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102話 双子の憂鬱

 

 見張りに起きていた兵は、駆けてくる白馬の姿を見て弓を構えた。

 しかしそれもいっときのこと、乗っている人間がブレスであると知るとすぐに武器を下ろして歩み寄ってくる。


「どうかなさりましたか。なにか伝言でも?」

「いいえ。個人的な用事で来ただけです」


 ルーチェを影にしまい、ミシェリーを抱き上げて、ブレスは兵に持参した葡萄酒を手渡した。


「少ないですけど、差し入れです。夜勤が終わったらどうぞ」

「ああ、これは上物ですね。仲間と飲むことにします。ありがとう」


 見張り番は顔を綻ばせる。宿屋の主人が出してくれた一級品だったが、なにしろ魔術師ばかりで酒を嗜む者がいなかったのである。


「イルダ──ええと、捕虜と話しに来たのですが、彼のいる船はどこでしょうか」

「捕虜と? 失礼ですが、ネモ様はこのことをご存じですか?」

「はい。許可は下りています」

「よかった。でしたら問題ありません。捕虜はブルータイガー号です。船の側面に、虎の絵が」


 銀色の馬に、青い虎。

 七隻の船にはすべて、獣の名がついているのだろうか。


 礼を言い、ブレスはそのまま舞い上がった。筋力の衰えた体を常に風の力で動かしていたため、改めて風を呼ぶ必要もない。


(さすがに一日動き回って、疲れたな……)


 疲労時の単独行動は危険だ。

 今夜はこのまま船に泊まらせてもらおう。


 そんなことを考えながら船を探すと、端のほうに虎らしき絵が描かれている船を見つけた。これがブルータイガー号だろう。


 同じように見張り番に葡萄酒のボトルを渡して事情を説明すると、彼は快くブレスを受け入れてくれた。

 スティクス領の私兵は、職業のわりに礼儀正しくて大変助かる。


 昼間にネモと通ったばかりの通路を、今度はミシェリーとともに降りる。

 夜になると甲板下の下層部は真っ暗だった。

 光を呼び、ランタンに閉じこめて歩いていくと、見覚えのある鉄格子の檻が現れる。


 うずくまっていたイルダが、眩しそうに目を細めながらわずかに顔を上げる。

 またお前か、と彼は億劫そうに呟いた。


「一日に二度も来るとは、暇なのか。嫌がらせか?」

「話したかっただけだよ」


 今度はネモがいない。改まった言葉遣いは無しにして、ブレスは昼間と同じように鉄格子の前に座り込む。

 そのまま背を向けて檻にもたれ掛かると、背後で微かにイルダが身じろぎをした。


「何のまねだ」

「何って……別に、ただ疲れやすいんだ。ひと月ずっと寝ていたから。いいじゃないか、壁はほこりっぽいし。少しくらい寄りかかったって、減るものじゃないだろ」

「はぐらかすな」


 相変わらず言葉では噛みついてくるが、もはや彼の声に勢いはない。

 苛立ってはいるけれど、疲れて無気力で、感情をむき出しにせずにはいられないほどの敵意も薄れつつある。


 纏っていた風の力を解放すると、とたんに体が重くなった。

 倦怠感にため息をつき、ブレスは立てた膝に肘をついて、拳に額を押しつける。


「イルダ、ちゃんと食事はとっている?」

「は……?」

「レシャがずっと、君のことを心配しているんだ」

「嘘だ。レシャとは会っていない。あれ以来、一度も」

「本当は話したいのだと思う。けれど、君に負い目があるから……罪悪感で、来たくても来られないだけで」


 奥歯を噛みしめる音。

 レシャの自業自得だという嘲りと、兄弟を苦しめている罪悪感が、葛藤しているのだろう。


「レシャに、伝えてくれ。私のことはもう忘れろと」


 やがてイルダは低くくぐもった声でそう告げた。

 ブレスは苦笑する。結局イルダは、レシャを憎みきれなかったのだ。


「それは……無理だと思うよ、レシャが君を忘れるなんて。だって彼は、いつも自分の代わりに怒ってくれる君がそばにいたから、これまでやってこれたんだろう」

「違う。単なる性格の違いだ」

「ああ、まあね。でも結果的にはそうだった。君がいたから、彼は迷わずに済んだ。前を向いていられた」


 沈黙。イルダは答えない。

 残酷なことを言っている自覚はあった。

 それでもブレスは、言わなければならない。


「イルダはレシャのぶんまで消耗して生きてきた。今のままでは、レシャはひとりでは生きていけない。レシャには、負の感情を抱え込む強さはない」

「私に、レシャのために立ち直れと言いたいのか」


 どこか途方に暮れたようなイルダの声を背で聞きながら、ブレスはゆるゆると首を振る。


「違うよ。俺はただ……そろそろ、君はレシャから自由になっていいと思っただけだ。レシャは君がいなくても生きていけるようにならなきゃいけないし、君はもう誰かの代わりに怒ったりしなくていい。一度、考えてみたらいい。自分のためだけに、何をすべきなのかって」


