疲れた顔をしている。
「あなた方には別行動をして頂きます」
椅子に腰を下ろしながらそう言ったネモに、まずマリーが頷いた。
「そうだね。妥当だと思うよ」
「となると、問題は合流するタイミングだね」
続いてフェインが思案気な顔をする。
沈黙するブレス。
なるほど、つまりどういうことだ?
「えー……微妙にまばたきの回数が多くなったそこの青年。こういう場では、解ったふりをするのはお止めなさい。支障が出ます」
「べ、べつに解ったふりなんかしてませんよ。どういうことだろうって考えてただけです」
半笑いのネモの指摘にむきになって反論すると、マリーが和んだ様子でクスリと笑った。
同じような顔で、フェインが述べる。
「ネモ殿は、我々を密かに反乱軍と合流させて、彼らを掌握させた上で帝国に戦を仕掛けようと考えているのだろう」
「な、なるほど……」
考えてみればそれが順序というものである。
内側を纏め、内からも外からも敵国を崩す。
けして敵に見つかってはならないので、少数で行動する必要がある。
そして、フェインとブレスを守る重要な駒が、マリーというわけだ。
「しかし、三人だけでは少なすぎはしませんか? 自分で言うのもなんですけど、私は隠密行動ではほとんど役に立てませんよ」
「厳密に言えばあなたとフェイン殿は、反乱軍と合流するまで役に立たなくとも良いのです。が、そうですね。
ウォルグランドの魔術師である双子には同行してもらったほうが、なにかと役立つでしょう。他に同行させるとすれば、秋のお方の庇護下にある彼女か」
「エチカね。たしかにあの子の人形は情報収集に向いてる。船に残していっても仕方ないし、エチカは連れていくよ」
軍の上ふたりが、淀みなく話を進めていく。
少々気圧されつつも、ブレスはなんとかふたりの言葉を頭に詰め込んでいく。
「我々の役割は、反乱軍と合流し、彼らを掌握し、そして我々が彼らの王であることを認めさせることだ。
最終的にはネモ殿率いるエトルリア軍と合流し、帝国と戦うことになるが、戦いを始めるのはあくまで我々でなくてはならない」
フェインが静かな面持ちで断言した。
その意見に異論はない。
「……はい。わかります。そうでなければ、ウォルグラントと帝国の戦争じゃなくて、エトルリア王国と帝国の戦争になってしまうから」
「ええ。ですので、あなた方ふたりは……いえ、最悪どちらか片方だけでも、必ず早急にウォルグランドの民と合流してください。我々はあなた方の準備が整うまで、帝国の付近で待機することになります。船を隠して待つとは言え、見つかる可能性もある。そうなった場合……」
ネモが冷笑を浮かべて口を閉じた。
そうなった場合、エトルリア軍は無駄死にだ。
一瞬深刻に変わったその空気を破って、マリーが「大丈夫さぁ」と気の抜けた口調で言った。
「あたしの可愛い下僕たちが、現地の魔女たちに既に知らせを送っている。西での道案内には困らないよぉ。ふたりを送り届けることだけなら、そんなに難しいことじゃない。けど」
けど?
マリーを注視する三名に向かって、彼女はコテンと首を傾げる。
「妹ちゃん、とらわれのお姫様はどうするの?」
「……あぁ!?」
エルシェマリアのことをすっかり忘れていた。
ブレスにはエルシェマリアという腹違いの妹がいる。
同じように赤毛で、フェインと同じように帝国に囚われて育った、まだ十代前半の少女だ。
妹が囚われたまま帝国に戦をしかけたらどうなるだろう。
人質として生かされていた彼女だ。フェインが反旗を翻したと皇帝が知れば、妹は殺されてしまうのではないだろうか。
マリーの一声に大声をあげて反応したブレスに、怪訝な目を向けたのはフェインだった。
「待ってくれ、どうして君が私の妹を知っている?」
「あれ? 話していませんでしたっけ、エルとは夢で何度か会ったことがあって、いろいろありましたけど、助けに行くって約束したんです」
無表情で固まっていたネモが、どんよりとした様子で片手で額を覆った。
エルシェマリアの存在を知らなかったネモの作戦に、彼女の生き死にが含まれているはずもない。
「あなたがた……そういった事は早めに言って頂かなければ……」
「すみません、ほんとうにすみません! いろいろありすぎてすっかり忘れてしまっていたんです!」
