16 トレポレの街(1)
ウエストリアの街の中央には、必ず火炎と呼ばれる炎を燃やす魔道具がある。
魔道具なので、もちろん魔力でも火が入るが、通常は焚き木を燃やすようになっていた。
トレポレの街でもそれは同じで、火炎の周辺では、気の早い人たちが明日からの祭りを一足先に楽しんでいた。
彼女も広場にあるウエストリア家の屋台の側で、アルフレッド殿と共にウエストリア家の令嬢として、周りの人達の声に耳を傾けていた。
この街に来る時から、彼女はいつもと違っていた。
いつもほとんど平民と変わらない服装をし、側にいるのも弟と護衛の二人で、誰にでも会いに行くし、誰とでも話す。
それが、トレポレの街に行く時から、服装も移動に使う馬車も貴族の令嬢に相応しいものになり、彼女達の側には、護衛の兵が付くようになっていた。
余りに違うので、最初は驚いたが、トレポレの街ではそれが何時ものようで、声をかける者達に戸惑いは感じられない。
不思議に思っていると、日が暮れて、火炎に火が入った頃から何となく理由が思い当たる。
辺りが暗くなるにつれ、屋台に活気が出てくると、人がどんどん増えていく。
自分や護衛が見失ったり、間違えたりする事は無いが、妙な考えを持つ人間が、彼女を間違える可能性があるため、あえて服装を整え兵の側にいる。
ウエストリアで時折感じる妙な気配から、彼女自身を、そして周りを守っていた。
相変わらずだと思うのは、こうした時でも、彼女はそれを楽しんでいる。
「ふふっ、今日はちょっと貴族の令嬢に見えるでしょう? ジャルド、どう?」
「お嬢、馬子にも衣装って言葉を聞いたことあるっすか?」
「あら、外面を褒めてくれてありがとう」
「誉め言葉だとは思って無かったっすねぇ」
「追々中身も追いつくわよ」
時々近くにやってくる護衛と軽口を叩きながら、街の人々に笑顔を向けて微笑んでいる。
「楽しそうっすね」
「もちろん、女性ですもの。装ったり、着飾ったりするのが嫌いな人なんていないわ」
「へぇ、いい事聞いたなぁ」
「いい事?」
「いつもそんな恰好をしてくれれば、俺が楽できるっすよ」
「まぁ、ジャルド。いつも動きやすい服装をしているから、今を楽しめるのよ。
これが何時もの事になってしまったら、楽しめなくなってしまうでしょう? そんな勿体ないこと絶対にしないわ」
「僕はどちらの姉さまも綺麗だと思うよ」
「まぁ、アル。それは嬉しい言葉ね」
「アル坊は、相変わらずお嬢に甘いっすね」
いやぁ、まいった。と何やら彼女に耳打ちして離れて行く。
どうやら他の領地から来ている貴族が近づいて来たからで、それも余り質のよくない人のようだった。
彼は、リディアに街を案内するように求めていて、強引に誘っている。
「私もご一緒させて頂いてもよろしいですか?」
アルコールの入った男が、彼女を連れて行こうとしつこいので割ってはいると、彼女の方もこちらの意図を察して、相手の男に紹介を始める。
「クリオ様、ご紹介しますね。ガルスのザイード殿下です」
「初めまして」
獣人である自分が、不機嫌に威圧すれば大抵の人間は離れていく。
その男も類にもれず、そそくさと去って行くので、満足していると、後ろから、クスクスと笑い声が聞こえて来る。
「以前もこんな事がありましたよね、ザイード様がいて下さると、どこにいても大丈夫そうだわ」
「用心棒になりましょうか?」
「きっと敵う人はいないわね」
それは楽しそうに笑い続ける。
不思議な親子だと思う。
獣人である事は、特別であったが、肯定的に受け入れられる事は無い。
それで自分達を卑下するわけではないが、人に受け入れられていないという感覚は何時も感じていた。
それが彼らからは、本当に感じない。
自分達への過大な畏怖の念も、人でないことへの侮蔑も持ち合わせていない。
獣の姿を見せても、人との違いを話しても、それをそのまま受け入れてしまう。
父親は若干それらを面白がっている様に見えるが、それでもウエストリア家の使用人達は、屋敷の主の判断に従っているため同じような対応になり、それがいつの間にか、この地で出会う全ての人達に広がっていく。
側にいたい、離したくないと切実に思う。
来月になれば、国境が閉じられる。
自分達は、それまでに国に帰らなくてはならなかった。
そうすれば、また三カ月以上会うことは出来ないし、一旦この地を離れれば、また偶然を待つことしか出来なくなってしまう。
それでも、どうするべきか決めかねていた。
自分の持つ気持ちとは違っていても、彼女が少なからず好意に似た思いを持っているのは感じる。
気持ちを伝えて、自分を見て欲しいと伝えることは出来る。
そうすれば、今は僅かなものでも、いずれ自分の側にいたいと思ってくれるかもしれない。
だが、気持ちが通じて一緒にいるためには、彼女をガルスに連れて行くか、自分がここに留まるしかない。
ウエストリアの土地を大切に思っている彼女を、ここから引き離すのは戸惑われたし、自分がここに留まるには、ウエストリアにとっても、ガルスにとっても難しい話になる。
そう考えると、いつも何も出来なくなる。
何度、気持ちを伝えそうになっても、抱きしめそうになっても、どうすればいいか分からず引き戻される。
だがトレポレの街を離れる時、嫌な相手が街に到着したことに気付く。
何度か王都で見かけた赤毛の男、おそらく自分と同様、彼女に特別な感情を持っているひとり。
彼女が気付いていなくても、彼がなぜウエストリアに来たかは容易に想像できる。
彼の持つ財産や地位、そして自由など、自分には決して与える事は出来ない。
彼女の為にはこのまま離れた方が良いのではとさえ考えるのに、失うと思うと、苦しくて決して離したくないと思ってしまう。
国境が閉じられるまでひと月。
まだあるだろうと思っていた時間が、こんな形で無くなるとは、この時は思ってもみなかった。