 正義とか、義憤とか。

 そういうものは、心に余裕がある人間が考えればいいと思う。

 うん、と頷き、ブレスはあくびをかみ殺した。


 いい加減、眠気に抗がえそうにない。

 檻に凭れ、腕を組み、ブレスは目を閉じる。


「それじゃ、レシャと話せそうだったら言ってくれ。俺は毎晩来る。嫌がられても来る。鬱陶しかったらそう言って良い。それでも来るけど」


「お前、どれだけ独善的なことを言っているのか解っているのか」

「ああ、そうかも知れない。独りよがりだ。後で反省するから、許してくれ。悪いんだけど、いまはもう眠いから考えられない……おやすみ、イルダ」

「は……ふざけるな、なぜここで寝る──聞いているのか、おい!」


 狼狽したイルダがなにやら言っているのを聞きながら、すとんと意識が落ちた。

 病み上がりで一日中動き回っていたのだから、仕方がない。


 結局ミシェリーに起こされるまで朝まで熟睡したブレスを、翌朝のイルダは変人を見る目で見ていた。


 心配してやってきた昨晩の見張り番も似たような顔をしていたので、ブレスはやや反省しつつ、見張り番に口止め料を払った。

 ネモにばれて、接近禁止をくらったら面倒である。


 ちなみに口止め料は貨幣ではなく、守りの魔術具で払った。

 今後帝国を相手に戦う彼らにとっては、そういったものほうが現金よりも価値がある。


 親指に指輪をはめながら、彼は呆れと感心が半々の顔で、寝起きの伸びをするブレスを眺めた。


「よく自分を殺しかけた男と一緒の部屋で寝られますね……?」

「……あー、そういえばそうですよね?」


 先にエチカに刺されて和解していたぶん、頓着しなくなっていたのだろうか。


 また一段と自分が鈍くなったような気がして落ち込みつつ、ブレスは再びルーチェに騎乗して宿へ戻った。


「見て、ミッチェ。朝焼けのマルメーレ諸島はすごく綺麗だ」

『お前のアタマの中のお花畑ほどじゃないわよ』

「ははは……」


 ミシェリーの皮肉を笑ってごまかしつつ、走ってくれたルーチェへのご褒美に伸びた赤毛を切り取って影に投げ入れる。


『喜んでるけど、次は手渡しが良いって言ってるわ』

「そっか。わかったよ、ルーチェ」


 ブレスが答えると、二角獣の喜びの感情がじんわりと思念を伝って流れ込んできた。

 ありがたいことだと思う。


 使役はふつう下した土地から町三つ分の距離で解放するのが普通だ。

 魔物や魔獣は、棲む土地を離れたがらないもの。群れをなす生き物であれば、尚更である。


 ブレスは昏睡している間に海に出てしまったから、ルーチェが海を渡る旅を承諾してくれるか聞き損ねてしまった。

 けれど、海を渡ってもルーチェはルーチェのままで、ブレスを主人と認めてくれている。


「これからも頼むよ、ルーチェ」


 声をかけると、影のなかの二角獣は誇らしそうに答えてくれた。


 宿のドアノブに手をかけるが、残念ながら鍵がかかっている。

 店主はまだ寝ているようだ。


「開かないや」

『ふつうそうよ。農夫や兵じゃないんだから』

「どうしようか。散歩でもする?」


 迷惑にならないよう小声で話していると、不意に頭上の窓が開いた。

 朝日の強烈なまぶしさに目を細めながら見上げると、金髪に青い目──レシャだ。


「おはようございます。昨夜は船に泊まられたのですね」

「あ、はい。いきなり一日中活動したせいか疲れてしまったので、泊めてもらいました」

「……そうでしたか。申し訳ありません」


 突然謝られてぽかんとする。腕の中のミシェリーが『イルダのことを謝っているんでしょ』と冷たい口調で呟いた。


「別に、レシャが謝るようなことじゃないと思うけど」

『お前、昨日自分で言っていたじゃないの。罪悪感があるのよ』


 ミシェリーとぼそぼそと話していると、頭上のレシャが躊躇いがちに「窓からで良ければ、中に入りますか」と声をかけてきた。

 黒猫と顔を見合わせ、頷く。


 ふわりと浮き上がって窓のさんを掴み、足からぴょんと中に飛び込むと、そこは廊下だった。

 レシャは相変わらず視線を俯けたまま、沈んだ表情で佇んでいる。


「昨夜、ネモ様から伺いました。オリビア様が、私の兄弟と面会したと」

(オリビア様、かぁ)