「過ぎたことを言っても仕方ありませんが……しかし、困りましたね。これでは作戦遂行の難易度があがってしまいます」
もつれた黒髪をいじりながら、ネモは唸る。
「本格的に攻めいる前に王女殿下を救出するか、攻めいると同時に救出隊を送り込むか。全体的な結果を優先するのならば後者ですが、王女殿下の生存率を考慮するならば前者のほうが好ましい」
「ど、どうしてですか?」
「エルシェマリアを救出しに攻めいれば、我々の存在が敵方に知られるだろう」
同じく眉間を寄せながら、フェインが答える。
それはそうだ。
二度攻めいることになるのだから、二度目の討ち入りは難易度が上がる。
「問題は他にもある。皇帝は私と妹の真名を握っている。真名を知られている以上、帝国の魔術師が私を呪えば、まず間違いなく私と妹は動けなくなる。敵に時間を与えれば、それだけその危険性もあがってしまう」
「そうですねぇ……名の縛りは厄介です。どうしたものか……」
「待ってください。確かに悪意を持つ者に真名を知られると呪いの効果が強まって厄介ですけど、真名を知っている者が守りの魔術をかけた時も、同じように効果は強くなる。
だったら少なくとも兄さんのほうは、私が守れば動けなくなるということはなくなるはずです」
大切な仲間を失わないために、刻印の魔術を極めてきたのだ。
〈呪い替えし〉の守りの印を、今使わずにいつ使うのか。
ブレスの必死な意見を聞いたネモが、確かに、と頷く。
「血縁者であることも、有利に働くでしょう。あなたの言うとおり、フェイン殿はなんとかなるとして……問題はやはり、王女殿下ですね。
どうにか接触することが出来れば、死ぬという最悪の結果だけは避けられるはずです。理論上は」
「接触するだけだったら、いくらでもできるじゃない」
ことも無げに言ったのはマリーだった。
彼女は場違いに楽しげな笑みを浮かべて、二本の指で同時にブレスとフェインを指し示す。
「夢渡りの魔術だよ。妹ちゃんとお前たちの夢の回廊は繋がっているだろう? ま、じかに会えるわけじゃないから守りの魔術具は渡せないけど、フィーだったら中身にだって刻印できるわけだしさ?」
「中身って、魂にってことですか? 臓器に刻印するのとは、わけが違うんじゃ……」
視界の端で、「並の魔術師は臓器にだって刻印なんか出来ませんけどね」とやさぐれた様子でネモが言った。
たしかにあの刻印の魔術は、言霊と同じく、呪いの制限を受けていたが故に発達した、ブレスのつらら石の力だ。
「やってみる価値はあるだろう。……そもそも、エルシェマリアがまだ生きていればの話だが」
目を伏せて不穏なことを言うフェインに、ブレスは顔を上げて首を振った。
「生きていますよ。エルは賢いし、弱い子でもありませんから」
なにしろ悪鬼のような姿でフェインとブレスの夢に現れたあの妹だ。
殺しても死なないに決まっている。そう思いたい。
となれば、残る問題はどう攻め入るか。
反乱軍との兼ね合いもありますが、と前置きをして、ネモが告げる。
「一度目の討ち入りでフェイン殿の反乱を知られたとしても、敵に準備をさせる時間を与えなければよい。
フェイン殿と王女殿下の命をあなたが守れるならば、王女殿下の身柄を確保した直後、間を空けずに攻め入りましょう」
「話は決まったね。ああ、楽しくなってきたじゃないの」
マリーが赤い唇をニヤリと歪めた。
なんと心強い魔女、いや女神様だろうか。
苦笑を浮かべるネモに向き直り、マリーは自信満々に胸を張って金色の目を細めて笑う。
「心配いらないよ、ネモ。この子たちはやり遂げるさ。だからお前は、攻めるべき時に攻められるよう、いい子にかくれんぼして待っているんだよ。狼に見つかったら、食べられちゃうからねぇ」
その日の夕暮れ、一隻の船が隊列を離れ、姿を消して西大陸の海岸沿いを密かに通過した。
印を発動させて消えた船から、マリー率いる五人の若い魔術師たちが、縁を蹴って飛び立つ。
黒ローブをはためかせてブレスと並んだフェインが、懐かしそうに目を細めて呟いた。
「帰ろう。私たちの故郷へ」
「ええ、兄さん」
目的地は幼い頃に離れた祖国。
取り戻すものは兄の玉座。
春の乙女の導かれ、とうとうたどり着いた西の故郷を前に、ブレスたちは進んで行く。