 父からシリウスの名をもらい、母からオリビアの名をもらった。

 シリウスの名は公式の場や親兄弟、それから師以外は呼ぶことも許されない、王族としての名前だ。


 一方オリビアは、愛称のような位置づけの名前である。

 仕えるものや親しいものから、または私的な場所ではオリビアと呼ばれることになるが、いかんせん十二年も己の名を忘れていたので、こそばゆくて仕方がない。


「あの、レシャ。今は魔術師エミスフィリオとして旅をしているので、そちらの名で呼んでください」

「ああ……そうですね。わかりました。エミスフィリオ様」


 様、はどうしてもつけるのか。


 それはそれでムズムズするが、レシャは王家に仕えるウォルグリア家の者。

 仕方がないと思って受け入れるほかあるまい。


「……イルダは、どうしていますか」


 足下を見つめながら、レシャは思い詰めた様子で呟いた。

 知りたければ会いにいけばいいのに、と思わなくもない。


 けれどそれは、ブレスが他人だからこそ思えることだ。

 親しかったからこそ生じる苦しみや、躊躇い、迷いもある。


 ゆっくりと壁に背を預けながら、ブレスは細く息を逃がした。


「イルダはいま、いろいろなことを考えているよ。君のこと、彼自身のこと、これからのこと。彼がもう少し落ち着いたら、会ってあげてください。私もまだ、彼の答えを待っているところなんです」


 言葉を聞いたレシャの瞼が泣き出しそうに震えた。

 口をつぐみ、目を閉じたレシャは「はい」と消え入りそうな声で答え、ネモやフェインの部屋の場所を伝えると、去っていった。


『ずいぶん性格の違う双子ね』

「……うん。補いあってきたんだと思うよ。でも、道は別れてしまった。もうそういうわけにはいかない」

『もとには戻れないのかしら』

「どうだろう。元通りの関係に収まることが、必ずしも良いことだとは思わないけど」

『それでも、袂を分かつのは寂しいことだと思うわ。兄弟なんだもの』

「そうだね……それは、そうなんだけどさ」


 信頼と依存は違う。と、言葉で言いきるのは簡単だ。

 けれど、ブレスだってミシェリーに依存していないとはとても言い切れない。


「ふたりとも、心のより所が見つかればいいんだけど」


 ウォルグランドを帝国から取り戻したら、彼らも少しは安定するだろうか。


 どちらにせよ、急いで整理をつけるべき問題ではない。

 彼らには時間が必要なのだ。


『お前が心配することじゃないわよ。お節介ね』

「それは解ってるよ。けど……」


 ふたりの主君であるフェインは、双子についてほとんど話さない。

 兄は、イルダとレシャの問題をどう考えているのだろうか。


「……お節介でも独善でも、口に出さなきゃ思ってることは伝わらないよ。勝手に決めて結論だけ伝えるんじゃ、レイダ先生を死なせた時と同じだ」


 あんなすれ違いは二度と起きて欲しくない。


 呆れ顔のミシェリーを撫でながら空の色が移ろいでいくのを眺めていると、ドアが開いて寝ぼけ眼のネモが出てきた。

 否、ただ寝ぼけているのではない。様子がおかしかった。足元が覚束ず、頬が青ざめている。


「……おはようございます、青年……」

「ネモ様、大丈夫ですか。顔色が悪いですよ」

「あー……実はですね、昨日のローレライの魔力に、あたったようでして……あなた、すみませんが中和を……」


 魔力にあたる?

 なんだそれは、どういうことだ。


 訊ね返そうと口を開きかけたその時、おもむろにネモが倒れた。

 座り込むとか膝を着くとか、そんな生ぬるい倒れ方ではなかった。前のめりにバタンと倒れた。

 額を強かに打ち付けるすごい音がした。


 この男が倒れる現場に居合わせるのは数度目である。

 今更驚きはしない──なんて、そんな事があるはずも無く。


「ネモ様!? しっかりしてください、状況が解りません! もしもし!?」


 声を聞いたらしい護衛の側近たちが隣の部屋から泡を食って飛び出してくる。

 彼らは床に倒れふすネモを見、「またか!」と叫び頭を抱えた。


 またである。

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